その出会いはただの事故 前編
「さあ、戦場に着いたわよ。……ミラジェ。今日はいい仕事をしたら、特別にパンを一切れ差し上げましょう」
会場に着いた瞬間、闘志を剥き出しにした上の姉が、腕まくりでもしそうな勢いで、ミラジェに言い放つ。
王城で開かれた舞踏会はミラジェの想像を遥かに越える煌びやかさだった。
ドーム状のガラス張りの建物は星明かりとシャンデリアが見事に調和している。宝石が巧みに組み込まれたシャンデリアは多色の光を放ち、今までに見たこともないような不思議で幻想的な美しい空間を作り出していた。
(ガラス張りだから、星と月の明かりを引き出していて、会場全体に夜の暗さはきちんと存在しているのに、シャンデリアの明るさで人の顔はきちんと判別できる)
暗さと明るさのコントラストが素晴らしく、これを見ただけでここに来てよかったと思える会場だった。
奥のほうに視線をやるとテーブルに美味しそうな料理が並んでいた。ミラジェはそのあまりにいい香りにゴクリと唾を飲む。
本当は欲望のまま、用意されている皿に、山盛りに料理を盛ってしまいたい。しかし、今日のミラジェには食事をすることは許されていなかった。
ミラジェは貴族としての作法教育を全く受けておらず、料理を正しく食べることができないのだ。
それをよく理解していたミラジェの姉達は、料理を食べることを禁じた。
(こんなにおいしそうな食べ物が山ほどあるのに食べられないなんて……この世は非情だわ)
気を抜くと涙が出てしまいそうだったが、今日のミラジェは姉達に泣くことも禁じられていた。今日はとにかく姉にかわいがられている妹を演じ、幸せそうに微笑めと命じられていた。
口角を必死に上げる。笑え。幸福そうに微笑め。
自分にそう命じ、姉たちの横でミラジェは必死に取り繕っていた。
*
(あれ? お姉様達がいない)
少しぼんやりとしているうちに、横にいたはずの姉達がいつの間にかいなくなっていたことに気がつく。
どうして? さっきまですぐ隣にいたのに。辺りを見回すと、姉達は二人とも会場奥にある異様に女達が群がっているエリアで戦いを繰り広げていた。
どうやらお目当ての殿方がそこにいたらしい。
(私はどうしたらいいのかしら)
姉達に事前に与えられたマニュアル通りに動けと命じられていたが、別行動になってしまう事態は想定していなかった。とりあえず、変に目立ってしまうのはまずい。取り残された場所は舞踏会会場の中でも人目が気になる真ん中あたりだった。
周りに視線をやると何人かの男達が好奇の目で自分を見ていることに気がつく。
(きっとみんな私みたいな見窄らしい格好の子供がこんなところにいることを疑問に思っているのだわ)
ミラジェはなるべく目立たぬよう、息を潜めてそろりと壁際に移動した。
(はあ。どうしてみんなこんなところに長時間いられるんだろう。人が多くて、いるだけで疲れてしまうわ)
栄養失調状態が続いていて、古傷の痛みから体を自由に動かすことができないミラジェにとって、ただでさえ履き慣れていないハイヒールを履いて、いつもの普段着よりも重量のあるドレスを身に纏い動き回ることは、容易なことではなかった。
それでも、なんとか体を動かし、高い靴でベルベット地の絨毯とドレスの裾が重なり合うことで発生する摩擦を乗り越えて、前に進もうとする。
もう少しで人目につかない場所だ、と思った瞬間。ミラジェをくらり、くらりと波打つような目眩が襲う。
その感覚にミラジェはハッと冷や汗をかく。
(どうしよう……このままだと倒れてしまう……! でもこんなところで倒れたら、酷く目立つしお姉様達の顔に泥を塗るわ!)
そんな大失敗をしたら、どんな折檻が待っているだろう。それを想像するだけで、死んでしまいたい気持ちになる。せめて、倒れるにしても人目につかない場所で意識を失わなければならない。
ミラジェはふらふらの足で必死に会場を離れる。揺れる意識をなんとか保たせて、舞踏会が行われている会場の広間を抜け、お手洗いに向かう道の途中でミラジェが見つけたのは小さな部屋だった。
中の様子はわからないが、もう迷う暇はないほど限界だった。
(ああ、もう無理。倒れる……)
どうか、中に誰もいませんように。目が覚めるまでは一人きりでいられますように。
ガチャリと扉を開けたミラジェはそこで力尽きて倒れてしまった。
*
シャルルは陛下に招かれた舞踏会の特別室で仏頂面をしながら、時間を潰していた。
「あの……。坊っちゃん? 会場に踊りには行かないのですか?」
お供として一緒に会場入りしていた、シャルルの従者であるジャンは、掛けている眼鏡をクイっと上げながら、困った顔で主人に問いかける。
「ジャン……。お前は私にどうしろというのだ……。あの会場に足を踏み入れたら、私はそこで最後、たくさんの女達に囲まれて……大変な目に遭うだろう?」
「いやいやいやいや、待ってください! 坊っちゃん? そのために陛下はこの舞踏会を催してくださったのですよ⁉︎ この部屋だって……本来は坊っちゃんがくつろぐための小部屋ではなく、御令嬢を連れ込むための部屋ですよ?」
「だから何度も言うように、私は令嬢に対してそんな不誠実な真似はしない」
誠実な男、そのものの表情でシャルルが言い切ると、ジャンは呆れてヘナヘナと脱力して見せた。
「高潔なのもいい加減にしてください。ただでさえ私がアレナと結婚する前は、私とあなたができているという噂が飛び交っていたのですよ?」
「……そんな噂があったのか。お前には苦労かけるな」
「いや、本当ですよ。勘弁してください……」
そんな会話をしている時だった。入り口扉の奥からガタリと何か重みのあるものが当たるような、不審な音が聞こえてきた。
「!」
シャルルとジャンは衣装の下に隠し持っていた短剣を握り、警戒の体制をとる。
(この部屋に私がいることを知っている人間は陛下以外誰もいない。陛下であればノックくらいするはずだ。……であれば扉の奥にいるのは礼儀知らずの令嬢か、私の命を狙うならずものか)
シャルルはいかんせん高貴な立場にあるので、命を狙われることも多い。
とにかく、望んでいないものとの接触は避けなければならない。
扉がキイと音を立てて開く。
警戒体制をとっていたシャルルの視線の先にゴロリと転がり込んでくる、物体が映った。
「……は? 子供?」
それは小さな子供だった。歳は十にも行かないくらいだろうか。よく見るとその子供は冷や汗をぐっしょりとかいていて、顔も血の気がなく透けるほど青白かった。
一瞬、体調不良のふりをして近づいてくる刺客かと思い、身構えたが、どう見てもその子供は刺客ではなさそうだ。もう息も絶え絶えで、誰かの命を狙うどころか自分の命さえ消えてしまいそうに見えた。
顔は驚くほど白く、正気を失った目は視点が定まっていない。
もう、自分の体重も支えられない子供は、どさりと床に倒れ込む。
シャルルとジャンは思っても見ない客の登場に顔を見合わせる。
「君……大丈夫かい?」
返事はなかった。どうやら完全に意識を失ってしまったらしい。
シャルルは床に倒れ込んだ子供を起こそうと、慌てて手を伸ばす。
(なんだこの子供は……⁉︎ 驚くほど軽いぞ⁉︎)
骨ばんだ青白い腕は今にも折れてしまいそうだった。
「ジャン。この子供をベッドへ」
「はい。かしこまりました」
ジャンは手際よくミラジェをベッドへと運ぶ。持ち上げたジャンも、シャルルと同じようにあまりにも軽すぎるミラジェの肢体に驚いて目を見開いていた。
(この子供はどこからやってきたのだろう)
見た目で判断すると、その体は小さい。まだ成人はしていないのだろう。
あまり主流ではないデザインのドレスからして貧しい貴族の子供なのかもしれない。
(こんな体調の悪そうな子供まで、集められてしまうなんて……)
少女はガリガリに痩せてはいるが、よくよく観察すると目鼻立ちが整った綺麗な顔立ちしていた。
シャルルは自分のために集められたであろう子供に対して申し訳のない気持ちでいっぱいになった。彼女の庇護者はどうにか、シャルルとの縁を作るために、年齢の足りていない彼女を無理やりこの会場へと放り込んだのかもしれない。
そう思うとやりきれない気持ちでいっぱいだった。
ジャンは少女の首元を触り、脈があるかを確認する。
「いやあ……。いきなり倒れましたから、刺客か縁を持ちたい乱心者かと驚いてしまいましたけど、体調不良の子供だったようですね。今は意識を失って寝ているだけのようです。会場で人酔いでもして逃れてきたのかもしれません」
「ああ。そうかもしれない。それにしても、この子供はどこの御令嬢だろう……」
せめて目が覚めるまで、ここで寝かせてやろう。そう思ったシャルルはすうと小さな寝息を立てる小さな少女を見つめた。
*
目を覚ましたミラジェは体の下に敷かれたものの感触があまりにも柔らかいことに違和感を持った。
(どうして? 私は……。記憶だと床に倒れていたはずなのに……。この柔らかさ、まるで貴人用の寝台みたいじゃない)
慌てて確認すると、やはりそれは貴人用に整えられた寝台だった。白く清潔なシーツは、シルクで出来ているようで、光が当たるとトロリと光る。
ミラジェは男爵家で、地下牢のような自室で生活している。そこに寝台は用意されておらず、仕方なく屋敷の隣に建てられた動物小屋から藁を盗み、その上にシーツを敷いて、簡易ベッドを作って睡眠を取っていた。
もちろんそんな状況に置かれているのは家族の中でミラジェだけで、姉達は貴人用に作られた高級なベッドで眠っているので、一般的な寝台の形は知っていたのだ。
姉達の寝台のシーツを替えろと命じられるたびに、自分もこんなに気持ちが良さそうな寝台で眠れたら、どんなにいい夢が見られるだろう、と密かな憧れを抱いていたのだ。
そんな憧れの寝台になぜ自分が寝ているのだろう。ミラジェが混乱して、発狂しそうになっていると、上から優しい言葉が降ってくる。
「目が覚めたか?」
体に響くほどに低く、しかし優しい声だった。
「えっ……」
ミラジェはその声の主を見て硬直する。
目が合うだけで人を殺してしまいそうな切長の瞳と鼻筋の通った顔立ち。
そこにいたのは姉達が絵姿を見て、キャーキャーと猿のように騒いでいた、シャルル・エイベッド、その人だったからだ。
あまりに予想外な人物の登場に、ミラジェは目を点にすることしかできない。
(え? え? え? どう言うこと?)
突然の事態に頭が情報を処理しきれず、一分ほど、何も言えずに硬直しているとシャルルは困惑した表情でミラジェに話しかける。
「おーい……。大丈夫か……?」
「ど、どうしてここにシャルル・エイベッド様が……? え? 私はめまいに耐えられなくて、どこかの部屋に入って倒れて……」
「その入った部屋が私の部屋だったんだ」
ミラジェは瞠目する。
つまり、何か物入れかと思って逃げた先がシャルルが休んでいる個室だったのだ。
よりにもよって、この会場内で陛下を除くと一番高位の人間のプライベートルームで意識を失ってしまうなんて……。
それは今までの人生の中で一番大きな粗相なのではないだろうか。自覚すると滝のように汗が流れてきた。
「た、た、た大変申し訳ありませんでした‼︎」
ミラジェは寝台の上で勢いよく土下座をした。
「私のような者がこのような不躾な行いをしてしまったことであなたのような高貴な方に不快な思いをさせてしまったことに対して、深く反省しています! 命を以てお詫び申し上げますからぁ!」
何も武器を持っていない状態で死ぬにはどうしたらいいのだろう。混乱し、何が何だかよくわからなくなっているミラジェはボロボロ大粒の涙を流しながら、自分の首に手を回した。自分で自分を絞め殺すことはできるのか……ミラジェの幼い頭では到底わからないことだったが、人間死ぬ気になればなんでもできるような気がしていた。
するとそれを見たシャルルは慌てて、手を掴み止める。
「お、おい! 私はそんな対応求めていないぞ!」
シャルルは限界状態に達し、わーん! と声を上げながら泣く小さな子供を見て困惑していた。
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