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1-3-1 サーラと仲間たち

サーラゼル・ヴェリルライト── 人は彼女を、サーラと呼ぶ。


彼女は、女王選定戦の開幕と同時に、真っ先に「処女の書」を目指して旅立った。モダン魔法の学問と研究に打ち込んできた彼女にとって、それは単なる強力な魔導デバイスではない。これまで積み重ねてきた思考と技術、その在り方そのものを試される場所であり、自らの力を証明するに足る唯一の対象だと信じていた。


「綴神の神殿」と呼ばれるその地は、古代の知識が眠る場所として広く知られている。だが同時に、幾多の挑戦者が門番との知恵比べに敗れ、帰路についた場所でもあった。知識を持つだけでは足りず、それをどう扱うかを問われる場──そう理解していたからこそ、サーラは迷いなく歩を進めた。足取りは軽く、視線には確かな期待が宿っている。そのまま彼女は、神殿の奥へと踏み入っていった。


しかし、現実は甘くなかった。


神殿へ至る道程は、単なる力や魔法技術では越えられない構造をしていた。目に見えぬ魔法文字が空間に浮かび、一定の法則に従って配置を変える。古代の文献に似た記述や、論理的な問いが重なり合い、一つの解答では完結しない。誤れば道は閉ざされ、正しさすら次の問いを呼び込む。サーラは幾度も足を止め、その都度、思考を組み直していった。


問いの構造は、見えている。だが、それを“通過条件”として処理する発想が、まだ自分の中に定着していない。


問いの組み方は、どこかで見覚えがある。だが、あと一歩のところで噛み合わない。手応えはあるのに、決定的な糸口が指先からすり抜けていく。


「ここまでは合ってるはずなのに……」


深く息を吐きながらも、サーラの視線は落ちてはいなかった。むしろ、周囲の構造を確かめるように、ゆっくりと巡っている。


門番との知恵比べは、想像を遥かに超えていた。書物の中でなら整然と扱える知識が、ここでは即座に再構成を求められる。応用の速度、判断の切り替え、そのすべてが試されている。神殿そのものが、彼女の思考の筋道を測っているかのようだった。


時間の感覚は、いつしか曖昧になっていた。問いに向き合い、組み立て、崩し、また繋ぎ直す。その繰り返しの中で、外界のことは意識の外へと押し出されていく。どれほどの時間が過ぎたのかも分からないまま、サーラはただ思考を重ね続けていた。


そんな折、背後から声がかかった。


「サーラ!」


顔を上げると、そこには同じ選定戦の挑戦者であり、旧知の仲でもあるシェリーの姿があった。わずかに息を乱しながら、彼女は真っ直ぐにサーラを見据えている。


「何をしてるの? 皆、続々とデバイスを手に入れてるわよ! 今、ミーナが『獅子の剣』を手に入れたって聞いたし、エレインも『白羊の盾』を手に入れたばかり。こんなところで足踏みしてる場合じゃないわ!」


告げられた名に、サーラは一瞬だけ言葉を失う。外の時間が、思っていた以上に進んでいることを、そこで初めて認識した。


「……そう。もう、そこまで進んでるのね」


静かな声だったが、その中にはわずかな遅れの感触が滲んでいる。


「でも……私は、この『処女の書』を──」


言いかけて、わずかに言葉が止まる。


「サーラ、確かにこの書はあなたに合ってる。でも、このままじゃ女王の座には近づけないわ。あなたなら分かるでしょ? 皆は“突破”してる。でもあなたは……“解こう”としてる」


その一言が、静かに核心に触れた。


サーラは答えない。ただ、視線を落とし、足元の刻印を見つめる。そこにある構造は理解できる。だが、それを通過のために切り捨てるという発想が、自分にはまだ選べない。


「……分かったわ」


やがて、小さく息を吐く。


「ここにいても、今は前に進めない。別の形で積み直すべきね」


決断は早かった。これまでの時間が無駄だったとは思っていない。むしろ、ここで得た違和感こそが、今の自分に足りないものを示している。


サーラは振り返らず、神殿を後にする。歩みは遅くない。ただ、急いでもいない。


シェリーの隣を通り過ぎながら、わずかに頷いた。


「ありがとう。少し、見えた気がする」


神殿の外へ出ると、空気が変わる。戦いはすでに先へ進んでいる。それでも、サーラの歩みは止まらない。


追いつくためではない。理解に届くために。


その道が遠いことは、すでに知っている。それでも彼女は、他の誰とも異なる順序で、自分の戦いを組み立て直そうとしていた。


—-


綴神の神殿から、サーラとシェリーがゆっくりと歩み去っていく。それを木陰から見送る一人と一匹の姿があった。


風に吹かれて漆黒の髪を揺らすのは、レガシー魔法の探究者アリスティア。長いマントのフードを外し、木に背を預けて、遠ざかる少女たちの背を見つめている。


少し離れた場所に寝そべっているのは、皮肉屋な魔法AIが宿った黒猫ネフィリス。整った毛並みに日差しが映え、金の瞳だけがわずかに眩しげに細められていた。彼の背後では、木の葉がさらさらと音を立てている。


「猫くん、追わなくていいの?」


アリスティアはサーラ達の背中を見ながら、静かに問いかけた。その目は悪戯っぽく笑っている。


ネフィリスは、その場から動かずに尻尾を揺らし、冷ややかに返事をした。


「僕が追う必要なんてないさ。あいつらなら、自分たちでどうにかするだろう」


アリスティアは地面の陽だまりに目を落とす。ちらりとネフィリスを見ると、彼の尻尾が時折、不規則なリズムで揺れているのが見えた。


「本当に?」


ネフィリスは舌で前足を舐めながら、何も答えない。草の香りが風に乗って運ばれてくる。周囲には鳥のさえずりと、葉擦れの音が心地よく響いていた。


「ねえ、あなたも少しは心配してるんでしょう?」


ネフィリスは鼻で笑い、あくびをして見せた。「お前こそ、気にしてるんじゃないのか?」


そっぽを向きながら話す猫に、アリスティアはくすっと笑った。心の中ではネフィリスの本音を見抜いていたが、それを指摘するつもりはない。彼のプライドを傷つけないように、ただそのままにしておく。


「じゃあ、私は行くわ。おもしろくなりそうだし」


アリスティアの軽い口調とは裏腹に、視線の奥に宿るのは鋭い観察眼。風が吹くたび、彼女のマントの裾が舞い、足元の小さな草花がふわりと揺れる。


ネフィリスは、彼女の背をじっと見つめる。何も言わず、ただ見送っていた。


「ったく、何がおもしろいのかねぇ」


木陰に一人残ると、彼は静かに身体を丸め直す。だがその尾は、なおもわずかに揺れ続けていた。陽射しの中、虫の羽音が近くを通りすぎ、また静けさが戻る。


「……無茶はするなよ」


かすかな呟きが、風に紛れて消えた。


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