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灰燼の契約  作者: 天城 朱雀
第一部

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30/30

灰塵の契約

「客が増えたところで、何も変わりませんよ」


アゼルは静かに言った。


ジークは槍を構えたまま、一歩も動かない。

ラゼルは剣を握り、アゼルを睨んでいる。

セナはアルトの傍らに駆け寄り、その小さな手を握った。


「アルト……アルト……」


アルトは眠ったまま、反応しない。

だが、呼吸はある。胸が小さく上下している。


「安心してください。眠らせているだけです」


アゼルは微笑んだ。


「この子には、まだ役目がありますから」

「役目だと?」


ラゼルの声が、低く響いた。


「何をするつもりだ」

「お話ししましょう」


アゼルは窓辺に歩み寄り、月を見上げた。


「あなたは、この世界の『観測』をご存知ですか?」

「観測……?」

「この世界には、神がいました。

 かつて、すべてを見通し、すべてを記録する存在が」


アゼルの声は、どこか遠くを見つめるようだった。


「神は世界を観測し、記録した。

 生まれる魂、死にゆく魂、すべてを帳簿に刻んだ。

 それが、この世界の秩序でした」


「神は死んだんじゃないのか」


ジークが口を挟んだ。


「ええ、肉体は滅びました。

 ですが、観測は続いている。

 記録院が、それを代行しているのです」


アゼルは振り返り、ラゼルを見た。


「私たちは、神の目となり、神の手となり、世界を記録し続けている。

 すべての魂を観測し、帳簿に刻む。

 それが、記録院の役目です」


「それと、アルトに何の関係がある」

「大いにあります」


アゼルの目が、冷たく光った。


「あなたは、観測できない存在だ」



「観測できない……?」


「ええ。あなたの魂は、この世界の外から来た。

 帳簿に記載がない。記録できない。

 神の目にも、私たちの目にも映らない」


アゼルは一歩、ラゼルに近づいた。


「観測できない存在がいると、世界の記録に穴が生まれる。

 あなたが何をしても、記録されない」


「だから何だ」

「神の観測を害しているのです」


アゼルの声が、わずかに硬くなった。


「あなたが存在するだけで、世界は歪む。

 記録は乱れ、秩序は崩れる。

 それは、許されることではない」


ラゼルは黙っていた。


アゼルは続ける。


「だから、あなたを消さなければならない。

 最初から存在しなかったことにする」


「……何だと」


「記録からの完全消去。

 あなたという存在を、この世界から抹消する」


セナが息を呑んだ。


「そんなこと……できるの……?」

「できます」


アゼルは微笑んだ。


「この子を触媒にすれば」



「アルトを……触媒に……?」


セナの声が震えた。


「この子は、ラゼルの血を引いている。

 そして、ヴォルグの魂とも繋がっている。

 ラゼルと最も深く結びついた存在です」


アゼルはアルトを見下ろした。


「その繋がりを利用すれば、ラゼルの存在を辿ることができる。

 辿り、捉え、消去する。

 この子は、そのための触媒。『器』なのです」


「ふざけるな……!」


セナが叫んだ。


「アルトは道具じゃない! 私たちの子供よ!」

「ええ、そうですね」


アゼルは表情を変えなかった。


「ですが、世界の秩序のためには、犠牲は必要です」

「犠牲……?」


「消去の術式が発動すれば、この子も無事ではいられないでしょう。

 ラゼルとの繋がりが断たれる時、魂に傷がつく。

 最悪の場合、この子も消えるかもしれない」


セナの顔から、血の気が引いた。


「そんな……」


「ですが、それも仕方のないことです。

 観測できない存在を放置すれば、世界そのものが崩壊する。

 一人の子供と、世界全体。

 どちらが大切かは、明白でしょう?」


ラゼルは黙っていた。


剣を握る手が、白くなるほど力がこもっている。


アゼルは続けた。


「この子は、すでにこの塔に繋がれています。

 術式の一部として、組み込まれている。

 どこに逃げても無駄です」


「……繋がれている、だと」


「ええ。この塔そのものが、術式の核ですから。

 塔がある限り、この子は逃れられない。

 後は、時がくるのを待つだけです」


沈黙が落ちた。


月明かりが、部屋を銀色に染めている。


アルトは眠り続けている。

何も知らないまま。



ラゼルは静かに剣を鞘に収めた。


そして、ベッドに歩み寄り、アルトを抱き上げた。


小さな体。温かい重み。

かすかな寝息が、首筋にかかる。


「……ラゼル?」


セナが不安そうに見上げた。

ラゼルは答えず、ジークの方へ歩いた。


「ジーク」

「あ?」

「頼みがある」


ラゼルはアルトをジークの腕に預けた。

片腕のジークが、器用にその小さな体を受け止める。


「おい、何を……」


ラゼルはジークの耳元に顔を寄せ、小さく囁いた。


「二人を連れて、塔を出ろ。ギルドで待っていてくれ」


ジークの目が、見開かれた。


「お前……」

「俺は、まだこいつと話がある」


ラゼルは振り返り、アゼルを見た。


「行ってくれ、ジーク」



ジークは動かなかった。


「……馬鹿野郎」


その声は、かすれていた。


「何考えてんだ」

「考えてなんかいない」


ラゼルの声は、静かだった。


「ただ、やるべきことをやるだけだ」

「やるべきこと、だと……?」


ジークは歯を食いしばった。


言いたいことは山ほどあった。

お前一人で何ができる。

死ぬ気か。

ふざけるな。


だが、言葉にならなかった。


ラゼルの目を見れば、わかる。

この男は、もう決めている。

何を言っても、変わらない。


「……わかった」


ジークはアルトを抱え直し、背を向けた。


「嬢ちゃん、俺らは邪魔みたいだからギルド行くぞ」


セナは動かなかった。


「セナ」


ラゼルが呼んだ。


「行け」


「……嫌よ」


セナの目から、涙が溢れた。


「一人で何するつもりなの?

 また、私を置いていくの?

 一人にするの?

 前の人生みたいに……」


「違う」


ラゼルはセナの肩に手を置いた。


「今度は、必ず戻る」

「嘘よ……」

「嘘じゃない」


ラゼルはセナの目を、真っ直ぐに見た。


「アルトを頼む。俺が戻るまで、あの子を守ってくれ」


セナは唇を噛んだ。

涙が頬を伝い、床に落ちた。


「……ラゼル」

「なんだ」

「二人で待ってるからね?」


その声は、震えていた。


「……ね?」


ラゼルは小さく頷いた。


「ああ」


セナはしばらくラゼルを見つめていた。

それから、ジークの方へ歩き出した。


彼女は振り返らなかった。

振り返れば、もう動けなくなると知っていたから。



ジークは扉の前で立ち止まった。

その背中は震えていた。


「ラゼル」

「なんだ」

「……帰ってこいよ?」


それだけ言って、ジークは扉を開けた。


セナがアルトに手を伸ばし、その頬に触れた。

眠る子供の顔を、目に焼き付けるように。


三人の姿が、扉の向こうに消えた。


足音が遠ざかっていく。


やがて、静寂だけが残った。



「行かせてよかったのですか?」


アゼルが口を開いた。


「あの子は、どこに逃げても塔に繋がれている。

 明日には術式が発動します」


ラゼルは答えなかった。

ただ、剣の柄に手をかけた。


「俺はお前に聞きたいことがある」

「何でしょう」


「お前の言う『観測』とやらは、そんなに大事か」

「ええ。世界の根幹です」


「俺が消えれば、世界は救われるのか」

「ええ。秩序は保たれます」


ラゼルは静かに笑った。


「そうか」


その笑みには、何の感情もなかった。


「なら、俺はお前を殺して、この塔を壊す」


アゼルの目が、わずかに細まった。


「そんなことはできませんよ」

「お前は未来を知らないからな」


ラゼルは剣を抜いた。


「俺の息子を道具にするような世界なら、壊れてしまえばいい」


月明かりが、刃を銀色に染めた。


その時――


ラゼルの左腕が、淡く光っている。


契約紋。


ヴォルグとの契約の証が、脈打つように輝いている。



『ラ……ゼル……ラゼル』


ラゼルの頭に直接響く声。


「ヴォルグか」


『その術式は発動すべきではない』

「ほう。わかるのか」


『前世の術式に加えお前の魂そのものを組み込んでいる』

「ああ」


『お前の魂はこの世界に固定されている』

「らしいな」


『この世界で発動すれば輪廻もせず、魂が消滅する』

「だろうな。それでいい」


『死ぬ気か』

「一ついいか?」


『……』

「アルトを頼む」


『言われずとも、そうなる』

「そうか。ありがとう」



「なぁ」


窓の外を眺めているアゼル。


「なんでしょう?」

「観測とやらは、もう必要ない」


「それは神が決めることです。私はそれを代行しているだけですから」

「いや、俺が終わらせる」


アゼルは呆れた顔をしている。


「そうですか……頑張ってみてくださいね」

「そうさせてもらう」


そう言うと、ラゼルは部屋の中心に立ち、剣を床に突き立てた。

そして、一言。



【終わらせてやる】





――『局所殲滅』術式発動――





足元から光が溢れ出し、部屋を満たしていく。

灰へと誘う凍てつく炎。


「……やめなさい。あなた……これ……」


視界が灰色に染まった。



同じ頃。セナはギルドの窓から塔を見つめていた。


突然――


塔が灰色の閃光に包まれていく。

空に向かって一直線に。


そして――音もなく灰になっていった。


ジークもその光景を呆然と見ていた。


聳え立つ白塔が、王都の、教会の象徴が。

その存在そのものが灰となって視界から失せた。


「かあさま。これなに?」


駆け寄ってきたアルトの手の甲に契約紋が浮き出ている。

それを見たセナは膝から崩れ落ちた。


「帰ってくるっていったじゃない……」


アルトは首を傾げている。


「とうさま、まだ?」


セナが震える両手でアルトを抱きしめた。


「かあさま?」


ジークが誰にも聞こえない声で呟く。


「……バカ野郎が……」


大きな背中が小さく震えていた。






最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


—— 天城 朱雀 ——

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