真実
空は昏く、灰色に染まり始めていた。
白塔の入口に、二人の衛兵が立っている。
「何者だ!」
声をかける暇もなかった。
ラゼルの剣が閃き、一人目の喉を裂いた。
二人目が剣を抜こうとした瞬間、腹を貫かれて崩れ落ちる。
血が石畳に散った。
ラゼルは振り返りもせず、塔の中へ足を踏み入れた。
セナは息を呑んだ。
だが、何も言わなかった。
今のラゼルに、言葉は届かない。
その背中が、そう語っていた。
◇
白塔の内部は、螺旋状の階段が上へと続いていた。
一階。二階。三階。
下層階には、ほとんど人がいなかった。
時折現れる警備を、ラゼルは音もなく処理していく。
首を落とし、心臓を貫き、息の根を止める。
一切の躊躇がなく、感情も見えない。
ただ、淡々と、確実に、命を刈り取っていく。
セナはその背中を見つめていた。
(これが……灰の剣士……この人の本当の姿。)
ネフェリスで見た、穏やかな父親の顔ではない。
アルトを抱き上げ、静かに微笑んでいた男ではない。
ラゼルが生きるため、そして、殺すための刃。
だが、セナは恐れなかった。
この怒りの先にあるのは、アルトへの想いだと知っていたから。
◇
上層階に入ると、空気が変わった。
兵士の数が増える。
鎧の質も、剣の構えも、下層とは違う。
「侵入者だ!」
叫び声が響いた。
五人の兵士が、階段の踊り場で剣を構えている。
その奥にも、さらに人影が見える。
「止まれ! 止まらねば――」
言葉は、宙に消えた。
ラゼルが踏み込んだ刹那。
一閃。
先頭の兵士の首が飛んだ。
「なっ……!」
二人目が剣を振り下ろす。
ラゼルは半歩横にずれ、すれ違いざまに胴を薙いだ。
鎧が裂け、血が噴き出す。
三人目。四人目。
剣が交差する音。
金属が軋む音。
そして、肉が裂ける音。
ラゼルは止まらなかった。
顔に返り血を浴びても、拭わない。
息が乱れることもなく、足を止めない。
ただ、上へ。
アルトのいる場所へ。
「化け物……!」
五人目が叫びながら突進してきた。
ラゼルは剣を構え直すことすらしなかった。
踏み込み、肩で体当たりし、よろめいた相手の首に刃を滑らせる。
血飛沫が舞い、男が崩れ落ちた。
静寂が戻る。
階段の踊り場には、五つの兵士だったものが転がっていた。
ラゼルは血を払い、再び階段を上り始めた。
セナは黙ってついていく。
足元の血を踏まないように、慎重に。
だが、心は決まっていた。
(この先に何があっても、私はラゼルと共に行く)
◇
最上階。
重い扉の前で、ラゼルは足を止めた。
扉には聖光教の紋章と、記録院の印章が刻まれている。
「ここか」
低い声。
セナが頷いた。
ラゼルは扉に手をかけ、押し開けた。
◇
広い部屋だった。
白い石の壁。高い天井。
窓からは月明かりが差し込み、床に銀色の光を落としている。
部屋の中央に、小さなベッドがあった。
その上で、アルトが眠っている。
「アルト……!」
セナが駆け寄ろうとした。
「待て」
ラゼルが腕で制した。
部屋の奥。窓辺に、人影が立っていた。
銀色の髪。白い衣。
静かな目が、こちらを見ている。
「ようこそ、ラゼル」
穏やかな声が、部屋に響いた。
「待っていましたよ」
アゼル。
記録院の主。
この世界の「帳簿」を管理する者。
ラゼルは剣を構えたまま、一歩踏み出した。
「アルトを返せ」
「返す?」
アゼルは小さく首を傾げた。
「この子は、あなたのものですか?」
「俺の息子だ。」
「ええ、そうですね。血の繋がりという意味では。」
アゼルはゆっくりと歩き出し、ベッドの傍らに立った。
眠るアルトの頬を、指先で撫でる。
「触るな。」
ラゼルの声が、低く唸った。
「落ち着いてください。傷つける気はありません。この子は、とても大切な存在ですから。」
「大切……だと?」
「ええ。あなたにとっても、私にとっても。」
アゼルは微笑んだ。
「そして、あの獣にとっても。」
◇
ラゼルの目が、わずかに細まった。
「獣……?」
「ヴォルグ。黒の森で、あなたが契約した魔狼です。」
アゼルは窓辺に戻り、月を見上げた。
「神の残滓を喰らい、生き延びた存在。
あなたは十年前、その獣と契約した。
覚えていますか?」
ラゼルは答えなかった。
覚えている。あの夜、黒の森で。
だが、その意味は――
「あの契約で、何が起きたかご存知ですか?」
アゼルが振り返った。
「あなたとヴォルグの魂は繋がった。溶け合うように」
「……何だと?」
「異界から来た魂は、この世界に根を持たない。
浮いているのです。定着していない。
だから、子を成すこともできない」
セナが息を呑んだ。
アゼルの視線が、一瞬だけ彼女に向いた。
「ご存知ですね?元聖女殿」
セナは答えなかった。
だが、その沈黙が答えだった。
「ヴォルグとの契約は、あなたの魂をこの世界に縫い付けた。
異界の魂ではなく、この世界の一部として。」
アゼルは再びアルトを見下ろした。
「だから、この子が生まれた」
「……アルトが」
「ええ。あなたとセナの子であると同時に、
ヴォルグの魂の継承者でもある」
ラゼルの手が、震えた。
「継承者……?」
「あなたが死ねば、契約紋はこの子に移る。
ヴォルグとの契約そのものが引き継がれる」
アゼルは淡々と続けた。
「だから、教会はあなたを殺せなかった。
殺せば、この子が覚醒する。
制御できない力を持った子供が生まれる。
それは、避けねばならなかった」
「だから……アルトを攫った」
「ええ。あなたを従わせるために。
そして、この子を管理下に置くために」
アゼルは微笑んだ。
「あなたもこの子も、帳簿の外にいる存在です。
記録できない。予測できない。
この世界の秩序にとって、それは脅威なのです」
◇
セナが一歩前に出た。
「アルトは、ただの子供よ。」
「ただの子供?」
アゼルは首を傾げた。
「この子の中には、神を喰らった獣の魂が眠っている。
目覚めれば、何が起きるかわからない。
それでも、ただの子供だと?」
セナは言葉に詰まった。
「私は、この子を傷つける気はありません。
ただ、管理したいだけです。
この世界の秩序を守るために」
「管理……?」
ラゼルの声が、低く響いた。
「俺の息子を、管理する?」
「そうです」
「ふざけるな」
剣を握る手に、力がこもった。
「アルトは、俺たちの子だ。
誰にも渡さない。誰にも管理させない」
アゼルは表情を変えなかった。
「そう言うと思っていました」
その時――
背後で、扉が開く音がした。
◇
ラゼルとセナが振り返る。
扉の向こうに、一人の男が立っていた。
見覚えのある、分厚い胸板。
「よぉ」
男は息を切らしながら、にやりと笑った。
「遅くなっちまったな、ラゼル」
「……ジーク」
ラゼルの声が、かすかに揺れた。
ジークは階段の方を振り返り、肩をすくめた。
「下の連中、お前の仕業か?」
「ああ」
「相変わらず容赦ねぇな」
ジークは部屋に足を踏み入れ、アゼルを睨んだ。
「で、そっちの銀髪野郎が黒幕か?」
アゼルは静かに微笑んだ。
「お客様が増えましたね」
「客じゃねぇよ」
ジークは槍を構えた。
「こいつらのガキを返してもらいに来ただけだ」
部屋の中に、張り詰めた空気が満ちた。
月明かりが、四つの影を照らしている。
そして、ベッドの上では、アルトが静かに眠り続けていた。




