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灰燼の契約  作者: 天城 朱雀
第一部

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29/30

真実

空は昏く、灰色に染まり始めていた。


白塔の入口に、二人の衛兵が立っている。


「何者だ!」


声をかける暇もなかった。


ラゼルの剣が閃き、一人目の喉を裂いた。

二人目が剣を抜こうとした瞬間、腹を貫かれて崩れ落ちる。


血が石畳に散った。

ラゼルは振り返りもせず、塔の中へ足を踏み入れた。


セナは息を呑んだ。

だが、何も言わなかった。


今のラゼルに、言葉は届かない。

その背中が、そう語っていた。



白塔の内部は、螺旋状の階段が上へと続いていた。


一階。二階。三階。


下層階には、ほとんど人がいなかった。

時折現れる警備を、ラゼルは音もなく処理していく。


首を落とし、心臓を貫き、息の根を止める。


一切の躊躇がなく、感情も見えない。

ただ、淡々と、確実に、命を刈り取っていく。


セナはその背中を見つめていた。


(これが……灰の剣士……この人の本当の姿。)


ネフェリスで見た、穏やかな父親の顔ではない。

アルトを抱き上げ、静かに微笑んでいた男ではない。


ラゼルが生きるため、そして、殺すための刃。

だが、セナは恐れなかった。


この怒りの先にあるのは、アルトへの想いだと知っていたから。



上層階に入ると、空気が変わった。


兵士の数が増える。

鎧の質も、剣の構えも、下層とは違う。


「侵入者だ!」


叫び声が響いた。


五人の兵士が、階段の踊り場で剣を構えている。

その奥にも、さらに人影が見える。


「止まれ! 止まらねば――」


言葉は、宙に消えた。


ラゼルが踏み込んだ刹那。


一閃。


先頭の兵士の首が飛んだ。


「なっ……!」


二人目が剣を振り下ろす。

ラゼルは半歩横にずれ、すれ違いざまに胴を薙いだ。


鎧が裂け、血が噴き出す。


三人目。四人目。


剣が交差する音。

金属が軋む音。

そして、肉が裂ける音。


ラゼルは止まらなかった。


顔に返り血を浴びても、拭わない。

息が乱れることもなく、足を止めない。


ただ、上へ。

アルトのいる場所へ。


「化け物……!」


五人目が叫びながら突進してきた。


ラゼルは剣を構え直すことすらしなかった。

踏み込み、肩で体当たりし、よろめいた相手の首に刃を滑らせる。

血飛沫が舞い、男が崩れ落ちた。


静寂が戻る。


階段の踊り場には、五つの兵士だったものが転がっていた。

ラゼルは血を払い、再び階段を上り始めた。


セナは黙ってついていく。

足元の血を踏まないように、慎重に。


だが、心は決まっていた。


(この先に何があっても、私はラゼルと共に行く)



最上階。


重い扉の前で、ラゼルは足を止めた。


扉には聖光教の紋章と、記録院の印章が刻まれている。


「ここか」


低い声。


セナが頷いた。


ラゼルは扉に手をかけ、押し開けた。



広い部屋だった。


白い石の壁。高い天井。

窓からは月明かりが差し込み、床に銀色の光を落としている。


部屋の中央に、小さなベッドがあった。

その上で、アルトが眠っている。


「アルト……!」


セナが駆け寄ろうとした。


「待て」


ラゼルが腕で制した。


部屋の奥。窓辺に、人影が立っていた。


銀色の髪。白い衣。

静かな目が、こちらを見ている。


「ようこそ、ラゼル」


穏やかな声が、部屋に響いた。


「待っていましたよ」


アゼル。


記録院の主。

この世界の「帳簿」を管理する者。


ラゼルは剣を構えたまま、一歩踏み出した。


「アルトを返せ」

「返す?」


アゼルは小さく首を傾げた。


「この子は、あなたのものですか?」

「俺の息子だ。」

「ええ、そうですね。血の繋がりという意味では。」


アゼルはゆっくりと歩き出し、ベッドの傍らに立った。

眠るアルトの頬を、指先で撫でる。


「触るな。」


ラゼルの声が、低く唸った。


「落ち着いてください。傷つける気はありません。この子は、とても大切な存在ですから。」

「大切……だと?」

「ええ。あなたにとっても、私にとっても。」


アゼルは微笑んだ。


「そして、あの獣にとっても。」



ラゼルの目が、わずかに細まった。


「獣……?」

「ヴォルグ。黒の森で、あなたが契約した魔狼です。」


アゼルは窓辺に戻り、月を見上げた。


「神の残滓を喰らい、生き延びた存在。

 あなたは十年前、その獣と契約した。

 覚えていますか?」


ラゼルは答えなかった。


覚えている。あの夜、黒の森で。


だが、その意味は――


「あの契約で、何が起きたかご存知ですか?」


アゼルが振り返った。


「あなたとヴォルグの魂は繋がった。溶け合うように」


「……何だと?」


「異界から来た魂は、この世界に根を持たない。

 浮いているのです。定着していない。

 だから、子を成すこともできない」


セナが息を呑んだ。

アゼルの視線が、一瞬だけ彼女に向いた。


「ご存知ですね?元聖女殿」


セナは答えなかった。

だが、その沈黙が答えだった。


「ヴォルグとの契約は、あなたの魂をこの世界に縫い付けた。

 異界の魂ではなく、この世界の一部として。」


アゼルは再びアルトを見下ろした。


「だから、この子が生まれた」

「……アルトが」


「ええ。あなたとセナの子であると同時に、

 ヴォルグの魂の継承者でもある」


ラゼルの手が、震えた。


「継承者……?」

「あなたが死ねば、契約紋はこの子に移る。

 ヴォルグとの契約そのものが引き継がれる」


アゼルは淡々と続けた。


「だから、教会はあなたを殺せなかった。

 殺せば、この子が覚醒する。

 制御できない力を持った子供が生まれる。

 それは、避けねばならなかった」


「だから……アルトを攫った」


「ええ。あなたを従わせるために。

 そして、この子を管理下に置くために」


アゼルは微笑んだ。


「あなたもこの子も、帳簿の外にいる存在です。

 記録できない。予測できない。

 この世界の秩序にとって、それは脅威なのです」



セナが一歩前に出た。


「アルトは、ただの子供よ。」

「ただの子供?」


アゼルは首を傾げた。


「この子の中には、神を喰らった獣の魂が眠っている。

 目覚めれば、何が起きるかわからない。

 それでも、ただの子供だと?」


セナは言葉に詰まった。


「私は、この子を傷つける気はありません。

 ただ、管理したいだけです。

 この世界の秩序を守るために」


「管理……?」


ラゼルの声が、低く響いた。


「俺の息子を、管理する?」

「そうです」

「ふざけるな」


剣を握る手に、力がこもった。


「アルトは、俺たちの子だ。

 誰にも渡さない。誰にも管理させない」


アゼルは表情を変えなかった。


「そう言うと思っていました」


その時――


背後で、扉が開く音がした。



ラゼルとセナが振り返る。


扉の向こうに、一人の男が立っていた。

見覚えのある、分厚い胸板。


「よぉ」


男は息を切らしながら、にやりと笑った。


「遅くなっちまったな、ラゼル」

「……ジーク」


ラゼルの声が、かすかに揺れた。

ジークは階段の方を振り返り、肩をすくめた。


「下の連中、お前の仕業か?」

「ああ」

「相変わらず容赦ねぇな」


ジークは部屋に足を踏み入れ、アゼルを睨んだ。


「で、そっちの銀髪野郎が黒幕か?」


アゼルは静かに微笑んだ。


「お客様が増えましたね」

「客じゃねぇよ」


ジークは槍を構えた。


「こいつらのガキを返してもらいに来ただけだ」


部屋の中に、張り詰めた空気が満ちた。

月明かりが、四つの影を照らしている。


そして、ベッドの上では、アルトが静かに眠り続けていた。

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