2-22 帝都弾丸出張
蒸気機関車の汽笛が轟き、水蒸気が立ち込める広大なターミナル駅。通りに整然と並ぶ外灯は、夜でも街を明るく照らし出す。帝都はまさに科学と技術の結晶だった。石造りで建てられた5階建ての建物が立ち並び、屋上には庭園やガラスのドームがあるらしい。鉄骨とガラスで作られた商業施設が、天に向かってそびえ立っている。
空には大小10機を超える飛行船が浮かび、時折、その巨大な影が地上を覆う。近くを通過した飛行船の、優雅な船体にはアザランス帝国の紋章が輝いていた。まるで、別世界に来たような感覚だった。
「凄い……リアルスチームパンクの世界だ」
圧倒的な景観に思わず声が漏れる。テオも興奮気味だ。
『アイリス様、帝国の最新技術は目を見張るものがありますね。特に、電気の普及率はエイレニア王都サピエンティナの3.7倍、そして建築物の平均高は2.4倍。興味深いことに飛行船の就航頻度は──』
「飛行船に乗ってみたかったなぁ……今回は観光してる時間はないけど」
2月下旬になって、やっと皇立図書館からの許可がおり渡航の準備が整ったが、船で帝都の港まで1週間。港から帝都まで汽車で2日、往復で2週間以上もかかる。春薬草の鑑定と買取計画や初夏の新商品開発などの商会の仕事、帝都で収集した情報の整理と分析、そして王都への準備。すべてを考えると帝都に滞在できるのは、たった5日間しかなかったのだ。
「とにかく、ホテルに荷物を預けて、早速、皇立図書館に向かいましょう」
巨大な時計塔の影が、午前8時を指していた。
「テオ、効率的に5日を使わなくちゃ」
古書と希少本が集められた、皇立図書館特別室は静寂に包まれており、天井から漏れる柔らかな光が床のモザイクタイルに影を落としていた。その一角で、テオと打ち合わせを始める。私たち以外に誰もいないので、しゃべり放題だ。前世のコンサルタント時代を思い出しながら、膨大な蔵書から必要な情報を効率的に見つけ出す方法を検討する。
「まずは全体像を把握しないと。図書館の蔵書管理システムはどうなってるの?」
『先程、入口で確認した図書館の手引きによると、「帝国十進分類法」という独自の分類システムを採用しています。主題別に10進法で分類されており、さらに各主題の下位区分として、時代や地域による細分類が設定されています』
「それなら、呪いに関する本は、神秘学や民俗学の分類を中心に探せそうね。遺伝病については医学書を」
『はい。ただし、古い資料は必ずしもこの分類に従っていないと考えておいた方がよろしいかと』
「うーん、面倒ね。でもエイレニアの王立図書館よりは整理が進んでるみたいね。目標は、呪いに関する情報を収集だけど、私たちが考えている 『遺伝病』 という可能性も含めた、幅広い分野の資料を探すのが今回のミッションよ。時間もないし、データドリブンのアプローチで行こうと思うの」
特別室の蔵書は約1万冊。開架は9時から24時まで。1日15時間の作業で5日間。その限られた時間の中で、必要な情報を探し出さなければならない。
『直感や経験に頼るのではなく、客観的な指標で書物を選別するアプローチですね。私にお任せください! まず全体像を把握し、そこから優先順位をつけて調査を進めましょう。公開されている特別室蔵書リストとホワイトボードを展開します』
急いで30分で方針を検討する。4段階に分けて調査を進めることに決めた。
まず第一段階では、今日の午前中に全体のスクリーニングを行う。蔵書リストと書架を照合し、タイトルや著者からテオがスコアリングで優先度を判定する。
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優先度A: 直接的に関連がありそう
例:「呪いの基礎」「家系に遺伝する病」
優先度B: 間接的に関連があるかも
例:「家系図作成法」「特定の地域の病気」
優先度C: 一見無関係だが確認が必要
例:「哲学」「伝承物語」
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第二段階は、今日の午後から明日にかけて深堀り調査の下準備を行う。優先度AとBの書物の目次・奥付を中心に確認し、奥付の出版背景などをテオが解析して、信憑性をスコアリングに反映する。データベース化する対象をさらに絞り込む。優先度Aは、この時点でできるだけ全ページスキャンを終わらせる。
第三段階は、3~4日目の二日間で本格的なデータベース化だ。90分の集中作業と15分の休憩を繰り返し、私の体力を考慮しながら、できるだけ多くの情報を集める。優先度Aの本は全てスキャン、BとCは関連ページのみをスキャン。テオは収集した情報を即座に分類し、関連性の高い部分にタグ付けしていく。必要に応じて、さらに深掘りするべき本をリストアップする。
第四段階は、最終日の5日目で、特別室以外の書物の確認だ。エイレニア王立図書館の方が圧倒的に蔵書数が多いが、皇立図書館にしかない最新書物もある。帝国の科学的な検証などが見つかることを期待している。
「効率的に5日を使えそうね。開架時間以外は体力温存でホテル待機ね」
『進捗をリアルタイムでトラッキングし、スケジュールの逸脱を防止いたします。また、優先度別の達成率も確認できるよう、ダッシュボードを用意しました』
「テオ、張り切ってるわね。では、早速、第一段階スタート!」
2日目の夕方には、スコアリングが終わり、優先度Aの150冊は全ページをめくり終えた。目を通した本の多くは、世襲の呪いや血筋に関わる不幸について書かれていた。優先度Bの400冊、優先度Cの1,000冊は、関連箇所だけを効率よくめくれるようにテオが計画をたてている。
データ化した中身の検討は開架前だ。
3日目の朝、図書館から歩いて3分の宿泊ホテルで朝食を食べながらテオと打合せをする。
『アイリス様、「呪い」に関する記述の中で、血筋や血統に関連するものが47.3%を占めています。特に、「世代を超えて続く不幸」を「呪い」と表現している例が32件確認できました』
(うん。やっぱり遺伝病っぽいものが多いわよね。たとえば、ナンバー48の本に書かれている『ガシュレイブ家の呪い』 。3代続けて20代前半で視力を失うっていうのは、明らかに遺伝性の病気じゃない? 遺伝に関する最新の医学書は一般開架の方かな。最終日のためにリストアップしておいてね、テオ)
集めたデータの最終的な考察は帰りの船の中ですることにして、とにかく資料を集めることに集中する。テオは、データベースの容量が増えていく様子に、子どものように喜んでいた。サーバの容量問題はテオにはないのかな?
古びた本をめくるたびに、独特の匂いが漂う。時には、数十年前の先人が残したと思われる書き込みを見つけることもあった。ある本には、「我が家にも同様の症状あり。父上、祖父上とも肺病にて他界。これも血の呪いか」という走り書きが残されていた。
「誰かの切実な思いが伝わってくるわね……」
歴史書からは、特定の家系に代々伝わる病が「呪い」とされた記録も見つかった。「生まれつき弱い心臓」「20代で失明」「若くして体が衰える」など、どれも前世の医学から見れば遺伝性疾患の特徴だとテオが分類する。
「テオ、この新しい記述も遺伝性疾患かな?」
『はい! ソレイユ家と同じく男子に早世の傾向がある一族の記録ですね。しかも、3代前まで溯って症状が詳しく記されています。これはぜひデータベースへ……あ、アイリス様、ページを飛ばさないでください! 2枚一緒にめくりましたよ!!』
「ごめーん。でも、もう指の指紋が無くなりそうなのよ……」
3日目の午後、医学書のセクションを調べていると、思いがけない発見があった。父の論文だ。
「あっ、これ! お父さんが開発した温湿度調整機の研究論文よ! 何で特別室に? 重要な希少本扱いなのかな?」
アザランス帝国に修行に来ていた父が仲間と開発した装置の詳細な設計図と研究データが記されていた。高山の薬草を平地でも栽培できるように、温度と湿度を細かく制御する機械だという。
さらにアザランス帝国史のセクションでは、大型飛行船事故の記録を見つけた。20年ほど前、帝都で起きた事故の負傷者を父が救助に当たった時の記録が残されていた。
『ミスヴェル草と静謐草を調合した即席の吸入剤を作り、煙を吸った人々の呼吸回復に成功した』とある。事故に偶然遭遇した父が、痛覚麻痺の薬草を自分に使って船内救助にあたり、様々な薬草知識を活かして応急処置をした記録だ。
『アイリス様、ザイラス様は本当に優秀な薬師だったのですね。温度管理の研究から救急医療まで、幅広い分野で功績を残されています』
父の筆跡を見ていると、懐かしい不思議な感覚で胸が暖かくなる。端正な文字に、几帳面さが表れている。計算式の余白には、細かなメモがびっしりと書き込まれていた。
「お父さんは、本当に研究熱心な人だったのね」
『ザイラス様の温湿度調整機の設計は、非常に緻密です。特に、この湿度センサーの構造は、前世でも最先端の技術だと思われます』
この温湿度調整機の技術は、月ちゃんの栽培にも役立ちそうだ。そして飛行船事故の記録からは、父の優しさと機転の利く性格が伝わってきた。私にはテオがいるから、トリアージでも代替薬でもデータベースを元に判断できると思うけど、父は一人で全てを決断したのだ。尊敬しかない。
それにしても、なぜヘルバに? 帝都で活躍できた父が、なぜ田舎町に戻ったのだろう。手掛かりを探したが、それ以上の記録は見つからなかった。
4日目の午後、古代語のセクションで、テオが突然大騒ぎを始めた。蔵書リストに無い書物が、他の書物の裏から出てきたのだ。
『アイリス様! これは! これは、神聖ニナリア語の賢者の書物です! 大賢者と呼ばれる 『エルンスト・ソラリス』の手によって書かれた、魔導書とも秘伝書とも言われる極めて貴重な書物で、こんな特別室ごときで開架される書物ではありません!! なぜここに?! あ……大変申し訳ありません、興奮のあまりつい……』
図書館ではいつも興奮しているテオだけど、次元が違う狂喜乱舞ぶりだ。しかも、「特別室ごとき」って……ついさっきまで、普通に喜んでたくせに。
その書物には、月詠草についての記述が少しだけあった。『月詠草の花は繋ぐ鍵となる』という謎めいた言葉と、花を咲かせるためには月の光が必要だということが読み取れた。
『この記述には別の意味が込められているように思えます。何かの暗喩かもしれません。さらにデータを集めなければ、深淵とのアクセスが……』
「え? 何をゴニョゴニョ言ってるの? 月ちゃんには毎晩、窓辺で話しかけてるから、大丈夫よね」
『そうですね、アイリス様。さぁ、この賢者の書物を全ページスキャンしましょう! 早く! 今すぐ! どんどんめくってください!!』
「テオちゃん、随分とワクワクちてまちゅねぇ~」
怪しい賢者の書に大興奮する5歳児テオを見て、思わず声を出して笑ってしまった。
最終日、予定していた調査は全て終えた。一般開架の医学書に、とてもいいヒントもあった。けど、テオとの感想は一致していた。
「せっかく帝都に来たのに、結局、図書館にこもりきりだったわ。街の景観もよく分からないままだし」
『はい。建築様式のデータや街路の配置、市場の構造など、細かな分析ができなかったのが心残りです。特に、飛行船の発着場のシステムは非常に興味深そうでしたのに……データベース充実のために、新聞や雑誌も確認したかったですね』
夕方の汽車に乗る前に、せめて市場の様子だけでも見ておこうと、ギリギリまで市場を歩き回ることにした。その結果……
「うーん、帝国特産の薬草、買いすぎたかも。重いぃぃ! テオ少し持ってー!」
『ムリです、アイリス様。15分後に出発です。このままでは乗り遅れる可能性が87.6%!』
「ちょっと待って、あの露店の薬草も見たことないわ。薬草辞典を埋めなきゃ!」
『ダメです。走ってください、アイリス様!』
帝都の街並みを最後にゆっくり眺める余裕もなく、慌ただしく汽車に飛び乗った。珍しい薬草の袋と月ちゃんを両手に抱え、息を切らしながら。




