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拾いもの

作者: 淡麗
掲載日:2025/10/06

R15(大人の恋愛を扱っていますが、露骨な描写はありません)

プロローグ

財布がない。

駅前の雑踏で、袴田勇気は血の気が引くのを感じた。ポケット、カバン、もう一度ポケット。どこにもない。今日はバイトの給料日で、今月分の生活費が全部入っている。

引き返そうと振り向いた瞬間、後ろから声がかかった。

「あの、これ」

振り向くと、紺色のスーツを着た女性が立っていた。二十代後半だろうか。落ち着いた雰囲気と、どこか疲れた目。差し出された手のひらには、見覚えのある財布。

「あ、あの……!」

「さっき、落とされてましたよ」

女性は淡々と言った。勇気は何度も頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に、どうお礼を……」

「別にいいですよ。」

女性はそう言って去ろうとした。でも勇気は、何か返さなければという気持ちが抑えられなかった。

「あの、お茶でも、いや、食事でも……」

女性が立ち止まった。少し考えるような間があって、振り返る。

「じゃあ……デートして」

「え?」

「そうね。お礼されたいならつきあってあげる」

勇気は戸惑った。でも断る理由もなかった。それに、この女性の疲れた目が、なぜか気になった。

「あ、はい。いつが……」

「今から」

女性——正田このみは、そう言って歩き出した。


第一章 契約の始まり

1

焼き鳥屋のカウンター。このみはビールを傾けながら、勇気を観察していた。

「大学生?」

「はい。三年です」

「ふーん。若いわね」

「このみさんは……」

「二十八。OLよ。面白くもなんともない」

このみは自嘲するように笑った。勇気は何と答えればいいかわからず、串を口に運んだ。

「ねえ、勇気くん」

「ゆん、でいいです。みんなそう呼ぶので」

「ゆん? 可愛い名前ね」

勇気——ゆんは、少し顔を曇らせた。このみはそれに気づいたが、何も言わなかった。

「ゆん、彼女は?」

「い、いないです」

「へえ。可愛い顔してるのに」

またその言葉。ゆんは視線を逸らした。

「可愛い、って……男なのに」

「別にいいじゃない。私は好きよ、そういう男の子」

このみはさらりと言った。ゆんは戸惑いながらも、少し救われた気がした。

二時間ほど飲んで、店を出る。

「送ります」

「いいわよ。このへん、土地勘あるから」

「でも……」

「じゃあ、ホテル行く?」

ゆんは固まった。このみは真顔だった。

「冗談じゃないわよ。財布拾ったお礼、まだ足りないでしょ?」

「え、いや、でも……」

「嫌?」

「そういうわけじゃ……」

このみは、ゆんの手を取った。その手は、思ったより冷たかった。

「私ね、試したいことがあるの。あなたで、いい?」


2

ホテルの部屋。ゆんは緊張で手が震えていた。

このみはベッドに腰かけて、ゆんを見つめた。

「あのね、正直に話すわ」

「はい……」

「私、昔……好きな人がいたの。すごく好きだった」

このみは遠い目をした。

「でもダメだった。私じゃ、彼を満足させられなかった。だから私、決めたの。いつか、完璧な男を育てようって」

「育てる……?」

「そう。ゼロから、全部教える。大人の男として、女を満足させる男として」

このみはゆんに近づいた。

「あなた、経験は?」

「あ、あの、知らないわけじゃないけど、初めてで……」

ゆんは顔を真っ赤にした。このみは、少し笑った。

「光栄ね。わたしで良ければ、童貞ちょうだい?」

「え、あ……」

「今日、誕生日なんでしょ?」

ゆんは驚いた。そういえば、財布の中の学生証を見られたのかもしれない。

「はい……二十一歳に」

「じゃあ、最高のプレゼントね」

このみはゆんの頬に手を添えた。

「怖がらなくていい。全部、教えてあげる」

その夜、ゆんは初めて、誰かに受け入れられた気がした。

自分の柔らかすぎる雰囲気も。見た目と裏腹な身体も。全部。

このみは何も否定しなかった。むしろ、全てを肯定してくれた。

「ゆん、いいわよ。そのままで」

朝、目が覚めたとき、このみはもう起きていた。

「これから、月に一度だけ、会いましょう」

「え?」

「お礼のデート。あなたを、最高の男に育ててあげる」

このみは真剣な目で言った。

「いつか、あなたが本当の『いい男』になったとき、この契約は終わり。それまで、私のものよ」

ゆんは頷いた。

これが、二人の秘密の契約の始まりだった。


第二章 成長と試練

1

それから一年。ゆんは変わった。

月に一度の密会で、このみは彼に全てを教え込んだ。大人の振る舞い。女性との接し方。会話の機微。そして、夜の技術。

ゆんはスポンジのように、全てを吸収した。

「このみさん、これで合ってますか?」

「いいわ。もう少し、余裕を持って」

「はい」

彼の目つきが変わった。話し方が変わった。立ち居振る舞いが変わった。

学内で、噂になり始めた。

「袴田くんって、最近かっこよくない?」

「ゆんちゃん、なんか色気出てきたよね」

「彼女できたのかな」

告白される回数が増えた。でもゆんは、全て断った。

「ごめん。好きな人がいるから」

それを聞いたこのみは、複雑な表情をした。

ある日の密会。

「ゆん、学校でモテてるんですって?」

「……このみさんが教えてくれたおかげです」

「他の女の子と、会ったりしてるの?」

「いえ」

ゆんは真剣な目でこのみを見た。

「僕が誰かと会っても、あなたに教わった夜の技術を、他の誰かに使う気はありませんよ」

このみは黙った。その言葉が、嬉しいような、怖いような。

「ゆん……」

「このみさん、僕は……」

「ダメ」

このみは首を振った。

「まだ言わないで。あなた、まだ学生でしょ。私とあなたじゃ、釣り合わない」

「そんなこと……」

「いつか、本当の『いい男』になったら、その時ね」

このみは微笑んだ。でもその笑顔は、どこか寂しかった。


2

四年生の秋。ゆんの就職が決まった。大手商社。海外渉外部門。

「おめでとう、ゆん」

「ありがとうございます」

このみは、少し寂しそうに微笑んだ。

「ねえ、ゆん。そろそろ卒業ね」

「え?」

「卒業旅行とかどう? 最後に」

ゆんの胸が締め付けられた。

「最後……?」

「そう。あなた、もう立派な男になった。私が教えることは、もうないわ」

このみは優しく言った。

「忘帰洞。和歌山の温泉。ここの洞窟風呂、すごく綺麗なの。行かない?」

ゆんは頷いた。言葉が出なかった。


3

忘帰洞の温泉宿。洞窟の中の露天風呂。打ち寄せる波の音。満天の星。

「綺麗ね」

このみは湯に浸かりながら、空を見上げた。

「ゆん、ありがとう」

「え?」

「あなたは、私を救ってくれた」

このみはゆんを見た。その目に、涙が浮かんでいた。

「君で、五人目だよ」

「五人……?」

「あなたの前に、四人。同じことをした。若い男の子を見つけて、育てようとした」

このみは自嘲した。

「でもみんな、ダメだった。勘違いしたり、プレッシャーで負けたり、逃げたり」

「このみさん……」

「私ね、昔、年上の人に捨てられたの。『お前じゃ物足りない』って」

このみの声が震えた。

「だから、完璧な男を作ろうと思った。私を満足させてくれる、本当の『いい男』を」

「このみさん」

「でもね、わかったの。私、間違ってた」

このみはゆんの手を取った。

「男を作るんじゃなくて、愛さなきゃいけなかった。あなたと過ごして、やっとわかった」

ゆんは、このみを抱きしめた。

「このみさん、僕は……」

「ダメ。まだ言わないで」

このみはゆんを押し返した。

「あなた、これから社会人でしょ。今、私に縛られちゃダメ」

「でも……」

「頑張れ、いい男」

このみは微笑んだ。

ゆんは決意した。

「三年で迎えに行きます」

「え?」

「三年後。絶対に、迎えに行きます。だから、待っててください」

このみは、涙を流しながら笑った。

「……バカね」

翌朝、二人は別れた。

このみは「六人目探さなきゃ」と冗談めかして言った。

ゆんは「探さないでください」と真顔で返した。


第三章 試練の三年

1

社会人一年目。ゆんは狂ったように働いた。

海外渉外部門で、次々と成果を出した。彼の武器は、その柔らかな雰囲気と、芯の強さ。そして、このみに教わった、人を惹きつける技術。

「袴田くん、すごいね」

「あの若さで、あの交渉力」

「しかもイケメン」

噂は社内に広がった。

でもゆんは、誰の誘いも断った。

「すみません。好きな人がいるので」

二年目。海外出張が増えた。英語、中国語、スペイン語。ゆんは貪欲に学んだ。

このみに会いたい。でも、まだダメだ。約束した。三年で、本物の「いい男」になると。

三年目の秋。ゆんは海外渉外のエースになっていた。部長からの信頼も厚く、大型案件を任されるようになった。

そして、約束の期限が近づいたある日。上司の堺屋諒子に呼び出された。


2

会議室。二人きり。諒子は三十五歳。仕事のできる、美しい女性だった。

「袴田くん、話がある」

ゆんは緊張した。何か失敗しただろうか。

「あなた、わたしとつきあいなさい」

ゆんは驚いた。

「え……?」

「仕事もできる、顔もいい、気も利く。完璧よ、あなた」

諒子は真剣だった。

「私、本気よ」

ゆんは少し考えて、答えた。

「一晩だけでいいですか」

諒子は目を見開いた。

「……どういうこと?」

「堺屋さんのお気持ちは嬉しいです。でも、僕には待ってる人がいる」

ゆんは真っ直ぐに諒子を見た。

「だから、一晩だけ。堺屋さんを満足させます。でも、それで終わり」

諒子は、少し笑った。

「……面白い男ね」


3

その夜。ゆんは、このみに教わった全てを使って、諒子を満足させた。

朝、諒子は言った。

「愛人でもいいわ」

「だめ。ごめんなさい」

ゆんは柔らかく、でも確固として拒絶した。

諒子は、負けを認めた。

「もっと早く出会いたかった」

「そうなっていたとしたら、見向きもしなかったでしょう」

ゆんの言葉に、諒子は笑った。

「ああ、もう。はやく行って。かっこよすぎない?あなた」

「よく言われます」

諒子は、また笑った。でも目には涙が浮かんでいた。

「……よかったわよ。お疲れ様」

ゆんが部屋を出るとき、諒子が呟いた。

「……その人、幸せ者ね」


第四章 再会

1

三年後の、その日。ゆんは、このみのマンションの前に立っていた。

スーツ姿。以前とは比べ物にならない、堂々とした立ち姿。

インターホンを押す。

「はい?」

「このみさん。迎えに来ました」

しばらく沈黙があった。そして、ドアが開いた。

このみが立っていた。三年前と変わらない、でも少し柔らかくなった表情。

「……来たのね」

「約束しましたから」

二人は見つめ合った。

「入って」


2

部屋の中。このみはコーヒーを淹れた。

「ゆん、立派になったわね」

「このみさんのおかげです」

「……六人目、探さなかったわよ」

「よかった」

ゆんは微笑んだ。

「六人目探さなくなってよかったね」

このみは、少し泣きそうになった。

「バカ……そういうこと言えるようになったなら、もう大丈夫だから」

「このみさん」

ゆんはこのみの手を取った。

「初めて言うよ」

このみの心臓が高鳴った。

「愛してる」

このみは、涙を流しながら笑った。

「ん。知ってる」

「え?」

「ずっと、知ってたわよ。バカ」

このみはゆんを抱きしめた。

「私も、愛してる」

二人は、長い間、抱き合っていた。


3

「ねえ、このみさん」

「なに?」

「もう『契約』じゃないですよね」

「……そうね」

「じゃあ、これからは?」

このみは微笑んだ。

「これからは、ただの恋人」

「いや」

ゆんは真剣な顔で言った。

「永遠の、愛する人」

このみは、また泣いた。

「……ずるい」

「このみさんに教わりましたから」

二人は笑い合った。

財布を拾ったあの日から、三年半。

二人の契約は、終わった。

そして、本当の愛が、始まった。


第五章 いい男といい女

1

「おいで、このみ」

ゆんの声に、このみは少し驚いた。三年前なら絶対に言えなかった言葉。余裕と、包容力と、そして愛。

「はい、ゆんくん……いいえ、ゆん」

このみは言い直した。もう「くん」は要らない。彼はもう「男」だから。

ゆんの腕の中に収まる。懐かしい温もり。でも、三年前より力強い。

「ああ、この香り、この感触。これだよ。これが僕のこのみだ」

ゆんの言葉に、このみは少し恥ずかしくなった。

「実は少し痩せたのよ」

さらりと言ったつもりだったが、声が震えた。

ゆんの腕が、少し強くなる。

「寂しかった?」

このみは、もう隠せなかった。

「むちゃくちゃに」

「素直」

ゆんの優しい声。このみは、涙が溢れそうになった。

「だって、もう、全部いいんでしょ」

「ああ、いいんだ。いいんだよ」

ゆんは、このみの髪を撫でた。三年間、こうしたかった。

「ゆん」

「ん?」

「本当に、来てくれたのね」

「当たり前です。約束しましたから」

「三年間、辛くなかった?」

「辛かったです。でも、このみさんも辛かったでしょう」

このみは、ゆんの胸に顔を埋めた。

「むちゃくちゃに、辛かった」

「僕もです」

二人は、しばらくそのまま抱き合っていた。


2

数ヶ月後。二人は婚約した。

結婚式で、ゆんは誓った。

「僕は、あなたに拾われました。財布じゃなくて、人生を」

このみは、幸せそうに微笑んだ。

「私も、あなたに拾われたわ。壊れた心を」

二人は、永遠の愛を誓った。

式の後、友人たちが集まった。

「ゆんくん、本当にかっこよくなったね」

「このみさん、綺麗」

「お似合いですよ」

ゆんは、友人たちに感謝した。でも、一番の感謝は、やはりこのみに向けられる。

「このみさん、今まで本当にありがとうございました」

「これからもよろしく、ゆん」

二人は笑い合った。


3

新婚生活。二人は小さなマンションで暮らし始めた。

朝、ゆんが仕事に行く前。

「いってきます」

「いってらっしゃい。気をつけてね」

このみがキスをする。ゆんは少し照れながら、出勤する。

夜、ゆんが帰宅すると、このみが料理を作って待っている。

「おかえり」

「ただいま」

二人で食卓を囲む。他愛のない会話。でも、それが幸せ。

「ねえ、ゆん」

「なに?」

「今日、会社でね……」

このみは、日常の小さな出来事を話す。ゆんは、笑いながら聞いている。

こんな日常が、三年前には想像できなかった。

でも今、ここにある。


4

ある日、ゆんが帰宅すると、このみが少し困った顔をしていた。

「どうしたの?」

「あのね……」

このみは、少し恥ずかしそうに言った。

「妊娠、したみたい」

ゆんは、一瞬固まった。そして、このみを抱きしめた。

「本当に?」

「うん」

「……このみさん、ありがとう」

ゆんの声が震えている。このみも泣いていた。

「こちらこそ、ありがとう」

二人の愛が、新しい命を生んだ。

それは、あの日、財布を拾ったことから始まった奇跡の続き。


エピローグ

数年後。

ゆんとこのみには、小さな娘がいた。名前は「ゆい」。

「パパ、ママ、これ拾った!」

ゆいが、公園で拾った小さなおもちゃを見せる。

「ありがとう、ゆい。これ、誰かのかな?」

ゆんが優しく聞く。

「うん。落とした子、探してたよ」

「じゃあ、返してあげようね」

「うん!」

ゆいは、おもちゃを持って走っていく。

このみが、ゆんの横に座る。

「似てるわね」

「何が?」

「ゆい。あなたに」

「そうかな」

「優しいところ」

ゆんは笑った。

「このみさんに似て、強いところもあるけどね」

このみも笑った。

二人は、ゆいが友達におもちゃを返すのを、温かく見守っている。

「ねえ、ゆん」

「ん?」

「あの時、財布拾ってよかった」

「僕もです。あの時、財布落としてよかった」

二人は笑い合った。

運命の拾いもの。

それは、財布ではなく。

お互いの、傷ついた魂だった。

そして今、その魂は癒され、新しい命を育んでいる。

これから先も、きっと。

ゆんとこのみは、手を取り合って歩いていく。

永遠に。

(完)

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