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灰燼の契約  作者: 天城 朱雀
第一部

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17/30

旅路

風が冷たい。

アルディアを離れて五日。

白い塔の影は、もう地平の向こうに沈んでいた。


ラゼルは馬の歩調を緩め、背後の山稜を振り返る。

あの街を包んでいた白光は、遠くでかすかに揺れている。


「もう振り返らないようにしよ?」

セナの声は静かだった。


彼女は外套のフードを外し、頬に風を受けた。

「なんか、懐かしい気がする。……子どもの頃に感じた風。」

「アルディアの空気は淀んでたからな。」

「ふふ。そうね。」


ラゼルは無表情ながら、穏やかで、いつものように歯を食いしばってるかのような緊張感はなかった。

その横顔を見つめるセナの目には、少しだけ光が戻っていた。



翌昼。

街道の途中、枯れた井戸の近くで馬を休ませた。

セナは持参した水袋を取り出し、掌に少しだけ水をすくう。

風にさらされた肌が乾いて、ひび割れていた。


「冷たい……でも、気持ちいいなぁ。」

「ただの水だろ?」


セナは小さく笑い、ラゼルに水を差し出した。

「はい。あなたも。」


ラゼルは受け取って、口をつける。喉の奥まで冷たさが落ちていく。

こんな水の味を、いつから忘れていたのだろう。



夜。

二人は丘のふもとで野営を張った。

焚き火の火がはぜ、赤い光が二人の顔を照らす。


「……ラゼル、眠れないの?」

「見張りだ。」

「交代する?」

「いや、慣れてる。」


少し沈黙が続いた。

焚き火の火が、風に揺れる。


「昔は、こういう夜が怖かったの。」

「なぜだ?」

「音がないから。祈りの鐘も、人の声もない。 でも今は……怖くない。不思議ね。」

「塔の音より、こっちのほうがいい。」


火の粉が夜空に舞う。

その時、低い唸り声が風に混じった。

ラゼルが反射的に剣を抜く。

闇の向こうに、二つの赤い光――獣の目だ。


「後ろに下がれ。」

ラゼルが前に出た瞬間、黒い影が飛びかかってくる。

牙が火の明かりを反射し、砂が跳ねた。


斬撃一閃。


火花とともに獣の体が崩れ落ちる。

さらに二体、茂みの奥から突進してきた。

セナが杖を構え、青白い光を放つ。


「――癒光障壁リュミエール!」


光の壁に獣が衝突し、勢いを失った。

ラゼルがその隙に剣を振り下ろし、一体を斬り伏せ、地面を擦る剣が振り向きざまに、もう一体を斬り上げた。


静寂が戻る。

焚き火の火がぱちぱちと鳴る。


セナは荒い息をつきながら、手の甲の光を見つめていた。

「……まだ、使えるんだ。」

「祈りを捨てても、力は残るらしいな。」

「それでも……もう、神の名では唱えられない。」

「いいさ。信仰がなくても、人は癒せる。」


その言葉に、セナはふっと微笑んだ。


「あなた、昔より優しい。」

「昔?」

「十年前。塔の前で会った時。あなたの目はもっと冷たかった。」

「そうだったか。」

「ええ。今は……少し、あったかい。」


火の粉が二人の間を漂い、夜空へ昇っていった。



翌朝。

夜明けの光が地平を染め、乾いた草原の向こうに赤い砂の丘が連なる。

セナが馬上から身を乗り出し、声を上げた。


「見て! 虹!」


薄い霧の中、太陽の光が七色に弧を描く。ラゼルもその光を見つめる。

「アルディアでは見たことないな。見ていなかったのか。わからん。」

「今は見えるね!」

「そうだな。」


二人の笑い声が、風に混ざって遠くまで流れていった。


――その風の先に、ネフェリスがある。

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