旅立ち
夜、王都南外縁。
古びた石造りの建物の扉が軋み、外の風が酒の匂いを運び出した。
そこが、冒険者ギルド支部――〈灰の獅子亭〉。
ラゼルが十年のあいだ、幾多の依頼と血煙の中を生き抜いてきた場所だった。
酒場の奥では、笑い声と金属のぶつかる音。
昼の任務報告を終えた冒険者たちが、安酒をあおって騒いでいる。
暖炉の火が橙に揺れ、木の壁に映る影が踊る。
ラゼルは扉を押し開け、セナとともに中に入った。
彼女は白衣のフードを目深にかぶり、周囲を気にして俯いている。
その肩を、ラゼルが無言で守るように歩いた。
カウンターの奥、煙草の煙の向こうで、短く刈った黒髪の男がグラスを傾けていた。
「おい、帰ったか。」
ジークが顎を上げる。
いつものように大きな声が店内に響く。
「報告書は明日出す。」
「また一人で動いてたって聞いたぞ。……お前らしいな。」
ジークは目線をラゼルの隣に移した。
その瞬間、眉がわずかに動く。
「……おいおい、まさか……あの時の嬢ちゃんか!」
セナは驚きに目を見開いた。
「どこかでお会いしました?」
「いや、直接は会ってないな。十年前、ラゼルを冒険者登録に連れて行った時にな!こいつと話してただろ?」
ジークの笑い声が響く。
だがその目は、セナの疲れきった顔と、落ち着かない指の動きを見逃さなかった。
「嬢ちゃん、ずいぶん変わっちまったな。」
「……もう、信じるものがなくなったの。」
「そうか。なら、これからは信じたいものを探しゃいい。」
ジークはそれ以上、何も聞かなかった。
ただ、グラスを三つ取り出し、琥珀色の酒を注ぐ。
「で? お前ら、どうしたんだ?」
「――この国を出る。」
ラゼルが静かに言った。
ジークの手が止まる。
だが驚きはしない。
「護衛任務の件、聞いたぞ。お前。教会に狙われてるのか?」
「ああ。」
「さらに、嬢ちゃんを連れて、か。」
「ああ。」
「理由は聞かねぇ。だが……王都の冒険者には戻れねぇぞ。」
「戻るつもりはない。」
「どこにいくつもりだ?」
「まだ決めてないが、教会の力が及ばないところがいい。」
沈黙の中で、暖炉の薪が弾ける。
外の風が窓を鳴らした。
ジークは棚の奥から一枚の古びた地図を取り出した。
「南西だ。“ネフェリス自由同盟”。 教会も他の国も干渉できねぇ。
ここにはいろんな奴らがいる。ごった煮みたいな国だ。 そして生きたいように生きられる場所でもある。」
セナが顔を上げる。
「……自由、の街。」
「そうだ。面白そうだろ?」
ジークは笑いながらセナに地図を差し出し、ラゼルの肩をバンと叩いた。
「嬢ちゃんもワケありそうだが、こいつがいりゃどうにでもなるだろ。」
夜明け前。
雨上がりの街道に、霧が漂っていた。
ラゼルとセナは荷を積んだ馬の傍に立ち、
灰色の空を見上げていた。
背後にはギルドの灯り。
扉の前には、ジークの影がある。
「――ラゼル。」
「なんだ。」
「二人で生き延びろ。何を犠牲にしてでも。だ。」
「ああ。」
ジークはうなずき、セナに向き直る。
「嬢ちゃん。こいつは不器用だが悪いやつじゃない。力になってやってくれ。」
セナは頷いた。
「……はい。お約束します。」
風が吹き抜け、馬のたてがみを揺らした。
ラゼルが手綱を握り、セナがその隣に並ぶ。
「ジーク。」
「なんだ。」
「……今まで、世話になった。」
「気にすんな。 ま、たまに帰ってこいよ。酒くらいは奢ってやる!」
ラゼルは微かに笑った。
セナも、同じように微笑み会釈した。
二人は馬を進める。
灰色の空の下、白い塔が遠く霞む。
その白光はまだ濁ったまま、監視するように街を照らしていた。
ジークはその光を見上げ、小さく吐き捨てる。
「……見てやがれ。 だがな、あいつらの火は、灰の下でも消えねぇよ。」
風が鳴り、塔の鐘が遠くで響いた。
――その音を聞いたのが、三人にとって最後だった。
南西の大地――ネフェリス自由同盟。
国も教会の力も及ばない、自由の街。
二人の新しい日々が始まる場所へ。




