敵に塩を送る
「何故ですかっ!?」
妃は本当に何故俺が断ったか理解できていないようだ。
「何故って、そもそも身代わりの腕輪は販売所に売れば1500万円になるんですよね? それだけでも俺が500万円損してるじゃないですか」
「あら、あなたがそのまま持っていたら、四人で分配されて、さらには姫の会社に手数料を取られるのですよね? それでしたらあなたは貰えてもせいぜい300万円程度ですわよ。そう考えると、あなたは700万円得するじゃありませんか。姫も所有権を主張してくるでしょうが、そこは私の力でなんとでもなります。もちろん、姫から身代わりの腕輪の所有権を頂くことに失敗しても、そこはあなたの責任ではありませんから、契約金は約束通り支払いますわ。あなたはただ、私の申し出に頷けばいい。それだけであなたは1000万円を手に入れて、さらには我が押野ホテルズ&リゾーツが後ろ盾となって、あなたを一人前の探索者にして差し上げます。悪い話ではありませんわよ」
間髪容れずにそう言っているあたり、ちゃんと身代わりの腕輪の相場やその価値は理解しているようだ。
彼女は俺のことを、たまたま身代わりの腕輪を手に入れた運のいい男としか見ていないだろうから、それだったら1000万円でも十分という彼女の考えは理解できた。
むしろ、契約金はあくまで契約金であり、後ろ盾の方が本命なのかもしれない。
押野ホテルズ&リゾーツの後ろ盾――普通の価値観を持っている人間なら飛びつく話だ。
きっと、俺のことは姫のただの大学の友達としか思っていなかったのだろう。
姫はため息をついて反論する。
「後ろ盾なら、既に私がなってるわよ。EPO法人の正会員としての契約も済ませているし、報酬も十分渡している。あなたの力なんて不要よ。もっとも泰良にはあなたのところに行く意志は微塵もないようだけど」
俺も同意するように頷いた。
我儘お嬢様の下で働くくらいならソロで頑張った方がいい。
そして、姫は妃を指差して言う。
「泰良は世界を狙える逸材よ。その彼を私から引き抜こうっていうのなら、私と全面戦争する気概でかかってきなさい!」
姫の奴、そこまで俺のことを買ってくれているのか。
少し胸が熱くなるのを感じる。
「どうしても譲りませんの? 姫」
「ええ、譲らないわ」
「ふんっ! 行きますわよ、明石」
「はっ。姫お嬢様、壱野さん、本日はお時間を作っていただきありがとうございました」
二人が去っていく。
もっと食い下がるかと思ったが、妃も姫と揉めるのは避けたかったようだ。
そして、部屋には俺と姫だけが残った。
「別に一個くらい譲ってやればどうだ? なんなら明日もまた十個くらい手に入るだろ?」
「なんでそうなるのよ」
「姉ちゃんなんだろ?」
「姉であるけど、同時にライバルよ」
姫はグラスに入ったみかんジュースを一口飲み、話を続けた。
「私たちにEPO法人の認可が下りた時、真っ先に異議を申し立てたのが妃なの。EPO法人はまだ始まったばかりで、認可できる企業に限りがある。そんな中、押野リゾートグループと押野ホテルズ&リゾーツ、同じGDCグループの傘下の企業の両方にEPO法人の認可をすることはできない。私たち『天下無双』がEPO法人として認可されているせいで、妃が申請している『天樺無敵』はEPO申請が却下されているわ」
……いや、待て、大事な話の途中だが、妃のパーティ名、天樺無敵っていうのか? 天下無敵ではなく、天樺無敵?
この姉妹、ワードセンスが同じじゃねぇか。
ていうか、そういう小説があったような気がする。
そのせいで話が入ってこないぞ。
「そんな嫌がらせをしてくる相手に、情けをかけろっていうの?」
「気持ちはわかるが、ここでお前が要求を突っぱねたら、その嫌がらせは激化するんじゃないか? ならば、大きな貸しをやるくらいの気持ちで身代わりの腕輪をくれてやればいいじゃないか。どうせ、あんなもん明日一日あれば何個も集められるんだし」
俺が笑って続ける。
「俺があげるって言ったら、妃の奴が調子に乗ってさらにあれこれ注文をつけてくるだろうけど、姫だったらあいつを調子に乗らせず、大きな貸しを作った状態で交渉を纏められるんじゃないか? 俺たちが天下無双の夢を果たすには、躓きそうな小石は排除しておかないと」
「ぷっ、あの妃を小石呼ばわりするのってあんたくらいよ。でも、確かにそれは悪くないわね。はぁ、お風呂に入り直してくるわ。泰良、一緒に入る?」
「家族風呂の予約時間は終わっただろ」
「私の部屋のお風呂なら空いてるわよ」
「せっかくのお誘いだが、大浴場に入ったあとのコーヒー牛乳とマッサージチェアが俺を待っているんだ」
「じじ臭いわね」
「ほっとけ」
俺はそう言って、一度自分の部屋に戻った。
その後、姫と妃の話し合いがどうなるかわからない。
そもそも、本当に話し合いが行われるかもわからない。
気になったが、家族の問題だからな。
俺は大浴場に行く前にスマホを手に取り電話を掛ける。
『どうした?』
「特に用事はないけどたまには兄貴と話したくてさ。いま時間って大丈夫?」
『なんだ、急に? まぁ、いいや。俺もちょうど泰良に話したいことがあったんだ』
「え? なに?」
『父さんと母さんにはこれから話そうと思ってたんだが――』
と兄貴は少し真面目な雰囲気を作って話を始めた。
電話の内容を聞いて度肝が抜かれた。
今度、兄貴が結婚するらしい。しかも授かり婚なんだとか。
ちょっと雑談するつもりで掛けた電話でする内容じゃないと思う。
※ ※ ※
翌朝、朝食の時間になってもレストランに姫は来なかった。
まだ寝ているのだろうかと思ってモーニングコールついでの電話を掛けたところ、少し遅れるから先にご飯を食べておくように言われた。
「って感じで、兄貴が結婚することになってな」
「おめでとう。泰良のお兄さんってそういえば長いこと会ってないな」
「おめでとうございます。式はいつするんですか?」
「どうなんだろう? お腹が目立つ前に結婚したいけど、無理そうなら出産が終わってからとも言ってたな」
そういえば、俺のブラックカードで押野グループのホテルの利用料はほとんど無料になるそうなんだが、結婚式の費用も無料になるのだろうか?
いや、パーティメンバーが無料ってだけだから、何十人も出席する結婚式はさすがに無理か。
それより、俺に甥っ子か姪っ子ができるわけか。
感慨深いな。
と食事が終わったところで姫がやってきた。
「お待たせ」
「遅かったな。何してたんだ?」
「これを受け取ってたのよ。はい、泰良」
そう言って姫が渡してきたのは、四角い箱だった。
なんだこれ?
開けていいそうなので中身を見ると、剣が入っていた。
「身代わりの腕輪のお返しよ。私に借りを作るのは嫌だからって渡されたわ。せっかく特大の貸しができたと思ったのに。まぁ、剣はいい物だし、ちょうど買おうと思ってたから泰良が使いなさい」
と姫が言うが、なんか憑き物が落ちたようなスッキリとした顔をしている。
少しだけ仲良くなれたのかな。
さて、合宿二日目。
今日も頑張るとしますか。
次回『ミルクの焦り』
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また昼頃更新できたらします。




