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伯爵様と灯火のホコリ:あるいは、下手くそな肖像画について

 これはだいぶ昔のお話だ。人間の決めた曖昧な国境をまたぐように広がる大きな森に、ミッシェンノワという城があった。城の持ち主は人間ではなかった。彼は生き物の血を吸って生きる、「吸血鬼」であった。


 城主である吸血鬼は今、威厳などまるでない姿をしている。三角巾にマスク、エプロンをつけている。せっかくの美しい容姿を隠し、なぜこんな格好をしているのか。それは、吸血鬼が綺麗好きだからである。


「おい、パンプキン邪魔だ」


 吸血鬼は暖炉の前でマントのほつれを直しているオレンジ髪の青年に声をかける。


「今いいところなんですけど。僕のマントは伯爵のマントみたいに自然に直らないんで」


 パンプキンは暖炉の火を頼りに針を進めている。しかし、彼が座っている椅子が机と暖炉の間にちょうど鎮座しており、非常に邪魔なのだ。


「今ここですることじゃないだろ!今は食堂の掃除中だ!せめて椅子を通路に置くな!」

「いいじゃないですか、この距離じゃないと明るくないし熱くないんです。伯爵は飛べるでしょう、跨いでいってください」


 従者であるパンプキンの態度が悪いのは今に始まったことではないが、伯爵はあまりにも不遜なその態度に苛立ちを覚えた。


「いいだろう、ただし通るたびにお前を踏みつけるからな」

「じゃあ靴を魔法で燃やしますよ」

「俺がお前如きの火を消せないとでも!?」

「ジャック・オ・ランタンは火に特化した魔物ですからねぇ」


 作業の手を止めてまでニヤニヤと伯爵をからかうパンプキンからは、主人への経緯がまるで感じられない。


「はぁ、仕方ない…よし、今度はこの薪入れを掃除するか」


 明らかに重たいであろうそれを、伯爵は魔法を使わずにひょいと持ち上げる。下に溜まったホコリを風魔法でまとめようとしているのだろう。その様子を見たパンプキンは「うわ、さすが熊」と呟く。


「おい誰が熊だ。この高貴なる吸血鬼ドラキュラ・デ・ヴェール様を捕まえて熊とはなんだ」

「ああいえ、あまりにお力が強いので」


 パンプキンは伯爵の怒りをひょうひょうと躱していたが、あるものを目に入れた途端にさっと立ち上がって、降ろされかけた薪入れの下に体を入れた。


「うおっ、危ないな、何してんだ。これ全体で50㎏はあるぞ」

「軽々と持ち上げておいて何を言うんですか」


 パンプキンは薪入れの下から、何かを手にして出てきた。


「ん?なんだそれ…?」

「ああ、これは伯爵が180年前にお描きになった絵ですよ」

「180…って、あの絵か!?」


 パンプキンはニヤニヤしながら古びたキャンバスを伯爵に見せた。

 油絵の具が塗りたくられたそれは、色味も形もぐちゃぐちゃな一品だった。よくよく見ると、六個の塊に分かれていることがわかる。


「これ、伯爵の御家族ですよね?で、これが幽霊くん、このひしゃげたジャガイモみたいなのは、もしかして僕ですかねぇ?」


 伯爵は薪入れをその場にゴトリと落とし、「返せっ!」と絵に手を伸ばした。


「おかしいだろ!その絵は描いてすぐ燃やしたはずだ!」

「何を言ってるんですか。この城の火は全て僕が管理しているんですよ?燃やさず取っておくなんて造作もないことです」


 パンプキンはひらひらと身をかわし、絵に触れさせようとしない。

 そこに、壁をすり抜けて人が現れた。


「あ!ちょうどいい、幽霊!パンプキンを捕まえろ!」


 伯爵は叫んだが、幽霊はのんびりと空中を漂っているだけだ。


「幽霊が生者に触れられるわけがないでしょう。とりわけパンプキンは植物から生まれていて、生命力が強いんだから」

「なんだよっ、この場に俺の味方がいなさすぎる!」


 伯爵はパンプキンを必死で追ったが、パンプキンも素早い身のこなしで絵を持ったまま器用に逃げ回る。食堂を何周かしたところで、二人は一旦止まった。


「…おい、こうしていてもらちが明かない。ここは一つ、取引しようじゃないか」

「取引ですか。そうですね、場合によっては考えなくもないですよ」


 伯爵は考えた。パンプキンが納得しそうで、自分が妥協できる対価。


 労働条件を変えようか。いや、すでにコイツは週に二日くらいしか買い出しやら食事当番を請け負っていない。むしろ今からでも厳しくしたいくらいだ。

 喜びそうなものを与えるか。コイツの趣味は火を眺めることと庭でカボチャを育てること、そして見も知らない人の墓に行って掃除をすることだ。もうすでに領地内にすべて揃っているし、出入りも自由にしてあるじゃないか。

 クソッ、200年一緒にいるがコイツは未だに謎が多すぎる!


 この間0.3秒。伯爵は緊張した面持ちで、口を開いた。


「その絵を破棄するために、何を望む?」

「え、伯爵の履き古した靴下が欲しいです」

「シンプルにキショいな」


 伯爵がドン引きしているのを尻目に、パンプキンは滔々と語り始めた。


「吸血鬼は愛着のあるものに執着するでしょう。伯爵が綺麗好きなのも、吸血鬼の本能で「この城を所有物と見なしているから」。この城とまではいかないけれど執着があって、なおかつ一つなくなったところで極端な不便がないもの…それが靴下なんですよ。愛着のあるものを手放した吸血鬼って弱るじゃないですか、伯爵に弱ってほしいなって」

「シンプルに怖い」


「でも靴下くれませんよね?」

「他人に靴下を与えるのが嫌なだけだわ!ごく普通の感性だよ!」

「くれればこの絵を燃やすことも考えるのに…?」

「与えたところで考えるだけかよ!それ結局燃やさないだろ!」

「チッバレたか」


 机を挟んで、二人はまたじり、と動き始める。


「はいはい、あと一時間くらいで日が昇るよ。伯爵は寝なきゃいけないでしょう。パンプキンも、火を消して回らなきゃいけない。下らない争いはまた今度にして、掃除をしてよね」


 幽霊が二人の間に入り、手を叩いた。二人は目を合わせて、一時休戦をした。


「しかし予定よりも大幅に遅れたな、食堂は今日中に終わらないか…?」

「…仕方ないですね。やりますよ」


 パンプキンは地面に魔力の陣を敷き、詠唱を始めた。


『地獄の業火よ、我が望みのままに全てを舐めとりたまえ』


 部屋全体に炎が広がり、すぐに消えた。


「はい、あとは風魔法で灰を集めてください。ちゃんと後は残らないようにしてありますから」

「…できるなら最初からやってくれ」


 伯爵は風魔法で灰を暖炉に入れた。朝日が昇るまであと少しという頃、食堂の掃除は終わった。


「終わったなー。うん、綺麗になった。でもやっぱり殺風景かもな…」

「そうですか。じゃあ、良さげな絵でも飾っておきますね。伯爵はお眠りください」

「おう、そうさせてもらうわ」


 伯爵は三角巾とエプロンを取り、食堂を出た。それを見送るパンプキンの口角は上がっていた。そしてパンプキンは最後の一仕事をした。


 朝日に照らされた食堂に、ジャガイモとウリの群れのような絵が、これ以上ないほど誇らしげに鎮座していた。

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