ミルクの親父さん
遺伝子が仕事を放棄している現場を目撃している。
ミルクとミルクの親父さん、親子だというのに全然似ていなかった。
ミルクはお母さん似のようだ。
「ミルク、それで彼は誰だ?」
ミルクの親父さんが俺を見る。
「泰良だよ。幼馴染の壱野泰良。前に話したよね?」
「壱野泰良? ああ、話には聞いてるが、でも、何故ここにいるんだ?」
「パパが仕事で来られなくなったから誘ったの」
「誘ったって、まさかホテルに!?」
「違う! ダンジョンだけよ」
一瞬鬼の形相になったミルクの親父さんだったが、ダンジョンだけと聞いて安心した表情を浮かべた。
セーフ! 俺はセーフ!
あの時、スイートルームの誘惑に負けてミルクの誘いに乗っていたら、ミンチ肉になっていたかもしれない。
彼の名前は牧野牛蔵。
公表されているレベルは380。
関西ランキング第3位、日本ランキング第10位の探索者。
世界ランキングでも500位以内だったはず。
推定換金額は15億D以上。
当時はプロボクサーで、ダンジョンができた時に一般枠で志願して真っ先にダンジョンに入った。
ダンジョンができたばかりの頃は安全マージンの設定も曖昧だったので、いまより遥かに危険で、いまより遥かにレベルアップしやすかったという。
その後もダンジョンに入り続け、文字通りその身一つで今の地位にまで登りつめた。
「パパ、どうしてここにいるの? 富士山にいたんじゃ……それにアシッドスライムは?」
「石舞台の事件を聞いて、乗ってきていた輸送用のヘリでここまで飛ばしてもらったんだ。アシッドスライムは私の拳の風圧で吹っ飛んだよ」
と牛蔵さんは笑顔で自慢気に言った。
拳の風圧って、さすがプロボクサーだな。
彼はもう一度、俺の方を見てきたので挨拶をする。
「どうも、壱野泰良です。牛蔵さんのことはいつもテレビで拝見しています」
「ミルクの幼馴染といったが、それだけかね?」
「はい。ていうか、先週偶然会っただけで、高校に入ってからほとんど疎遠でしたから」
「そうか」
牛蔵さんはじっと俺を見る。まだ警戒しているようだ。
その警戒を解くためになんとか笑みを浮かべてくれるが、俺の表情筋もそろそろ限界に近い。
たのむ、睨まないでくれ。
「もう、パパ。私、泰良がいなかったら本当に死んでたんだから。まずはお礼を言ってよ」
「死んでいた? 三階層に逃げようとしたのは彼のアイデアなのか?」
「ううん、違うの。ここでバイトウルフに襲われたの。しかも群れで。危ないところで泰良が駆けつけてくれたんだけど、そうじゃなかったら私、本当に死んでたよ」
「バイトウルフだって!? 壱野君、それは本当かい? コボルトじゃなくて?」
「はい。大きな狼でした」
俺はそう言って、狼の牙をおじさんに渡す。
といっても、普通に見た感じだとただの牙にしか見えない。
たしかコボルトも牙を落とすそうなので、コボルトの牙だろう? って言われたらそれまでなんだけど。
そう思っていたら、
「鑑定」
と当たり前のように激レアスキルの鑑定を使ってきた。
「本物だな。これを君が倒したのか? 君のレベルは?」
「27です」
「君はまだ18歳だろ? どうやってレベルを上げた?」
「言いたくありません。自分にしかできない方法ですので、情報を公開するメリットもありません」
正直怖かった。
ここで牛蔵さんに詰められたら全てを暴露してしまったかもしれない。
だが、牛蔵さんはそれ以上俺に質問をすることはなかった。
それどころか、俺にとって都合のいい提案をしてくる。
「そうか。ならば言わなくてもいい。本来ここにいないはずの君がここにいる理由も言わなくてもいい。ここから一緒に出てもらうときも、私の助手として一緒に入ったということにしよう」
どうやら中にいる人の情報を貰っていたのだろう。
俺がこのダンジョンに入っていないことも知っていたのか。
「助かります」
「なに、君は娘の命の恩人だ。感謝の対価としては遠く及ばないよ。それより、早く出よう。母さんが心配している」
「うん」
牛蔵さんはそう言うと、ミルクの頭に手を触れた。
途端に、ミルクの意識が刈り取られる。
安心して眠ったんじゃない。
いまのはそういうスキルだと思う。
でも、触れただけで相手を気絶させるスキルなんてあったか?
「一階層は大変なことになっている。いまの娘に見せたい光景じゃない」
「……そうでしたね」
一階層で逃げ遅れた人は全員死んだとダンポンが教えてくれた。
「ダンジョンはどうなるんでしょうか?」
俺は思ったことをそのまま疑問にして声に出していた。
万博公園ダンジョンで一人亡くなった。
だが、これまでダンジョンで亡くなった人がいないというわけではない。ゴブリンに武器を奪われ、その武器で殺された人もいる。
しかし、今回のような事件は初めてだ。
一階層で本来は現れないような魔物が出てきて、大勢の人が死んだ。
ダンジョンは危険な場所だと多くの人が理解する事件だ。
「どうにもならんよ。ダンジョンの本質はいつも同じだ。君にも何れわかる時が来る」
彼のその言葉の意味を知ったのは遥か先の話だった。
俺たちはダンジョンを脱出。
取り囲む警察官や取材陣への説明はあとで行うと言い、一度ホテルに戻って、俺は自分の、牛蔵さんはミルクの預けていた荷物を受け取る。
牛蔵さんは、警察への説明が終わったらヘリで家の近くまで送ると言ってくれたけれど、父さんが待ってるからと辞退させてもらい、先に帰る許可を貰った。
誕生日プレゼントを早めに渡しておいてよかったな。
ミルクを奇跡の生還者としてマスコミが大きく取り上げようとしていたようだが、牛蔵さんの意向により彼女の名前が表に出ることはなかった。そして、俺は助手としてダンジョンに入ったモブAとして、誰も認識すらしていないようだった。
ミルクの件を除いても、世間は大きな騒ぎになった。
死者二十七人というのは日本のダンジョンの一度の事故では最大の死者数だ。
その事件の怒りの矛先はアシッドスライムが現れたときに真っ先に逃げ出した講師の探索者に。そして、押野グループ、政府、ダンポンへと飛び火していく。
ダンジョンの危険性を訴える人達が大勢現れて、ダンジョンを封鎖する動きも出てきたのだが、各地のダンジョン擁護派がそれに猛反発。
むしろダンジョンを排斥しようとする人間を悪と決めつける風潮まで生まれ始めた。
不自然なくらいに。
※ side ??? ※
とあるダンジョンの地下百三十層。
そこである男が配信クリスタルを片手に持ち、英語で話しかける。
『定時連絡だ。日本の問題は解決したか?』
その問いに配信用のクリスタルから文字だけが浮かび上がった。
【政治家連中には金を握らせました。EPO法人の件で僅かに譲歩を要求されましたが、そちらも想定の範囲内です。インターネットやメディア等の世論操作も終わっています。一部批判を続けている有識者がいますが。その中の影響力の高い奴らには直接部下を送りました。間もなくこちらの味方に生まれ変わっているでしょう。問題ありません】
『素晴らしい、完璧だ。では明日同じ時間に連絡をする。ここまで来ると配信用クリスタルを使う魔力もバカにならないのでね』
そう言って男は通信を終了する。
男は右手で支えている相手を見上げて言った。
『待たせたね。では戦いの続きとしようか』
その手で支えていたのは金色の鱗を持つドラゴンだった。
シロナガスクジラよりも大きなそのドラゴンは、彼を踏み潰そうとしていたが、彼はあろうことかそのドラゴンの巨体の脚を片手で支えていた。体重は1000トンを超えるというのに。
そして、男はその右手に剣を生み出すと、そのドラゴンの脚を斬り落とした。
『おや、勢い余って本体まで殺してしまったようだ』
返り血が男に降りかかってくるが、その血の滝から出てきた彼には一滴たりとも血がついていない。
見えない障壁に阻まれているからだ。
そして、男はさらに地下に続く階段を目指して歩いて行く。
売れば数億ドルの価値はあるかと思われる金色の魔石には目もくれず。
『行くとするか』
『ああ、行くとしよう。キング。君はダンジョンの神になるのがふさわしい』
キングと呼ばれたその男の隣には、黒いマシュマロのような生物が寄り添っていた。
キングはその生物に向かって声をかける。
『神か。興味はないな。それより、もっと面白い魔物はいないのかね、ダンプルくん。腕がなまってしまうよ』
ありがとうございました。
黒幕っぽい二人(一人と一匹?)が登場しました。
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