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君と狼の作戦会議

「レオはああ言ってたけど」


 広い屋根裏の子供部屋で、テオドールは夜空を見上げながら呟いた。


「本当に、魔法を上書きされる事なんてあるのかな」

「あるんじゃねぇの。そもそも、お前が『名無しのドゥ』から『テオドール』になったのも、極端な話魔法の上書きみたいなもんだろ?」

「あー、そうか…」


 トットの言葉に納得する。

 もし、テオドールが名無しの肉塊に戻りたければ、エリーザの名付けの魔法を壊して呪われるしかない訳だ。勿論、戻りたいとはこれっぽっちも思わないが。


「でもそうなったらおれ達、助けてもらうのを待つしかないの? カッコ悪くない?」

「格好悪くても仕方ねぇよ。俺達は未熟者だ。俺はまだ変身術の一つ覚えだし、テオは簡単な夢占いしかできねぇだろ」

「見くびるなよ星占いもできます~」

「打率は?」

「五割五分」

「未熟者」


 不名誉かつ適切なレッテルを貼られて、テオドールは尚の事不貞腐れる。


「何とか、自力で魔法を解く方法を見つけたいもんだね」


 ふかふかのベッドにごろんと転がり、少年は独り言みたいにぼやく。部屋の反対側のベッドで本を読んでいたトットは、焦げ茶色の狼耳だけをそちらに寄越して聞いている。


「せっかく手足が自由に動いて、呪文も唱えられるようになったのに、まだまだ出来ないことの方が多いのかぁ」


 テオドールは名を得て、魔力を持つ人の仔に成った。膜の檻から出て、自由を手に入れた。それだけで彼は幸せだったが、自分にはまだまだ可能性があるのだと思わずには居られない。

 蝋燭の火に向かって伸ばした手を、ぐっと握り締める。


「いや、おれは諦めない。未熟者でも出来る解呪方法が絶対あるはず!」

「例えばどんな?」

「それを考えるのがトットの役目じゃん…?」

「純粋に不思議そうな顔すんな。俺がおかしいみたいだろうが」


 きょとんと大きな目で、テオドールはトットを見ている。

 少しでも兄弟子を見直しそうになった俺が馬鹿だった、とトットは溜息を吐く。本を閉じ、ベッドに腰掛けた姿勢になって、向き直る。


「例えば、俺は変身術を解いて人間から狼の姿に戻る時」


 蝋燭の灯りに揺れる、トットの影が溶けていく。人間の形から狼の形へ、影はゆっくりと変容する。


「体が引っ張られて、最初の地点へ戻る、という感覚がある」

「ふわふわ…」

「その感覚を研ぎ澄ませば、呪文を唱えなくても人間と狼の姿を瞬時に切り替える事ができるんだと。先生が言ってた」

「むえいしょー魔法ってやつ?」

「まぁそれに近い」


 無詠唱魔法とは高度な技法で、術式を介さずに魔法を操る方法のことだ。ジャンヌ的に言えば「厳重に封印された神々の領域に顔パスで入るようなもん」という代物。


「流石に俺達にはまだ無理だけど、それって要するに、鍵を使わずにドアを開けられるってことだろ?」

「なる、ほど?」

「それぐらい魔法を使いこなせば、魔物に魔法を上書きされても平気で元に戻れるんだろうな、って思ったんだよ」


 トットの話に、テオドールは「何か面倒くさそうだな」という率直な感想を抱いた。


「えー、その感覚を研ぎ澄ますって、どうやんの?」

「先生曰く、スイッチがあると分かりやすいってよ」

「スイッチ?」

「最近、俺は変身術を使う前、牙でコインを噛むようにしてる」

「コイン? 何?」


 全てが初耳で、テオドールは困惑する。狼の姿のトットは舌をべっと出して、その大きな舌に乗った金色の硬貨を見せた。


「金貨! 人間のお金ってやつ? うわ、初めて見た」

「ジャンヌさんからもらった。あの人、たまに人間の街にエリーザさんが調合した薬を売りに行くんだとよ」

「お金って口に入れて使うもんなの? ずっと口に入れてんの?」

「本来の使い方じゃねぇけどな。俺はこの金貨を爪で削って、自分だけが知っている形にした。それで牙でコインを噛む。その感覚を覚えておく。全身全霊で、その感覚だけに研ぎ澄ます」


 トットは口を大きく広げて、あが、とそのコインを収納した。目を閉じる。


「人間の牙と狼の牙は違う。だからコインを噛む感覚も全然違う。それをどっちも覚えておく。それの繰り返し。で、スイッチを切り替えるみたいに、最初に記憶した地点まで巻き戻るみたいに、自分が変身するイメージを広げていく。口の中から、全身に向かって」


 狼はそう言って、まるでスローモーション映画のように、姿形を変えていく。全身の毛が逆立ち、うねり、化けの皮が剥がれるように、人の肌が現れる。

 瞬きの瞬間だった。テオドールの目の前には、目つきの悪い人間の少年が立っている。


「え、すご」

「だろ」

「え? 何、お前本当に弟弟子? いつの間にむえいしょー魔法できるようになっちゃったの? おれを置いて先行かないで泣いちゃう」

「これは無詠唱魔法じゃねぇよ泣くな。コインを噛んでるうちはまだまだ未熟だろ」


 トットのコインマジックは「魔法をかける前」「魔法をかけた後」に交互に変身するというバグ技だ。上書きされた魔法を無条件に解呪できる高等魔法ではない。どちらかと言えば「ゲームが詰んだら予めセーブしておいた地点に戻ることが出来ます」という説明の方が正しい。


「でもお前はスイッチを切り替えたら戻れるんじゃん! おれはそのスイッチ持ってないのに! えこひいきだ!」

「あー、お前変身術のセンス壊滅的だもんな」


 図星を突かれても尚、テオドールは「ひいきだ!」と叫びながらベッドに転がってジタバタと暴れている。

 残念ながらトットの言う通り、今のところテオドールが変身術を成功させた例はない。人には向き不向きがあるものだ。それはレオナルドの依怙贔屓とかではなく、本人の適性の問題なので、彼女はテオドールにコインマジックを教えなかったのだ。

 その代わりに魔女は、テオドールには積極的に占い術を教えていた。

 人の仔の天性の純粋さ、好奇心の強さ、観察眼、何年も膜に閉じ込められて正気を失わなかった異常な精神力。それらは全て魔女の占いに必要な要素と言える。実際、彼はスポンジのような吸収力で夢占いの本を読み込み、才能を開花させつつあった。

 レオナルドは一番弟子に対して、神秘魔導師としての素質を見出していたのだ。


「え~~、占いより変身術の方が強そうだしヒーローっぽくてカッコ良いしトットずるいずるいずるいずる」


 本人はめちゃくちゃ不満そうだが。

 

「ならお前もスイッチを作ればいいだろ。センス壊滅でもコツさえ掴めばいけるかも。知らねぇけど」

「なるほど! じゃあおれにもコイン貸して!」

「これ一枚しかねぇ」

「なら代わりにこれでいいや」


 テオドールは宝物入れの空き缶をひっくり返して、中から手のひらサイズの古いライターを取り出した。

 銀色のそれはジャック・オ・ランタンを模していて、蔦のスイッチを引くとカボチャ頭に火が灯るデザインになっている。オイルが無いため、今は蔦を引いても火は着かない。

 これはかつて、ジャンヌが愛煙家だった時に愛用していたものだ。仔育てするにあたってきっぱり煙草を卒業した彼女は、不要になったライターをリビングに置きっぱなしにしていた。仔がそれを見つけて、綺麗だと言って欲しがったので、ジャンヌは中のオイルを抜いて仔に渡したのだった。


「魔法をかける前に、このライターを着ける。火は着かないけど、そんなイメージで。その指の感覚と音を覚えておく。魔法を解く時はライターを消す…っていうのはどうかな?」

「いいんじゃねぇか? 分かり易くて。嵩張らねぇし、そのライターは肌身離さず持ってろよ」

「よっしゃ、やる気出てきた! おれも変身術できるかも!」


 さっそくテオドールは火の灯らないランタンの蔦を引いた。かちん、と心地よい音が鳴る。呪文を唱え、変身術の作法を繰り返し、星空に祈り。そして結局、変身術は一度も成功はしなかった。


「うがーっ!」


 魔法が成功しなければ、スイッチを作っても意味が無い。がっくりと項垂れるテオドールに、トットは「もう遅いから寝ろ」と言ってなだめた。気付けば夜は深くなっている。


「悔しくて眠れない」

「寝ろ」

「子守歌を歌ってくれないと眠れない」

「お前本当に甘やかされて育ったな」


 トットの言う通り、この屋敷の魔女達は皆、テオドールを愛情深く育てた。眠れない夜、エリーザは仔の為に、鳥と共に子守歌を歌って聞かせた。それを聞くとどんなに暗い夜でも怖い事なんて何も無いみたいに、安心して眠れたものだ。まるで魔法のようだった。

 仔がただの不気味な肉塊だった頃からずっと、彼は魔女達の大切な唯一だった。小さな肉の器では受け止めきれぬ程の愛情を、一身に受けていたのだ。

 だからこそ、とベッドに丸まりライターを握り締めながらテオドールは思う。

 早く一人前の魔法使いになって、魔女達に恩返しがしたいのだ。でもどうすればいいのか分からない。少年はまだ幼く、学ぶ事が多すぎて、途方も無い気分だった。


「眠れそうにない…」


 どんなにねだってもトットは歌ってくれなかったので、仕方なくテオドールは自分で子守歌を歌うことにした。

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