三人の魔女
肉塊…改め「名無しのドゥ」は、三人の魔女の屋敷で暮らすようになった。
ドゥの血肉は、魔神に薄紫色の炎を与えられた瞬間から、つやつや透明な皮膜に覆われていた。
お陰でバラバラの肉塊は一箇所にまとまったが、ちょっとした衝撃で膜が破れると、中身は飛び出してしまう。つまり、家中赤黒い血で汚れ、肉は腐り落ち、形容し難い悪臭に見舞われるのだ。
綺麗好きで鼻のきくレオナルドは毎度発狂しかけたが、大工仕事が得意なジャンヌが手押し車を作ってやったので、その問題は解決した。手押し車にはエリーザが鴉達から集めた柔らかな羽根とハーブを敷き詰めており、柔らかなベッドを手に入れた名無しの仔は、その皮膜が破れることは滅多に無くなったのだ。
「坊やは血肉でできたスライムみたいで、可愛いのう」
匂いの問題が解決すると、元来心優しく人懐っこい魔女であるレオナルドは、名無しの仔を可愛がるようになった。
控えめに言っても蠢く肉塊、死体人形の袋詰め、揺籃を覗く度に形状が変わっているグロテスクな赤ん坊は、誰がどう見ても「可愛い」の形容詞からは掛け離れた怪物だった。
しかしレオナルドには、魔女狩り軍の拷問を受け、無理やり両眼を潰された過去がある。盲目の魔女にとって、名無しの仔の美醜はあまり重要ではなかった。ただお喋りした時に、皮膜に包まれた小ちゃな手を一生懸命に伸ばしてくれる健気さと可愛らしさが、レオナルドの腹の底に残った僅かな母性本能を擽るのだった。
「良いかね、名無しの坊や。もしお前さんが森で道に迷った時、南南東の空に愚者の星が出ていたなら、まず黒い犬を探すといい。そいつに付いていけば、必ずや家に帰れる」
「濃い霧が出てきたのう。こういう日は変身術の訓練をするに限る。…ん? やり方を知らんのかね? 構わん、儂が一から教えてやろう」
「儂の腹の星屑が気になるかね? これは臓物を捧げた代わりに、魔神殿から賜ったものよ。儂は盲の魔女だが、星の光は感じ取れる。こやつらを駆使すれば、お前さんの輪郭もぼんやりと視えるぞ」
レオナルドは名無しの仔に対して、歳の近い姉のように楽しく接した。
彼女は仔に、様々な事を教えた。得意の星占いから夢占い、狩りの仕方、変身術に護身術。特に変身術の訓練で、彼女が真っ白なライオンに変身して遊ぶのが、名無しの仔のお気に入りだった。
名無しのドゥは、魔女からいくつもの魔法の呪文を教わったが、あまり意味はなかった。何故なら、それを唱える口と声帯が繋がっておらず、ぶっ壊れているからだ。故に肉塊のどこかからヒューヒューと、死にかけの木枯らしみたいな微かな音が出るだけで、当然魔法は使えない。仔はそれを歯痒く思っていたが、レオナルドは別に気にしていなかった。
「あぁ、クソ。また手押し車の取っ手が折れてるじゃん。レオの奴、いつになったら手加減ってのを覚えるわけ?」
ジャンヌはいつも不機嫌そうな顔をした、口の悪い魔女だった。しかし彼女が心の底から怒る事は少なく、家族の生活と健康を案じる優しさをもっていた。
彼女は以前まで、手製の煙草を好んで吸うような愛煙家だったが、名無しの仔を育てるようになって以来、きっぱり禁煙していた。
「なぁに? お腹すいたの? 悪いけど、私料理とかそういうの得意じゃないの。エリーザに頼んでよ」
「私は人間だった頃、王宮騎士団で騎士として働いていたの。だから魔法より剣の方が馴染むんだよね。魔女の癖に、って感じ」
「君にも剣を教えてあげたいけど、ムリ。せめて腕がないとね。…私の腕? これは主君より賜った業火の腕。私の体は怪我したら、血の代わりに蒼い炎が生えるんだ。変でしょ」
ジャンヌは名無しの仔に対して、古くからの友人のように接した。
腕のちぎれた仔には剣術の代わりに、人間の暮らしや生態、兵役制度や武器装備、戦争とその歴史について教えた。仔の為に、木彫りの人形や可愛いベッド・メリーをこさえてやったのも彼女だ。
ある日、名無しの仔がレオナルドと一緒に庭で昼寝していた時、森の魔物であるハーピー族が群れで襲いかかってきたことがあった。仔は死を覚悟したが、それを救ったのは、裏庭で薪割りをしていたジャンヌだった。彼女は四本の腕から繰り出される剣技で、魔物達を撃退した。あっという間の出来事だった。
名無しの仔はそれに感激し、彼女に剣を教わりたいと願ったが、腕のない身では到底叶わない。仔はそれが悔しくてやりきれなかったが、ジャンヌには伝わらなかったようだ。
「おはようございます、名無しのドゥ」
三人の魔女の中で、エリーザは、最も献身的に仔の世話をした。毎日毎日同じ時間に名無しの仔を起こし、抱き上げて手押し車に乗せ、崩れた口から食事を与えて、排泄の世話をして、血に汚れた皮膜と肉のすきまを洗い、ベッドを整えてから寝かしつけた。眠れない夜には小鳥達と共に子守唄を歌った。
「今日のご飯は、庭で採れた黒カブと白魚豆、山羊の乳で作ったスープです。…口に合う、かしら」
「あら…、手押し車から落ちてしまったのね。大丈夫、泣かないで。大した怪我じゃありませんわ。エリーザが治してみせます」
「ドゥをあやしていると、なんだか不思議な気持ちになりますわ。以前にも、誰かが悪夢をみて泣くのを慰めていたような。あまり覚えていませんが、エリーザもかつては人間でした…もしかして、子供が居たのかしら?」
常日頃ぼんやりしているエリーザの行動は大抵、頭の中にいる蟲が指示を下すことで実行されるプログラム反応だったが、時折何かを不思議に思ったり、考えたり、過去を思い出そうとしたりする事がある。それは脳の片隅に残った、かつて人間だった頃の聡明なエリーザが現れるようだった。
何にせよエリーザは、血の繋がった母のように、名無しの仔に接した。
仔の世話をする為に一日の半分を費やし、残った時間を、彼女は畑仕事や針仕事、薬の調合や料理などにあてていた。ぼんやりしている癖に働き者の彼女は、滅多に休まず動いており、またひけらかす程の知識もない(…少なくとも本人はそう思っている)ので、仔に何かを教えるということは無かった。
しかし名無しの仔にとっては、それで充分だった。人間の子は親の背を見て育つという。
文句ひとつ言わず血に汚れたベッドを掃除し、甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれるエリーザ。いつか彼女の役に立ちたいと願っては、絶望的に不自由な自分の器に絶望し、打ちひしがれるのだった。しかしエリーザ本人はそんな事、知る由もない。




