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灰燼の契約  作者: 天城 朱雀
第一部

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14/30

観測の境界・上

夜明け前、王都アルディアの空は重かった。

塔の最上層から降り注ぐ白光は鈍く濁っている。

それは祈りではなく――観測の光。


セナは記録院での聴取から三日後、再び塔の医療施設に姿を見せていた。

だが、空気は明らかに変わっていた。


医療班の同僚が彼女を見ると、挨拶もなく書類を抱えたまま視線を逸らす。


机の上には、誰が置いたか分からぬ祈祷文。

羊皮紙の端に刻まれた印章――記録院の紋。

そこにはたった一文だけ。


“観測は続行されている。”


(……私が監視対象になっているということね。)


セナはそれを燃やした。

灰が宙に舞い、指先に熱が残る。


(この国には、もう救いなんてない。――いいえ、初めからなかったのかもしれない。)





同じ頃。ギルド南門。


朝靄の中、ラゼルは外套の襟を整えながら依頼書を折り畳んだ。

「交易路護衛」。


普段ならごくありふれた任務である。


同行する商人が小声で言う。

「途中の村を抜ければ、黒の森の外縁を通る。……気をつけてくれ。」


ラゼルは無言で頷く。


森の境界に差しかかったとき、商人の背後にいた護衛の一人が不自然に立ち止まった。


「……帳簿に記されぬ魂は、修正されねばならぬ。」


彼はその声と同時に剣を抜き、ラゼルに飛び掛かる。

擦る金属音。ラゼルの剣が即座に受け流し、肩から腹まで袈裟に斬撃が走る。

傷の横、胸元に焼き印のような紋章が覗いた。


(……聖光教会か。)


倒れた男の影の後ろから、さらに二人、黒衣の調査官が現れる。


「異端――削除する。」


足元から伸びた光の鎖がラゼルの手足に絡みついた。


「記されぬ魂、観測のもとに還れ!」


左腕の痣が、服の上からでもはっきりわかるほど光を放ち、聞き覚えのある低い声が頭の奥で響いた。

――ドウ、スル。


(……ヴォルグ?)


ラゼルは地を踏み割り、鎖を断ち、一足飛びで調査官に接近した勢いのまま喉元を剣で突く。

調査官の一人が力なく崩れ落ちた。


残る一人が後退しながら空に向かって叫ぶ。

「報告する……“契約者”だ!」

ごく小さい光がアルディアの方へ飛んだ。


男はそのまま倒れ、絶命した。


ラゼルは息を吐き、森の奥を睨んだが、誰もいない。


ただ、静かに風が揺れただけだった。




その夜。


塔の下層にある地下倉庫。


セナはリオナの死について調べている中で、塔上層所属の調査員が頻繁にこの倉庫に出入りしていることを突き止めた。

(上層部がここにきているということは……何かあるはず。)

医療班の権限があれば倉庫の立ち入りは可能だった。


しかし、奥に進むと不自然な封印を施された扉がある。

結界と呼べる強度にさえ見えた。


幼少期から優秀だったセナは、結界術式にも精通している。

(これなら……)

ほどなくして解除に成功。中に入って明かりを点けた。


そこには、無数の金属板が、棚に整然と並んでいる。

一枚ごとに人名が刻まれ、微かに光を放っていた。


セナは、ゆっくりと指で触れる。


(ここに刻まれた者は、神に“観測”されてるということなのかしら。)


広い倉庫の中を横目で見ながら急ぎ足で歩く。


一つだけ、光っていない板を見つけた。手に取ってみると刻印もない。

まるで、何かを刻みかけて消えたような痕跡だけがあった。


セナは手を止めた。

(……記録をして消した。というより、記録できなかった、ように見えるわね。)


静寂の中で、自分の鼓動がはっきりと聞こえる。


(観測されぬ者が欠陥?……むしろ、それが――自由という名の救いなのかもしれない)


考えていると、背後で音がした。


誰かが、廊下の灯を落としたのだ。


「そこにいるのは、誰?」


返答はない。

代わりに、低い男の声が闇の中で響く。


「帳簿の閲覧は許可されていない。……セナ。」


その言葉に呼応するように通路全体が光り、強烈な閃光で視界が真っ白になった。


目を開くと、アゼルが立っていた。

塔の上層、記録の外壁に転移させられたようだ。


「あれは、神の眼の裏側だ。権限がないものに知る権利はない。」


セナは一歩も退かずに言った。

「……あなたは何者? あなたの意思が、神の意思じゃないことくらい、もう知ってるわ。」


アゼルは微笑みを浮かべた。

「知識は観測を曇らせる。君は今、“観測の境界”に立っていることを忘れないように。」


彼はそう言い残し、去っていった。


(観測の境界。。。?)


セナは再度、倉庫に向かったが、倉庫への入場権限は取り消されていた。



ギルド支部の窓から見上げていたラゼルの眼には、白塔の異変が映っていた。


空に光の粒が舞い上がって消えていく。

それはまるで、塔に縫い付けられた光が解放されていくように見えた。


(……何が起こっている?)


一見、何事もなかったようでいて――

白塔の光が弱くなったように感じた。

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