つわものども
仔供達が寝静まった夜三時。ジャンヌは梯子を昇って、ひょこっと屋根裏部屋に顔を覗かせた。
夜、何だか妙な胸騒ぎがして、気になって屋敷の周りをパトロールして回った後だった。屋敷の警備は、護身術に長けたジャンヌの仕事だ。黒くて青い深海色の髪に木の葉がくっついている。
森はあいも変わらず魔物の気配で騒がしいものの、近辺で特に異常は見つからなかったので、屋敷に戻ってきた。その足で梯子を昇り、仔供達が夜更かしせずちゃんと眠っているかを確認し、ついでに寝顔を見に来たという訳だ。
「寝相、悪…」
テオドールもトットもぐうすかと眠って、ベッドからずり落ちそうになっていた。ジャンヌは笑いそうになる口元を噛み殺しながら、二人をベッドに寝かせてシーツを整えてやった。
「あれ、このライター…」
ジャンヌがテオドールの肩まで布団を直した時、足元にころんとライターが落ちた。以前ジャンヌが彼にあげたものだ。
ジャック・オ・ランタンのデザインに惹かれて友人から譲り受けたものの、魔女の器を得てからは常に体が青い炎に燃やされ続けているので、煙草を吸う時もライターを使う必要はなくなった。それでも勿体無いので何となく捨てられずにいた代物だった。
「ふーん? 私のお下がりを寝る時も肌身離さず持ってるとか、可愛いとこあんのね」
ジャンヌは内心照れながら、深く眠っているテオドールの頬をぷにぷに突っついたが、別に彼は毎晩ライターを握り締めて寝ている訳では無い。
とにかく、青い炎の魔女は、幼い仔の胸元にそのライターを戻してやった。火の灯らないライターは、蔦が引かれたままだった。
「あっっっつ!!」
夢の中、獲物たるテオドールが唐突に叫んだので、捕食者たるレイミアはぴたりとその進みを止めた。隣のトットも驚いたように視線だけでテオドールを見やる。
「どうした! 大丈夫か?」
「ラ、ライターが」
「は?」
「なんで? 火がついてて…あつっ!」
突然、胸が燃えるように熱くなって、困惑する。そこにはジャック・オ・ランタンを模したライターがあり、ジャンヌから貰ったそれは、青い炎を宿していた。そこでようやく、テオドールはスイッチを切り忘れていた事に気付いた。
「あ、青だ…」
あんなに赤く染まり切っていた世界が、一瞬の内に青く燃え広がる。
レイミアはその透き通るオーロラのような炎を見て、ジャンヌという魔女の炎だと気付いた。ジャンヌは心臓と血潮を魔神に捧げた代わりに、地獄の業火を体内に巡らせている。その炎は、晴れ渡った夏の空より青い。
「青なら、進んでもいい、んだっけ?」
どこか自信なさげに、テオドールはレイミアに問うた。それはこの期に及んで全く緊張感のない、遊びのルールも知らない阿呆の仔みたいな顔だった。
「走れ! テオ!」
腹の底から叫んだトットの声に、テオドールは本能的に走る。泥濘にとられる足を懸命に動かして、前へ、前へ。しかし、心細さから胸元のライターを握り締めようとして、ぎくりと立ち止まった。
ライターが、無い。
泥の中に落としてしまったのだろうか。
焦って地面を見下ろした瞬間、黒く長い影に全身すっぽり覆われた。
「あ…」
すぐ触れられそうなほど近い、背後に、蛇が迫っていた。
彼女はその手に、テオドールから奪い取った青く燃えるライターを持っている。蛇はもう笑っていない。無表情だった。金色の冷たい瞳が、仔を見下ろしている。
「返して」
テオドールは手を伸ばして、怒ったように短く言い放った。火の灯らないライターは彼の宝物だった。ジャンヌに貰った大事なものだから、宝物箱の空き缶にしまっていた。
蛇は返さない。それどころか、銀色のライターを仔の手の届かぬよう頭の上まで持ち上げる。魔女の炎に狩りを邪魔されて、彼女の方こそ怒っていた。ふつふつと怒りが込み上げて、今にも魔女の大切な仔を嬲り殺さんとしていた。
もはや、会話や説得が通じるなどと、甘い期待は捨てねばならない。神話時代より生きる祖の魔力は伊達ではない。常人ならばその殺気だけで立っていられず、鼻血を出して気絶していただろう。
それなのに。
「返してってば! も~っ、レイミアのばか、意地悪! きらい!」
テオドールは「むかーっ!」と癇癪を起こした赤ん坊のように怒っていた。そしてそのまま「うがーーっ!」と地団駄踏んで泣いた。怖いとかではなく、意地悪されたのがあまりにもムカついて泣いたのだ。まるきり、阿呆の仔供だった。
「えりーっ、じゃんぬ、れおーっ! レイがおれをいじめた~っ!!」
お前は何才児だよ、と逃げ切れず腰を抜かしたトットは思っていた。上の子におやつ取られて母親に告げ口する末っ子のようだ。
レイミアも呆気にとられたみたいに口を開けて、赤ちゃん返りして泣き喚くテオドールをみている。毒気を抜かれた、とも言うべき表情だった。
だからだろう。普段より反応が遅かった。
青く燃え続けるライターから魔女の腕が伸びて、刃がその首に届くまで、レイミアはそれに気付きもしなかった。




