まだ出会う前の二人はシリアスみが強い 後編
(どうして私まで一緒に王都に向かわねばならないのだろう)
面倒なお貴族様には金輪際関わらない。
そう決めていたはずだったのに、なぜかミラジェは王都の舞踏会へと向かう馬車に乗せられていた。
もちろん、自分の意思で乗車したわけではない。姉たちに無理やり乗れと命令されたのだ。
王都に向かう馬車に揺られながら、ミラジェは陰鬱な表情を浮かべ、馬車の窓に映る街の景色を眺めていた。目の前には向かい合うように煌びやかなドレスに身を包んだ姉達が二人並んで座っている。その姉たちが持ち込んだ荷物鞄が置かれた向かい側に、ミラジェは荷物の一部のようにちょこんと座っていた。
姉たちは、今日の舞踏会で自分にとって相応しい結婚相手を見定め、とっ捕まえるつもりだそうだ。
貴族にとって結婚適齢期は大体十八までである。
今年十八歳を迎え、後がない上の姉のギラギラとした眼光は、さながら獲物を狙うハンターのようだった。
上の姉が今日着ているのは今までに見たことのないような、精巧な刺繍が施された淡いピンク色のドレスだった。街で一番腕ききの職人による、細やかな模様が所狭しと並んでいる刺繍は、繊細で美しいものを見る機会に乏しいミラジェにとって、よくわからない集合体にしか見えず、視線をやるだけで目眩がしそうだった。
その刺繍達はドレスを選んだ姉の絶対に今宵、相手を決めてやるという意気込みの現れのように見えた。
十六歳である下の姉も上の姉の様子を見て、行き遅れることを不安に思ったようで、早めに婚活に力を入れているらしい。同じように高級レースをふんだんに使った薄青の高級なドレスに身を包んでいる。
二人とも高嶺の花であるシャルル公爵は無理でも、王家にゆかりのある者の一人くらいは捕まえられるかもしれないと考えたようだった。
しかし、この場にミラジェがいるのはおかしい。なぜなら、ミラジェはまだ十五歳という成人年齢に一ヶ月ではあるが達していなかったからだ。
なぜここに伴われたのだろうという疑問を抱えていると、馬車の席に向かい合うように座っていた上の姉がミラジェの顔に向かってビシリと人差し指を向ける。
「今日のあなたの役目は私たちの引き立て役よ」
「引き立て役?」
「そう。あなたみたいなやせっぽっちでみずぼらしい子供が隣にいたら、わたくしの豊満なボディがより映えるでしょう?」
(豊満なボディ……。単に肥満気味なだけだど思うけれど……ものは言いようだわ)
一番上の姉は、なんでも与えられて育ったがためにブクブクと太っている。しかし確かに、あまりにも痩せて貧相な体つきのミラジェの隣に立てば、姉の体は健康的に映るかもしれない。あの骨ばんだ娘に比べたら、少しばかり太っている方がまだマシだ、と。
ミラジェは一番上の姉の言葉を遮ることはせず、従順な姿勢を見せながら頷く。
(確かに。こんな見窄らしい私を見染める人なんていないだろう)
いたとしてもそれは、幼女愛好家か、はたまた、歪んだ美的センスを持つ変わり者だけだろう。
ミラジェはドレスを着ても隠し切れないほど、痩せ細っていた。
姉達が勝負衣装に身を包む中、ミラジェに宛てがわれたのは姉がセンスが悪いと言って気に入らず、一度も着なかった子供用の黄色いドレスだった。
姉達が十歳の時に用意されたドレスだったが、栄養失調により成長が思わしくなく、背丈が子供ほどしかないミラジェは成人近い女性には小さいはずのそれを身に纏うことができてしまう。
しかもそのドレスは子供をより可愛らしく見せるために、リボンやフリルがデコラティブに盛りつけられているため、痩せ細ったミラジェがそれを着ると、痩せている手足が強調され、よりいっそう痛々しく見えてしまう。
唯一このドレスの優れている点は、首元が立ち襟になっているため、鎖骨から首にかけて覆い尽くすように広がり、虐待による傷跡が隠れるところだ。
(お姉様やお義母さまは貴族としての外面を気にするから、人目に触れるところには傷をつけないけれど、最近私の首を絞めるのがお好きだから、跡が消えなくて困っていたのよね……)
型はもう流行遅れで、一周も二周も回り切ってしまっているが、都合のいい洋服が与えられているだけでもありがたいことだとミラジェは思っていた。
正直、妹に不恰好な服装をさせ、自分を際立たせてまで、自身の婚活に必死に取り組む姉たちを見てミラジェは内心、彼女たちを哀れに思っていた。
(ああ、姉たちにいい伴侶が見つかるといいのだけど)
ミラジェは姉たちが幸せになりますように、と心の底から思っていた。願わくば、自分の知らないところで、たくさんの幸せを享受し、溺れてしまうほど幸福になって欲しかった。
それは決して、ミラジェがどんな人間でも赦してしまえるほど、清らかな心の持ち主だというわけではなく、姉達に自分をいじめ抜くこと以外の娯楽を持ってほしいという悲しい発想から生まれた考えだった。
伴侶へと興味が向かえば、きっとどこか直情的な考えを持った姉たちはそちらに夢中になるだろう。
溺れるほどの幸せに見舞われれば、ミラジェという飽きた玩具には、もう見向きもしないはずだ。
自分に明確な悪意を向けられ続けるよりも、無関心でいてもらえる方が、ミラジェにとって精神衛生上望ましい。
長年続くいじめ__というより虐待に耐えてきたミラジェの心は、誰の情すら必要としないほどに渇ききっていた。
(姉達の引き立て役になれるよう、精一杯頑張らなくちゃ。最低でも、せめて誰かの印象に残ってしまうようなとんでもない粗相を起こしませんように)
ミラジェは自分の体に言い聞かせるようにして、願った。
*
エイベッド公爵家の当主、シャルル・エイベッドは目の前の執務机に置かれた一通の招待状を見て、深い深いため息をつき、突っ伏すように項垂れていた。
封筒につけられた鷹と薔薇が絡み合うような意匠をもつ仰々しい紋章のシーリングは、間違いなく王家のものだった。
「どうしてあの男はこんな舞踏会なんて催すんだ。行きたくない……」
シャルルの森のように豊かな緑色の瞳が鬱々と陰った。深い海のように青い髪を掻きむしり、険しい顔を見せる。
シャルルは長身の体躯と、目鼻立ちがはっきりした美しい見た目をしているので、女性たちに大変な人気を誇っている。しかも、この国で王家を除くと一番高貴な家柄のエイベッド公爵家の一人息子である。
しかし、彼の性格は寡黙で、実直。
女にキャーキャー言われることを決して喜ばず、親しい人間以外には、まったく笑顔を見せない男だ。
女性嫌いなことでも有名で、彼にアタックした女性はどんなに美しい美貌の持ち主でもことごとく振られてしまう。
それゆえに王都の女性たちの間で『氷の公爵』と呼ばれているのだ。
しかし、実際のところ、彼は内弁慶なだけで親しい者に対しては柔らかい微笑みを見せる。
それどころか、本来は領地の統治や国の行く末を左右する戦よりも、花や小動物を愛でていたい、と言う少々乙女な面も持ち合わせている繊細な男だった。
シャルルは『氷の公爵』と呼ばれるだけあって、眼光鋭く冷たい表情で招待状を睨みつけていた。あまり親しくない者が見たら一瞬怯んでしまいそうな表情だ。いくら目鼻立ちが整っていて美麗であったとしても近付き難い風貌に見えてしまうだろう。
そんな彼に向かって、長年エイベッド家に仕えている従者のジャンは怯むことなく、気安いノリでツッコミを入れる。
「坊っちゃん。いくら従兄弟であっても陛下のことをあの男などと呼んではなりません。不敬ですよ」
ジャンの言葉には共に育ってきた幼馴染としての気安さがこもっていた。
プライドの高い貴族であれば、敬う気のない言葉に憤って、従者を切り捨ててしまう者もいるかもしれない。
しかし、シャルルはこんなことでは全く怒らない。それどころか、シャルルはこの従者であるジャンに全く頭が上がらないのだ。
ジャンはシャルル付きの従者として幼い頃から鍛錬を積んでいる。どんな不利な状況でも頭が回る切れ者で、王家の相談役としての職務で忙しいシャルルに代わって、公爵家領、領主としての執務のほとんどを代行している。
エイベッド家の頭脳と言っても過言ではない存在だ。
「……しかし、それを言うならば、爵位を継いでエイベッド家の当主となった私に向かって“坊っちゃん”と呼ぶお前だって不敬極まりないだろう。私はもう三十二になるんだぞ?」
「御言葉ですが、坊っちゃんはいつまでも結婚する素振りも見せず、未婚でいらっしゃるじゃないですか。女性嫌いの社交嫌いでいらっしゃる、甘ったれの坊っちゃんはいつまで経っても“坊っちゃん”なのですよ」
「ぬぬぬ、何だとう? 未婚であることはそんなに悪いことか? 実際、貴族の中にも独身を貫き、それを信条としている者だって多いではないか。私だけに言及するのは差別だろう!」
ジャンはわかりやすく顔を顰めた。
「しかしながら……坊っちゃん。坊っちゃんが引き継いだ、このエイベッド家は陛下の御生母を輩出した、高貴なる公爵家なのですよ。他の貴族とはわけが違います。今でも王宮に強い発言権を持っている家なんてエイベッド家の他にございません。そんな公爵家の一人息子であられる坊っちゃんが後継をお作りになるのはもはや、この国で一番大事な義務だと言っても過言ではないでしょう」
「それは言い過ぎだろう。この国の未来にとって大切なことはいくらでもある」
「しかしながら……。実際あの陛下があなたさまのためにこうして舞踏会を催しているではないですか! 未婚のあなたのために! 国中の御令嬢を集める手配を陛下自ら行って、坊っちゃんの出会いの場を自らお作りになってくださったのですよ⁉︎」
「うう……」
それを言われると何も言い返せない。
従兄弟にあたるこの国の陛下は、シャルルよりも四歳年下だが、六年前に王妃を娶り、立派に世帯を持ち、二人の子宝にも恵まれている。
幼い頃からシャルルを実の兄のように慕ってくれていた陛下は、シャルルが未だ独り身でいることに対して気を揉んでいるようだった。
「もう最悪、結婚もしなくても構いません! 一夜の過ちでもよろしいので、お世継ぎだけはお作りになってください!」
「そんな女性に不誠実なことできるか!」
世継ぎさえ作ればなんでもあり。なんでもいいからさっさと世継ぎを作りたまえ。
そんな雰囲気をシャルルはジャンだけではなく、屋敷中から感じとっていた。
養子を迎え入れることも考えているが、直系の子でなければ、長年受け継がれてきた由緒正しいエイベッド家の血統はそこで途絶えてしまう。
シャルル自身は血統にこだわりがなく、優秀な者を家に迎え、エイベッド公爵家の人間として国を導けばいいと考えていた。しかし周りはそうは考えてくれないらしい。
貴族社会において__特に王家や公爵家の人間は特に血統にこだわる。
養子を迎えるにしても、妻を迎えるにしても、今後のことを考えると気が重い。シャルルはジャンに気づかれないくらい小さく、ため息をついた。
*
二人の言い合いが続く中、扉がノックされ、一人の侍女が入室してきた。長い黒髪をきっちりと後ろで一本に三つ編みに結っているその女性は、たおやかな女性、という表現が似合う、上品な侍女だった。
「ジャン。坊っちゃんを責めてはなりませんよ。坊っちゃんがそんな勇気がある殿方だったら、とっくの昔に子供の一人や二人生まれているとは思いませんか?」
聖母のようなたおやかな笑みを携えながら、グサグサと心に突き刺さるような言葉を口にして部屋に入ってきたのは、ジャンと同じく、この屋敷に幼い頃から仕えている侍女頭のアレナである。
このアレナもジャンと同じく、シャルルと同世代の侍女で、幼馴染のように育てられたがために、シャルルに遠慮せず、意見を口に出来る人間の一人だ。
「坊っちゃんは氷の公爵と呼ばれていらっしゃいましたが、この屋敷に仕える者は皆、坊っちゃんが心優しい誠実な方だということを知っています」
「アレナ……」
シャルルは長年付き合いのある侍女頭の慈愛のこもった言葉に涙を滲ませた。
「でもそれとこれとは別です」
アレナの瞳は凍てついた吹雪のようだった。
「うっ!」
「早くさっさと御世継ぎを作ってくださいませんと……この子が仕える主人がいなくなってしまうではないですか」
アレナは微かに膨らんだ、自分の腹を優しく撫でた。そう、アレナの腹の中には子供がいるのだ。それを見てシャルルは僅かに表情を曇らせた。
(仕事命、一生独身宣言をしていたアレナがこんな時期に子を孕んだ一因は俺にある……)
子供の父親は、隣にいるジャンである。少し前に、なかなか結婚するそぶりを見せないシャルルに痺れを切らした前当主__シャルルの父が長年付き合いがあり、シャルルを支えてくれるのならば、もはや相手は侍女でも良いのではと言い出し、アレナと身分差がある無茶な縁談を持ち込もうとしたことがあったのだ。
基本的に貴族に持ち込まれた縁談を平民は断ることができない。前当主の口から、縁談が口に出されてしまったところで、アレナの拒否権は奪われてしまう。
それを躍起になって防いだのが、ジャンである。
実はジャンは昔からアレナに恋心を抱いていた。しかし同時に幼い頃から共に過ごし、同じ従者として苦楽を共にしてきたアレナはジャンにとって、かけがえのない大切な同僚でもあった。自分の微かな恋心のせいでアレナとの関係性に綻びが出るくらいならばと、自分の思いを心の奥底にしまいながら職務をこなしていたのだ。
しかし、このままではアレナが望まぬ形でシャルルに娶られてしまうと知るとジャンは早急に動き出した。
自分の思いを告げ、驚くほどのスピードであれよあれよという間にアレナと婚姻を結んだ。
側から見ると強引に見えるほどの勢いだったが、愛する女を守るために必死だったのであろう。
念には念を入れたジャンは、アレナとの結婚が破談にならぬよう、式を挙げた直後、すぐさま腹に子供までこさえた。
結果的にアレナはジャンを憎からず思っていたことがわかり、二人は幸せに暮らしている。
アレナも
「シャルル様のおかげで私はよい伴侶と家族を得ることができましたわ。きっと何もなかったら私たちは一緒になっていなかったでしょうし」
なんて言って笑ってくれた。
しかし、自分との結婚話が持ち上がらなければ、アレナは早急に結婚をする羽目にはならなかったのではないかという思いも拭い切れない。
シャルルの婚姻関係で運命を狂わされた人間は侍女のアレナだけではない。シャルルと歳周りが近い子女は漏れなく、見目麗しいシャルルに恋心を抱いた。懸命なアタックの末、思いを諦めきれず婚期を逃したものも多いと聞く。
(俺ごときの婚姻に何人の人間が運命を狂わせているのだろう)
これ以上の犠牲者が出なければいい。鋭い眼光と、獅子のような顔つきをしているにもかかわらず、心根が優しいシャルルは目を瞑り、神に願うような気持ちだった。
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