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聖夜は光で満ちている(1)

 ベイエリアでのツリーの点灯式は午後六時からだ。

 セレモニーにはぎりぎり間に合わないだろうけど、点ったばかりのツリーを一緒に眺めることはできる。

『なるべく急いで帰るから、部屋で待ってて』

 黒野くんからはそんな連絡を貰っていた。

 科学館のプラネタリウムを見に行った時は現地集合にしたけど、今回はアパートから一緒に行くことにした。私を寒空の下に立たせておけないから、と黒野くんは言っていた。

 私としても、黒野くんとなるべく長い時間を過ごしたかった。つまりは双方の意見が見事に噛み合った形だ。


 二十四日の夕方、私は身支度を整えて黒野くんの帰りを待っていた。

 冬場のおめかしの厄介なところは、どんなに可愛い服を着たってコートの下に隠れてしまうところだ。せっかく可愛いニットワンピを着たのに、お気に入りのダッフルコートを羽織ったら何にも見えなくなった。せめてもの抵抗として前は開けておく。

 可愛いって、言ってもらえるといいんだけど。

 お出かけ前に鏡を覗いて最終確認。

 夜デート用の華やかメイクにニットワンピの組み合わせは最強だ。髪はしっかりブローして、今のところふわっと内巻きをキープしている。確かにちょっと伸びてきた気はするから、年が明けたら予約をしておこうと思う。

「……よし」

 前髪を直し、グロスを塗り直して私は頷く。

 鏡の中の私も張り切った様子で頷いている。その面持ち、まさにこれより本気の勝負デートに臨むかのようだ。

 いや、間違ってはないか。

 今夜はきっと、思い出に残るデートになる。


 黒野くんがアパートに戻ってきたのは午後五時半だった。

 着替えだけ済ませるという彼をもう少しだけ待ってみると、やがて玄関のチャイムが鳴る。

「ごめん、お待たせ。もう出れる?」

 現れた黒野くんは、灰色のショート丈ピーコートにコーデュロイのパンツという冬らしい着合わせだった。今夜もしっかりマフラーをしている。

 彼の方も私の服装をざっと眺めた後、嬉しそうに表情を輝かせた。

「都さん、可愛い! ニットワンピ似合うね」

「ありがとう。ちょっと照れるかな」

 可愛くしようと思って着たにもかかわらず、いざ誉められると恥ずかしいのはお約束というやつだ。

 それでいて、やっぱり嬉しい。


 一緒にアパートを出て、もう日の暮れた道を並んで歩き始める。

 ベイエリアまでは歩きだと少し遠いので、タクシーを拾っていくことにした。その為にもまずは駅前へ出る。

「都さんって髪、アレンジしないの?」

 歩きながら、黒野くんが私の髪に手を伸ばしてきた。

 しなやかな彼の手に優しく触れられると、この間の夜のことを思い出してしまう。どきどきするけど嫌じゃない。むしろ、もっと触ってみて欲しくなる。

 彼ならセットを崩さないよう触ってくれるって、信頼しているからだろうか。

「この形が気に入ってるから、あんまり弄らない方がいいかと思って」

 私はそう答えたけど、これまでショートにしたことがないからアレンジがよくわからないのも大きな理由だ。幸い、黒野くんがカットしてくれた今の髪型は一ヶ月経ってもまだ可愛さをキープしていたし、職場での評判も上々だった。

 でも、そうか。黒野くんに聞いてみればよかったんだ。

「何かいいアレンジってある?」

 聞き返してみたら、黒野くんは待ってましたと言わんばかりの顔をする。

「よかったら今度教えようか。口で説明するの難しいから、実地で」

「本当に? 教えてもらえたら嬉しいな」

「もちろんいいよ。俺も都さんの髪、もっと触ってみたいと思ってた」

 きっと『アレンジをしてみたい』って意味で言ってくれたんだろうけど、何だか違う意味合いにも聞こえて、更にどきどきした。

「黒野くんは髪の毛弄るの好きなの?」

 だから美容師さんになったんだろうか。そう思って聞いてみた。

 すると彼はその質問すら待ち構えていたみたいに、

「好きな子の髪は特にね」

 なんてことを口にする。

「わ……さらっと言うね、そういうこと」

「ごまかすのも今更だろ。はっきり言った方が誤解がなくていいよ」

 その言葉には同意する。

 誤解のないように伝えたいことが、今の私にはあるんだ。


 駅前からタクシーに乗ってベイエリアへ向かう。

 道は少し混んでいたから、手前で降りてそこから歩くことにする。

 クリスマスイブの夜、日が落ちたらめっきり冷え込んできた。海の近くでは吹きつける潮風が特に肌寒い。

 そのせいか、ツリーまでの道ですれ違った人達は誰も彼も寄り添い合って歩いていた。カップルだけじゃなく、小さな子供を連れた家族連れも、学生さんらしいグループも、肩を寄せ合って楽しそうに歩いている。

 街路樹の一つ一つにイルミネーションが点る中、それぞれの姿がとても幸せそうに照らされていた。


「この辺りの景色、すごくきれいだね」

 黒野くんが辺りを物珍しそうに見回している。

 ベイエリア周辺は歴史的建造物と、それを活用した観光客向けの商業施設が軒を連ねていた。私も前を通りかかったことくらいしかないけど、レンガ造りの建物が居並ぶこの一帯は見て歩くのも楽しいかもしれない。特にクリスマスは、まるで外国の街がここに引っ越してきたようにさえ思える。

「私も全然来たことないんだけど、一日いても退屈しないって聞くよ」

「榊も言ってたな。住んでるとありがたみなくなるから、早めに行けって」

 そういえば引っ越してきたばかりの頃、私も散々言われたな。観光名所に行くなら来たばかりのうちがいいって。じゃないとニュースなんかで見飽きて、結局行かないままになるって。

 確かに七年も住んでれば、来たことがなくてもこの景色は見慣れてしまっている。

 だけどこの街並みを初めて歩いてみたら、見ているだけよりもずっと楽しいことに気づいた。クリスマスだからかな。

「榊くん、この間のこと気にしてた?」

 あの人の名前が出たので、ついでに尋ねてみた。

 すると黒野くんはにやにやしながら頷く。

「してた。お客様なのに、都さんに合わせる顔がないって落ち込んでたよ」

「私はちっとも気にしてないよ」

 確かにあの時はかなりびっくりしたけど。

「でもすごく酔っ払ってたね。いつもあんなふうなの?」

「いいや、全然。地元帰ってきたのが嬉しくて、はしゃいでたんだと思う」

 そう語る時、黒野くんは優しそうな顔をしていた。

「あいつも俺も、少し前までは違う町で働いてたんだ。同じ系列の店でさ」

「じゃあ、お友達付き合いも長いんだね」

「アシスタント時代からだからね。何だかんだでずっと一緒にいたな」

「ふうん……いいね、そういう付き合いがあるって」

 黒野くんの新人時代なんて想像もつかないけど、榊くんが大切なお友達なんだってことはわかる。ここでお店を出そうと決めた理由の一つにもなったくらいだ。

 それに黒野くんって、友達にも素直な人なんだ。そういうところもいいと思う。

「うん。持つべきものは友達だって思うよ」

 真面目に頷く黒野くんの横顔を、私がこっそり窺い見た時だった。


 道の先で、わあっと歓声が上がった。

 思わずそちらを見やれば、建物の上からちらりとだけ覗く大きなツリーの先端部分、そこに留まった電飾の星に煌々と明かりが点いていた。


「ツリーに明かりが点ったんだ!」

 黒野くんもはしゃいだように声を上げる。

 そして私の手を取ると、

「行こう、都さん!」

 ツリーめがけて勢いよく走り出した。

 私も走ること自体に異存はなかったけど、彼が当たり前みたいに私の手を握ったから――何も聞かず、あまりにも自然に手を取られて、はにかみたくなるような気恥ずかしさも込み上げてきた。

 黒野くんの手は指がすらりと長くて、特に小さくもないはずの私の手でさえ包んでしまうほどだった。だから安心して繋いでいられた。

 私は身を預けるように、走りながら彼の手を握り返した。


 ベイエリアにある大きな広場に、そのツリーは立っていた。

 本物の樅の木を運んできたというツリーの高さは、聞いたところによれば約十八メートル。周囲は人で溢れていて容易には近づけなかったけど、すぐ傍で見上げたならてっぺんまでは見えなかったに違いない。

 だから私と黒野くんは少し離れたところから、ツリーの全身を目に収めることにした。

 それにしても、なんてきれいなんだろう。

 背の高いツリーには無数の電飾が渡されていて、それが星を散りばめた銀河みたいにちかちかと瞬いている。

 雪の色のような白、星を真似たような金色、オーナメントの形をした赤、そしてそれぞれの光に照らされて一層映える青々とした樅の葉――息を止めていたくなるくらい、きれいだった。


「すごいな……。夢みたいな景色だ」

 黒野くんもうっとりと呟いていた。

 ツリーを眺める人々も皆、同じように思っているのだろう。私の周囲のあちこちから歓声や感嘆の吐息が聞こえてくる。私だって何か言いたかったけど、とてもじゃないけど言葉にならなかった。

 七年もここに住んでいながら、ちゃんと間近で見たのは初めてだ。

 こんなに美しいものだったなんて知らなかった。

 ツリーが立つ広場の奥には、宇宙のように真っ暗な海が広がっている。そこから吹いてくる潮風の香りは、私にとっては酷く懐かしく思えた。故郷と同じ匂いがする。

 だからかもしれない。ツリーの美しさがとても貴いものに思えて、言葉にならなかった。

「きれいだね、都さん」

 隣に立つ黒野くんが、そっと囁いてくる。

 手はまだ繋いだままだ。答える代わりに握り返すと、彼が小さく笑うのが聞こえた。

 黒野くんの手は温かい。外は本当に寒くて吐く息も白くなっているのに、その手から伝わる体温が私をしっかりと温めてくれた。幸せだった。


 好きだな、って思った。

 黒野くんのことが。

 出会ってまだ二ヶ月も経ってなくて、今まで私が好きになった人達とは違う優しさの持ち主。いつも向けてくれる甘い微笑と、時折見せる真剣な表情。私の髪を切ってくれた芸術品のように美しい手。そして気持ちと言葉の、時に驚かされるほどの素直さ。

 好きなところを挙げればこれだけ出てくるくらい、私は黒野くんが好きだ。


 だけど、困ったな。

 好きになっちゃったら私はとにかく突っ走る方だ。これまでだってずっとそうで、一旦誰かに恋をしたら、いつだって脇目も振らずに突っ走ってしまった。そういう私でもいいって、黒野くんは言ってくれるだろうか。私が近づこうとしたら、今までみたいに遠ざけられたりしないだろうか。


 そう思って隣を見る。

 ちょうど黒野くんも私を見ていて、視線が真正面からぶつかった。

「どうかしたの、都さん」

 黒野くんが小首を傾げる。

 甘く優しい微笑みが、ツリーの光に照らされて彫像のように美しく映る。

「すごく、きれいだなって」

 私が思った通りのことを告げると、彼は頷いた。

「本当だね」

「黒野くんと一緒に見られてよかった」

 もう一言、どうしても言いたくなって続けた。

 だってせっかくのクリスマスだ。このくらいのことは言ったっていいはずだ。私も彼を見習って、素直に気持ちを口にできるようにしないと。

 すると黒野くんはもう一度頷き、

「俺もだよ、都さん」

 はっきりと、誤解なく聞こえるように、耳元でそう言ってくれた。


 嬉しい。

 何だかにやにやしてくる。こんなに幸せな恋なんて久し振りだ。どうしようか。

 私はすっかり浮かれてしまった。このクリスマスイブの空気にすっかり酔っているのかもしれない。

 それでもいい。今夜は特別な夜だ。


 だから、好きな人の耳元に囁き返した。

「メリークリスマス、黒野くん!」

 黒野くんはびっくりしたのか目を丸くしてこちらを見たけど、すぐに笑って私の真似をする。

「メリークリスマス、都さん」

 低い声と吐息が耳をかすめて、笑いたくなるほどくすぐったかった。

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