奥の手は猫の手
「壱野くん。何故笑っている? 私に勝てる奥の手でも思いついたのか?」
「奥の手は確かにありますが、嬉しいのは牛蔵さんが強いからですよ」
俺のステータスは大きく増え、いまでは琴瑟相和を使わなくても西条虎相手にも互角以上に戦えるレベルに達しているだろう。
彼の国内ランキングは12位。
国内ランキング10位の牛蔵さんとは2ランクしか違わない。
だから、心のどこかで牛蔵さんとも互角に戦えるのではないか?実は既に牛蔵さんを超えているのではないか?
この戦いまで正直、心のどこかでそんなことを思っていた。
だが、戦ってみてわかる。
あまりにも甘い考えだった。
たとえ四人同時に琴瑟相和を使い、俺のステータスを二倍に上げたところで、勝てない。
ランキングはあくまでDコインの換金額によるランキングであり、強さのランキングではないのだと改めて思い知った。
だから、俺は嬉しい。
「あなたを目標にしたことは間違いじゃなかった」
「それは私を超えてから言いなさい」
「超えます!」
再度殴り合いが始まった。
先手を決めるのは無理だ。
防御してカウンター狙いで攻撃をする。
牛蔵さんが、その身体の大きさを感じさせないような素早い動きで俺との距離を一気に詰めると、ガントレットを嵌めている拳を前に突き出す。
さっきと同じ軌道。
防御がギリギリ間に合った。
と思った直後、反撃に転じる前に俺の身体に衝撃が走り抜けた。
「がっ!」
思わずうめき声が出た中、明らかに隙を作ってしまった俺の鳩尾に牛蔵さんが拳を突き出した。
後ろに跳んで衝撃を減らそうとするも失敗し、俺の身体は吹き飛び観客席と闘技場の間の結界に激突――滑るように地面に落ちた。
防御をした瞬間、身体を電気が走り抜けた。
かつて、雷の鉄手甲という雷属性のあるガントレットを手に入れたことがあるが、牛蔵さんの籠手はミスリル製の籠手というだけで、そのような特別な効果はなかった。
ということは、彼のスキルだろう。
雷属性を付与させるスキル――と見ていいと思う。
対応力のお陰で、二度目の攻撃のときにはその痺れはこなかった。
同じ手は通じない――が。
立ち上がろうとして膝をついてしまった。
かなりヤバい。
体力がかなり削られている。
継続回復のポーションの効果も削られる体力の前には焼け石に水程度の効果しかない。
常在戦場の効果を望んでの長期戦狙いは俺にとってむしろ不利に働く。
短期決戦で挑むしかない。
俺は影獣化を解除する。
「どうした? もう諦めたのかね?」
「いえ、奥の手を使うだけです。奥の手というか猫の手ですけどね」
そう言った俺の手が、猫の手に変わっていた。
もちろん、肉球も再現されている。
何も知らなければ冗談だと思うだろう。
だが――
「なるほど、猫の手か」
牛蔵さんは決して笑わない。
スキル猫の手。
アヤメと一緒にD缶の開封作業をしているときに手に入れたスキルだ。
その効果は攻撃値を十分の一にする代わりに、その攻撃に一定確率でスタン効果――一定時間の硬直効果を与えるというもの。ただし、相手が硬直している間は猫の手を解除することはできないのと、連続でスタン効果を与えることはできない。
「確かに私は君のところの押野君と違い、攻撃を避けるのは得意ではない。しかし、攻撃値が十分の一になった今の君が私にまともなダメージを与えられるとは思わないが」
「やってみないとわからないでしょ」
俺はそう言ってこちらから距離を詰める。
剣技、必中剣!
俺の都斯魂剣と牛蔵さんのミスリルのガントレットが衝突すると同時に、牛蔵さんの身体が一瞬硬直する。
そのまま俺は流れるように次の動きに移った。
燕返し!
牛蔵さんの腹を切り裂く――が浅い。
このまま次の流れに――
薙ぎ払いっ!
と三段階目に移行したところで、牛蔵さんの反撃の拳が俺の眼前に迫った。
躱すも鼻先を掠め、鼻血が噴き出た。
僅かに触れただけなのに、脳が揺さぶられるようなこの感覚。
あの状態から反撃が来るとは思わなかった。
だが、驚いていたのは牛蔵さんも同じだ。
浅いとはいえ、牛蔵さんの胸には確かに傷があった。
「驚いた。結構痛かった。攻撃値が十分の一になっているとは思えない。何か秘密があるようだね」
ああ、秘密は八尺瓊勾玉だ。
この八尺瓊勾玉には状態変化の悪い効果を無効化する力がある。
つまり、猫の手による攻撃値が十分の一になる効果も無効化しているのだ。
影獣化を解除したのは、剣を使うためではなく、この八尺瓊勾玉の効果を有効化するためだった。
今の勝負は痛み分けってところ――と、身体がふらつく。
「そろそろ限界のようだね」
「まだまだやれますよ」
「その意気やよし――本来ならば最後まで付き合ってあげたいところだが――」
――次で決着をつける。
彼はそう言った。
だったら俺も次の一撃に全てを賭ける。
「全力をぶつけます」
「ああ、受けて立つ」
そして俺は――
※ ※ ※
気付けば俺は選手控室にいた。
さっきまであった体の傷はもうない。
腕を見ると、さっきまで装着していた身代わりの腕輪が砕けてしまっていた。
「そっか、俺、死んだのか」
最高の武器と装備を使った。
策を練った。
全力を出した。
だが、届かなかった。
俺が憧れた探索者の壁は高かった。
全ての傷は癒えているし、肉体的な疲労はないが、俺は倒れるように控室の青いベンチの上に寝そべった。
「負けちまったな」
目蓋を手で覆って視界を閉ざし、先ほどの戦いを思い浮かべる。
次々に反省点が出てくる。
あぁ、やばい。
自分が情けなく思えてきた。
「泰良ぁぁぁぁぁあっ!」
とそこにミルクが駆け込んできた。
「泰良、無事!?」
どうやら俺のことを心配してくれていたようだ。
少し目が赤く腫れている。
「なんだ、ミルク。見てたのか」
「うん。泰良が猫の手ってスキルを使ったときから。それで、大丈夫なの?」
「無事だよ。世界一安全なダンジョンだってミルクも知ってるだろ?」
「知ってるけど、最後の方とかパパに殴られて顔とか腫れあがって判別できないくらいだったから」
「え? マジで!?」
そんなひどいことになっていたのか。
かなり痛かったが、それでもアドレナリンのせいで痛みが軽減されていたようだ。
もしも素の状態でいたら、痛みで気を失っていたかもしれない――あ、八尺瓊勾玉の効果で気絶しないか。痛くても痛くても気絶できないって、最悪のコンボな気がする。
控室の鏡を見るが、傷跡も腫れも一つも残っていなかった。
ダンプルの身代わりの腕輪に感謝だな。