奪われた光
夕陽が、白い鎧を赤く染めていた。
騎士団は動かない。
整然と並んだ騎馬が、森の出口を塞いでいる。
先頭の男が、再び口を開いた。
「抵抗は無意味だ。大人しく縛につけ。」
ラゼルは答えなかった。
背中のアルトをゆっくりと下ろし、セナに預ける。
「下がっていろ。」
「でも――」
「いいから。」
短い言葉。
だが、その声には有無を言わせぬ重さがあった。
セナはアルトを抱きしめ、木の陰に身を隠した。
アルトが不安そうに目を開ける。
「とうさま……?」
「大丈夫だ。すぐ終わる。」
ラゼルは剣を抜いた。
刃が夕陽を反射し、赤い光が走る。
その瞬間、空気が変わった。
騎士たちの馬が、小さくいなないた。
本能が、目の前の男を恐れている。
「……ほう。」
指揮官が目を細めた。
「噂通りだな。帳簿外の魂、"灰の剣士"ラゼル。
王都で名を上げた剣士が、こんな辺境に隠れていたとは。」
「名乗った覚えはない。」
「調べはついている。
お前は十年前、黒の森で"神の残滓"と契約した。
その時点で、お前の運命は決まっていたのだ。」
ラゼルは答えなかった。
代わりに、一歩踏み出した。
「来るか。」
指揮官が手を上げる。
「構えろ。」
騎士たちが一斉に剣を抜いた。
十二の刃が、夕陽の中で光る。
「殺すなよ。生け捕りだ。」
その言葉が終わる前に――
ラゼルが、消えた。
◇
最初の騎士は、何が起きたかわからなかっただろう。
気づいた時には、喉を裂かれていた。
馬上から崩れ落ち、地面に赤い染みを作る。
「なっ――」
二人目が剣を振り下ろす。
だが、刃は空を切った。
ラゼルはすでに懐に入り込んでいる。
短く、鋭く、剣が閃いた。
肋骨の隙間を縫い、心臓を貫く。
騎士の目が見開かれ、そのまま動かなくなった。
「囲め! 囲め!」
指揮官の怒号が響く。
だが、遅い。
三人目の首が飛び、四人目の腕が落ちた。
五人目は剣を抜く前に、刃が腹から背に貫かれている。
血飛沫が舞い、悲鳴が重なる。
夕陽の中で、赤い花が次々と咲いていく。
ラゼルは止まらなかった。
躊躇がない。
迷いがない。
ただ、刃を振るい、命を断つ。
それは戦いではなかった。
一方的な、蹂躙だった。
「化け物が……!」
六人目が叫びながら突進してきた。
ラゼルは半歩横にずれ、すれ違いざまに斬り上げる。
兜が割れ、中身が飛び散った。
七人目。八人目。
剣が閃くたびに、命が消える。
地面が赤く染まり、鉄の臭いが立ち込める。
「退け! 退け!」
残った騎士たちが後退し始めた。
指揮官の顔から、余裕が消えている。
「……化け物め。」
ラゼルは血に濡れた剣を構えたまま、静かに立っていた。
息は乱れていない。
表情も変わっていない。
まるで、薪を割るような作業だった。
「これで終わりか。」
低い声。
「もう少しいると思ったが。」
指揮官の目が、わずかに細まった。
その瞬間――
背後で、悲鳴が上がった。
◇
「アルトっ!!」
セナの声。
ラゼルが振り返る。
木の陰から、黒い影が飛び出していた。
三人。騎士ではない。軽装の男たち。
別働隊。
一人がセナを突き飛ばし、一人がアルトを抱え上げている。
「とうさまぁ!!」
アルトの叫び声が、森に響いた。
ラゼルが駆け出す。
だが、指揮官が立ち塞がった。
「行かせん。」
剣が交差する。
火花が散り、金属が軋む。
「退け。」
「断る。」
ラゼルの目が、冷たく光った。
次の瞬間、指揮官の剣が弾き飛ばされた。
肩から胸にかけて、深い傷が刻まれる。
「ぐっ……!」
指揮官が膝をつく。
だが、その口元には笑みが浮かんでいた。
「遅かったな。」
ラゼルが振り返る。
アルトを抱えた男たちが、森の奥へ消えていく。
その背後で、黒い馬が待っていた。
「待て……!」
ラゼルが追おうとした。
だが、足元に何かが投げ込まれる。
白い光が弾けた。
聖光術。
目を焼く閃光が、視界を奪う。
「くっ……!」
一瞬だけ、足が止まった。
目を閉じたまま周囲の気配を探る。
(……どこだ)
視界が戻った時、男たちの姿は消えていた。
蹄の音だけが、遠ざかっていく。
「アルト……!」
セナが地面に倒れたまま、手を伸ばしていた。
その目から、涙が溢れている。
「アルトっ……アルトぉぉ……!」
ラゼルは立ち尽くしていた。
剣を握る手が、震えている。
怒りではない。
後悔でもない。
ただ、胸の奥で何かが軋んでいた。
◇
指揮官が、血を吐きながら笑った。
「あの子供は……聖都アルディアへ連行される。」
「……なんだと。」
「取り戻したければ……来い。
白塔の麓で……待っている。」
ラゼルは振り返り、指揮官を見下ろした。
「なぜ、アルトを狙った。」
「知らんな……俺は命令に従っただけだ。」
「誰の命令だ。」
「記録院……いや、もっと上か。
詳しいことは……俺も知らん。」
指揮官の目から、光が消えていく。
「だが……一つだけ教えてやる。」
血に濡れた唇が、かすかに動いた。
「お前を……殺すわけにはいかないそうだ。
殺せば……"継承"が起きる。
あの子供に……何かが移る、と。」
ラゼルの目が、見開かれた。
「だから……子供を押さ……え
お前を……従わ……せ……」
指揮官の首が、がくりと落ちた。
沈黙が降りた。
ラゼルは動かなかった。
(継承……? アルトに移る……?)
「ラゼル……」
セナの声が、背後から聞こえた。
振り返ると、彼女は地面に座り込んだまま、震えていた。
「アルトが……アルトが……」
ラゼルは剣を鞘に収めた。
血に濡れた手で、セナの肩を掴む。
「取り戻す。」
短い言葉。
「必ず、取り戻す。」
セナが顔を上げた。
涙に濡れた目が、ラゼルを見つめている。
「アルディアへ……行くの?」
「ああ。」
「罠よ。わかってるでしょう?」
「わかっている。」
「それでも……」
「あの子は、俺たちの子だ。」
ラゼルの声は、静かだった。
だが、その奥には、底知れぬ何かが燃えていた。
「前世でもお前と二人で待っていた。
絶対に……失うわけにはいかない。」
セナは何も言えなかった。
ただ、涙を拭い、立ち上がった。
「……私も行く。」
「危険だ。」
「知ってる。でも、あの子は私たちの子でしょ?」
ラゼルは少しだけ目を細めた。
「……そうだな。」
二人は、森を出た。
夕陽は沈み、空は紫に染まっている。
遠くの地平線の向こうに、聖都アルディアがある。
白い塔。
光の街。
そして――すべてが始まった場所。
ラゼルは歩き出した。
その背中を、セナが追う。
血の匂いが、風に消えていく。
だが、胸の奥の炎は、消えることはなかった。
ラゼルの背中は、凍てつく狂気と殺意に塗りつぶされていた。




