ドラゴンに身を捧げた聖女と偽物の婚約者のお話とドラゴンに身を捧げた聖女の本物の婚約者のお話
私はキャロル・ザンクトゥーリウム。公爵令嬢。私には幼い頃からの婚約者がいる。アルバート・セアリアス。侯爵令息。私は彼に恋してる。でも、最近は諦めもついた。私がどれだけ恋い焦がれても、これは政略結婚。私の思いが実ることはない。
「キャロル、俺は今忙しいんだ。話しかけないでくれ」
「どうして俺にばかり構うんだ。放っておいてくれ」
「これはあくまでも政略結婚だ。俺なんかにかまけてないで愛人でも作ればいいだろう」
嗚呼、彼にとって私はいない方がいい人間なんだ。
彼と出会ったのは幼い日のお見合い。親同士の決めた婚約だった。私は人見知りだったためとても不安だった。けれども彼はとても優しくて、緊張していた私に冗談を言って笑わせてくれた。私に手を差し伸べてくれた。こんなに可愛い子が婚約者になってくれて嬉しいと言ってくれた。私は彼の優しさに惹かれていった。
「初めまして、こんにちは!俺はアルバート・セアリアス。君がキャロル?とっても可愛いね!」
「冗談はあまり得意じゃないんだけど…えっと、ドイツ人はどいつだ!なんちゃって…えへへ。つまんないよね、ごめん。でも、ちょっとだけ笑顔がみれた!だから俺の勝ちだね!」
「キャロルは笑顔が綺麗だね!こんなに可愛い子が婚約者になってくれて嬉しいな。ねえ、キャロル。キャロルも俺が婚約者でよかったと思ってくれる?…えへへ!そっか!よかったぁ!」
けれども彼は、いつからか日に日に私を邪険にするようになった。何かしてしまっただろうかと思って謝るが、悪いことをしてないのに謝るなと怒られる始末。優しくしてくれたあの頃の彼がとても懐かしい。
こっちを向いて欲しくて、彼に話しかける。耳障りだと怒鳴られる。一緒に居たくて、彼の隣に座る。乱暴に突き飛ばされる。でももう慣れた。辛いことなんて何もない。
でも、やっぱりこっちを向いて欲しい。でも、やっぱり一緒に居たい。嫌われたくなんてなかった。でも嫌われた。なんでかな。
心が折れた音がした。貴方のことが好きだった。
貴方と一緒に出かけたい。貴方はずっと読書に集中。貴方と一緒にお茶がしたい。貴方はずっと論文に集中。優しさの一欠片すら貰えない私に、価値はある?
でも、貴方じゃなきゃ意味がない。でも、貴方じゃなきゃダメみたい。ふと、優しい声が聞こえた。なんで今更そんなこと言うの。
私のことが嫌いなくせに、ふとした時に飛び切り優しく愛を囁く。なんて無責任な男。こんな男、嫌いになれれば楽なのに。
…それでも、貴方を愛してる。
そんな折に、我が国にドラゴンが現れた。ドラゴンは我が国のお山に勝手に巣を作り、居座っている。今のところ特に被害は出ていないものの、ドラゴンはいつ気まぐれに人に危害を加えるかもわからない。だから、国を守るためにと討伐隊が編成されることになった。
そんななかで、貴方がドラゴン討伐に駆り出されたから、私は先回りしてドラゴンの元へ行くの。
「それがお前が俺に自分を差し出す理由か」
「そうよ。さあ、パクリと食べて。その代わりこの国を離れて」
「嫌だ」
「…っ」
「お前も連れて行く」
「…え」
ドラゴンは、熱い、やけどしそうな視線をこちらに向ける。捕らえられた気がした。
「お前はこれから俺の花嫁だ。俺にこの国を出ろというなら、お前もこの国を離れて俺と来い」
嗚呼、私はこのドラゴンからはもう逃げられないのだ。
「…わかった」
「そうか。それと、アルバートとかいう奴に向けていた思いを全部俺に寄越せ」
「それは…」
長年の思いをそんなに簡単に変えられるはずがないのだけれど、わかってはもらえないだろうか。
「出来ないなら俺はここを動かない。人間の騎士団を潰すなど造作もない」
わかってはもらえないらしい。…アルのためなら私はなんでも出来る。アルじゃない誰かを愛することがアルのためになるなら、私は私の矜持すら曲げてみせよう。
「………。わかった」
「なら、時間をくれてやる。別れの挨拶を済ませて来い」
ー…
「私、ドラゴンの花嫁になります。そのかわり、ドラゴンは国から離れることになりました」
「なんだと!?」
「なんてこと!」
「キャロルちゃん、考え直して?生贄なら他の誰かでもいいじゃない!」
「キャロルくんがうちの花嫁になるのを、楽しみにしていたのだよ…どうしても君じゃなきゃダメなのかい?」
「そういう約束なので」
「アルバート!貴方も何か言いなさい!」
「…」
アルは結局何も言ってくれなかった。王家は私をドラゴンから国を守る聖女として祀り上げた。そして私はドラゴンとともに我が国を去った。
その後、ドラゴンはなぜか人の形をとった。しかもアルの。
「…好きよ、アル」
「俺も好きだ、キャロル」
ああ、なんて悪趣味なドラゴンかしら。でも、心から愛しているわ。だって“このアル”は応えてくれるもの。
ー…
俺はアルバート・セアリアス。侯爵令息。俺には幼い頃からの婚約者がいる。キャロル・ザンクトゥーリウム。公爵令嬢。
キャロルに出会ったのは幼い日のお見合い。親同士の決めた婚約だった。キャロルは親の後ろに隠れて、緊張している様子だった。それが可愛くて可愛くて、俺はキャロルに気に入られようと必死だった。
「は、はい…キャロル、です。初めまして」
「うふふ、アルはとっても素敵な人ね」
「私も、アルが婚約者でよかった」
俺は彼女を愛している。けれど、大切で、愛おしいからこそ普通に接することが出来ない。彼女が可愛すぎるのだ。そして何より、俺では彼女に釣り合わないから…。天使のような彼女と比べて、俺はゴミ屑以下でしかない。そんな俺に真摯に言葉をくれるキャロルの気持ちを、俺は踏みにじった。
「アルはとっても素敵な人よ」
「もっと自分に自信を持って」
「私はアルが好き。アルじゃなきゃダメなの。お願いだから、自分の魅力に気付いて」
公爵家の一人娘である彼女は、まずもってとにかく愛らしい。その亜麻色の髪も、紫水晶の瞳も、形のいい唇も、スレンダーな身体付きも、全てが愛おしいのだ。そしてとにかく性格がいい。領民にも優しく、孤児に勉強を教えるのが好きで、浮浪者にパンを一つ差し出す暖かな心を持っている。そしてなにより優秀だ。子供の頃から神童と呼ばれるほど頭がいい。俺なんかでは、釣り合わない。でも、いつか彼女を守れるような良い男になりたくて、俺は必死に努力した。とにかく勉強ばかりの毎日。けれどそれは苦ではなかった。彼女の横に立ちたいから。
「ねえ、そんなに頑張りすぎないで。貴方は少し頑張りすぎ」
「相談ならいつでも乗るから、そんなに自分を追い詰めないで」
「勉強なら私に聞いてくれればいいのに。きっと役に立てるのに」
…でも、俺はやり方を間違えた。彼女への憧れはいつしか劣等感へと変わり、彼女を守るどころか、彼女を突き放す態度を取るようになってしまった。
勉強中に彼女が息抜きをしないとと話しかけてくれた。耳障りだと怒鳴ってしまった。彼女が隣に座って勉強を教えようとしてくれた。彼女に敵わない自分が不甲斐なくて、乱暴に突き飛ばしてしまった。あの時の彼女の顔を忘れられない。いつからだろう。彼女の笑顔を見られなくなったのは。
「アル。ごめんなさい、私、何かしてしまった?謝るから、元の優しい貴方に戻って」
それでも手放したくなかった。それでも彼女が必要だった。愚かな自分を呪うことになるなんて、この時は想像できなかった。
それでも君を、心から愛していたんだ。
君にデートに誘われた。俺は読書で見聞を広めるのに夢中になっていた。君にお茶に誘われた。お茶会の間も論文に集中していた。暖かな日差しが降り注ぐ、二人だけの中庭。君の大好きな白百合に囲まれたガゼボに用意された、君が手作りしてくれた俺の大好物。何気ない日常が、とても好きだった。優しくすることを忘れた馬鹿な俺には、これから起こることなんて想像もつかなかった。
「たまにはデートなんてどう?きっと楽しいと思うの!」
「それでね?今日のお茶菓子はアルの好きなアップルパイよ!実は私の手作りなの!」
それでも、君じゃなきゃ意味がない。それでも、君じゃなきゃダメだった。ふと、思い出したように愛を告げる。けれどきっと、君には今更だったんだ。
「愛してるよ、キャロル」
君のことが愛しいくせに、君を大切にできなかった。なんて馬鹿な男だろう。こんな男、君に嫌われて当然だ。
…それなのに、君が他の誰かのものになるなんて考えられなかった。
だから、俺がドラゴン討伐に駆り出されたのを聞いた君がその身をドラゴンに捧げるなんて、信じられなかった。
「私、ドラゴンの花嫁になります。そのかわり、ドラゴンは国から離れることになりました」
「なんだと!?」
「なんてこと!」
「キャロルちゃん、考え直して?生贄なら他の誰かでもいいじゃない!」
「キャロルくんがうちの花嫁になるのを、楽しみにしていたのだよ…どうしても君じゃなきゃダメなのかい?」
「そういう約束なので」
「アルバート!貴方も何か言いなさい!」
「…」
俺は茫然としていて、結局一言も喋れなかった。王家はキャロルをドラゴンから国を守る聖女として祀り上げた。キャロルは行ってしまった。
それから数年。俺は未だにキャロルを引きずっていて、婚約者もいない。ある日、領内を視察していた時、キャロルと俺によく似た男を見かけた。すぐに走り寄ったが、その二人の会話と笑顔を見て止まってしまった。
「…好きよ、アル」
「俺も好きだ、キャロル」
あれは多分ドラゴンが俺に化けていたんだろう。その後二人は手を繋いで服屋に寄ったり喫茶店に寄ったりしていた。服屋ではお互いに似合う服を選んでベタ褒めしあっていたし、喫茶店では食べさせあいっこしていた。そんな二人を惨めにも外からそっと眺めていた俺は、やっとキャロルへの諦めがついた。キャロルは俺といない方が幸せそうだったのだから。
「…ふん。やっと諦めがついたか、小僧」
「アル?」
「愛してるぞ、キャロル」
「え、ええ。ありがとう…?」