1-2-6 第一戦決着
セレナとヴァイの決闘は、火花を散らすという言葉では足りぬほどに激しさを増していた。風と自然の力が幾度も衝突し、その余波が神殿の空気を歪め、石壁に鈍い震えを伝えている。互いに譲らず、一進一退の攻防が繰り返される中で、決定的な一撃はついに生まれず、しかし確実に消耗だけが積み重なっていった。
セレナは荒い息を押し殺しながら、なおも風の流れを掴み直す。視線の先には、祭壇の上で変わらぬ光を湛える《天蠍の弓が》あった。
「これで……終わらせる!」
己を奮い立たせるように呟き、地を蹴る。風の加護を纏ったその踏み込みは鋭く、間合いを一息で詰める軌道を描いていた。だが、その刹那。
「くっ……!」
ヴァイの足が、砂のわずかな崩れに絡め取られる。体勢が揺らぎ、ほんの一瞬、均衡が崩れた。長時間にわたる戦闘と砂漠の過酷な環境が、ついにその身体に影響を及ぼしていた。
その隙を、セレナは見逃さない。風を凝縮させた一歩で間合いに入り込み、勝機を掴みにかかる。彼女の視界には、既に結末が見えていた。
セレナの一撃が、避けようのない軌道で迫る。
その瞬間、ヴァイの身体がわずかに沈み込み、衣の内へ差し入れられた手が何かを掴む。
──そのときだった。
『ヴァイオレット・リンドグリーン!』
不意に、神殿全体を揺るがす震動が走る。空気の層が裂けたかのように軋み、祭壇にあった天蠍の弓が、音もなく浮かび上がった。周囲の気配が一変し、静謐だった空間に、異質な緊張が満ちていく。
セレナは思わず足を止めた。だが、その迷いは一瞬にすぎない。なおも勢いを殺さず、ヴァイへと踏み込もうとする。
しかし次の瞬間、弓は空中でゆるやかに回転し、その軌道をヴァイへと向けた。守るように、遮るように、二人の間へと割り込む。
ヴァイの瞳に、深い緑の光が宿る。
「な……何?」
セレナの声がわずかに震える。ヴァイの手が、意志とは無関係に弓へと伸びていた。握りしめた瞬間、眩い光が溢れ、空間そのものが圧を帯びる。
耳元で、囁くような声が響いた。
『──私の名は、“カルシエーレ”』
その名を受け止めたとき、ヴァイの表情から迷いが消える。
「カルシエーレ……あなたが、私を選んだのね」
弓から流れ込む力が、彼女の身体の内側へと満ちていく。自然と結びついていた感覚がさらに拡張され、周囲の空間すら己の一部のように把握できる錯覚に近い領域へと踏み込んでいく。
セレナは即座に踏み直し、攻撃へ移ろうとする。だが、その動きよりも早く、ヴァイは弓を構えていた。
引き絞る動作は滑らかで、余分な力みが一切ない。まるで大地そのものが、彼女の腕を通して弓を引いているかのようだった。
「くっ……これ以上は!」
セレナは風を収束させ、防御の層を重ねる。しかし放たれた一撃はそれを容易く切り裂き、砂嵐のような圧力を伴って襲いかかった。衝撃を受けた身体が宙に弾かれ、神殿の壁へと叩きつけられる。
「嘘……こんな、力が……」
声は掠れ、立ち上がろうとする意志に身体が応えない。ただ、その圧倒的な差だけが現実として残った。
ヴァイは静かに息を整え、弓を握りしめたまま歩み寄る。その眼差しは変わらぬまま、わずかに影を帯びていた。
「セレナ、終わりよ。あなたは強かった……でも、選ばれたのは私」
その言葉を、セレナは拒まなかった。悔しさは確かに胸にある。だが、それ以上に、覆しようのない事実がそこにあった。
「……最後の一撃、私の風がわずかに勝ってたはずなのに。どうして……どうして私じゃなかったの?」
握りしめた拳に力がこもる。それでも、もう立ち上がる力は残っていなかった。
ヴァイは弓を下ろし、深く息を吐く。決着はすでについている。手にしたのは単なる武具ではなく、選定そのものだった。
「ありがとう、カルシエーレ……」
静かに囁き、そのまま神殿の出口へと向かう。腕に馴染んだ感触を確かめながら、胸の奥に浮かぶ疑問に触れる。
(なぜ、私を……)
その問いに応じるように、低く抑えられた声が響いた。
『なぜ、か。それはお前が、最後の一線を越える覚悟を持っていたからだ』
「……最後の一線?」
『もし、あの風が貫いていたなら――お前は迷わず、懐の刃を使っていた。己の命と引き換えに、相手を落とす覚悟でな』
ヴァイの瞳がわずかに見開かれる。衣の内に忍ばせていた細刃。その存在を、この弓は見抜いていた。
「……見えていたのね」
『ああ。だからこそ、選んだ』
声はそこで一度途切れ、わずかな間を置いて続く。
『あの風の少女は、澄みすぎている。まっすぐであるがゆえに、踏み越えるべき境をまだ知らぬ』
その言葉は、否定ではなく選別だった。
ヴァイは弓を握り直し、静かに息を整える。
「……ならば、応えよう。選ばれた者として」
誰にともなく一礼し、神殿の階を下りていく。その足取りは揺らがず、砂の上に刻まれる痕跡は、途切れることなく遠くへと伸びていった。
やがて風がそれをさらい、跡は薄れていく。残るのは、静寂と、そこに確かに存在した選定の記憶だけだった。
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