ネックマッサージャー
放課後、学校の教室の自分の席で、俺は頬杖をついて虚空を見詰めていた。
黒のダンジョンが現れる。
ダンジョンからまた魔物が溢れる。
年内だろうという予想はついているが、それがどこなのかはわからない。
もしかしたらこの学校の近くかもしれない。
さすがに今すぐというわけではないが。
この学校の近くに現れたら俺はどうする?
トゥーナは、きっと俺が頼めば戦ってくれるだろう。たとえ彼女の世界と何の関係がないとしても俺の頼みには応じてくれるはずだ。
だが、その時俺はどうする?
トゥーナに危ないことを任せて、俺は一人で安全な場所で見ているのか?
いや、逆だな。
むしろ、トゥーナを安全な場所に行かせて俺一人でも戦うべきだろ。
「……泰良様、どうしたの?」
クラスメートの女子と談笑していたはずのトゥーナが、俺のところにきて不思議そうに声をかけた。
「いや、なんでもない。何の話してたんだ?」
「……ん、クリスマスの話」
クリスマス?
そういえば去年もクラスメートがカラオケボックスに集まってクリスマス会をしていたな。
俺も最低限のクラスメートとの交友を図っているので参加した。
「クリスマスか……」
「……ん、素晴らしい日」
「そうだな、楽しいもんな」
「……神の生誕を祝う日。エルフは神ではなく精霊を信仰しているけれど、異なる精霊を信仰する者同士討論をし、喧嘩になることもある。彼女たちが信じる神とは違う神の生誕日なのにそれを祝うという度量の深さに脱帽した」
いや、度量とか関係ないと思うぞ。
日本人はただみんなで騒げるイベントを楽しみたいだけだ。
たとえば去年のクリスマス会で近藤が、「え? クリスマスってサンタクロースの誕生日じゃねぇの?」とか言ってたくらいそこにキリストの生誕を祝う気持ちは一切なかった。
「……泰良様はクリスマス会どうするの?」
「いやいや、トゥーナちゃん。こいつがクリスマス会に参加するわけないよ」
いつの間にか隣に立っていた青木が言った。
なんで俺、ハブられてるんだ?
その時にはもう推薦入試も終わってるし、トゥーナが出席するなら参加するつもりだった。
トゥーナの保護者のつもりだからな。
それに、クリスマス会は夜まで行われる。
なんでも、月新高校のクリスマス会は彼氏彼女のいない者たちが集まる慰め合い――というのが趣旨で、そういうわけだからそこに参加する人は全員フリー、その場でカップルが成立することも珍しく……あっ。
クリスマスって、恋人と一緒に過ごすものだよな。
これまで恋人とクリスマスなんて無縁過ぎてすっかり忘れていた。
あの三人とクリスマス……やばっ、考えるとワクワクしてきた。
こりゃ、黒のダンジョンが現れても絶対に死ねないわ。
プレゼント何を買ったらいいんだ?
「悪い、トゥーナ。クリスマス会は参加できそうにない」
「……ん、問題ない。家でミコトとクリスマス会するから」
ミコトって、狐の神様なのにキリストの生誕を祝っていいのか?
「なぁ、クリスマスの女の子へのプレゼントって何がいいと思う?」
「牧野だったら何を貰っても喜ぶだろ」
「ミルクって言ってないだろ」
まぁ、一人はミルクだけど
「自作のポエムとかオリジナルの歌とかはやめておけよ。ギターの弾き語りも黒歴史になるから」
「そんなの贈るつもりもないし、技術もねぇよ」
「……ん、贈るならいつも身に着けられているものがいいと思う」
トゥーナがまともな提案をした。
てっきり、「……カレーを贈るべき」とか言ってくるかと思ったが。
いつも身に着けてるものか。
もう婚約指輪は贈った。
結婚指輪……はまだ気が早いだろうし。
となると、やっぱりダンジョン内でも使える装備品がいいだろうか?
リボンや首飾り、腕輪とか普通に使ってるからなぁ。
「そういえば、泰良。閑ちゃんに呼ばれてるんだろ?」
「ああ、職員会議が終わってからって言ってたから……そろそろ行った方がいいか」
生徒指導室に行った俺は、彼女を待っている間、スマホで女性への贈り物のランキングを見る。
三位ハンドクリーム、二位マフラー、一位ネックマッサージャー?
え? ネックマッサージャーが人気なのかって思ってみたら、40代、50代の女性への贈り物としてだった。
「待たせたな、ちの太くん……おや、ネックマッサージャーか? 私への贈り物ならいつでも歓迎だぞ」
「贈りませんよ。閑さんはお金あるんだから自分で買えるでしょう」
「君が思っているほど自由に使えるお金は少ないぞ? なにしろ研究にはかなりの資金が必要だからな。父にも『閑はこの仕事をせずに純粋に探索者として生きていたら大金持ちになっていて私も閑からの仕送りで楽隠居できたのに』と言われていたよ。まぁ、父は母に呆れて捨てられるくらい仕事人間だったからな。」
岩倉さんって、閑さん以上の仕事人間だったんだ。
「それで、閑さん。用事ってなんですか?」
「ああ。ちの太くんに渡しておこうと思ってね」
彼女が渡したのは一本の薬瓶だった。
「薬……ですか?」
「私が開発した薬だ。これを飲めば、ダンジョンの外でも僅かに戦えるようになる。とはいえ、ダンジョンの中の十分の一程度だがな」
「それは凄いですね。でも、十分の一だったら――」
「ああ、地上最強の力を手に入れるが、ダンジョンの魔物相手では無力にも等しい。それでも気休め程度にはなるだろう? 授業中、随分と上の空だったようだからお守り代わりに持っておきたまえ。まぁ、使わないにこしたことはないが」
俺がずっと黒のダンジョンのことを考えていたことが、バレていたようだ。
それで俺に気を遣ってくれたのか。
「……ありがとうございます。あの、やっぱりネックマッサージャー、プレゼントしましょうか?」
「いや、そうだな。だったら、いま少し肩を揉んでくれ」
閑さんは椅子の背もたれを俺の方に向けて座る。
俺は一言、「喜んで」と言って、少しの時間閑さんの硬くなっている肩を揉みほぐしたのだった。




