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ふたりは世界を作り出す(1)

 十二月二十八日、水曜日。

 この日は私の勤め先でも仕事納めだった。


『今日は帰りが早いから、お夕飯一緒にどうかな?』

 朝のうちにそんなメールを送ったら、黒野くんは二つ返事で飛びついてくれた。お店の定休日で、夕方以降は予定もなかったらしい。

 それで私は職場の納会を終えた後、彼と駅前で落ち合ってご飯を食べに行った。


 黒野くんの案内で入ったお店は、一見普通のカフェ風のこじゃれた食堂だった。

 メニューを開けばドリンク類より豊富なフードメニューが並んでいて、ありがたいことに定食もあった。メールで何を食べたいか聞かれたから『白いご飯が欲しい』と答えたら、その通りのお店を見つけておいてくれたようだ。

「都さんって、ご飯ないと駄目な人だったりする?」

 差し向かいに座って注文を済ませた後、黒野くんが尋ねてきた。

「うん、駄目な人。ご飯食べないと食べた感じしなくて」

「どうりで。前もそうだったもんな」

 ちなみに、できることなら三食全部でご飯を食べたい派の人でもある。

「一人暮らし始めたての頃は、麺類とかパンとかで済ませてたこともあったんだけどね。それだと何となく満足感が薄いってことに気づいて、以来ずっとご飯党」


 もちろん自炊でご飯中心の献立を組み立てるのはそこそこ面倒くさい。たまにご飯と具だくさんスープだけ、みたいなサボりもやったりする。

 何となく自炊生活が続いているのは、とにかく無理をしないようにしているからだろう。


「黒野くんも自炊してるんでしょ? どんなの作るの?」

 私が聞き返すと、黒野くんは頬杖をついて答える。

「俺は全然レパートリーないから、いつも本見ながら作ってるよ」

「レシピ本とか? そういうの買うんだ」

「店に置く分もあるしね。仕入れついでに自分のレシピも仕入れてる」

「何か本格的……実は結構上手かったりする?」

 私が作った超家庭的ロールキャベツ、見劣りしなかっただろうか。

 不安に駆られたけど、黒野くんは笑い飛ばすように明るく言った。

「いつも写真だけ見て『これ作ろ』ってやるから、いざ作って食べてみたら思ってたのと違うってこと結構あるよ。だから尚のこと家庭料理に飢えてる」

 なるほど、そういうものかな。

 黒野くんはお母さんからお料理を教わったりしなかったようだ。しないか、男の子だもんね。大人になってから料理を始めたから、基本的な家庭料理は作れなかったりするのかもしれない。

 納得する私に、彼はすかさず笑いかけてくる。

「だからまたごちそうしてね、都さん」

「あんなものでよければ、また作るよ」

「絶対だよ」

 強く念を押されたので、私も内心で俄然張り切った。

 近いうちにまた何か作ってみようかな。お正月も近いし、おせちとかでもいいかもしれない。

 しかし、そうなると気がかりなことが一つだけある。


 私と黒野くんは隣同士なので、招こうと思えばいつでも部屋に招くことができる。

 そして私達はつい先日、いわゆるお付き合いをする間柄になった――付き合いましょうとか彼女にしてとか言ったわけではないけど、お互いの気持ちは明らかにしていたからそういうことだろう。

 こんなふうに、空いた時間ができる度に会うような関係にもなっていた。

 だから、そろそろ部屋に呼んでご飯をごちそうするくらいはしてもいいかもな、と思っている。

 気がかりなのはそこだ。

 呼ぶのはいい。

 だけど部屋に招いたりしたら、ちょっと期待をさせてしまうのではないかという不安がある。


 注文した定食がそれぞれ運ばれてきて、お互いに食べ始めたところで、

「黒野くん、年末年始の予定は?」

 私は、迷いつつも尋ねた。

 こちらは明日からお休みで、仕事始めは年が明けた五日からだ。しばらくはのんびりできる。実家が遠方なので帰省の予定も立てていなかった。

「うちは三十日で仕事納めだよ」

 黒野くんはおろしハンバーグ定食を食べ始めながら答える。

 お腹が空いていたのだろうか。今日も開幕早々、胸のすくような食べっぷりだ。

「年始は四日から。都さんは?」

「私は五日から。黒野くんは実家に帰ったりしないの?」

「ん?」

 そこで黒野くんは一旦箸を止めた後、すぐに首を横に振る。

「いや、こっちでゆっくり過ごすつもり」

「そっか……じゃあ、よかったら」

 お互いに帰省の予定はないようだし、もし年末年始に他の予定がないようなら。

「お正月、一緒に過ごさない?」

 私は黒野くんに、そう持ちかけた。


 おせち料理とかお雑煮とか、いつもそこまで本格的には作らない方だ。

 だけどもしごちそうするんだったら、今年は頑張っちゃおうかな。お煮しめとか、ローストビーフなんて作ってみてもいいかもしれない。


 鶏の甘酢和え定食をつつきながら彼の返事を待っていれば、

「お正月だけ? 年越しも一緒にどうかな、都さん」

 黒野くんは私に対し、いつものように甘く微笑んでみせた。

「と、年越し?」

「三十一日は予定ないし、一人でテレビ見ててもつまんないし。都さんはどう?」

 私も似たようなものではある。そこまで大がかりな大掃除をするつもりもなかったから、適当に片づけて買い出しを済ませたら、三十一日はずっと家にこもってようかと思っていたくらいだ。

「予定はないけど……一緒に過ごす?」

「そうしようよ。俺も何か作るから、持ち寄りパーティにしよう」

 黒野くんは心なしか浮かれた様子で続ける。

「どっちの部屋にする? 俺のとこ来てもいいけど、大掃除が間に合わなかったらごめん。一応体裁だけは整えておくから。都さんの希望はどう?」

「えっと……」

 上機嫌の彼が畳みかけてきて、私は思わず答えに詰まった。


 年越しを過ごすのが嫌なわけじゃない。

 私だって大晦日を一人で過ごすのが楽しいとは思ってないし、黒野くんと一緒ならさぞかし楽しく過ごせることだろう。これといって見たいテレビがあるわけでもないから、その辺りは彼に譲ってあげることもできる。年越しのごちそうも二人で食べたらきっと美味しいことだろう。

 でも、そうなるとどちらかの部屋に相手を呼ぶ必要があるわけで。

 そして年越しとなると、夜遅くなわけで――。


「私はどっちでもいいけど」

 迷いつつ答えると、黒野くんは少し気遣わしげな顔をした。

「本当にいいの? 俺の部屋入るの、抵抗あるって思ってない?」

「――そ、んなこと全然、ないんだけど」

 それどころかむしろ、黒野くんがどんな部屋で暮らしているのか、一度見てみたいなと思っていた。美容師さんっておしゃれな部屋に住んでるんじゃないかな、って気もするし。黒野くんなら大掃除してなくてもきれいにしていそうだとも思う。

 そうでなくても、好きな人の部屋って一度は見てみたいものだ。


 ただ、どうしたって意識はしてしまう。

 付き合っている相手を部屋に招く、招かれるって、やっぱりそういう可能性もあるのかな。

 いや、別にそうなって欲しいわけじゃないけど。こんなに考えてるとまるで私の方が期待しているみたいだけどそうではなくて。

 最近、片想いの恋ばかりしていたからだろう。

 こういうお付き合いは久々すぎて、感覚がわからない。


「じゃあ黒野くんのお部屋、お邪魔してもいい?」

 迷った挙句、私は意を決した。

 やっぱり黒野くんの部屋は見てみたい。年越しだって一緒に過ごしてみたい。もし微妙な空気になったら、それはその時考える。

「いいよ。おいでよ、都さん」

 黒野くんも安堵したように表情を緩めた。

「俺も頑張って掃除するから。あ、料理ってどうする? 都さんならご飯の方がいいのかな。それとも酒飲む? なら俺、つまみ作っておくけど」

 途端に彼は嬉しそうに話し始めて、年越しを楽しみにしているのが十分伝わってきた。

 その屈託のない話しぶりからは下心なんて微塵も窺えなかったし、私のように緊張しているそぶりもない。

 私が意識しすぎなのかな。

 こういう恋は本当に久々で、ついつい先回りして考えてしまう。


 食事を終えて店を出た後、黒野くんがふと言った。

「都さん、ちょっと意識してる?」

「きゅ、急に何?」

 アパートまで同じ道を辿りながら、私は唐突な質問にどぎまぎした。

 まるで内心を読まれているようだ。恐る恐る隣の彼に視線を向ければ、おかしそうに吹き出されてしまう。

「そういうの、正直に言ってもいいんだよ」

 と言われましても、どのように正直に言えばいいものか。

 部屋に呼ばれたりすると一線を越えそうな予感がして緊張してるんです、何分こういうお付き合いは久々なもので――などと、付き合いたてほやほやの相手に言えるわけがない。

 私が言葉をためらっていると、

「大丈夫だよ、都さん」

 不意に黒野くんが、その芸術品のように美しい手で私の手を握ってきた。

 指を絡める恋人繋ぎに私が一層うろたえると、彼は意外にも穏やかに続けた。

「俺もガキじゃないから、都さんが本当に嫌がることはしないよ」

 十二月の凍りついたような大気に、彼の白い吐息が溶けていく。

「都さんが好きなんだから、大切にする。当たり前だろ」

 きっぱりと断言した後で、黒野くんは逃げ込むようにマフラーに顔を埋めた。

 寒かったのだろう。少しだけ身震いしたのが繋いだ手から伝わってきた。

「……ありがとう」

 彼が寒さに耐えながら伝えてくれた思いを、私はしっかりと受け取る。


 確かに、黒野くんは大人だ。

 私の不安を察知して、誤解を恐れずに気遣う言葉をかけてくれた。

 だったら私も、黒野くんが誤解しないように応える必要がある。


「ごめん、意識してたのは本当。やっぱりわかっちゃうよね」

 私が打ち明けると、黒野くんは無言で私の手を握り直した。ほんの少しだけ力を込めて。

「そういうふうに思うのも、黒野くんに失礼だろうけど……」

「失礼ってことはないよ」

「私、こんなに幸せな恋愛するの久々だから」

 口をついて出た本心に、言った後で自分がどきっとした。

 片想いでも幸せだって、長い間ずっと思っていたはずなのに。私はもう、黒野くんといる幸せにすっかり浸ってしまっている。それはいいことであるはずなのに、とても贅沢をしているような後ろめたさも覚えた。

「慣れてなくてごめん。ちゃんと慣れるようにするから」

「いいよ。じっくり付き合うよ」

 黒野くんはマフラーの中で少し笑って、

「それより俺は、都さんが俺といて楽しんでる方が嬉しいな」

 と言ってくれた。

 心とろかすような優しい言葉が、何だか胸にぐっと来る。

「楽しいよ、黒野くんといるの」

「俺も。都さんと一緒だと、ご飯食べるだけでも楽しかったよ」

「ありがとう。すっごく嬉しい!」

 黒野くんが私に伝えてくれる気持ちの一つ一つが、私を温かくしてくれる。

 冷え切った夜の空気の中でも寒くない。アパートがだんだんと近づいてくるのが惜しいとさえ思えてくる。

「だから、大晦日も楽しみにしてるね」

 ようやく心から言えた私に、黒野くんもとびきりの笑顔を見せてくれた。

「俺も。一緒に新年を迎えられるの、楽しみだよ」

 緊張は、まだちょっとしている。

 好きな人の部屋に行くんだから当然だ。何も思わなかったらおかしい。

 だけど黒野くんと過ごせるのが楽しみだって気持ちの方が、今は強くなっていた。


 アパートの外階段を上がり、私達はお互いのドアの間で別れる。

 黒野くんは私の手を離すと、代わりにその美しい手を私の頬に添え、そっと唇を重ねてくれた。

 柔らかくて温かい、優しいキスだった。

「……都さん、これは平気なの?」

 キスの後で、彼が不思議そうに聞いてきた。

 私は苦笑しながら彼の胸に顔を埋める。

「平気ってほどじゃないよ……どきどきしてるよ」

「そっか。何とも思われてなかったらどうしようかと」

 黒野くんは本気で胸を撫で下ろしていた。


 不安がらせてしまうほど堂々としていただろうか。

 私は恐る恐る顔を上げ、彼の表情を窺おうとした。


 だけど彼はそれを制するように私を強く抱き締める。

 それから私の襟足に、確かめるように触れてきた。

「都さん、年が明けたら髪切らない?」

「私もそのつもりだったの。前に言ってもらってたし」

「お正月も一日空けておいてよ、切ってあげるから」

 彼が耳元で囁く声と、襟足を撫でる手つきとが、くすぐったくてたまらない。

 キスよりもこちらの方が、どうしてかすごく恥ずかしかった。

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