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狼少年の夜

 また暫くの月日が流れた。

 名無しのドゥは人間で言うところの五、六歳くらいの肉塊へと成長していた。仔は体力もついて、指先を自由に操ることができるようになった。これにより一層、魔女達とのコミュニケーションが円滑化するようになったのだ。

 例えば「YES」なら親指を突き出して他の指を曲げる。「NO」なら親指を隠して手を握る。「ありがとう」なら人差し指と中指でピースサインをして、「ごめんなさい」なら親指と人差し指を合わせて涙の形を作る。「エリーザ」と言いたければ脳みそを指差して、「ジャンヌ」と言いたければ心臓を指差し、「レオナルド」と言いたければ胃袋を指差せば、それで大体伝わった。

 ただ一つ、中指と人差し指を曲げて、他の指を伸ばしたジェスチャーだけは、三人の魔女にはまだ解読できていなかった。



 ある夜、名無しの仔はレオナルドの提案で、真冬の天体観測に来ていた。屋敷から滝の方へ登った先には丘があり、そこは絶好の天体観測スポットなのだった。

 レオナルドと仔は度々この丘を訪れて、魔術の訓練をしていた。危ないからと他の二人には止められているが、仔は魔術を扱えるようになりたかった。数年に渡るレオナルドとの秘密の訓練は、今のところ成果は全く出ていない。それでもこの魔女と仔は、訓練を辞めようとは一度も口にしなかった。


「北東の空に三本槍の星が出ている。ふむ、これは良い兆候だが、同時に未来への強い影響と不安も予感させるのぅ。坊や。お前さんの運勢を占ってみるかね?」


 仔はすぐさま親指を突き出した。「占ってほしい」という意味だ。

 レオナルドは星占い含め、魔力による占い術を得意としていた。魔女は指先を振ると、どこからとも無く臙脂色のキリムの絨毯とタロットカードを取り出して、そこで占いを始める。絨毯はお香の匂いが染み付いていた。仔は、レオナルドが占う時の神秘的な表情を見るのが特別好きだったので、魔女の機嫌がいい時はよくそれをねだるのだった。

 しかし、楽しい時間はは中断を余儀なくされた。途中で、レオナルドが冷たい声を上げたのだ。


「誰かね?」


 空気が凍り付く。

 テントの向こうの茂みの中で、がさりと音がする。森に巣食う魔物だろうか。仔は怯えるように血袋を揺らした。以前ハーピー族の群れに襲われた記憶が甦る。


「邪魔して悪ぃな」


 思ったより年若い、変声前の少年の声がする。茂みから顔を出したのは、狼の耳を持つ焦げ茶色の髪の少年だった。人間で言うと十歳くらいだろうか。目つきは凶悪で、牙は刃のように鋭い。

 伏魔族だ、と仔は思った。実際に見たのは初めてだが、森の奥のさらに奥には、犬のような狼のような姿をした、不死身の魔族の群れが棲むと、以前レオナルドが教えてくれた。きっと腹を空かせて、魔女と仔を食べに来たに違いない。

 しかしレオナルドは臨戦態勢をとるでもなく、不思議そうに頬杖をついたまま、狼の少年に問うた。


「お前さんは…伏魔の者ではないのぅ。魔力はあるが、ただの狼だ。何故人の言葉で話す?」


 森には確かに、魔女や魔物以外の動物も住んでいる。しかし彼らには基本魔力がなく、魔法を使えない。人間の姿に変身することも無いはずだ。

 狼の少年は頷いた。


「先生の言う通り、俺はただの狼だ」

「先生? 儂が?」

「俺はいつもここで、あんた達が魔法の訓練をしているのを聞いてた。それでこんな風に、変身術を覚えた。やりゃ出来るもんだな」

「マジでか。やるの、お前さん」


 仔は戦慄した。

 何年も手取り足取り修行を付けてもらっている自分が一向に魔法を使えないのに、傍で聞いていただけの野良狼があっさり魔法を習得しただなんて。

 凄いヤツだ。友達になりたい。でも同時に、何だろう、何か、こいつに負けたくない。

 箱入り息子ならぬ膜入り息子だった仔の中に、生まれて初めてライバル意識が芽生えた瞬間だった。


「頼みがある。俺に正式に、魔法の修行を付けてくれ」


 狼の少年は深々と頭を下げた。


「ふむ、その理由は?」

「俺は『弱い』」

「故に魔法で強くなりたいと? 愚かな。尻尾を振って伏魔族の群れにでも混ざる気かね?」

「ンな訳ねぇだろ、伏魔族は天敵だ。奴らは群れの仲間を皆殺しにした。俺一人だけ生かしやがったんだ」


 声を絞り出すみたいな恨み言だった。夜空の下で、狼の少年は身の内を語る。

 魔女と名無しの仔は黙ってそれを聞いていた。


「あんたらは知らねぇだろうが、今日日どこの森でも、動物たちの数は激減してる。魔物が多いせいだ。やつらは命を喰らい過ぎてる。知恵があって高度な魔法を使う。どう足掻いたって、俺らみてぇなただの動物が勝てる相手じゃねぇ」


 少年は溜息を吐く。

 魔物。それは、魔神との公平な契約ではなく、その血液や涙や肉などを啄み、腹を満たしたことで、強力な魔力を得た【十二始祖】の末裔である。魔蛇レイミアはその始祖の内の一人だ。彼らは圧倒的な力を得る代わりに、対価を払わず魂の形を歪めてしまった罰として、常に抗いようのない飢餓感に襲われ、末代に至るまでただ呪われ続けている。

 魔物が森を荒らしているのは、恐らくその飢餓感によるものだ。


「別に、それが悪いとは言わねぇよ。俺たちだって、腹が減りゃ兎や鹿を喰うからな。弱肉強食。それがこの世界のルールなら、淘汰される俺たちはただ弱かったってだけだろ。俺の目の前で母親が伏魔族に腹をくり抜かれたのも、弟が頭を踏み潰されたのも。世界がそう定めたんだろ?」


 最後は問いかけるように、少年はまっすぐ魔女を見たが、レオナルドは答えられなかった。

 かつて人間だった頃の記憶が蘇る。隣国の町外れにある教会で、恐ろしく美しい魔蛇の女が笑っていた。聖歌隊の子供達が、笑う蛇に喰い殺された夜のことを、魔女は思い出していた。


「奴らは、笑ってた。笑って俺に言うんだ。恨むなら家族も守れない『弱い自分』を恨め、って」


 少年の独白に、気付けば名無しの仔は泣いていた。滅多に泣かない我慢強い仔だが、家族を殺された狼の少年に、強く感情移入したらしい。こんなに泣いたのは、ジャンヌにハッピーエンドで終わらないお姫様の物語を読み聞かせてもらった時以来だ。

 狼の少年は、人間の形をした自身の手を見つめて、声を絞り出すように話し続ける。


「だが、俺にはどうやら魔力があるらしい。これは俺の『強さ』ってやつじゃねぇのか? 自分を本当に『強い』と認識できたなら、こんなはぐれ狼でも、まだ生きていてもいいって事にならねぇか?」

「ふむ、成程の…」

「だから、先生。俺は『俺』に賭けてみようと思ったんだ。あんたは、どうする?」


 少年は真っ直ぐ魔女を見すえて、あえて挑む様にそう言った。

 それがあんまりにも不遜な、ふてぶてしい幼子みたいな態度だったので、思わず仔はグッと親指を立てて、少年の勇気を讃えた。

 レオナルドは愉快そうに大声で笑う。成程、狼なりに覚悟を決めて、一世一代の大博打を打とうという訳だ。全く人に物を頼む態度とは思えない。だがこの魔女は、売られた喧嘩は必ず買うタイプの女だった。


「であれば、決まりよの。坊や、お前さんにふわふわの弟弟子が出来るぞ」

「ふわふわ…、えっと、弟子にしてくれるって事でいいのか?」

「勿論、手加減はせんので、そのつもりでな」


 魔女は狼の少年の頭をわしわしと撫でる。狼はむず痒そうに耳を震わせて、安堵したように、初めて笑った。


「望むところだ、先生。俺に名前を付けてくれ。あんた程の魔女が名付け親なら、俺はもっと強くなれる」

「名付け? 良かろう」


 レオナルドはうーんと小首を傾げ、やがて名案を思いついたみたいに顔を上げた。


「トットはどうかね? 儂が昔人間だった頃に飼っていた仔犬の名よ。お前さんまだ子供だし…」

「仔犬って…話聞いてた? 俺は強くなりたいって言ったんだよ」

「今よりもっと強くなったら、もっと良い名前を与えてやろう。今のお前さんにはこれぐらいがお似合いよ」

「はぁ…まぁ、何でもいいけどよ」


 トット、と名付けられた狼は、不思議と影の色が一層濃くなったような、全身を巡る魔力が増したような心地がした。確かに今の俺にはこれぐらいが丁度いい、とも思った。


 名付けとは実に複雑なもので、遡れば古代神の唱えた創世魔法に通じるという。正しい名を告げることで、その者の正体を明らかにする。逆に、名付けの儀式によって対象に実力以上の強い名前を与えた場合、世界に間違った報告をしたペナルティとして、名付け親は反動の呪いを喰らうこともあるのだ。


 トットはふと、足元に転がった血袋の怪物…もとい名無しのドゥを見つめて、レオナルドに尋ねた。


「それで、先生。この怪物は何なんだ? 匂いは人間に似てるが、こんな形のは見たことがねぇ」

「怪物とは失敬な! 坊やは儂らの信仰する神の創造物だぞ。名前は名無しのドゥという。お前さんの兄弟子だ。仲良くせんか」

「ドゥ? それって、つまり名前が無いって事?」

「その通り」

「…何で名前付けねぇの?」


 訝しげに、弟子のトットは首を傾げる。それは強さの為に名付けを求めた元無名の狼にとって、至極当然の疑問であった。

 しかし、魔女レオナルドは微動だにせず、彼の言葉を反芻している。

 何で坊やに名前を付けないのか。


 え? 何で?


 そんな事、思い付きもしなかった。だって、魔神オズワルドが「仔に付ける名前は無い」と、そう言ったのだから。この仔は「名無しのドゥ」なのだから。知らぬ間に、そういうものだと決めつけていた。顔もない、身体もない。勝手に可能性の限界を決めて、安全な皮膜と手押し車の中に閉じ込めて、成長を妨げていた。仔を育てるようになってからの数年間、三人の魔女は誰一人、名無しの仔の名付けなんて思い付きもしなかったのである。

 まさか、こんな簡単な事だったのか?

 魔神の呪いを解く方法が!


「ヘウレーカ!」


 レオナルドは空に向かって狂ったように叫んだ。トットはびくっと尻尾を逆立てる。仔は不思議そうに魔女を見上げていた。

 

「トット! お前さん、マジで魔法の才能あるぞ!」

「は?」

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