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苦手な方はご注意ください。

海誓山盟は杪夏を芽吹く

作者: 長谷川貴一

初投稿です。

二週間程度で作成しましたが、その中で色々あり前半部分と後半部分で表現に差が出ています。ご了承ください。

また本作は多少【グロテスク】な表現が含まれますので、苦手な方は予め視聴をお辞めになるか、腹を括って下さい。

本作の舞台はある田舎の村。

主人公と少女の2人から描かれる奇妙な一日の物語とは…。

まだまだ未熟ですが、どうか楽しんで頂ければと思います。

宵闇が街を侵し、人々は夢の世界へと旅立つ頃。

声にもならぬ叫び声が、土砂降りの空へと昇っていっていた。

雨に打たれ悲鳴をあげる大地の上に、ごま粒ほどの小さな背を神に見せつける異質な男。

奇妙な男の涙腺からは、夜の闇を帯びて黒く光る涙が、雨にも負けぬほど勢いで泉のごとく溢れ出ている。

しかし、空から振り下ろされる水の弾丸は、悲惨にも男の涙を無に流し、悲痛な叫びは雷の糧へと奪われてゆく。

周りに友も、血の繋がった者も、人の影すら見当たらない。

ただそこにあったのは、孤独と絶望に打ちひしがれた、哀れな者の生き様だけだった……。

全ての始まりは、夏のむせるような暑い日だった。その日は、いつもよりも気温が高く、縁側の奥の景色も脱力しきったように溶けて見えるほどの熱気が地表を焼いていた。

男は、鬱蒼と鳴り続けるみんみんぜみの合唱と、終わりを見せぬ夏の陽気に心身ともに限界を警告していた。

家に食材は無い。あっても、男に食事を行う気力はとうにない。

気の抜けた声を放ち、夏唯一の南極である畳に寝そべるその姿は、まるで魚市場に並ぶ魚のような、何とも生気のない様子だ。

職も食も色のある生活も、今の男はもちあわせていない。

 今年で大人の仲間入りから10の年月が経過し、仲間入りどころか大人少佐とも言える年齢のこの男が、何故、午後3時を上回る田舎の家で体たらくを晒しているのか。

 無論、この男もただこうしているのでは無い。

元々、他のもの同様、都会と言う地で立派に戦うエリート戦士だったのだ。

大学卒業と同時に社会人という名の軍人の仲間入りを果たす。

晴れて故郷と別れを告げ、見たこともない地に足を踏み入れたこの男は活気に満ち溢れていた。

これから得れるであろう自身の輝かしい功績と、切磋琢磨できる仲間を夢に描き、心豊かに期待を弾ませていたのだ。

その瞳に宿った奇跡は、正しく天高く舞う龍を彷彿とさせる輝かしいものだった。

だが、その美しい夢は、まるで子供が吹いたシャボンのように、あっという間に儚く散ることになる。

来る日も来る日も仕事や人に掻き乱され、最上川の上流のような時代の流れに飲まれた男の心の風船は、しぼみにしぼみ、ついにはぱんっという小さな音を立てる事なく、跡形も残さず弾けてしまっていた。

 誰にも気づかれぬまま、求められぬまま、日々の疲れを癒すという名目の元、男は愛する故郷へと足を戻していたのだ。

今思えば、残された物などない男の胸は既に限界を迎えていたのかもしれない。

 心を壊したあの日、灰色に染った自室全体を見下ろしながら、ふとある少女のことを思い出した。

まるで夢のような、焼けてほとんど白くなった映画のフィルムのような微かな記憶。

しかし、視界を遮るその奥に、ほほ笑みかける少女の姿があった。

その姿を目に入れたとたん、男の脳裏に故郷の風景が広がった。

暖かな陽気に包まれ、生命の息吹を素肌で感じることの出来る、まるで利根川の下流のような穏やかな世界が男の脳内で繰り広げられる。

己の求めている平穏を現実にしたかのような情景に、思わず走り出そうとした男の体が地面へと叩きつけられる。

強い衝撃に意識を戻した男は、首への強い痛みと息苦しさを感じながらも、数秒前に映し出されていた光景に思考回路の全てを集中させた。

在りし日の自分が見た景色か?それとも妄想や夢の類か?いや、ついに幻覚でも見れるようになったか……。

突如現れた少女の影。それと同時に脳裏に写ったふるさとの光景。

何か関係性はあるのだろうか?

地面へと叩きつけられた衝撃をよそに、脳内で様々な憶測を立体交差させた男は、ある結論を導き出した。

「そうだ。帰ろう。家に。」

信念の籠った声。

壁の薄いアパートの一室で、苦情が来るのはそう難しいことではなかった。

久々の故郷。少しばかり荒廃はしているものの、その情景は衰えることなく目前に繰り広げられている。

しかし、いざ実家に帰ってきても特にやることが無い。

やることと言っても、若い手を必要とする農村部のご老人や、地元の小学生の遊び相手をしてやるくらいだ。

 生憎、男は人に語れるほどの趣味をもちあわせていなかった。

穏やかな田舎育ちの男にとって、激動の都会で趣味を伸ばす暇などないに等しかったからだ。

しかも、都会で受けてしまった仕事の癖と言う名の弾丸は、今も体に色濃く残り続けている。

何かやっていないと落ち着かない。

そう思っては無駄に部屋を歩き回ったり、意味もなく声を出してみたり、記憶に染み付いたキーを打つ真似をしてみたり。

傍から見ると気でも狂っているのかと思われるような奇怪な行動を男は延々と繰り返していた。

家の中には何も無い。娯楽は無論。

家電も冷蔵庫がひとつのみ。

なんなら食材も今日をしのげるか不安を抱けるほどに少なく、家自体も年季が入っているからかカビやらツタヤらが生え始めてきていた。

しかも、両親は共にどこかへ無期限の旅行に行っているという始末。

 男は心底呆れていた。

運良く男は合鍵を持っていたから良いものの、息子の帰郷だと言うのに誰もいないとは寂しいでは無いか。

しかも、生まれ育った愛する我が家はこの惨状ときた。

あまりの悲惨さに、こちらも無気力感に包まれる。

挙句の果てに、男は三日三晩その場から動かないという暴挙に出た。

そんな状況の男だったが、次第にその心境に変化を迎えていた

「まぁ、何もないのも、悪くはないな。」

最初こそ不満だった男だが、3日も経つ頃にはそんな楽観的な感情が目を出し始めていた。

ちなみに、帰省の連絡を行ってくれたのも、実家の現状を教えてくれたのも、全てかしこまった服を着た隣人の老夫婦の息子だった。

そんな4日目の朝。その日は夏のなかでもひときわ暑い猛暑の日だった。

目覚まし代わりにしていた風鈴の音すら聞こえない程の、耳障りなセミの声で夢の世界から引きずり戻された。

目が覚めても、やはりやることは無い。

男は空腹と熱気にやられ、ぼうっと天を眺めていた。

あぁ。なんという事だろうか。

愛する生家の天井に苔が生え、無惨にも朽ち果て始めている。

屋根を支える木は既にその役目を終えたように腐り落ちようとしている。

男は毎日見ているはずの天井に意味もなく悲しみの感情を荒らげ声を響かせた。

それも虚しく、蝉の声にかき消されるだけだが。

 …畳の冷たさが心地よい。

今日もどうせ何もない。

できるならば、このままずっと横になっていたい。

体が怠惰な感情に飲み込まれ、危うく連れていかれそうになる。

悪くは無い。今更何が出来る訳でもないから。

連れていくなら連れて行ってくれ。

このまま、無駄に時を消費するよりかは、新たなこの命を有あるものに変えてくれ。

あぁ。蝉の声と共に連れていかれるのも風情があっていいじゃないか。

みーんみんみんと変わらぬ声が折り重なって響き渡る。

その中に、一際不思議なおーいという甲高い音が入るのは、きっと私の幻聴だろう。

男の心の砦は、一撃にして崩れ去っていく。

 しかし、暗黒の考えに侵される脳の奥に、一筋の光が現れる事となる。

蝉に混ざる謎の声。幼いが、華奢だが華奢だが筋の通っている艶のある声。

間違いなく幻聴の類ではない。

そう判断をつけた男の目線は、自然に縁側の方向へと引き寄せられていた。

声のほうへと起き上がった体の先、太陽が照り付ける縁側に、見知らぬ少女の姿が男の視界に照り付ける。

「もぉ〜、さっきから何言ってるのかと思ったら『悪くない』だの『連れてってくれ』だの。おじさん、どこか疲れているんじゃないの?」

視線の先で少し怒ったような、呆れたような表情を見せる少女の姿は男の視界を瞬く間にして奪っていく。

 羽の広い、青いリボンが結んであるお嬢様を彷彿とさせる麦わら帽子。

夏の涼風に吹かれ奥へと広がり、なびいている真っ白の幅広なワンピース。

太陽の光を帯び白く輝いているように見えるその姿は、まるで精霊や神仏の類にすら感じてしまうほどであった。

昔、母が飲ませてくれた濃いカルピスのようなミルク色が、自然豊かな田舎で過ごしているとは到底思えない異質さを放つ。

最低限、車やテレビなどの電化製品はあるが、化粧品やメイク用品などの嗜好品などの文明が発達しているほど男の故郷は近代化が進んでいない。

にもかかわらず、少女は紫外線という概念を打ち砕くほどに艶やかでハリのある美しい肌をさらしている。

無論、髪もまた人とは思えぬ妖美なものであった。

男は都会という戦場で魑魅魍魎のような髪を多く見てきたが、どれも色素に艶に侵された物悲しいものであった。

だが、今、目の前にいる少女はどうだ。

光沢のある、絵に書いたような美しい茶髪が、夏の太陽に照らされて所々金色に輝きながら風になびいている。

どこか幼さを隠せない小顔には、くっきりとした可愛らしいオニキスのような瞳を携えているではないか。

定かではないが、その風貌から察するに、年頃は中学二年か三年だろう。

男が緻密に少女の姿を観察すると、少女は我が物顔で男の家へと上がり込んできた。

本来ならば恐れおののくか、はたまた激昂し追い出すところであろう。

 否、男はそうではなかった。

男は生憎、旅だった先の地で多くの修羅場と戦火を潜り抜けてきた言わば歴戦の猛者である。

同時に、その戦に枯れ果て、胸に残る弾丸の後遺症を引きずり、朽ちる手前に差し掛かった悲しき花でもある。

そんな男にとって、誰もいない孤独な田舎の家に、見ず知らずの女子が入ろうことなど、些細なことでしかなかったのだ。

気にすることも、何か感じることもない。

都会の道端に芽吹いてしまった、開花することなく朽ちていくシャスタデイジーのように。

蝉と風鈴の声だけが、ただただ無意味に流れていく。

薄暗い屋根の下で胡坐を組む男と、縁側の奥で太陽を浴びる少女の間に静寂が木霊する。

 屍を彷彿とさせる男のうつろな眼光に、少女はため息を吹くように縁側へと足を踏み入れた。

雪化粧をまとった冬の眠り木のようなその足からは想像できぬ速さ、電光石火のごとく一切の音を立てずに男の前へと進み出ていた。

しかし男は動じない。視界が少女の纏っている真っ白なワンピースに染まろうとも、同様どころか瞳孔の一つも動くことはない。

少女ですら、その奇妙な男の様子に静かに恐怖を抱いていた。

少女も男の前に腰を下ろし、目線を合わせ会話を試みようと口を開く。

「あの...おじさん、生きてる?」

何を聞けばよいか、何を話せばよいか、得体のしれぬ者に賭ける第一声はやはり生存確認が一番だろう。

少女が不安げな瞳で男の顔を覗く。

先ほどと変わらぬ虚ろな瞳を晒していると思った刹那、突如男の表情は微笑へと開花した。

「あぁ。生きてるよ。」

先ほどの荒れ地のような、岩肌の露出した戦地のような仏頂面から一変し、穏やかな春の花畑のような、野原のような穏やかな微笑と優し気のある一言。

その言葉は、数分前まで何か得体のしれぬ言葉を嘆き、死んだような顔をしていた男からは想像もできぬものであった。

しかし、そんな急変ぶりに少女もまた驚くことはなく、淡々と言葉を連ねていく。

「そっか。よかった。突然上がり込んで失礼かもだけど、色々質問していい?」

言葉を発さず静かに首を縦に振る。

 それからは、まるで面接を彷彿とさせる無機質な一問一答であった。

どうしてここにいるのか、何をしているのか、年齢はなど。

様々な質問を行った後、少女は男の名を尋ねた。

「おじさん、お名前は?」

男はその質問に少々の狼狽を感じながらも、以前同様直ぐに答えを述べた。

「陽太。」

ぶっきらぼうに述べられたその一言に、少女は違和感を胸に宿す。

「苗字は…?教えてほしい。いやならかまわないけど。」

「...ない。」

雀の涙にも匹敵しない弱弱しい声が、少女の耳の淵をなでる。

「え?」

「ないんだ。苗字が。昔、両親が別れてね。その影響で、苗字を名乗れなくなった。養子として拾われたらしいけど、もう覚えてすらいない。」

少し後ろめたい顔を見せながらも声色一つ変えずに男はそう語る。

少女も少女で、悲しんだり憐れんだりせず、だが男から目をそらし一言同委の言葉を言うだけであった。

 夏とは思えない不愉快な空気に包まれたのを、何とか打ち砕こうと少女が男の腕をつかむ。

「ねぇ、せっかくだし外行かない?久々に遊びたくなっちゃた。」

突然の少女の誘いに流石の男も動揺を隠せずにいた。

「え...。いや、別にいいけど、ワンピース汚れちゃったりしない?結構いいものに見えるけど。それに、まだ君のことも聞けてない。」

霧雨のような何とも情けない声量で少女のことを食い止めるが、若く活発な少女の意見を曲げることは難しい。

「気にしないで。服はいつだって消耗品だわ。変えが効かないものじゃないんだし。それに、私のことは夏の精霊とでも思っとけばいいのよ。」

少女の頓珍漢な名乗りには男も「はぁ」という他、答えるすべはなかった。

少女の力は男の創造を優に超え、みるみる空気が悲鳴を上げ、陽炎のように揺らぐ大地に体が近づいていく。

自身から灼熱に足を踏み入れる気力など本来残っていなかった男だったが、少女の力強さに折れ、何もしないよりかは動いたほうがましかと自身を納得させその重い腰を持ち上げた。

背丈に違いのある男が突如立ち上がったが故に、少女は姿勢を崩し思わず縁側から落ちそうになる。

「ちょっと、おじさん急に立たないでよ」

少女に叱られながらそのまま腕を引かれ、男は凍てつく氷の大地のような顔をしたまま家の外へと足を踏み出した。

 田舎の大地に足を踏み入れた瞬間、男は妙な感覚に体を包まれた。

「涼しい。」

男の一言に、少女は得意げな顔をする。

「すごいでしょ。私と一緒にいれば夏の暑さなんて全然気にすることないんだから。」

確かに、全く熱くない。なんなら、握られてる部分は氷を当てられてるかのような冷たさがする。

「これも、夏の精霊の力?」

男の素朴な疑問に少女は頬を膨らませ、両腕を上げ猫のような威嚇をする。

どうやら、挑発されたと思ったらしい。

男がそれを否定すると、少女は呆れたようにため息をついて、男の胸あたりを小突き出した。

「そういう揚げ足とるようなこと言わない。純粋に楽しめばいいんだから。」

最初にわけわかんないこと言ったのは君だろという妥当な質問を頭に浮かべたものの、結局口には出さない男であった。


 あれから少しばかりの時間がたち、男は少女に腕を引っ張られながら古めかしい住宅がほんの少々立ち並ぶ田舎の道を延々と歩いていた。

幸い、少女のおかげで熱にやられることはないが、都会の戦地ではなかなかお目にかからない虫やら草木やらが徐々に男の精神をすり減らしていく。

少女の歩く速度は見かけによらず速い。男よりもうんと速い。

流石田舎で切磋琢磨している若者というべきか。都会でなまった中年に片足入れてる肉体では到底追いつけない速度で足を滑らせている。

そのおかげで、今は家からとっくに離れ、下に田んぼが広がる土手の上の道を歩くことになっている。

家は少々あるものの、どれも息をしていないようにひっそりと佇んでいる。

家も少なく、自然は豊かで、なおかつ体力も限界に近づいている。もう顔も上がらない。

 もう無理だ。そんなことを心のうちに思っていると、少女が突然足を止めた。

「見て。あそこのお店。」

疲れ切った体に鞭を打ち、頑張って正面に目を凝らすと、道の向かいに確かに古めかしい小さな駄菓子屋らしき建物があった。

しかも、今までのような生気の無い建物ではない。

間違いなく明かりがともっている。

「あそこ、行くのか?」

疲れているにもかかわらず、声色だけは変わらぬ男の問いに、今度は少女が深くうなずいた。

 一行は自然に帰ったあぜ道を横切り、【おーぷん】の看板を下げている駄菓子屋の暖簾をくぐった。

暖簾の中には少女の腰当たりまでしかない商品の陳列台二つが区切るように中心を陣取り、壁一面が商品棚となったいかにも趣のある昔ながらの空間が広がっていた。

 向かいにあるカウンターの奥はどうやら住居になっているらしく、その奥からいかにもな腰の丸いおばあちゃんが顔をのぞかせた。

「いらっしゃい。よく来たねぇ、か...」

仏のような穏やかな微笑を見せるも一変。男の姿を見たとたん、口を大きく開きしわを集め言葉を詰まらせる。

まるで霊でも見ているかのようなその表情に、男は何か気まずいものを感じ取る。

流石に、突然こんなおじさんが子供の聖域に足を踏み入れてはいけなかったか。

そう思い再び暖簾をくぐろうとすると、おばあちゃんが叫ぶように男を引き留める。

「ようちゃん!?あんたまさか陽太なのかい!?!?!?」

その驚きようと、まさか名前を呼ばれるとは思っていなかった事から思わず男はその動きを止めおばあちゃんのほうを振り返る。

「えっと、私のことを知っているのですか?」

よそよそしくおばあちゃんに訪ねると、おばあちゃんは丸まった背中を必死に動かしながら、カウンターから慌てて男の元へと駆け寄る。

 呼吸を荒げながら、信じられないような、まるで神でも見ているかのような輝いた瞳で、男の頭から足までしっかり拝んだ後、おばあちゃんは後ずさりして危うく倒れそうになる。

慌てて少女がおばあちゃんの背中を支えると、おばあちゃんはまだ呼吸も整っていないうちに男に向けて話し始めた。

「信じられん。あんたがまたここに来るなんて...。」

おばあちゃんは少女の支えから起き上がり、男の両腕をがっしりと握って感極まったように下にうつむく。

「知ってるも何も、あんたは昔、ここの常連だったんだよ。ちっちゃいころは真っ白だったのが土やら泥やらで真っ黒になったぼろぼろのシャツをきていてね。よく覚えてる。そんなあんたがかわいそうでかわいそうで、いっつも家に上げてお菓子やらジュース飲ませてたんだよ…!」

「どうして、あんたが今ここに!?」

そう言うとおばあちゃんは男の胸に頭をうずめて、おいおいと声をあげて涙を流し始めた。

 流石にどうすればいいのかわからず男が戸惑っていると、任せろと言わんばかりに少女がおばあちゃんの背中をさすり始めた。

「おばあちゃん安心して。多分、おばあちゃんが想像していることにはなってないから。ね、おじさん久々に実家に帰ってきただけって言ってたもんね。」

そういうと少女は男のほうに顔を向け、男に同意を求めるかのように目に力を籠める。

男はうんうんと首を縦に振り、その様子を見たおばあちゃんもだんだんと落ち着きを取り戻していた。

「本当に、本当に大丈夫なのかい?」

少女に向かって必死に何かの確認を取るおばあちゃんの姿に一抹の疑問を抱きながらも、男は気にすることなくおばあちゃんへと語りかけた。

「えぇ。大丈夫ですよ。なので、そんなに涙を流すことではないですよ」

男の言葉に、まるで幼子のように必死に涙を抑えわかったというように首を振る。

「わかった。でも、少し心の整理がつかないから、ちょっと奥で休んでるわ。なにかあったら、またよんでちょうだい。」

そう言うとおばあちゃんは男の手を再度力強く握りしめ、カウンターの奥へと姿を消していった。

「な、なんだったんだ。今の…。」

男が動揺を隠せずにいると、少女が静かに男の顔を見上げながら疑問を投げかけた。

「おじさんさ、久々の帰省って言ってたけど、何も覚えてないの?」

「え、何もって言われても...。」

男は記憶のカセットから必死に何かを出力できないかと、再び駄菓子屋の中をじっくりと見渡した。

すると、再び視界が白くぼやけ、頭の中に微かな映像が瞬間的に流れ込んでくる。

 子供の声でにぎわっている愉快な駄菓子屋。

赤や青、ピンクなんかの色とりどりなお菓子が並ぶ棚。

炎のようなぬくもりのある温かい光が店全体を活気あるものにする。

店頭に置いてある自販機というもので、初めて買ってもらった瓶のコーラ。

毎日のように温かく出迎えてくれる幸おばあちゃん。

スイカのつるされた屋根の下、ベンチに座ってみんなで食べたアイス。

空は青く、雲は真っ白の羊のようで、遠くまで緑色の田んぼが広がっている。

数秒前まで確かに存在していなかった記憶が瞬間的に脳内に流れ込んでくる。

確かにそれまで存在していなかったはずなのに、脳内にあふれ出てきた途端につい先日起きたかのような生々しい記憶へと彩を取り戻していく。

男は刹那に流れ込む鮮明かつ膨大な記憶の数々に慟哭し、頭を抑えながら舌を嚙み殺したような、潰れた雄たけびを響かせていた。

今にも倒れそうな男を見て、不安を感じた少女に抱きかかえられた男は、一旦店前にある古びた横長のベンチに運ばれ座らせられた。

ふと、ベンチへと向かう道中、少女の腕の隙間から、何も無い棚が視界の端を掠めていた。

 2人でベンチに腰を掛け、空を見上げ呼吸を整える。

しばらくすると、男の元に先ほどのおばあちゃんが盆をもって訪ねてきた。

どうやら、先ほどの男の咆哮を耳に入れ、心配になり戻ってきたそうだ。

盆の上には瓶のカルピスが二本。

切子細工に着飾った、それぞれ赤、青、黄色のコップ。

おばあちゃんは先ほどに比べ随分と落ち着いた様子だが、どうもまだ、心に残る不発弾に不安感を抱いているようだった。

「おばあちゃんびっくりしちゃったよ。急に店からようちゃんの唸り声聞こえてきたんだからさ。」

「あ、あぁ...。ごめん。ちょっと頭痛くなっちゃって。それより、ばっちゃんは大丈夫?凄い驚いたようだったけど。」

「なぁに、気にすることはないよ。それより、ようちゃんカルピス好きだっただろ?頭痛いときはこういうすっきりするもの飲むのが一番だよ」

「あはは、いつもありがとう…。」

愛想笑いしながら頭に手を添える男の様子を見て、おばあちゃんはまるで幼子をあやすかのような静かな微笑を見せている。

空を見上げ放心する中年の男の隣に、どこか達観したような顔でほほ笑む白い肌の少女。

そんな少女の隣に、今度は腰の丸い灰色の髪を団子に結んだおばあちゃんがゆっくりと腰掛ける。

「にしても、本当、ようちゃん立派になったねぇ...。昔はこんな米粒みたいにちびっこい可愛い奴だったんだよ。」

おばあちゃんの少し過度な仕草に男も少女も笑みがこぼれる。

「いやぁ、本当懐かしいなぁ…。それに、幸ばっちゃんも変わってなくて嬉しいですよ。」

その言葉を聞いた途端、カルピスを注ぐおばあちゃんの腕が硬直する。

それと同時に、少女も先ほどとは一変して目を丸くして驚いたような表情を浮かべ男を見る。

「え、おじさん…名前、覚えてるの?」

少し震えたような、愕然としたような声で男に問いただす。

「え、いや、覚えてたというか…思い出したというか...。」

突然の追及に思わずぽかんと口を開く。

しかし、そんな男の様子を無視し、少女とおばあちゃんの二人はお互いに顔を合わせながら何かを話し合う。

男のほうを振り向いたかと思うと、とてつもない剣幕にうろたえる男の腕を強く握りしめ、少女は再び詰問を繰り返す。

「他に何か思い出したことはある?なんでもいい。答えて。」

男はそんな少女の気に押され、先ほど脳内に映し出された情景を事細かに説明した。

 それから少々の時間が流れ、男のみが自身のみに起きた出来事に首をかしげていた。

少女とおばあちゃんは先ほど同様、男に聞かれんような砂粒にも満たぬ声量で密会をつづけている。

先ほどまでの無邪気な様子は戦場を駆ける30口径の弾丸のごとく消え去り、そこに鎮座しているのは、虚ろな瞳を晒しながら宙を見上げている石像のような仏頂面の男の姿であった。

何かを覚悟したかのような神妙な面持ちを抱きながら少女が男の顔を覗き込む。

「まぁ、今は一旦気にしないで久々の再開を楽しみましょ。」

暫しの間見つめ合った後、少女は何をするでもなく、ただそう一言男に言っていつもの調子を取り戻した。

この駄菓子屋に来てからというもの、妙にすべてがせわしなく感じる。

何か落ち着かない一連の行動に疑問を抱きつつ、男は完全に少女の話の流れに飲まれてしまっていた。

 それからは、ただひたすらに時と言葉だけが流れていった。

単発式の銃のようなアンティークの夏の風。

穏やかな陽気の中で、軽やかに弾むフィルムの映像。

夏の中の雪の水。氷の音が宙を舞う。

奥に広がる田畑の大地。

目に入る景色は一面緑。

何も無いようで、何かある。

どこか寂しく雄大で、まるで、虫に食われた古本のような微かな過去を表している。

夏の太陽にも負けぬ、輝かしい笑顔を見せる少女の姿が横に輝く。

時は残酷に、時は朗らかに、この幸福とも感じれる刹那のひと時を終わりへと導いている。

 少女の仲介がありながらも、お互い久々に再会した故に募る話も暫しあり、気付けば太陽の日が各々の頬を照らしていた。

「そろそろ良い時間ですし、最後にお店の中を拝見してもよいですか?」

「うん。いっぱい見ていきな。なんなら、欲しい商品があったら持ってっていいからね。」

「ありがとう。そうするよ。」

そう言うと男は腰を上げ、再び暖簾の奥へと消えていった。

商品棚を眺め思い出に浸っていると、ふと暖簾から少女が顔をのぞかせているのが見えた。

「何してるんだい、そんなところで突っ立って。」

突然の男の問いに対して、少女はひるむことなく直ぐに答える。

「おじさんがまた倒れたら直ぐに助けられるようにだよ。」

「なら、そんなところに立ってないで一緒に見ようよ。きっと楽しいはずだよ。」

そういうと男は手招きをし、断り切れない様子で少女も店の中へと足を踏み入れた。

 子供の目を引くような激しい配色のパッケージが立ち並ぶ店内。

うまい棒やわたパチなど、見た目は違えど一度は目にした名前がちらほら置いてあるものの、棚に並べられている駄菓子の多くは、男にとっての休息地であるコンビニなどでは見ることのない古めかしいものばかりだった。

珍妙な商品の中で、特段男の目についたのが、チューリップの形を模したガラス製の容器が特徴的な、中に色とりどりな粒が入っている紫色の小瓶だった。

「ねぇ、この駄菓子ってどういう奴か知ってる?」

「あ、それ私の好きなやつ。」

そういうと少女はその小瓶を手に取り、蓋を開け中のものを見せてくれた。

「これね、駄菓子の中でもちょっと変わったやつでね。ウメミンツみたいなピンクの小さな玉が、必ず二つくっついて入ってるんだ。口の中に入れるとだんだん膨らんでいって、あわ玉くらいの大きさになったら、一瞬でしぼんでなくなっちゃうんだよ。」

「でもね、ここが不思議なんだけど、繋がってるやつを一人で食べるとさっき言った通り絞んじゃうんだけど、二つ繋がってるのをちぎって誰かと一緒に食べると、今度は膨らむとガムみたいにずっと噛めるようになるんだよ。」

お菓子と一言でまとめるには難しいほどの摩訶不思議な駄菓子に興味が掻き立てられる。

少女の言っていたウメミンツやあわ玉というものが何かはわからないが、それでもこれが常軌を逸したものだということはその説明から十分に理解できた。

 男が感嘆の声を出すと、少女はせっかくだからこれを頂こうと催促をしだす。

流石に無償で商品を貰うのには抵抗があったが、遂には少女の強い催促と己の好奇心から、結局、おばあちゃんの好意に甘んじることを決意した。

「これを頂きたいのですが...。」

「おぉ。あんた良かったね。いいものを選んだ。」

それだけ言うと、おばあちゃんは自身の目線に合うように二人をしゃがませる。

「それじゃ、気を付けて行くんだぞ。ようちゃんも、何か辛いことがあったら無理せず休むのが一番。道は長い、昔にばかりとらわれていたら、却ってそれが枷になっちゃう。だから、時には新しい事をやってみなさい。そうすると、見たこともない世界が見えてくるかもしれんよ。」

話の最後に男と少女のことをしっかりと抱きしめる。

男には温もりの一つも感じることができなかった。

「さぁ、行きな。まだ道は長い。いつまでもここにいちゃいけんよ。」

「ありがとう。幸おばあちゃん。」

 横に並び手をつなぎ、一緒に振り向き、ぴったりと声が重なる。

まるで姉弟のような二人の姿に、懐かしの日々を投影しながら大きく手を振ってさよならを告げる。

「私、頑張るから。」

男にも聞こえない程の小さな声量で別れを惜しみ、少女は再び前を向く。

「そうだ、せっかくだしこれ食べて歩く?」

別れの物悲しさも冷めぬまま、男がズボンのポケットから例の小瓶を取り出した。

小瓶の中身を一つ手に取り、二つにちぎって少女に渡す。

その様子を見て、驚いたような、でもどこか安心したような表情で少女は小さな粒を手で受け取った。

「やっぱり、ちぎるタイプだったんだ。」

「二つ一緒に食べたらすぐ消えちゃうんでしょ?それなら、二人で長い間楽しめる方がいいじゃん。」

「奇遇。私も同じ意見。」

そう笑いながら粒を口へと放り込む。

男も、内心恐れながらも口へと運ぶ。

口の中に入れた途端、小さな粒がゆっくりながらも、まるで少年の夢のように膨らんでいくのがわかる。

「意外と早いね。」

「そうなの。一つを丸々食べるとすぐ消えちゃう。寂しいったらありゃしない。」

何処に消えた在りし日の記憶に、似たような言葉を聞いたような気がした。

男は断片的に回り続ける記憶のフィルムを懐古しながら、ふと今手にしている駄菓子に何も書かれていないことに気がついた。

「そういえば、パッケージとか何もないけど、この駄菓子の名前って何ていうの?」

「この駄菓子の名前はね...。」

松のような、レモンのような、涼し気で爽やかな風が吹く。

何か強い思いが込められたようで、まるで手紙のような、男にとって大事な何かのように感じる気さえした。

「…随分と詩的な名前をしてるんだな。」

「ね。駄菓子にしてはちょっと不思議だよね。」

赤い蓋に粒がぶつかる、川のせせらぎのような音が耳を掠めていく。

 古びた看板が落ちた駄菓子屋の前で、腰の丸いおばあちゃんが二人の背中を見送っていた。

それは、まだ続く旅への祝福か、はたまたこれから起こるであろう何かを不安に思う心か。

ただ、どこまでも続く道の奥、その姿が見えなくなろうとも、動くことなく店の前に構えている。

「もう、来るんじゃないよ。」

春風のような温かな言葉。

一言、老婆はそういった。

あぜ道の奥に消えてゆく一つの影。

決して届くことのない小さな声が、影に向かって散ってゆく。


 駄菓子屋を後にして、いくつの時が過ぎたのか。

目指すところも知らぬまま手を引かれ、気づけば土手をとうに過ぎあたりは一面田んぼになっていた。

少し前まで多少なりともあった民家も、今じゃ面影一つ感じられぬ自然が大地に広がっている。

少女の手を引く力は速い。氷の上を滑るかのように速い。

先ほどに比べ、道もうんと歩きにくい。

「少し、休憩しないか?流石にちょっと疲れたよ。」

「まだ一時間ちょっとしか歩いてないよ?それに、私のおかげで全然暑くないでしょ?」

「そうだけど、それでももう足が限界なんだ...。」

額に汗をにじませ切に訴える男の姿に情けないとため息をつきながら、少女は少し先にあるバス停まではがんばれと鼓舞をする。

少し先とはいっても、男の視界にはバス停どころか、どこを見渡しても人工物の一つも見当たらない。

 希望の見えない一本道を鬱屈な気持ちで進んでいると、一歩進むごとに、男のことを情けないと言った少女も徐々に歩幅を締めていっていた。

少女自体は冷気を帯びているものの、歩き続けて体の火照った男の体温に段々と熱を感じてきていたのだ。

こんなぬくもりを感じたのはいつぶりだと感じながらも、少女は絶対に口に出さない。

横に並び、海に漂う木の葉のようなゆっくりとした歩みで進んで行く。

 それからまもなく、少女の言っていたバス停が左手側に姿を現した。

微かに青いペンキが残る木造の簡素なバス停。

少女が再び歩くのを早め、男の腕をひっぱりバス停へと連れていく。

「つ、疲れた...。」

バス停にあるベンチの上、座った衝撃で古びた木が悲鳴をあげる。

「お疲れ様。いっぱい歩いたからへとへとだよね。」

麦わら帽子を横に置きながら母親のように男をあやす。

「あぁ、もう足が動かないよ。それにしても、君は疲れてないのかい?」

「そりゃ、私はここでずっと暮らしてきたお姉ちゃんだからね。それに、おじさんに体力で負けてらんないよ!」

得意げに胸に手を当て答える少女だが、その体は息が上がったように上下に揺れていた。

「ははは…。凄いなぁ若い子の活力は。私も、昔はもっと活発だったんだけどな。」

「昔?中学生の頃とか何か運動やってたの?」

「…いや、もっと昔の話だよ。それこそ、僕がまだここにいた頃の話。」

少女の顔が一瞬氷河期を迎える。

しかし、それが男に悟られる前に氷はすでに溶け切ってしまう。

「おじさんもここで暮らしてた頃は...」

「あんま、興味ないかも。」

男の言葉を少女が遮る。

「まぁ、興味ないよね。こんなおじさんの昔話なんて。なんか、ごめんね。」

「…うん。」

普段とは違う雰囲気に少し戸惑いながらも、ぶっきらぼうに放たれたその言葉を男はただただ真に受けるしかなかった。

 田んぼが近くにあるから、熱を帯び湿った空気が二人の間を流れている。

お互い、なにも発さない。

川のせせらぎ、虫の羽音、微かな夏を伝える音が周囲に響き渡る。

男はいつも通り脱力しきった様子で空を見上げている。

しかし、少女は何か落ち着かない様子で常に体を動かしていた。

「ねぇ。」

少女の一言が、あたりに漂う異様な空気をかき消した。

「あの、おじさんさ...私の過去に、興味あったりする?」

自分でも何を言っているのかわからないように少女は目を丸くしていた。

先ほどまで虚ろな目をしていた男も、流石に困惑の心を隠せないでいる。

「突然、何を言ってるんだい?」

至極当然だが、その純粋な質問が却って少女の頬を赤くする。

「あぁもう!とにかく、私の話を聞いて!いいね!」

感情を乱した少女の姿勢に、男は首を縦に振らざるを得なかったを得なかった。

 一呼吸置いたのち、落ち着きを取り戻した少女は覚悟を決めたように話し出す。

「…昔、弟がいたの。」

色の落ちたカラー写真のような、どこか儚く寂しげな声色が世界を瞬く間に静寂へと変える。

「まぁ、血のつながった弟じゃないけどね。ちょうどこのバス停で初めて知り合ってさ。当時、九歳だった私の胸くらいしか背がない、青いシャツに短パン履いて小麦色に肌を焼いた、いかにも田舎っ子な男の子で、最初こそお互いなにも話してなかったんだけど、その子の方から声をかけてきて、最初はびっくりしたんだけど、次第に仲良くなっていって。またここに来ようって言って、最後はその子バスに乗って行っちゃったんだけどさ。凄い嬉しかったし、楽しかった。」

古びた人生の一幕を追想しながら、在りし日を思い出したかのように夕暮れに染まり始めた空を眺めている。

...青いシャツ、約束。

とっくの昔に壊れたはずの、思い出の射影機が息を吹き返す。

フィルムの回る独特な音が次第に大きくなる。

真っ白な肌の少女、四歳年上のお姉ちゃん。黒いリボンの麦わら帽子。

埃で黒く染まったフィルムから断片的に映像が流れ込んでくる。

いや、まさか、そんなはずはない。

男の脳内に疑問と衝撃が渦巻く。

 積乱雲が地平線の奥に昇るような、八月の田舎のバス停前。

虫の合唱が響き渡る中で、その少女は佇んでいた。

白い肌、吸い込まれるような黒髪を背中に下ろした年上の女の子。

黒いリボンを腹部に巻いた、白色のワンピースがたなびいている。

こちらの存在に気付くと同時に、満面の笑みで大きく手を振る。

その時、直感した。彼女は精霊だ。この代り映えのしない灼熱の大地に降り立った、爽やかな夏の精霊なのだと。

 間違いのない、嘘偽りのない、まるで今起きているかのような鮮明な記憶。

夢か。それとも幻か。いいや、これは本当の...。

 目を見開き、男は少女に言葉をかける。

「お姉、ちゃん?」

衝撃、疑惑、歓喜、恐怖。

鐘のように震えた声が、少女の耳へと入り込む。

同時に、少女も顔を男へと向ける。

先ほどまでとは全く違う、まるで少年のような瞳がやつれた顔に宿っている。

目を背け、ゆっくりと下を向き、苦悶の表情を濁したのち、再び男に顔を向けた。

「お帰り。陽太。」

 刹那。男の脳内に膨大な記憶が流れ込む。

ほこりを吹き飛ばす速度で投影機が回りだし、三枚のフィルムから煙が立ち込め遠心力で視界が揺れる。

スクリーンは奇跡の白を表示し、脳内には1460色の確かな記憶が繰り広げられる。

それと同時に、まるで岩で頭を強打したかのような激しい痛みが男の脳を苦しめだした。

頭を抑え、あまりの頭痛に膝から崩れ落ち地面に体をうずめ悶え苦しみながらも、少女に介抱され必死に記憶を整理する。

 それから程なくして、射影機の回転も徐々に落ち着きを取り戻し、脳に走る激痛も次第に和らいでいった。

呼吸を整え、再びベンチに腰を掛け平静を装おうとするも、先ほどとは打って変わり希望と夢に満ち溢れた少年のような表情を見せ、あふれ出した幸福の日々に感動と懐古を繰り返している。

男が脳内からあふれ出した輝かしい日々をひたすらに熱弁すると、少女も姉弟で過ごした幼き日々を思い起こしたのか、どこかやわらかな表情を見せていた。

 それから二人は当時のことを振り返り、思い出話に花を咲かせていた。

同じ時間同じ格好で、いつもバス停にいた少女のことを精霊だと思っていたこと。

青いシャツに灰色の短パンを履いていた。活発すぎるほどの男の子に少し身構えたこと。

バス停で会話していた何気ない趣味や好みの話。

初めてバス停以外の場所に遊びに行った日の事や、用水路に落ちて少女に助けられた時の事。

駄菓子屋に行っておばあちゃんと一緒に遊んだこと。

あの駄菓子をいつも二つにちぎって食べさせていたこと。

一度も喧嘩しなかったことなど、様々な記憶がお互いの中に交差する。

少女の頬を紅潮させその時やっと人間だと思ったことを掘り返し、少女に軽い脅しをかけられる。

男が怯えると、少女は子供のように笑い、冗談だと言って男の背中を軽く叩く。

男も少女につられて笑い、それと同時にある記憶が呼び起こされていった。

「そっか、そうだよね。あの時、僕を助けてくれたお姉ちゃんだもんね。」

「え?」

「あの時だよ。僕がこのあぜ道で倒れてたのを助けてくれたじゃん。忘れちゃったの?」

「あ、あぁ!あの時ね、勿論覚えてるわよ。本当にあの時は心配したんだからね...。」

まるでラムネのような、パステルカラーの水色が澄み渡る大空の元、燦然と輝く真っ赤な太陽が照り付ける地面。

塗り替えられたばかりのペンキが煌々と輝く青いバス停。

積乱雲が地平線の奥に昇る夏のある日。

その日も、いつものように少年の事を待っていた。

 初めて出会ってからもう数か月が経過し、お互い友達どころか家族のような親しみを感じる程の仲になっていた。

日常へと変化した少年との待ち合わせは、今日もいつものように始まりを迎える筈だった。

しかし、いつもの時間になろうとも、少年は姿を表さなかった。

そしてついには、太陽すらも地平線の彼方へと顔を隠す頃になってしまう。

少女は静かに絶望と悲しみをその胸に抱いた。

来ないと理解したその瞬間から、一刻一刻が過ぎ去るたびに少年から見捨てられた、嫌われたのではないかという感情が心を蝕んで行く。

途中、いつものバスの運転手にいつもの男の子はどうしたと聞かれ、余計に自身のひとりを感じてしまい、思わず視界がにじんだような気さえしてしまった。

結局、少年は最後まで姿を現すことはなく、少女はあきらめと孤独にさいなまれながらあぜ道を戻っていく。

 しかし、いつもの道を帰ろうとしたその時だった。

少女の目に理解のできない物が入り込んだのだ。

それを見た瞬間、衝撃と焦りが自身の歩む速度を上げていくのがわかった。

気が付けば全速力で走っており、あっという間にそれの元へとたどり着いていた。

少女が駆け寄った場所にあった、いや居たのは、全身に擦り傷と青い痣を作り、夏の熱気にやられ虫の息となりその場に倒れこんだ少年そのものだった。

「どうしたのその傷⁉それに、こんな顔真っ赤にして、いったい何があったの...。」

「お姉ちゃん…ごめんね。行けなくて...。」

「そ、そんな事どうでもいいの!それより、どうしてこんな...。」

最後の力を振り絞っていたのか、少年の意識が消える。

何か考える暇もなく、少年を抱きかかえ無我夢中で走り出す。

もうバスは来ない。ここから病院まで徒歩で行くことは不可能。

焦りと運動で上がった自身の鼓動にかき消されるほど少年の息は弱っている。

 宝石のような星をちりばめた夜空が隠され、悪夢のような曇天の空から夜の黒を吸収した雨が地面を抉る勢いで降り始めている。

あぁ。重い。

足首まであるワンピースが雨を吸収し、少年をしのぐほどの重さで足にまとわりついている。

 しかし、本来絶望的な状況。ましてや濡れた服に足元をとられ今にも倒れそうになっているにもかかわらず、少女の心は対照的に晴れ渡っていた。

少年はこのバス停以外基本何もないあぜ道に倒れていた。

それは少女が見捨てられていなかった、バス停に向かおうとしていたことを意味しているに等しい。

少年が傷だらけで倒れていたのは衝撃だったが、それと同等に少女はその事実に喜んでいたのだ。

焦燥と歓喜の混ざる涙が雨とともに流れ落ちる。

少女の走る速度は次第に増していき、木々が避け、雨すらもトンネルのような道を作り、ついには空気すらもその速度に置いて行かれるほどの速さで駆けていた。

 瞬く間に田んぼを抜け眠りについた土手の上へと戻り、気付けば少女は最も信頼できる大人のいる駄菓子屋の元へとたどり着いていた。

表口の暖簾をくぐり、大声で店主であるおばあちゃんのことを呼ぶ。

本来誰も来ないはずの時間帯、ましてや聞きなじみのある子供の声に慌てて入口まで向かう。

濡れないよう麦わら帽子を傘にした全身傷だらけの少年を抱きかかえ、足元もおぼつかないほど雨に打たれ、髪も服もびしょ濡れにした少女がその場に立ち尽くしていた。

「どうしてここに!何があったの⁉それに、その傷…!あんたもそんなびしょ濡れで...。」

「よかった。おばあちゃんなら、必ず、来てくれるって、思って...。」

おぼつかない足取りで老婆の元へと近づく。

「早く、早く上がりなさい!急いで手当するから!」

「それより、早く、この子を...。」

慌ててやって来た老婆に少年を預けると同時に、少女も安心したのか、体を震わせその場に倒れこんでしまった。

 それから雨もやみ、一時間がたった頃。少女はハッと目を覚ました。

意識を取り戻すと同時に、少年の安否を確認すべく慌てて飛び起きたが、近くにいた老婆に

なだめられ、少年が隣で寝息を立てていることに気が付いた。

老婆から体調を取り戻し、今は疲れて眠っていることを聞き、少女は安堵し再び横になって少年を見守った。

 それから程なくして、両親が少女のことを迎えにやってきた。

老婆に謝罪と感謝を伝えた後、手を引き帰ろうと催促するも、少女は全力でそれを拒む。

「君も一緒に来て、一緒に暮らそう!」

どうしたものかと困り果てていると、その騒動に目を覚ました少年に手を伸ばし突如衝撃の言葉を言い放つ。

…結局、その時は一度病院にも連れて行かなければいけないし、ましてや突然の出来事だったから少年を連れて帰ることはできなかった。

 徐々に夕暮れを迎えようとするバス停が、どことなくあの日を思い出させる。

「あの時は凄いびっくりしたんだから。このまま死んじゃうんじゃないかって。...本当に心配したんだからね。」

酸味を帯びた記憶の果汁が、少女の顔に愁いを生む。

「ごめんね、心配かけちゃって。でも、お姉ちゃんのおかげで今も、こうして立派に生きてるから…そう、生きてるから...。だからそんなに心配しないでよ。今こうやってもう一度一緒にいるんだし。」

「......そうね。」

 少女の透き通るような顔を、幻の雨雲が覆い隠す。

本来、久々に出会った姉弟水入らずで、在りし日を思い返すのは幸福に包まれるに違いない。

しかし少女の心はそれと同等、いやそれ以上の葛藤と恐怖に苛まれていたのだ。

空は晴天。しかし少女の心は雨が降らないのが奇跡なほどの曇天。

 しかし、少女は再び決意に空を晴らし、男へ質問を投げかけた。

「ねぇさ、ちょっと質問なんだけどさ?」

「ん?どうしたの?」

「...疑問に、思わないの?」

「何が?」

「え、いや、その...なんで、自分は年を取ってるのに、お姉ちゃんは、ずっとこのままなのかなー、とか。」

狼狽えに言葉を詰まらせながらも投げかけられた問いに、男は驚嘆と困惑が入り交ざった表情で返す。

「だって、お姉ちゃん自分で精霊って言ってたじゃん。そりゃ、精霊なんだからずっと同じ姿なのは納得だよ。」

冗談なのか本心なのかわからない男の言葉に頭を悩ませる。

せっかく覚悟を決めて男に質問をしたにもかかわらず、その純真無垢な瞳から放たれる言葉は少女の調子を完全に崩していく。

やはり、言えない。

精霊だと思ってくれた方が都合がいい。

少女は一度抜いた手榴弾のピンを、何も言わずにそっと戻した。

「そ、そうよ。私は夏の精霊だからね。あたしったら何変なこと聞いてるのかしら。」

「そうだよ。疲れておかしくなってるんじゃないの?体細いんだからしっかり休まないとだめだよ。」

「あんたにだけは言われたくないわ。」

そう笑う少女の視線には、骨の浮き出た男が虚ろな瞳を浮かばせていた。


 子供の帰りを告げ知らせるカラスの声が遠くの山から木霊する。

次の思い出の地に向けて、姉弟は再びあぜ道を歩き出していた。

バス停と別れを告げた今尚思い出の花は咲き乱れ、太陽は男の体のみを煌々と照らしている。

不思議なことに、先ほどまでずっと前を歩いていたはずの少女が、今は一定の速度で男の隣を歩いていた。

少女の歩みが男にあったのか、はたまた男の歩みが少女にあったのか、それか両方か。

どちらにせよ、こうやって隣に並んで思い出に浸り歩くのは気分がいい。

 そう思う男とは裏腹に、少女は男の影の中で悩み苦しんでいた。

この男は何故気づかない。

明らかに狂ったこの現状に何故疑問を抱かない。

男自身が狂っているから、狂った現状に対応している?

何故、姿かたちの変わらない義理の姉を前にして平静を保ち、思い出に浸れるんだ。

...全ては、自分の責任か。

だけど、まだ真実を伝える勇気は出てこない。

まだ、早すぎる。

もう少し後だっていい。時間はまだ少しある。

もう少し楽しんだ後でいい。

しっかりとつながれた左手から、人肌のぬくもりを感じる。

昔と違ってまるで軍人みたいにがっしりしちゃったけど、昔と何も変わらない温かな手。

本当は、自分も温かい手で手を繋ぎたかったけど、あの日に冷たくなってから二度と温もりを感じることは出来なくなった。

自分も、誰かのぬくもりも。本来、感じられないはずだった。

でも、あんたは違った。

あの時、内心無理だろうと思いながらいつもみたいに腕を引っ張ったのに、あんたはさも当然みたいに引っ張られてくれた。

凄くびっくりし、分かってしまった。

あんたがこっちに来ようとしてることが。

でも同時に、心の底から嬉しかった。

再びこうやって手をつなげることが。

 それに、そうやって楽しそうにしゃべるのも、今も昔も全く変わってない。

何が好きだったとか、何をやったとか、何が楽しかったとか、同じ話を何度も何度も繰り返す。

正直くだらない話なのに、こっちを向いて満面の笑みで話すから、自然とこっちも笑みがこぼれる。

 大きな体の君に、ふと、あの頃の幻影が重なる。

小さな体で精いっぱい足を動かして、私の歩幅に合わせようと頑張っていたあの頃の君。

それでもやっぱり遅かったから、結局私が引っ張手上げていた。

...あの頃に戻れれば。

あの頃のようになれたら。

ずっと、このままで居たい。

 そんな暗黒の考えに侵される脳の奥に、一筋の光が現れる事となる。

「お!ついたんじゃない?」

気が付くと、少女の目の前には途方もない広さの花畑が広がっていた。

「…あ、本当だ。」

気が付かなかった。

あのバス停からほんの少ししか歩いてないような気がする。

想定を遥かに超える速さで到達したことに、少女の心にとてつもない動揺と焦燥がめぐり渡る。

 二人の眼前には、赤、ピンク、白や紫といった色の花が咲き誇る花畑と、それを東西に分断する一本の道が延々と続いている。

花畑と荒野の境。花が荒野と混ざる境界線で、少女はぴたりと足を止めた。

花畑へと入ろうと歩みだした男が少女に止められ危うくこけそうになる。

驚いて振り向いた男の目に入った少女の顔は、今にも泣きそうに唇をかみしめた苦悶の表情だった。

「え、大丈夫⁉どっか怪我した?もしかしてさっきのバス停で...」

心配して慌てる男をよそに、少女は握った男の腕を強く握る。

麦わら帽子の影に顔が隠れ、次第に右半身も黒に染まっていく。

何も言わず、一切動かず、ただどこにも行かせまいと言わんばかりに腕だけに力を籠める姉の姿に男も不安を隠しきれない。

「...大丈夫。行こう。」

少女の目線の下に膝をついた男に目を合わせ、男を立たせようとする。

何もわからないまま心配することしかできない男を安心させ、姉弟は花畑へと足を踏み入れた。


 入るや否や、男は思い出を語りながら無邪気に遊びまわる子供のように広い道を動き回る。

少女も一緒になって男の様子を伺っていると、突然男は地面にしゃがみ、眼下に広がる花を眺めだした。

男の目線の先には、指先ほどの小さな花が無数に咲き乱れている。

不思議そうに花にそっと触れる男の横に、少女も一緒になってしゃがみ、寂しげに花を眺める。

「ここの花ってこんなに小さかったっけ…。昔来たときは体も小さかったから、もっと大きい花の印象だったんだけど。」

「元々これくらいだったよ。ほら、覚えてる?あんたが弟になってから、もう一回ここで花冠作ってあげたじゃん。あの時とあたしの手の大きさおんなじだからさ。」

そういうと少女は花を一本丁寧に摘み、掌に乗せて男に見せた。

「本当だ。こうやって見ると大きさ変わんないね。不思議だなぁ。」

そう言って感慨深そうにする男の手を取り、少女は先ほど摘んだ一本の花を男に手渡した。

「…花はね、生命そのものなの。だから、私たちはずっと育ててきたんだ。何年も、年十年も。ここで、生きてるってことを示すために。」

花のほうを見つめていた少女が男の顔を見上げる。

「だから、受け取って。思い出の印を。私が、私たちがここで生きてた証を。」

「…もちろん、受け取るよ。お姉ちゃんのその言葉が、何を意味しているかは分からないけど、必ず受け取るし、大切にする。」

男も少女の顔を見下ろし、お互いの目と目が合う。

オニキスのような少女の瞳は、まるで太陽の光を反射する小川のような輝きを放っていた。

 男は確かに一本の花を受け取ると、ポケットにしまっていた駄菓子の小瓶を取り出し、その小瓶の首へと花を括りつけた。

「これも、ずっとお姉ちゃんが食べさせてくれた思い出の物だから。この花を結んで絶対に忘れないようにするよ。」

そう言って少女に見せた小瓶は、紫色のチューリップの上に、五枚の赤い花びらを綺麗に咲かせていた。

「うん。大切にしてね。」

少女がそう言うと、男は立ち上がりながら、花がつぶれないよう胸のポケットに小瓶をしまう。

少女も一緒になって立ち、二人は黄昏を終えようとする空をひたすらに眺めていた。

 今度は男に手を引かれ、再び二人は花畑の中を歩きだす。

「そういえば、この花の名前って何ていうの?」

「この花はニチニチソウ。今渡した花も、ここに咲いてる花も、全部ニチニチソウ。

「へぇ、そうなんだ。にしても何でそんな名前してるの?」

「確か、毎日新しい花を咲かせるからそういう名前が付いたって昔聞いた。」

「さすが、よくそんな詳しい事知ってるね。にしても、毎日新しい花が咲くなんて羨ましいなぁ。だって、それって毎日新しい思い出が生まれるってことでしょ?そしたら、それ以上の幸せってないよ。」

「あー…そう、ね。」

嬉々として語る男の言葉に、少女は言葉を詰まらせる。

 本当はここで新しい思い出を作ってほしい。

…なんて事言えない。

そんな願望言えるはずがない。

もうタイムリミットが迫ってる。

この子も、もうじきこちらに来てしまう。

早く、伝えなきゃいけない。

伝えなきゃいけない、筈なのに。

どうして言葉が出ないの?なんであと一歩が踏み出せないの?

あの時もそうだった。

あの時もあと一歩踏み出せてたら君に辛い思いをさせずに済んだ。

燃えて溶け切ったはずのVHSテープが逃がすまいと全身に巻き付いている。

二十年前に壊れたカセットの中で、ずっと重油より重く悩み苦しんできたはずなのに、今になって水のように流されてしまった。

本当は終わってほしくない。

本当はずっと一緒に居たい。

あの幸せを永遠に感じる事が出来るなら、もうそれでいい。

だってそうだ。あの子は自分を精霊だと思っている。

それに、ここだってただの故郷だと思い込んでる。

ここにいれば、自分の後悔も消すことができる。

西日が影を作り、白いワンピースが紅に染まっていく。

心に巻きつく過去の幸福が、大蛇となって蜷局を巻いていた。

そうだ、それでいいんだ。

あの子にとっても、それが一番幸せなはずだ。

少女の瞳に男の姿が映りこむ。

身長180を超えているとは思えない脱力しきったような猫背。

髪は所々色素が抜け、後頭部には不可解な痣がある。

目は虚ろに沈んでおり、その周りには不気味なほどのクマが瞳を覆っている。

真っ赤に染まった首筋と、骨の浮き出た体。

まるで屍のようなその姿が、少女の不安を更に煽る。

...ダメだ。やっぱり、ダメ。

約束したんだ。自分と。君と。

あそこで誓ったんだ。必ず今度は助けるって。

それなのに、こんな甘えたこと言ってちゃダメ。

もう、十分楽しんだ。

後悔はない。

覚悟を決める時だ…。

 少女が口を開こうとした瞬間、少女の手からするりと男の腕が抜ける。

「あ、ちょっと!」

少女が男の後を追うと、それに合わせて男も歩く速度を上げていく。

「ちょ、ちょっと!?何してるの?」

戸惑う少女に向かって、まるで少年のようなさわやかな笑顔で男が答える。

「せっかく楽しい事してるのに、なんか暗い顔してたからさ!ほら、昔よくやってたじゃん?」

「競争だよ!ゴールのない競争!」

「な、何よそれ!あ、ちょっと待ちなさいよ!」

少女の言葉を気にすることなく、男は全速力で道を駆け行く。

男を捕まえるため、少女もため息交じりに駆け抜ける。

しかし、少女の顔は笑っていた。

男の突然の行動に焦るでも、怒るでもなく、ただ満面の笑みで男の背中を追いかけていた。

...今はまだ、大丈夫。

サンダルが弾いた小石が夜の闇へと舞って砕ける。

少女の影が夕焼けに反射する。

もう、汚れることのない真っ白なワンピースを靡かせて。

麦わら帽子から出るひもが少女の首に引っかかり、落ちることなく背中に回る。

真っ白な少女の肌は一段と落陽の光を反射し、夜の混ざる赤い色へと染まっていった。


 太陽が地面へと顔を伏せた頃。花畑を抜け、力を使い果たした男が少女に捕獲されていた。

「つ、疲れた...。」

「当たり前よそんな急に走り出すんだから。全く、そういう無鉄砲なところも変わってないのね。逆に安心しちゃったわ。」

息を切らし肩を動かす男の姿を見て呆れたようにため息をつく。

「で、でもまぁ、楽しかったでしょ?久々に遊べて...」

「勿論、楽しかったけど...。」

楽しい瞬間が過ぎ去った少女の胸に残る物は心配と終わらせなければいけない運命しか残っていない。

花畑は黄昏とともに過ぎ去り、ついには延々と続くあぜ道もその終わりを示しだしている。

過ぎ去った幸福の終着点。最後の思い出の地が姉弟の前に立ちふさがる。

「覚えてる?ここ...」

気付けば田んぼは見当たらず、あたりは低い山に囲まれていた。

少女が指さした先には、鬱蒼とした木々に覆われ永い眠りについた鳥居がひっそりと構えていた。

「あぁ、覚えてるよ。昔ここで一緒にお参りしたりよく遊んだりしてたじゃないか。」

まだ息の整っていないまま、男は肯定を言う。

「行こう。久々に。せっかくだしさ。」

「僕も行きたいんだけど、ちょっとだけ待ってくれない?まだ足に力入らなくて...。」

男はそう言って、草に覆い隠されたあぜ道の上に寝そべった。

 目線の先には、暗黒そのものとなった空の中、無数に広がる星が満点の輝きを放っている。

本来黒色のはずの夜空が星の輝きに染まり、まるで白色のようにすら見える。

少女はそんな男を見守りながら、宵闇が深まる鳥居の奥を見つめている。

目線の奥には、色鮮やかに交差する日々が、一点の終わりという言葉に消えていった。

終わりはいつも黒色の世界だった。真白の世界はいつも黒色の後悔の中に別れを告げた。

「もう、大丈夫」

「うん。もう大丈夫だよ。ごめんね待たせちゃって。」

今度は男が少女の手を引き、色落ちた鳥居の奥へと進んでいった。

 夜の闇に隠れ、男の目には入っていなかったが、鳥居の奥は完全に自然へと帰していた。

綺麗に並んでいた石畳は今や見る影もなく、多少階段の原型を感じるまでに崩壊している。

木々は縦横無尽に枝を伸ばし、恐らく石灯籠だったであろう物が枝の奥に崩れている。

「随分と荒れてるなぁ...昔はもっとここ綺麗でしっかりした雰囲気だったのに。お姉ちゃん、どうしてこうなっちゃたか知ってる?」

「うん。知ってる。でも、教えない。」

「えー...。まぁでも、お姉ちゃんの事だし何か意味があるんでしょ?あ、でも最後まで教え無いのはだめだからね。」

「大丈夫。絶対、教えるから。」

喉から出る温かな声とは裏腹に、少女の顔は一切の笑みを見せてはいなかった。

 少女の足取りは重い。木々をかき分け、神社へと突き進む男にもついていけないほどの遅い歩みで進んでいく。

ただ、石像のように凍り付いた表情に深いしわが刻まれている。

 星の輝きも木々に遮られ、視界は完全な闇に染まる参道を迷うかもしれないという不安を抱きながらもその足だけは止めることがない。

しかし、次第に不安は強力な魔物となり、男の足に絡みつきその歩みに水を差す。

 不安が頂点を迎えそうになった瞬間、ついに木々の奥にかすかな光が映りこんだ。

少女を自身の体の元に寄せ、差し込んだ光の元に、枝を払いのけながら一心不乱に向かっていく。

「ここだ!やったよ着いたよ!」

綺麗に舗装された石畳。

美しい赤色の鳥居を抜け、小さいながらも堂々と構えた社が出迎える。

境内を月明かりが淡く照らし、まるで木々が避けているが如く境内を中心に楕円上に空間が広がっている。

顔を隠した太陽が天を照らし、その光が星々を通して頭上へと降り注いでいる。

その幻想的な世界に思わず息を飲み、少女の手を引き境内へと進んでいく。

男がかき分けた木々は夏の生暖かい風に揺れ再び参道を闇へとかき消した。

「凄い...一つも変わってない。あの時と何も…!」

あたりを見渡し、衝撃と喜びの入り交ざる声が発される。

青白い光が天から差し込み、誰も炎を灯すことのできない灯篭を照らす。

 しかし突然痺れを切らしたのか、少女が懐かしの日々を思い出し足を止める男の手から、腕を抜き一人で社へと進んでしまう。

「あ、ちょっと待ってよ!」

焦ったように男が少女へと手を伸ばす。

「ごめんごめん。つい遅かったからさ。」

そう言って振り向いた少女もまた、青白い光に照らされより一層透明なその肌を白く輝かせていた。

いつの間にか手に持った麦わら帽子が少女の胸を隠している。

足を止めながらも、再び社のほうへと視線を戻した少女の髪が、風になびき左側に靡いている。

まるで、二十年前のバス停前で佇んでいた時のように。

小走りで男も少女の横に並び、今度こそ同じ速度で社へと向かう。

「お金、持ってる?」

賽銭箱の前に並んだ少女が男に問いかける。

不安げな表情でズボンのポケットを漁った男の顔が一瞬にして笑顔に変わる。

勢いよく抜かれた手には、五円玉が二枚握られていた。

「凄い!無いと思ってたのに!今日はなんだかついてるなぁ。」

予想に反した出来事に歓喜しながら少女へと五円玉を手渡す。

1995年と記載された五円玉が宙を舞い、小気味いい音を立てながら格子の奥へと消えていった。

木々の揺れる音以外ほとんどの音が存在しない静寂の空間に、双つの二拍が響き渡る。

 ...お願いします。神様。どうか、この先何があっても、きっと良い方向に行けるようこの子を導いてください。私も、直ぐにそちらに向かいます。

心の中で少女の願いが切に響く。

腰まで下げた頭を上げ、再び石畳へと降りようとすると同時に、男も願いを終え少女の後を追って並ぶ。

「全然言わなくても良いんだけどさ、あんたは…何をお願いしたの?」

「う〜ん、そうだなぁ...。教えたいけど、やっぱり教えない!お姉ちゃんがさっきの答え教えてくれるまで教えないからね。」

「あんたねぇ…。そうやってすぐわがまま言うんだから。」

考えるようなしぐさをとりながら、男が元気よく答える。

しかし、少女は内心男の言葉に救われていた。

もし万が一、「私たちが一生このまま」とか、「ずっと一緒に」だとかそんな願いを言われてしまったらどうしようかと怯えていたのだ。

口では軽くしかりながらも、少女の決心はその言葉のおかげでより確固なものになっていた。

最後だから、君が何をお願いしたいか知りたい気持ちもあったけど…。

でも、これでよかった。

これで、狼狽えずに真実を伝えられる。

終わりに行かないと。

...真実を見せないと。


 何も言わず、少々強引に男の手を引き、ある場所へと方向を変える。

石畳の道から足を踏み外し、森を背にし異様に朽ちた掲示板へと男を連れていく。

「ど、どうしたの?ここに、何かあるの?」

戸惑う男を無視し、これまた無言で、掲示板へ指をさす。

どれどれと男も目線を移す。

しかし、少女が指さした先へと目線を合わせた瞬間だった。

信じられないものを見たかのように目を見張り全身を硬直させた。

 少女が指さした先にあったのは、一枚の新聞だった。

しかし、その内容は普通の物ではない。

今から何年か。間違いなく二十年は経過している。

そんな日付の横に太字で表示される号外の文字が異様さを引き立てる。

大きく表示された見出しに載っている言葉は、

「村人大量虐殺...。のどかな村で起きた凄惨な事件に震撼...死者163名、行方不明者3名って...こ、これ、この村の名前じゃないか...どうして、何でこんな記事が⁉何かの間違いじゃ...」

震撼し、途切れ途切れになりながらもその恐ろしい文面を間違うことなく音読していく。

恐怖し震え、呂律が回らなくなっているのがはっきりとわかる。

様々な感情が入り交ざり、理解できずに後ずさりするにもかかわらず、男の視線だけは新聞から離れる事はない。

宗教、惨殺、焼き討ち、虐殺、武装、逮捕、村、姉弟…。

非現実的な言葉の中に、異質に混ざったなじみのある言葉が余計に信憑性を高め、男の脳を混沌へと陥れる。

狼狽えを発しながら後ろへと引きずられ、最終的に石畳に足をかけ姿勢を崩してしまった。

「これ、何かの冗談だろう?いや、冗談であってくれ。」

この場において唯一信頼できる、最愛の姉に必死に懇願する。

 苦痛な叫びに胸を痛めながらも、少女はそれを無視し男に背を向け、再び社の前へ行き足を止める。

「私、この村の出身じゃないの。」

少女の一言に、男の全てが静寂を選んだ。

「へぇ?突然、急に何を言い出すんだい?」

突如放たれた言葉は男の脳にさらなる混乱を招き起こす。

しかし、少女はその書き乱れた心を押さえつけるように言葉を強くした。

「おねがい。陽太。聞いて。今は一旦、私の言葉だけを。」

力強い姉の言葉。後ろ姿にもかかわらず男は一心不乱に首を上下に動かす。

空は暗雲が立ち込めていた。

「もう一度言うね。私は、というか私自身は元々この村の出身じゃない。」

「でも、分かってると思うけど今じゃここは大切な故郷だから、そこは安心して。」

そう話す少女の顔は、社の陰に隠れている。

「でもね、昔は違った。元々両親が村の出身で、私は両親が都会に引っ越した先で生まれたの。でも、私が小学校に入る前にお母さんの実家の都合で両親が村に帰ることになったの。両親は村のことが大好きで、優しい人しかいないからきっと気に入るよって何度も念を押してた。最初こそ駄々をこねてたけど、両親の説得もあって行く頃には駄々をこねるどころか楽しみで浮かれてたわ。」

「...突然だけど、子供って残酷だよね。」

突如繰り出された質問に不意を突かれ言葉が詰まる。

「ごめんごめん。そりゃ困惑するよね。でも、実際そうじゃない?幼いっていうだけで基本何でも許されて、それで調子乗って人のことを貶して。本当に心のない事を言う。」

星々が暗雲に隠され、少女の顔に影が差す。

「私の時も、そうだった。確かにおじちゃんおばちゃん、周りの大人はみんな優しくて頼もしかった。都会から来た私を、嫌な顔一つせず可愛がってくれた。でも、子供は違った。子供って言っても、もちろん同年代の子たちなんだけど。私が転校生として入って来るや否や、まるで南極にアロハシャツで来たやつを見ているかのような、偏見と軽蔑の目で私のことをあざ笑った。先生はやめなさいってすごい怒ってくれたし、ちゃんと説教してくれてたけど、幼い子供はみんなそんな言葉理解しなかった。理解しようともしなかった。」

暗雲は瞬く間に空を侵し、次第に社の奥から暗黒が近づいてくる。

「よく覚えてるわ。『都会から来たからわかんないだろ』とか、『都会人にはできないはずだ』だとか、『なんでそんな肌白いんだとか』、『外人みたいだ』とか、そういう根拠のない否定や、わけのわからない理由で散々心無い罵詈雑言を浴びせられてきた。何が『都会の人間の乏しい心が移る』よ。よっぽどあんた達の方が失礼で心がないじゃない!あたしだって好きでこの体に、都会に生まれたわけじゃない!!」

口惜しさと憎しみの混ざる少女の叱責が次第に激しさを増していく。

真っ白なワンピースの奥底に隠れた黒い過去が少女の呼吸を荒くする。

「...毎日毎日、学校に行くたびに罵倒されて、その度に両親に泣きついてたけど、結局ちっとも変りはしなかった。近くの子供皆から疎ましく思われて、子供の近くを通るたびに妖怪扱い。みんな悪魔みたいな笑顔で私から逃げていったり石を投げたり。本当ひどい話よ。」

同情と共感を抱きながらも、男の口は堅く閉ざされている。この混乱状態で、この状況下で何か言っても、それは姉の傷を抉るだけだ。

その考えが男の口を強固に塞ぐ。

「次第に、私はみんな信用できなくなった。優しかった大人も、両親も。だって、みんな口で何か言うだけで全然動いてくれないんだもん。それに、村の大人たちもどうせ私の悪口言ってるんでしょ?疎ましく思ってるんでしょ?大人で、知恵が働くから対面では優しくしてるだけでどうせ家ではあいつらと一緒に悪口三昧してるんだって。そう思い始めた。」

「結局、最後は学校に行かなくなった。勉強はお母さんに教えてもらってた。でも、いくら学校に行かなくなっても、ひどい事されなくなっても、傷はいくら経っても消えなかった。ずっと過去に縛られてた。あのバス停で出会った時も、駄菓子屋に一緒に行った時も、花畑で遊んだ時も。ずっと、あの嫌な記憶が私を痛めつけてた。」

「でも、あんたが居たから、私は救われた。あの忌々しい日々から、屈辱から抜け出すことができた…!過去から解放し、真実を見つけてくれた!陽太、あんたのおかげで救われたの。」

 少女が男の方へと振り向いた。

滲んだ涙と、落ちるような曇天から零れ落ちる水が男の視界を濁し始めた。

「でも、私のせいで貴方は辛い人生を歩むことになってしまった…!。私があそこで命を落としたせいで、目の前で死んでしまったせいで、貴方は一生過去に囚われることになってしまった。私のせいで沢山辛い思いをさせた。」

 雨脚は激しさを増し、その勢いはまるで降り注ぐ弾丸を彷彿とさせる。

「1995年8月15日。突然やってきた武装集団のせいで村は一瞬で壊滅した。

お母さんもお父さんも、家に乗り込んできた軍人みたいな人に撃たれて一瞬で死んじゃった。私も撃たれそうになったけど、急いで逃げて、縁側で腰抜かしてた貴方を担ぎ上げて必死に逃げていった。」

蝉の合唱が響く夏の日に、奇怪な銃声が響き渡る。

二発の銃声が後方から響き、いつも楽し気に歩いていたあぜ道がはどす黒い赤色に染まっていく。

「でも、外にも両親を撃ったような人で溢れかえってて、致命傷だけは避けたけど、それでも胸を撃たれちゃって。貴方も血で汚れちゃったし。」

耳元で虫が飛んでいるような小さな音と共に、姉のワンピースが紅に染まる。

噛み殺したような声で汗が滲む。

「私が今日通ったこの道、この道はね、貴方を逃がすために通った道と一緒なの。」

少女の言葉に、今までとは違うはっきりとした映像が流れだしている。

呼吸が浅くなる。

視界が狭まる。

「私が逃げたのに気づいた大人たちが、必死になって追いかけてきて。私も撃たれて苦しかったからどんどん近づかれちゃって。もうダメだって思った時、幸おばあちゃんが助けてくれたんだ。旦那さんが昔使ってたトラクターで道をふさいで、時間を稼いでくれた。」

古びたトラクターが悪魔を押し返す砦となる。

逃げろというおばあちゃんの声が、無数の銃声の彼方に消えていく。

「命を張って助けてくれたおかげで、何とかこの神社まで逃げ切ることができた。できたけど、奴らの仲間が回り込んで、気づいたら私のことを包囲してた。」

息を切らしながら階段を駆け上がった先に見えた、迷彩柄の防弾チョッキ。

山道へと逃げるも、木をなぎ倒しながら迫ってくる。

「結局、山道で転んじゃって...体中痛くて、起き上がれなかったから、そのままあんただけを逃がして、私は、私は...」

早く逃げなさい!

そう言って背中を押して行くように催促する。

足がすくんで動けない。

嫌だ。置いていきたくない。死んでほしくない。

最後の力を振り絞り起き上がった姉は、私のことを全力で突き飛ばした。

後方に体が飛ぶと同時に、最愛の姉の背中に一本のナイフがつきたてられる。

とてつもない弾丸の雨と、何かを壊す音がはるか上空へと消えていく。

「私と幸おばあちゃんは、遺体が残らなかった。正確には、遺体だと認識されないほど、人の形を保ってなかった。そのせいで、私たちは行方不明扱いになって結局火葬もされずにこの死んだ村で朽ちていった。どういうことかわかる?私たちは成仏できずに、この村に縛られることになったの。唯一の心残りの、貴方の帰りを待つために。だから、私と幸おばあちゃん以外の村人がいなかったのよ。」

逃げ惑う村ですら聞く事がなかったほどの、けたたましい爆発音が情景をあらわにする。

嘘だ、ありえない。

「嫌だ...。嘘だ。だって、君は、今、目の前にいるじゃないか...。だって、今日一緒に遊んだじゃないか!!!...全部、嘘だったっていうのか?」

頭上を這う雷の音が次第に増していく。

風は吹き荒れ、暗黒をさらに暗くするほどの雨が全身を打ち付ける。

涙が混ざったような男の悲痛な叫びに共鳴し雷鳴が響き渡る。

轟音。耳が痛くなるほどの。

「ねぇ、陽太。疑問に思わなかったの?おかしいって思わなかったの?なんで私が年を取ってないのか、なんでこんなに肌が冷たいのか、なんで私と幸おばあちゃん以外に他の村人に会わないのか。陽太がどんな世界を見てるかわからないけど、なんでこんなに村が荒れ果ててるのか、何か一つでもおかしいって思わなかったの!?」

少女の放った言葉が、風と共に耳に入る。

 男の心は絶望に染まる。

声にならない奇怪な叫びを放ちながら大きく口を開け、目を充血させ直視してしまった真実に打ちひしがれる。

高速で回ったフィルムは炎に包まれ、記憶の劇場は4Kを上回る画質で真実を映し出している。

ゆっくりと、焼き付けるように一枚一枚がはっきりと表示される。

男は、覚えていた。

あの日起きた事件も全て。

 目の前で大勢の人間が殺された当時少年だった男は、重度の精神障害に陥ってしまっていた。

目の前で最愛の姉が肉会になっていく様を見せられた男の心は少女の肉体以上に跡形もなく砕け散り、次第に幻覚と妄想の中で生活を繰り返すようになっていく。

姉に突き落とされた後、そのまま川に着水し意識を失い、男は奇跡的に隣町の住人に保護されることとなる。

しかし、目の前で姉が殺され心が壊れた少年は、保護された土地で幻覚と妄想の中で姉の名前を繰り返し呼ぶようになってしまう。

あまりにも悲惨な光景に保護したものが全員目をつむり、結局十歳という若さにして少年は施設へと入れられることになる。

施設の中で、少年の幻覚は次第に悪化していき、最終的には自身にとって最も幸福だった少女と過ごした四年弱の幻覚と夢を見続け、その中で十年以上の月日を生活することになっていた。

少年の脳内には、無機質な白色の施設は存在せず、温かな人間と優しい家族が生活する、

あの穏やかな村だけが作り上げられていたのだ。

そして時がたった少年はついに大人の仲間入りを果たし、幻覚の故郷...精神病院から別れを告げ、都会という荒波に出向いていった。

しかし、男の幻覚が癒えているわけではない。

少年だった男の脳を蝕む戦場の音に発狂し、支離滅裂な幻覚の思い出話を繰り返す男の様子は、周囲の人間から警戒と軽蔑を招くには容易なものだった。

 幻覚と夢に脳は侵されているものの、体は全てを理解している。

「本当は、伝えたくなかった。」

社の前に佇んでいた少女が男に向かって歩き出す。

少女の体は濡れることなく、あの縁側で出会った時のように髪を靡かせている。

少女の体をすり抜け、雨粒が地面にぶつかり弾け飛ぶ。

「ずっと、ずっと幸せな日々で暮らしていたかった。大好きだったから、心の底から楽しかったから。こんな私を理解してくれたのは、貴方だけだったから。一生ずっと一緒に居たかったから。」

男の目の前に立ち、まるで悲しむ弟をあやす姉のように、男の前にしゃがみ視線を合わせる。

「私のせいで貴方にこんな辛い思いをさせたのに、ずっとそれを後悔して、亡霊になってまで悔やみ続けてきたのに、いざ出会ったらまた罪から逃げようとしちゃう。時々、あの時一緒に死んでいればなんて思うこともあった。本当に、こんな自分勝手なお姉ちゃんで、ごめんね。」

涙交じりに微笑みかける少女の姿。

粉砕した縄と共に地面に体が打ち付けられたあの時と姿が重なる。

あぁ、そうだ。そうだった。

あの時僕は、死のうとしたんだった。

灰色の部屋、首筋に痛みが走る。

大勢の人間の命を犠牲にして、逃げてきたのに、それを無駄にして死のうとした。

僕が殺したようなもんだ。

お姉ちゃんも、この村も。

それなのに、僕は、僕は...。

「あ、あああああああああ!」

叫び声のような雨声を上回る絶叫が夜の山に響き渡る。

刹那、狂ったように立ち上がり、境内の横、掲示板の奥へと突っ込んでいく。

「あ!ちょっと待って!そっちはだめ!」

姉の静止を黙殺し、全速力で木々をかき分け山道をかけ降りていく。

 夜の闇に染まった森の中を、定期的にほとばしる稲妻の光を頼りに突き進む。

激しさを増す雨の中、風にあおられながらも必死であの場所へと向かっていく。

道中、枝をへし折りながら先の言葉が思い出される。

『こんな私を理解してくれたのは、貴方だけだったから。』

僕だってそうだ。

両親が蒸発して、村中をたらい回しにされてた僕を貶すでも罵倒するでもなく優しく接してくれた。

あの時、道で倒れてた時、お姉ちゃんの事悪く言う奴がいたから腹が立って喧嘩してああなっちゃったんだ。

知らなったよ。お姉ちゃんがあんな辛い思いしてたなんて。

それなのに、こんな僕を助けてくれた。自分の命をなげうってまで。

『本当に、こんな自分勝手なお姉ちゃんで、ごめんね。』

ふざけないでくれ。私は一度もそんなこと思ったことはない。

そう思ってるのが、一番自分勝手だ。

いつでも、私のことを一番に気にしてくれていた。

そうでなきゃ、あの日私のことを逃がしていない。

まるで罪を認識させるように、樹木の破片が体を傷つける。

しかし、それを気にすることなく一心不乱に山の中を滑るようにかけ降りる。

情けなさと屈辱を乗せた咆哮を放ちながら、枝を割り、木々を押し倒し道を切り開く。

その姿は怒り狂う妖を彷彿とさせる程である。

だがそれも次第に勢いを落としていく。

やはり、長い間動いていない男には辛いものがあったか、今にも倒れそうになったその時だった。

 体を襲う枝がなくなり、視界が開いたことに気が付いた。

「あ...」

木々が晴れた小さな平地の中心に、文字の刻まれた石碑が一つ立っていた。

慰霊碑。苔や草に浸食されていながらも、間違いなくその文字が深く掘られている。

天から降る弾丸に撃たれながら、重い足取りで慰霊碑へと進んでいく。

泥で見えにくくなっているが、台座には名前が彫られている。

【藤沢陰咲 ここに眠る。】

陰咲...間違いない。ここが、此処こそが...。

雨に濡れた落ち葉が足を滑らせている。

地面に朽ちた枝を折るたびに、過去が音となり雨へと消えていく。

雨は罪となり、体に降り注ぎ背筋を伝う。

一歩、一歩、歩みだす度にあの日がはっきりと映し出される。

目が告げた真実が、降り注ぐ雨が、埃に濁ったレンズを洗い流す。

男の背よりも二倍ほど高い石碑。

己の後悔と屈辱にのまれ、姉の名が刻まれた慰霊碑の前に膝から崩れ落ちた。

 宵闇が街を侵し、人々は夢の世界へと旅立つ頃。

声にもならぬ叫び声が、土砂降りの空へと昇っていっていた。

雨に打たれ悲鳴をあげる大地の上に、ごま粒ほどの小さな背を神に見せつける異質な男。

奇妙な男の涙腺からは、夜の闇を帯びて黒く光る涙が、雨にも負けぬほど勢いで泉のごとく溢れ出ていた。

しかし、空から振り下ろされる水の弾丸は、悲惨にも男の涙を無に流し、悲痛な叫びは雷の糧へと奪われてゆく。

周りに友も、血の繋がった者も、人の影すら見当たらない。

ただそこにあったのは、孤独と絶望に打ちひしがれた、哀れな者の生き様だけだった。

情けないという言葉じゃ表現しきれない。

死のうとも死ねない。

私の命は私だけのものではない。

「やっぱり、ここにいたんだ。」

 はっきりと背後から、聞きなじみのある声が響く。

そこには、少年だった男を逃がした姿のままの少女が立っていた。

「それだけは、あんまり見られたくなかったんだけどね...」

そういう少女はどこか気まずそうに視線を逸らす。

ワンピースは土で茶色に汚れ、胸は黒く滲んでいる。

麦わら帽子は風に旅立ったのか、青いリボンだけが肩にたなびいている。

「そんな石ころじゃなくてさ、ほら、本人ここにいるんだから。」

手を広げ、こちらに微笑む少女。

泥に汚れ、雨に濡れた体を引きずり少女の元へと寄っていく。

泣くたびに、そうやって慰めてくれた。

幻影と真実が折り重なり、涙は余計に激しさを増していく。

少女の胸に倒れこみ、そのまま力なく地面へと顔を伏せる。

「ずっと、一人だった。みんなから鬱陶しく思われて、意味もなく嫌われて笑われて、 でもお姉ちゃんは違った。お姉ちゃんは、私に救われたといってたけど、私も、貴方に救われた!いや、ずっと救われ生きてきた、今日までずっと。私は、それなのに死のうとした!みんなの、お姉ちゃんの命を、無駄にしようとしてしまった…!私は一度だって、あなたのことを身勝手だなんて思ったことはない。身勝手なのは、私の方だ。君をそんなに思いつめた私の方だ...。」

涙に息を切らしてほとんど嗚咽のような言葉で嘆き、懺悔と共に頭をぬかるんだ地面へとへばりつける。

「どうか、許してくれ。」

少女は寂しげにほほ笑み、しゃがみながらそう懇願する男の頭へと手を置いた。

雨と共に頭から頬へとなでおろし、そのままぐっと顔を持ち上げ視線を自身の顔に合わせる。

真っ赤に腫れた男の目が少女の瞳と重なり合う。

「もう、いいよ。全部知ってたから。それに、村で会った時からわかってた。私のことを心から憎んでないってことが。でも、それに甘えないために、自分が苦しめた事実から逃げないために、自分で自分を許さなかった。」

一瞬、落雷が鳴り響き、あたりが静寂に包まれた。

「お姉ちゃんの事、許してくれる?」

半透明な少女の、オニキスのような瞳からエンジェライトの涙が落ちる。

「もちろん、当たり前だよ!」

男の力強い返事に、涙を落としながらも少女の口は微笑を見せる。

「よかった。」

まるで磁石のように体がひかれあっていく。

背中に回した腕から、本来ないはずの温もりがほのかに感じられる気がした。

このまま一生離れたくない。

 そう願う男の元に、夜明けが近づいてくる。

「そろそろ、行かないといけない。」

男の手の中から少女の体がするりと抜ける。

背後の景色がはっきりと見えるほど、女の魂は薄くなっている。

まるで焼けてほとんど白くなった映画のフィルムの人物のように。

「いやだ、行かないでくれ。お願い…まだ、行かないで。」

手を伸ばし哀訴する男の額に、自身の額を密着させる。

「...お願い、聞いて。私と、最後の約束。」

鼓動、呼吸、温度。

男の体に、感じるはずのないものがなぜか鮮明に流れ込む。

「私のことも、この村の楽しかった記憶も忘れないでほしいけど、それに縋ってちゃいけない。戻りたいなんて思わないで。ここから別れて、新たな自分の人生を歩んでほしい。私が言うのも変だけど、まだまだ人生は長いのよ。」

男の胸ポケットに入ったニチニチソウを結んだ駄菓子の小瓶を取り出し、少女は肩にかかった青いリボンを紫のチューリップにしっかりと巻き付けた。

「これ、お守り。これから、辛いことがたくさんあるかもしれないけど、戦わなきゃいけないことがあるかもしれないけど、あなたは多くの人に守られてる。常に、そばにいてあげる。だから安心して、これからこのニチニチソウみたいにいっぱい新しい思い出を作ってね。約束、できる?」

「できる。絶対、約束する。だから安心して。」

ガラスのように透けた少女の腕から駄菓子を受け取り再び胸へと丁寧にしまう。

少女はそれを見ると、再び離れ、今にも消えそうになり天を仰ぐ。

しかし男が待ったをかけた。

「待ってくれ!私はまだ、君に願いを伝えていない!」

男の言葉に、少女も再び視線を合わせる。

「そうだった。それを聞くまではまだ行けないね。」

男の精神はその言葉に一瞬話すのを躊躇するも、少女との約束を守るため、意を決して自ら太陽を昇らせた。

「私はあの時、私達姉弟が、いつまでも幸せにいれることを、一生一緒にいれることを、神に願った。この願いをお姉ちゃんとも約束したい。」

迸る稲妻とともに静寂が響き渡る。

「約束してくれるか?」

「もちろん。私が叶えてあげる。絶対約束だよ。」

そう言うと、今度は少女が男の背に手を回し、しっかりと抱きしめた。

出会い、別れ、旅立ち。

天から降る雷鳴が、3度目の夜明けを告げる。

「ほら、そろそろ起きないと。大丈夫。約束した通り、いつでもここに私がついてるから。」

太陽のように笑い、抱き着いたまま胸の小瓶を小突くと、瞬きをする隙もなく少女は白色の光そのものとなり、男の腕の中からその姿を消し去る。

 白色の光りは一瞬にして、男の視界を奪い意識すらも白色に染め上げる。

少女は、再び目の前で消え去らないよう、まばゆい閃光を放ち男の意識を奪ったのだ。

男は腕から少女が消えた感覚も、姿が消えた瞬間も拝むことなく、ひたすら白色の世界に包まれるだけだった。

「それじゃ、いってらっしゃい。」

さんざんと雨が降りしきる中、消えゆく意識の片隅で、少女の声が木霊する。


 気づけば、私は廃屋の中で目を覚ましていた。

頭が痛い。ここはどこだ。

一部原形を保っていない、ほとんど自然に帰ったような古民家。

外では小鳥がさえずっている。

まばらだが、ヒグラシの声も聞こえる。

あのまま寝てしまっていたのか?

困った、全く記憶がない。

ふと体に目をやると、生乾きの服が泥で汚れている。

あれ、何か遊ぶようなことしてたっけな。

そういえば節々が痛いし、顔も気持ち腫れてる気がする。

体を起こそうと腕で踏ん張るも、体重を加えたところから畳が朽ちて崩れてしまう。

な、なんでこんなに古い畳が...。

動揺に狩られながらも、何とか起き上がり縁側へと向かう。

 しかし、縁側は草や花にのまれ、とうの昔にその役目を終えたように地面で永遠の眠りについていた。

手入れ、されてないのか?

困惑に視線を落とした時、胸のポケットに何かが入っているのが見えた。

青いリボンに姿を隠す、何かの花が結ばれた小瓶。

なんだこれ?瓶?

にしてもこれ中に何が入ってるんだ。

リボンに隠されて内容物がわからない。

そう思うと、自然に手がリボンをほどいていた。

一切の音を立てずに、リボンが瓶から離れていく。

 赤いプラスチックの頭、首には真っ赤なニチニチソウ、紫色のチューリップの形をしたガラスの小瓶の中には、必ず二つで一つのピンクの駄菓子。

『この駄菓子の名前って何ていうの?』

『この駄菓子の名前はね...。』

一輪の記憶が咲き誇る。

「「海誓山盟は杪夏を芽吹く。」」

その名を言葉にした瞬間、投影機が音を出して回りだす。

実家、駄菓子屋、バス停、花畑、神社、慰霊碑...。

あぁ、忘れていたのか?一瞬でも。

追憶と共に過ぎ去っていった夏の精霊。

私の命を救ってくれた、最愛の姉。

あぁ。そうだ、そうだった。

力が抜けていくのを感じる。だが、この手の力だけは抜いてたまるか。

そう思うと同時に、建物を倒壊させる勢いで膝から崩れ落ちた。

だが手にはしっかりと、あの駄菓子と古びたリボンが握られている。

約束、したじゃないか。

目頭がまた熱くなる。

乾ききった畳に水滴が染み込んでいく。

楽しかった。心の底から。

まだ、心残りも多い。

だが、それでもいかないといけない。

私は約束した。この廃屋と別れを告げなければいけない。

目にたまった涙を拭い取り、再び縁側に向け立ち上がる。

『ねぇ、せっかくだし外行かない?久々に遊びたくなっちゃた。』

今でも、あの声が聞こえてくる気がする。

手を引かれたように縁側を抜け、忘れ去られた廃村へと足を踏み入れる。

 実家を背にして、あの時、姉が立っていた場所に立つ。

空は微かな曇り空。

重々しい雨雲が、崩れながら南の空へと旅立っている。

空にまだ残る灰色の雲の隙間から、太陽の光が地面に差し込むのが見える。

...雨が、降っていた。

まだ庭に残る水たまりがそれを確かなものにしている。

南北に延びる、砂利で出来た水はけのいいあぜ道は、もう乾いてしまったようだが。

ただ、約束を守るための道は、湿っているより乾いてくれていた方がいい。

この家から出たら、もうサヨナラだ。

このまま庭を去り、あの時のようにあぜ道の上に立とう。

そうだ、これはまた結んでおこう。

再び紫色のチューリップを青いリボンで包み込む。

姿は見えないけど、これで一人じゃない。

行こう。もう、過去にはすがらない。

そう誓う私の足はあのあぜ道の上に立っていた。

 砂利を擦りながら、力強くあぜ道を北に進む。

どこか秋を思わせる涼しげな風が優しく私の背中を押す。

 

 歩く速度が速くなっていたのか、気付けば故郷は南の彼方へ消え去っていた。

灰色のコンクリートで固められた、誰もいない駅の階段を駆け上る。

駅のホームには電車が一本。ここ唯一のローカル線。

 車掌さんが急かし、電灯が点滅するプラットホームを小走りに列車の中へと飛び乗った。

それと同時に、この里を走る最後の列車の扉が閉じた。

もう二度と、この田舎に足を踏み入れる事は無いのだろう。

後ろ髪を引かれるような気持ちを抱きながらも、あの約束が私の背中を押してくれる。

…帰ろう。家に。

心の中で、そう呟く。

穏やかな蝉のバラードが、私の旅立ちを祝福してくれているような気さえする。

座席へと腰をかけ、外に広がる景色を眺める。

 電車の窓から見える、私の故郷は、もう何年も前にその役割を終えている、静かな廃村になっていた。

ふと、あの記憶が思い起こされる。

こうやって死んだ故郷を見せつけられると、あの遊んだ記憶が幻覚だったように思えてしまうな。

 電車に合わせ、胸の瓶が大きく揺れる。

いや、幻覚なんかじゃないな。間違いなく、全部真実だった。

 それから、電車の揺れは大きくなり、次第に目の前に残る追憶の残影も、南の大地へと散っていった。

…これで、本当の別れだ。

私が見たものが、夢であっても構わない。

だけど、これだけははっきりと言える。

私にとって、僕にとって、これは新たな思い出の1ページ目になったと言うことは。

僕は、夢を見ていた。

儚くも散ったが、確かにそこにあった。間違いなく存在していた。

まるで、フィルムで撮った写真のような淡い夢。

だが、私は、夢から覚めた。

この電車を降りて、家に帰ってからはまた新しい日々だ。

でも、その前に家を片付けなければ。

それに、会社にもどう連絡すればいいんだこれ。

そうか、クリニックの先生にも話さないといけないのか。

一つ思うと、次から次へと逃げ出したいような事を考えてしまう。

 だが、今度はもう逃げない。

一つ一つこなしていけばいい。恐れることはない。

それに、私には愛するものがついている。

…だけど、今だけは、この電車を降りるまでは、まだ夢を思い出していたい。

縋るんじゃなくて、今度は追憶をしたい。

現実を考えるのは、もう少し後でいい。

「まだ、もうちょっとだけ夢を見ていていいかい?」

言葉が、口からこぼれ落ちる。

同時に、ふっと涼し気な風が私の横をするりと抜けていく。

「全く…。この電車降りるまでだからね!」

驚いて横を見ても、勿論誰も座ってない。

でも、今たしかに声がした。

少し困った用な、笑ってるような、そんな表情をした少女が、私の横に座っていたような気がした。

…………いかんいかんこんな淡い期待を抱いてしまってるのは、まだ未練が拭いきれてない証拠だな。

溜息が車内に響く。

あの家と共に別れを告げようとしたが、やはり厳しいものがあったか。

それでも、まぁ、お言葉に甘えて、今は、寝ぼけが覚めるまでは、見させてもらおうかな。

夢のような、大切な思い出を。

 全ての始まりは、夏のむせるような暑い日だった。その日は、いつもよりも気温が高く、縁側の奥の景色も脱力しきったように溶けて見えるほどの熱気が地表を焼いていた。

視線の奥には、少し怒ったような、呆れたような表情を見せる少女の姿が映し出される。

「それじゃ、行ってらっしゃい。」

少女と共に、胸にしまった約束が、静かに笑った音がした。

ご愛読ありがとうございました。

最後まで読んでくれ皆様に、後半にかけてだんだんと納得のいく表現や文章が書けなくなり、読みにくい結果となってしまった事心より謝罪致します。

この作品は初めて完成させた作品ですが、色々と私生活で問題があり、一部自分にとって納得のいかないものになってしまいました。

私事ですが、この作品を書いていて熟語や言語知識がまだまだだということに気づきました。

これから勉強します。

それにあたり、皆様にお願いがあります。

もし、表現や熟語で不備や間違った使い方をしている場面や、さらに良い表現をできる場面などがありましたら、今後の成長にも繋がるので、アドバイスや指摘していただける嬉しいです。

また、作品の構想はできているのですが、これから高校生活が始まる故に完成と投稿は未定となっています。

発展途上の私ですが、是非とも温かい目で応援してくれると幸いです。

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― 新着の感想 ―
 最上川の上流とか、利根川の下流とかの比喩が好きです。あの駄菓子食べたいです。  読めない題名だなあと最初は思っていたのですが、意味を知ったときにぶわっと来ました。男がすぐ少女の言っていることを信じて…
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