夢のあとの、あと
かちん、と小気味良い音がして、テオドールは目を覚ます。
屋根裏部屋の大きな窓から、朝日が差し込んでいた。ベッドからずり落ちて床の絨毯に頬を擦りながらも、その手にはジャック・オ・ランタンのライターが握られている。
「火…ついてない」
それは青い炎を灯すことの無い、オイルの抜かれたただのライターだった。魔法の夢は解けたのである。
反対側のベッドをみると、ぐったりした表情のトットがこっちを見ており、「お前寝相、悪…」と掠れた声で言った。
「あのクソ蛇ホラー女!」
リビングに降りると、ジャンヌがエリーザとレオナルド相手に昨夜の報告をしていた。ジャンヌは怒り心頭で、今にも黄金色の草原へカチコミに行かんとしていたが、レオナルドにまぁまぁまぁと止められている。エリーザは顔を真っ青にして、失神一歩手前の表情で話を聞いていた。
要約すると、やはりあの夢はレイミアの仕業だったらしい。階段から遠巻きに見ていたトットは、欠伸混じりに文句を垂れる。
「どうやらあの蛇、テオのかけた魔法に細工をして、俺らを夢から出られなくしたらしいな。直接呪いをかけるより、魔法を上書きした方がコスパが良いし」
「……え、おれの魔法?」
テオドールは、道端で後ろから急に肩を叩かれた人みたいに、ぎょっと振り向く。
「おれ、昨夜魔法なんか使ってないけど。あ、変身術? でもアレ失敗してたじゃん」
「お前昨夜、【子守歌】歌ってただろ」
そう言って、トットはびしっとテオドールの顔を指さす。テオドールはすかさず「まじで何も分かりません」の顔をする。
「あれも一種の魔法だろ。魔法で創った夢の世界」
「んぁ…?」
「あー、分かんねぇならいいや」
説明が面倒になった弟弟子は話を中断し、朝食の湯気が立ち上るダイニングテーブルに五人分の皿を配り始めた。
テオドールは一瞬「え、感じ悪…」と思ったが、朝食がエリーザの作ったオムレツで、それが彼の大好物であった為、すぐに機嫌を直してにこにこと笑った。とても悪夢の中で癇癪を起こした仔とは思えない上機嫌だった。
「あ、そうだエリー、お願いがあるんだけど」
「はい、何なりと」
朝食の後、食器を洗うお手伝いをしながら、テオドールがエリーザにお願いをした。
「エリーの調合したお薬がほしい。どんな傷でも直せるやつ」
「あら、あら。怪我をしたのですか? エリーザが治してみせますからね。お傷を見せて…」
「あ、おれじゃなくて、レイちゃんがね」
「レイちゃん?」
はて、レイちゃんとは一体誰の事だろう。エリーザは空っぽの頭の中を探り出そうとしたが、どうしても該当する人物はいない。
テオドールは焦れたように話を続ける。
「あの、蛇の、レイミアちゃんがね」
「へっ」
「多分だけど、怪我してる。昨日の夕方ぐらいに、他の魔物に襲われたんだと思う」
夢の話をしているみたいなフワフワとした口調で、テオドールは確信めいた事を言う。愛する仔の衝撃的な発言に呆然として、エリーザは皿を一枚落として駄目にしてしまった。
その日のうちに、エリーザとレオナルドは黄金色の草原へと足を運んだ。ちなみにジャンヌは「あいつの顔を見たら話聞く前に殺しそう」ということなので、弟子二人とともに屋敷で留守番だ。
「あぁーー………ははッ、レオ、ニャ、ちゃん、エリ、ザ、ちゃん…」
果たして、テオドールの予感は正しかった。
草原の中央にポツンと立った林檎の樹の下で、レイミアは瀕死の傷を負って倒れていた。左肩には酷い噛み傷があり、抉れた首は殆ど取れかかっている。呼吸は浅く、か細い。ノイズだらけの嗄れた声で、彼女はレオナルドとエリーザの名を呼ぶ。
夢の中で、血塗れの手でテオドールに触れた、あの生温い血は彼女自身のものだったのだ。
「レイミア…誰にやられた?」
恐る恐る傍まで近付き、レオナルドが問う。
「ンーー? やら、れて、ないぃ、あ、ぁ、あたしぃ、勝ったのよ?」
レイミアは血塗れの牙を見せて、力無く笑う。
魔蛇のレイミアを襲ったのは、竜族だった。魔竜のドラギラ公がレイミアに決闘を申し込み、そして蛇の毒に侵され死んだのだ。それは殆ど、相打ちという形で。
レイミアの受けた傷は深く、古の竜の呪いが付与されていた。エリーザの持ってきた高濃度治療薬でも、とても助からない。ぎりぎり意識を保てているのが不思議な程、とっくのとうに手遅れだった。
恐らくこの蛇は、命の終わるその際で、「魔神の魂を食べたい」と願ったのだろう。だからテオドールの夢に化けて出てきた。魔神の仔から僅かに香った魂の残滓を味わいたくて。全く、何処までも欲望に忠実で、救いようもなく呪われた獣である。
二人の魔女は沈黙した。
蛇は笑った。
「し、死んでも生き返る、わ、ぁ、あたし、蛇だもの! 知、ってるでしょぉ? 死んだ抜け殻、を、剥ぐだけ、あはは…っ、あぁーー…生まれ直したら、きっと、あの仔を、食べに行くわ」
それまでどうかお元気で、と蛇は、大量の血と呪いを同時に吐いた。
死の際までおぞましく美しいこの生き物に、エリーザは顔を背けた。
レオナルドはため息をつく。彼女は人間だった頃、蛇に襲われ魔女の道へと誘われた過去がある。もしもあの夜にこの蛇が現れなかったら、などと、考えても今更仕方ないことを考えていた。
「ふむ、蛇は死と再生を司る、と言う奴か。お前さんも厄介な呪いを貰ったのぅ」
「……げ、げっ」
「まぁ、お前さんも今回は随分、長く頑張った方ではないのかね? ずる賢く嘘だらけの蛇よ。次に生まれた時はもう少し、心根の優しい蛇だと良いのう。そうしたら、お前さんとまともに魔術に関する討論ができる」
「………ば、ぃ。ばイ」
「あぁ、お休み、レイミア」
「…」
去り際に、ずっと俯いていたエリーザは黙って振り向いた。そして、死にゆく青白い蛇の顔を見て、本当は言わずにいようと思っていた事を、彼女に告げた。
「あの仔から、貴女に、伝言です」
「…、……」
「きらいって言ったのは嘘だよ、と」
蛇は目を瞑っていて、返事をしなかった。最後の伝言が届いたのかは分からない。
エリーザはその場で黙祷して、レオナルドともに、草原を去っていった。今度は振り返らなかった。
第1章、これにて終幕です。
書き終わったら推しのレイミアちゃんがしんでてビックリしました。




