イケない子。
渇いた喉を潤さねば、
キミと話せない。
空腹を満たさなければ、
キミの手を握れない。
けれど、罪の味を知ってしまえば、
純白のコートを身に纏えない。
今日も、
胸の木こりが、
トントンと、
働いている。
せわしなく、
せわしなく。
✳︎
-20XX年-
──ある時、ソラから星が落ちてきた。両手で包み込めそうな小さな、小さな星が。
それは、あまりにも小さく、息を吹きかけただけで消えてしまいそうな程か弱い光を放っていた。
しかし、そのか弱い光が世界を、人類を一変させた。
光──星に付着していたちっぽけな細胞が、選ばれた人類に力を与え、強者が弱者を力で従える時代に逆戻りした。
「やぁ、"マグロ"ちゃん。 今日もよろしくネ」
「…………」
──グニュ、プツリ。ニュル、ズチュ。グチャ、グチョ。
不気味な水音。赤が滲んでいく。狂った男が本能のままに"私"を求める。
だけど。
何も感じない。
「また、頼むヨ」
「…………」
今日も身体を売る。
それが、私の役目だから──
「戻ったか、"396(サンキューロク)"」
パパは私を名前ではなく数字で呼ぶ。
理由は単純。
私は商品で、パパはお金とデータにしか興味がないから。
「ふむ、まぁまぁだな。 次の客が来るまで待機していろ」
「…………」
でも、それでいい。
それが私にとっての当たり前だから。
なのに──
「ねぇ、お嬢さん、お名前はー?」
「…………」
「聞こえてるよねー? お嬢さん、お名前はー?」
「……396……」
「んー、もう一度聞くよー。 お嬢さん、お名前はー?」
「……マグロ……」
「ノンノンノン。 僕は、君の"本当の名前"を聞いているんだよー」
「……真黒……」
「…………。 キミの美しい髪を体現するような素敵な名前だね」
その当たり前は、あっさりと崩れ去った。
彼は──不知火白は、ただの新しい客。私にとって、それだけの存在でしかない。
「じゃ、行こっかー」
にも関わらず、彼は私を連れ回す。
ショッピング──
「ねぇねぇ、どうせならこっちのワンピースのが良くないかな?」
「…………」
「んー、キミは凛々しい系だからジーンズとかもありかもねー」
映画観賞に──
『ロックオン! 君のハートを射抜くぜ──』
「BANGッ! ってね。 ここのセリフ好きなんだー」
「…………」
「あ、僕らだけとはいえ上映中に喋るのはマナー違反だったねー」
カフェで休憩。果ては、水族館。
「いやー、やっぱ、デートは楽しいねー」
その言葉は、水槽を漂う事しか出来ないクラゲと同じ。
「…………」
私と彼は違う。
彼は髪をセットしている。私はしていない。
彼は笑う。私は笑わない。
彼は買う──私は売る。
彼は男で、私は女。
彼は食う側で、私は食われる側。
全てが正反対。
だから、彼の行動全てが理解出来なかった。
「さて、そろそろ時間だね」
でも、それでいい。
違っていようが、理解出来なかろうが、どうせ身体を売るだけだから──
「ねぇ、本当に何も感じてなかったのー?」
「……感じてない……」
「本当の、本当にー?」
「……嘘は、言わない……」
「…………。 本当の、本当の、本当の」
「……本当に……」
「そっか。 ああ、僕はあんなにも熱く、激しくキミを感じていたのになー」
「…………」
また、違っていた。
過程はどうあれ、今までの客は本能のままに私を求め、貪っていた。
けど、彼はそうしなかった。
ただ優しく、触れているだけだった。
「あれ、どうかしたの?」
「……キモチワルイ……」
「え、いきなりひどくない?」
本当にキモチワルイ。
どうしようもなく、キモチワルイ。
キモチワルくて、キモチワルくて仕方なかった。
それからも、彼は私を買い続けた。何度も、何度も。
あまりにも羽振りがいいので、パパも彼をお得意様として優遇した。
そのせいで、また同じ場所で連れ回される。
「そんな露骨に嫌そうな顔をしなくても」
「……気のせい……」
「もっとさ、楽しもうよー。 ほら、笑って、笑って〜」
「……アナタは、何がしたいの……」
「何って、デートだけど」
「……こんなもので……」
VR。故郷を捨て、地下シェルターへ逃げた人類が残していった遺物。
偽りの世界。
彼は、それを通し、かつてここにいた人々の生活を楽しみ、紅茶を飲むフリをしていた。
「こんなものって。 味も、匂いも再現出来ててスゴいと思うんだけどなー。 そうだ、キミも飲んでみなよー」
「…………」
「あ、僕の飲みさしだから間接キスになるねー」
手渡されたカップ。
それは、よく出来た幻。
しかし、私が口にしたところで何の意味もない。
例え、それが現実だったとしても。
「…………」
──カチャ。コト。
「どう?」
「……何も感じ、ない……」
「やっぱり、味覚もないんだね」
「……必要ないから……」
「そっか。 ざーんねん」
「…………」
また、だ。
また、キモチワルイ。
「……身体、買って……」
「えー、まだもうちょっと」
「……早く、買って……」
「…………。 分かった。 でも、そのかわり」
──ドッ、バタッ。
「今、ここで、ね」
「…………」
周りには、他に誰もいない。
ここで押し倒されたところでどうという事はない。
それに、これで最後。彼と、会うのも。
「……好きに、して……」
だから、何も問題はなかった。
無事、目的を達成したパパは出ていった。
用済みになった私を捨てて。
でも、それでいい。
初めから決まっていたことだから。
なのに──
「……なんで、来たの?」
「ちょっと、感動の再会なんだからさ。 もっと、こう」
「……なんで?」
「愛しいキミに会うのに理由が必要かな?」
「……そういうのは、いい」
「えぇー、僕はガチの、マジの、本気の」
「…………」
「僕さ、大抵のことは許せるんだけど泥棒だけは許せないんだよね」
「……泥棒を、許せない?」
「そう。 だから、もう悪さ出来ないように、お仕置きしておいたんだよ。 僕のチート能力で、BOMB! って」
「…………」
今日も、キモチワルイ。
「……そんなことを、言いに?」
「ううん、違うよ」
「……じゃあ、なに?」
「僕が、ここに来たのは──キミを取り返すためだよ」
「……とり、かえす」
「BANGッ! ってね!」
「…………」
「良かった。 笑ってくれて」
でも、それでいい。
彼との生活が始まり。
朝も、昼も、夜も、ずっと一緒だった。
だけど、
「えーと、これは?」
「……牛の肉を加熱したもの」
「じゃあ、こっちは?」
「……豚の肉を加熱したもの」
「一応、聞くけど、そっちは?」
「……鶏の肉を加熱したもの」
「うん、だよねー」
私には、彼が分からない。
「……どうして、私に作らせるの?」
「真黒の手料理を食べたいからだよー」
分からない。
どうして、彼はそんな嘘をつくのか。
分からない。
「……キモチワルイ」
「んー、それも慣れちゃったねー」
「……キショクワルイ」
「いやいや、言い方を変えてって意味じゃないからねー」
「……キモイ」
「あはは、略すのも同じだよー」
分からない。
どうして、彼は楽しそうなのか。
分からない。
「ねぇ、真黒〜」
──ギュッ。
「……くっつかないで、皿洗いの、邪魔」
「今日、お風呂で触らせてー」
「……イヤ」
「えぇ、なんでぇー」
「……洗うの、大変」
「そうだけどさー」
分からない。
どうして、以前より私を求めてくるのか。
分からない。
「……ねぇ」
「ん、どしたのー……って、え?」
──ギュッ。
「あのー、胸当たってるよー? あ、もしかして、当たってるんじゃなくて、当ててるってやつかなー? ならなら、後ろからじゃなくて」
──グッ。
「……珍しいね、真黒から甘えてくるなんて」
分からない。
どうして、こんなに痩せてまで我慢するのか。
分からない。
「僕に触発されちゃった?」
「……バカ」
「はは、ごめんね」
「……アナタにとって、私はなに?」
「そりゃ、もちのろんのもち! で、可愛いお嫁さんだよー」
「…………」
──ググッ。
「ぐぇっ⁉︎ く、苦しい……苦しいってば、もう……」
「……真面目に、答えて」
「はいはい。 ……でも、やっぱり」
「……ぁ……」
──ドッ、バタッ。
「可愛いお嫁さんかな」
分からない。
どうして、私なのか。
分からない。
「……本気?」
「本気だよ」
分からない。
どうして、こんなにも。
「……胸が、キモチワルイの」
分からない。
「……分からない」
分からない。
「真黒、触らせてもらっていい?」
「……なんで、今」
「いいから」
「…………」
──グニュ、グチャ、グニュ。
「あぁ、やっぱり、いいね。 真黒の身体」
何がいいのか、分からない。
客にとって。
彼にとっても、ただの餌でしかないはずなのに。
「昔さ、テレビで臓器移植をしたらドナーの記憶が転移するって聞いたんだ」
「…………」
「それで、人の心は臓器の中にあるんじゃないかって思った」
──グニュ、グニュン。
「だから、今すぐ触れたかったんだよ」
「……私は、人じゃない」
「えー、なに言ってるのさ。 初めて会った時、ちゃんとお嬢さんって言ったでしょ?」
「……それは、ただの」
「それに、僕も、真黒も、他の人よりちょっと先を行ってるだけだと思うな」
「……ちょっと、先」
「そ、だから、周りが追いつけば大丈夫。 僕の場合は早すぎたかもしれないけど……それは、いいんだ」
「…………」
「ところでさ。 真黒の心はこんなにも綺麗で、こんなにも暖かいんだよ」
重なり合った手と手が赤く滲んでいく。
その中で、トントンと、時を刻む私の心。
だけど。
何も感じない。
「ねぇ」
「ん、なに?」
「ずっと、側にいて。 白」
でも、それでいい。
「初めてだね。 キミが名前で呼んでくれたのは」
「知らない」
「え、なに照れてるの? かっわいー」
「ばか」
けど。
やっぱり、彼は分からない。
それから、少しだけ、幸せな日々が続いた。
本当に、少しだけ──
「ごめんねぇ……迷惑かけちゃって……」
彼の儚げな声。
それは、終わりが近い証拠。
当然だ。
長い間、食べていないのだから。
「どうして、食べないの? 私を」
「今、聞くの、それ……?」
「今、だから」
「いくら生きる為だからって、"愛する人"は食べたくない。 そんな事するくらいなら死んだ方がマシだ! ……って、言えたら、かっこよかったのにね……残念ながら、怖かっただけなんだよ……」
「…………」
「おかしいよねぇ……散々、解剖してきたくせに……食べるのは怖いだなんて……」
嘘つき。
「お腹は空いてる……人を食べたい……でも、食べれない……とんだ地獄だよねぇ……無責任な僕には、相応しい最後だけどさ……」
彼は、優しい嘘つき。私は、ズルい正直者。
「ねぇ、初めて会った時に聞いてくれたこと。 まだ、ちゃんと答えてない。 だから、もう一度、聞いて」
「…………。 ねぇ、お嬢さん、お名前は……?」
「秋桜。 真黒秋桜」
「真黒、秋桜か……キミらしい……素敵な、名前だね……」
少しずつ、浅くなる呼吸。
ひび割れた彼の手はもう動かない。
その彼に、触れてもらう方法はひとつ。
「…………」
──ガシッ、グニュ。
「あれ……ど、したの……やけに、積極的だねぇ……」
私の手で取り出し、彼の手に添えるしかない。
「私の心、どう?」
「すごく、暖かいよ……僕のと、違って……」
私と彼は違う。
彼は色が抜けて白い髪。私は変わらず黒いまま。
彼はもう笑えない。私は笑えるようになった。
彼は食人鬼──私は無限に再生する餌。
彼は逝けて、私は逝けない。
だけど。
彼に出来ない事が、私には出来る。
「これは、白にあげる」
「うれ、しぃなぁ……ぁ……りぃ……がぁ……とぉ……」
「だから。 だから、ね」
きっと、私と彼は何があっても違う。
永遠に。
『…………』
でも、それがいい。
✳︎
-数日後-
「ヒッ、ま、マグロちゃん……なんデ……っ⁉︎」
私は、殺す。
「ねぇ、紅茶の味。 知ってる?」
食人鬼を。
「エ、なん、で、そん、ウギャァァァァアッ」
一人残らず。
それが、
「私は、知ってる。 血の味とおんなじくらい。 よく知ってる」
"白に貰った心だから"
今日も、
胸の木こりが、
トントンと、
働いている。
せわしなく、
せわしなく。
fin.