白塔の影
夜。王都アルディア。
白塔の上層部では、昼とは異なる静けさが漂っていた。
祈りの声も止み、塔の中を満たすのは薬草と燻煙の匂いだけ。
その夜、セナは医療班として呼び出されていた。
“上層研究棟の事故”。報告はそれだけだった。
詳細も、同行者の名も知らされていない。
彼女が塔の七階に到着すると、廊下は衛兵によって封鎖されていた。
鎧の隙間から、焦げたような臭いが漂う。
「医療派遣のセナです。呼び出しを受けました。」
兵が無言で確認の札を取り、うなずく。
「……覚悟して入れ。」
扉が開くと、白い壁の一部が焼け焦げ、天井の梁は黒く煤けていた。
薬液と焦げた布の匂いが混ざり、呼吸を奪う。
床には、焼け跡に覆われた担架が三つ。
うち一つに、シーツがかけられている。
セナは無言で歩み寄り、布の端をそっとめくった。
――そこにあったのは、どうにか判別できる程度ではあったが、確かに、かつての同僚の顔だった。
「……リオナ。」
彼女の瞳は閉じていた。
皮膚は焼けただれ、燃え盛る炎に包まれて焼身したような、そんな状態に見える。
現場には焼け跡の中に、奇妙な印が残っていた。おそらく発火源だろう。
セナはそれを間近で確認した。
(魔法陣……ではない?)
円環の中に刻まれた、幾何学的な紋といくつかの古代文字。
それは聖光教の公式紋章には存在しない構造である。
セナは眉を寄せ、手袋を嵌め直した。丁寧に印の周りの煤を払い全容を確認する。
「……これは、“記録印”?」
治療師として聖印や聖痕には詳しい。
だが、目の前の印はどのタイプとも違う。構成は似ているが流れが逆だ。
聖光教の印のように“神から人”が授かる信仰、祈りとしての形ではなく、
“人から神”へ伝える――そんな意図を持っていた。
その構造を読み取った瞬間、セナの背に冷たいものが走る。
(これは……たぶん、信仰ではなく“報告”を意味するもの。)
つまり、この印はの祈り、とは逆に。
“観察、記録。例えば何かを報告するための印”――。
「まさか……異端調査局がリオナを?」
円環の外側が、何かに焼き付けられたように光を反射している。
医療班の補佐官が近づき、内訳を小声で告げる。
「被害者三名、うち二名は即死。 そして――“リオナ・フェイル”は、異端調査の補佐登録者だったようです。」
「異端調査……? なぜ医療棟で?」
「わかりません。報告書は“自発的発火”とされています。」
(どう見ても嘘ね。実験痕ですらないもの。)
“自発的発火”など、治療師として一度も見たことがない。
人が燃えたのではなく、“何か”が燃やされたのだ。
机の上に、焼け残った断片があった。
焦げた羊皮紙。
わずかに読めた文字――
『――帳簿、外部因子、転生――』
セナの呼吸が止まる。
転生。
その単語が、この塔の最奥で、実験資料として扱われている。
(リオナ、あなた……もう証拠を掴んでいたのね。)
手袋を外す。
震える指先で、彼女は印の線をなぞった。
冷たい。
けれど、その形は奇妙な規則性を持っていた。
“観測対象”と“観測者”の循環構造。
そして――中心には、名も刻印もない空白。
そこだけが、異様に白く、何も刻まれていない。
「……空欄。」
(つまり、記録しようとして、記録できなかった。もしくは報告に失敗した?)
(今、わかることはこんなものね)
セナは唇を噛み、立ち上がった。
ラゼルの顔がふと頭をよぎる。
だが、それは直感のようなものでなく、
“異端調査”“転生”“帳簿”“外部因子”――
それらが導こうとしている答えのように思えた。
(……ともかく、上層部で何かが起こっているのは間違いない。)
セナが衛兵に淡々と告げる。
「遺体の検証は終わりました。報告書は後程、提出します。」
「わかった。報告書は本部へ送ってくれ。」
セナは出口に向かいながら、もう一度だけ振り返った。
焦げた壁に残る印が、微かに光る。
その光は――まるで彼女に、“見るな”と告げているようだった。
扉が閉まる。
重い音が、塔の奥に沈んだ。




