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【おまけ】よくわかる! 子猫式、ヘタレ旦那様の陥落法2

「さて……夕方になりましたっと……」


 日課になっている書類整理を終えたミラジェは軽い足取りで廊下を歩く。今にもスキップしてしまいそうなくらい楽しい気分だ。


 そのまま広いエイベッド家の長い廊下を突き進んだ彼女は、とある一室で足を止める。


「こんにちは〜。リアンくん、起きているかな〜?」


 ミラジェが顔を覗かすと、中にいたもうすぐ二歳になる金髪碧眼の赤ん坊が


「ああ〜! おくしゃま!」


 と元気よく声をあげ、両手を天に向けながら駆け寄ってきた。その無垢なニコニコな笑顔は天使そのものだ。


「ああ〜ん! リアンくん。今日もはちゃめちゃにかわいいね〜!」

「あい!」


 ミラジェは膝をついて、駆け寄ってきた赤ん坊を優しく両手で抱き抱える。ミラジェに抱っこされた赤ん坊はキャラキャラと楽しげな声をあげている。


(ああ……! 本当にかわいい! 殺伐とした業務の後のご褒美! ここは楽園!)


 ここは、ミラジェが子供を持つ使用人たちのために作った、保育室だ。


 普通、貴族家の使用人として働く女性たちは、結婚し子を持つと、貴族家を辞してしまう。


 今までの使用人たちは培われたスキルや経験を積んでも、子供ができればそれを手放し、母親業に勤しむしか選択肢が与えられていなかったのだ。


 ミラジェは自分が母親になる可能性が生まれたことで、初めてその問題性に気がついた。


(どうしてキャリアある人が出産や育児なんかで仕事を手放さなくちゃいけないんだろう。誰かが辞めるたびに新しい人に教育をしなおすって、すごく効率が悪いんじゃないかしら)


 ミラジェは思い立ったら行動が早い。


 使用人たちにヒヤリングをおこない、使用人たちの子供を預かる保育施設の必要性を明らかにした上で、その設立の準備を進めた。


 最終的にシャルルに許可を取りに言った時には、全ての手筈が整っていた後だったため、シャルルは苦い顔をしていた。


「そう言う時は構想の段階から私に言ってくれないか? ……私にだって協力できることがあるはずだ」


 シャルルの申し出はもちろんありがたかった。

 けれども、シャルルはこの家の当主であり、エイベッド家の領主でもあり、王室の相談役でもある。


 ミラジェはただでさえ多忙なシャルルの手を煩わせたくなかった。


 そもそも、使用人たちの管理は、妻であるミラジェの役割分担だ。


 シャルルに仕える使用人たちが幸せであることは、シャルルの仕事を支えることにもつながる。


 ミラジェは少しでもシャルルの役に立ちたくて、必死だったのだ。


 そうして、保育室を作り上げ今では年齢も様々な十人ほどの子供達が、遊びや勉強をしながら、親たちの仕事が終わるのを楽しみながら待つ場として利用されている。


 ちなみにこの保育室の管理は老齢の使用人たちやこれから子を持ちたいと考えている若い使用人たちに任せている。


 この保育室を作ったことで、それまでの職場では体力的に厳しかった老齢の使用人には新たな雇用の場が提供されたことに感謝され、若い使用人には実際に子供と接する機会を作ってくれたと感謝された。


 ミラジェにとっても、子供と触れ合えるこの空間は癒やしでしかなかった。

 毎日夕方にこの時間にくることが彼女の密かな楽しみになっている。


 ミラジェが天使との至福の時を楽しんでいると、入り口の扉がキイっと開かれた音がした。


「あら、奥様。いらっしゃっていたのですね」

「アレナさん! 今日はもうお仕事終わりですか?」


 振り向くとそこにはこの屋敷に長く仕える使用人のアレナがいた。アレナはミラジェの隣に並ぶようにしゃがみ、ミラジェの胸の中に抱えられている、男児に目をやった。


「ええ。育児期間の時短勤務を使わせていただいていますから。……こら、リアン。また奥様にベタベタ甘えて……」


 アレナはミラジェの豊満な胸元に頬を擦り寄せる赤ん坊を見てため息をついた。

 そう。この赤ちゃんはアレナとジャンの息子なのだ。


 リアンは髪色はジャン、目の色はアレナの特徴を受け継いでいて、赤子ながらに二人に似たなかなか利発な顔つきをしている。ミラジェはかわいいリアンのことが大好きだった。


「いいの。アレナ。私が好きで来ているんだから」

「……そうですか?」


 アレナが心配そうに尋ねるとミラジェはにこりと緩んだ笑みを見せた。


「ええ。ここに来ると本当に癒されるの。……私もいつかこんな風にかわいい子供を授かる日が来るのかしら……」


(ぼっちゃまはまだ奥様に手を出されていないの?)


 その一言で全てを察したアレナの表情がピシリと固まる。


「どいつもこいつも……! まったく! 私たちの周りにいる男たちはどうしてヘタレなんでしょうか!?」


 アレナは鼻息荒くして床を叩く。


「……アレナ、もしかしてジャンのことを言っているの?」


 ミラジェの問いかけにアレナは激しく頷く。

 ミラジェにとってジャンはいつもスマートな優しいお兄様的従者だ。ヘタレだと思ったことは一度もないが……。


「ええそうですよ。あいつは私が坊っちゃんのお相手にされそうになるまで、私に気がある素振りも見せなかった男ですからね。……聞くところによると、十歳の時から思いを持っていたにもかかわらず、うじうじうじうじ、三十手前まで引き伸ばしたそうですからね」

「ああ……そういえば……そういう経緯で二人は一緒になったんだものね」


 ミラジェはシャルルから聞いたことの顛末を思い出していた。

 今はオシドリ夫婦の二人だが、そこまでには長い道のりがあったのだ。


(だけど、最終的にはジャンがかっこよく攫って行ったのだからめでたしめでたし、なのだろうけど……)


 ふと、よからぬことが頭に浮かんだ。


「そっか……。ジャンがアレナを攫っていなかったら、アレナが旦那様の伴侶だった世界線もあるのよね……」


 そういうと、アレナはひいいいいいい!!!! と大きな声をあげた。ミラジェに抱かれていたリアンも声に驚いて、目をぱっちり開けている。


「や、やめてくださいよ! 縁起でもない! そんなことになっていたらと想像するだけでゾッとします!」

「そんなに旦那様がいや?」

「いやですよ! ……あ。と言いますと、旦那様のご伴侶である奥様へ失礼になってしまいますけれど。私は平民です! 先祖代々エイベッド家に仕える従者の家の生まれですもの! 貴族の妻になんて、天地がひっくり返っても慣れませんわ!」


 アレナにそう言われたミラジェは、パチパチと目を見開く。


「……私も育ちは平民みたいなものだけれど。実際、平民として暮らしていた時期もあるわけだし……」

「けれども、奥様にはれっきとした貴族としての青い血が流れているではありませんか!」

「もうとっくに消え失せた男爵家の血筋が少しね」

「あら。おかしなことを言いますね。今の奥様はテイラー侯爵家のご出身ではないですか」

「すっかり忘れていたわ。その設定……」


 あっけらかんと言い放つミラジェにアレナは呆れた声を出す。


「設定とか言わないでください。今でもテイラー侯爵は奥様を本物の娘以上にかわいがっておられるではないですか。今日も午前中、お会いになっていたでしょう?」

「あれはただ、テイラー侯爵家領の新しい事業についてお話ししていただけよ」


 テイラー侯爵家は、二年ほど前、自領の工業エリアの水質汚染に悩まされていた。その現状を知ったミラジェが汚水の排出方法に関する知恵をテイラー侯爵に授けたことで、今では彼女はテイラー侯爵家にありがたがられる存在となったのだ。

 現在は環境汚染に懲りたテイラー侯爵と地熱を使った自然エネルギー発電事業について話し合っているところだった。


「また事業のお話を……すごいですね。ちなみにそれは坊っちゃんにもお話しされているのでしょうか?」

「旦那様には開発の目処が立ってからお話しするつもりよ。計画が頓挫することだってあるでしょうし」

「……そうですか。でも、ぼっちゃまはきっと全てお知りになりたいと思いますよ?」

「そうね……。そういう話が出たらそれとなく伝えてみるわ」


 ミラジェは儚げに笑った。

 諦めたような、投げやりな笑い方だった。


 アレナはその表情を見て、嫌な予感を覚えた。胸がドキリとしてしまうほど。


「奥様……? 何か悩みでも……?」


 アレナが遠慮がちに問うと、ミラジェは長い銀色のまつ毛を伏せた。まつ毛の影もが彼女の儚げな魅力を作る一部となっており、悲しい表情であるのに、それさえも絵になってしまうほど、美しい表情だった。


「たまにね。旦那様が眠る寝台で考えてしまうの。ああ、私がもう少しだけ大人だったらって」

「まあ! そんなことを言いましても、奥様はこの屋敷にこられた時とは段違いに大人になっているではないですか! 今は王国を代表するレディですよ?」


 アレナは気落ちするミラジェを励ますように言ってくれた。しかしミラジェは俯いたままだった。


「でもね。アレナ。私と旦那様の歳の差は永遠に埋まらないのよ。……その差十七歳。残酷よね」

「そんなことを言いましても、奥様。貴族間の婚姻におきまして、十七歳なんていう年の差はありふれたものでしてよ。お隣のハーデス領は二十離れた奥様が嫁いだそうですし、隣国では六十離れた婚姻だってあったそうですよ」

「ろ、六十……」


 ミラジェは六十離れた男女が夫婦として隣り合う様子を想像し、目をパチクリと瞬かせた。

 さすがにそれだけ歳の差が離れていると、夫婦には見えないのではないのだろうか。老人と孫にしか見えないのではないだろうか。


「それにね、奥様。大切なのは何よりも二人が愛し合っていることですよ。坊っちゃんは間違いなく、奥様を愛しておられます。もう、メロメロです!」

「……そうなのかしら」

「そうですよ!」


 アレナがあんまりにも力強くいうものだから、賛同するような受け答えをしてしまったが、ミラジェは根本的なところで自信を持てずにいる。


 自分はエイベッド家に貢献できているとは思う。だけれど、こうなることをシャルルは望んでいたのだろうか。ミラジェと出会わなければ、シャルルはより自分に相応しい相手を見つけて、もっと穏やかに暮らせていたのでは、と思ってしまうことがある。


 最近のミラジェは本当にあの手この手を尽くして、シャルルを誘惑している。しかし、シャルルは頑なに自分が取り決めたルールを破ろうとはしない。


 そこには、幼かったミラジェに対して負い目が色濃くあらわれているような気がしてならないのだ。


「今日、朝方。とても恐ろしい夢を見たの」


 ミラジェの目が心細そうに揺れていた。


「どんな夢ですか?」

「……旦那様が『運命の相手が見つかったんだ!』と言って、私を捨ててしまう夢」

「……まあ!」


 アレナは目を見開きながら両手で口を押さえる。


「旦那様は誠実な方だから、そんなことはしないって頭ではわかっているんだけど……。本当に恐ろしい夢だったわ。でも考えてみればあり得る話なのよね。私と旦那様は共寝をしていても、実際は白い結婚のままだから、離縁は容易にできてしまいますもの」


 ミラジェは感情のこもっていない声で淡々といった。


「奥様……。でももし万が一そうなったとしても多分、追い出されるのは奥様ではなく坊っちゃんの方だと思いますよ?」


 アレナは少し考えてから、片手をあげながらそう申告した。


「……え?」

「いや。だって、今、領民たちに人気なのは奥様の方ですし、王族に頼られているのも、奥様の方でしょう? 私たち従者も馬鹿ではありませんので、より現実的な繁栄が望める奥様の方に皆ついていくと思われます」


 あっけらかんと言い放つアレナを見て、ミラジェはあんぐりと口を開けてしまう。


「でも、待って。エイベッド家は歴史ある大貴族よ!?」

「何を言っているんですか、奥様。従者として働く者たちはいざとなったら、権威なんかより給金の良さを優先しますからね」


 アレナはニカーっとした明るい笑顔で言い放つ。


「そ、そうだったわ……平民って。自分の食い扶持がまず第一よね」


 ミラジェは額に浮き出た脂汗を拭った。


「でも、本当に。それはあり得ないことですけどね。だって、あんなに奥様がかわいくてかわいくて仕方がないくせに、もだもだ手を出さずにいる坊っちゃんが奥様を手放すはずがありませんもの!」

「そうでしょうか……」

「そうですよ! もっと旦那様の執着の気持ち悪さに自信を持ってください!」

「そこは自信を持っていいところなのかしら……」


 ミラジェは遠い目になりかけたが、アレナの言葉で励まされたのも事実である。


(ああ。でもこうやって私の近くで相談に乗ってくれるアレナがいて本当によかった)


 ミラジェはシャルルのように、使用人たちと近い距離で暮らせていることをありがたく思った。悩んだ時、自分一人だけだと、自信のなさと妙な思い切りの良さで、あらぬ方向に舵を切ってしまう自信しかないが、お姉さん的アレナに相談することで、そうならずに済んでいる。


 シャルルはもっと身近にストッパーがいることに感謝した方がいいな、とミラジェは内心思っている。


「よし。私も諦めずに、旦那様の誘惑、今日も頑張ろうと思います」

「奥様! ファイトです!」

「アレナ……またいろんな手練手管……教えてくれる?」


 ミラジェが恥ずかしそうに顔を赤らめていうと、アレナが胸の真ん中をドンと叩いた。


「おまかせください! あの真面目メガネにも効果があったことですもの! 坊ちゃんなんてあっと言う間に陥落ですわ!」


 アレナが語る手腕のあまりの凄まじさに、ミラジェは顔を今まで以上に赤くしながら、それまで抱き締めていた、リアンの耳を両手でそっとふさぐ。


「ん〜?」


 リアンは不思議そうな顔をしてミラジェを見ていた。


(純粋無垢なこの子にはとてもじゃないけれど、聞かせられないわ!)


 どうやら、世の中の夫婦というやつは、思いもよらぬ創意工夫で出来上がっているらしい。



どんなことを……されているんでしょうか。ここにはとてもではありませんが、かけません。

書きだめがないので、来週あたりどこかでまた書きにきます。

先週新作が完結しましたので、よかったら読んでみてください〜。

『聖女印の花屋さん〜お役目が秒で終わったので、異世界で花屋始めます!〜』

https://ncode.syosetu.com/n2453hf/

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