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冬は恋に適している(2)

 クリスマスが近づくにつれ、職場の話題もそのことでもちきりになった。

「三島さんはクリスマス、どうするんですか?」

 江藤くん以外の人にも、よく聞かれるようになった。

 いつもならそういう質問にもさらりと答えられる。――特に予定もないし一人でごちそう食べてのんびり過ごすよ、とかそんなふうに。私はそういうクリスマスを寂しいとは思わなかったし、一人なら一人で楽しく過ごせる方だった。

 でも今年は、一度期待した後だからか、何もないと答えるのが少し寂しかった。

「予定もないし、一人でピザ取って食べちゃおうかと思ってるよ」

 そう言ったら笑う人半分、憐れむ人半分くらいだった。きっと傍から見れば大層寂しい過ごし方だってことなんだろう。

 でもそれを当の本人が寂しいと思うかは、人それぞれじゃないだろうか。

 去年の私なら寂しくなかった。

 今年は違う。不思議なことに。


 今夜も、仕事を終えて戻ったアパートの、窓の明かりを確かめる。

 黒野くんの部屋は真っ暗だ。

 今日は水曜だから、もしかしたらって思ったんだけどな。美容師さんはお休みの日も忙しいというから、たとえ定休日でも早く帰れるわけではないみたいだった。


 がっかりしながら部屋に入った後、取っておいたピザ屋さんのチラシを掘り起こす。

 本当にピザ、食べちゃおうかな。

 この辺りは三軒ほどのピザ屋さんが配達区域に指定しているらしく、今ならどこも選び放題だ。普段はご飯派の私だけど、晴れの日くらいはこういうものを食べてしまうのもいいかもしれない。

 種類豊富で目移りするのと、どれもこってりしていて、Mサイズですら持て余しそうなのが難点だけど。ピザって余ったら取っておけるんだろうか。次の日の朝ご飯にできたりとか――二食連続ピザは厳しいか。これだから一人暮らしは困る。

 チラシをぼんやり眺めている間、部屋の中は静かだった。隣室からも物音はしなくて、私は何となくつまらない気分になる。

 もう寝てしまおうかと、ピザ屋さんのチラシを片づけた時だ。


 アパートの外で、何か重い物音がした。

 外階段で誰かがつまづき尻餅でもついてしまったような、そういう音だった。


 夜遅くに大きな物音が響けば、思わずびくっとしてしまう。

 誰か、転んだんだろうか。今日も暖かかったし、階段が凍っているということもなかったはずだけど。まさか黒野くんじゃないよね。

 気になった私は玄関まで出向き、そっと耳を澄ましてみる。

 するとどうだろう、冷気漂う戸外から誰か男の人の話し声がする。言い争うほど激しくはないけど、何か言い合っているようにも聞こえる。ドア越しではよくわからないけど、片方は黒野くんの声のようにも思えた。

 それで恐る恐る、ドアを開けてみると――。


「こんなところで寝たら死ぬぞ、起きろって」

 まず見えたのは、懸命に誰かに呼びかけている黒野くんの後ろ姿だ。

 外階段の一番上に立つ彼が、誰かの腕をぐいぐい引っ張っている。

「もうここでいいよ、俺は寝る」

 聞き慣れない、別の男性の声もした。

 歳は若いようだけど、酷く酔っ払ってでもいるのか、ふにゃふにゃと骨のない声だった。

「駄目だって、階段で寝る奴があるか」

 黒野くんが叱るように呼びかけても、相手の男性が起き上がる気配はない。

「なんで階段で寝ちゃ駄目なんだよ……誰がいつ決めたんだよそんなこと」

「そういうのはいいから! 近所迷惑にもなるから早く立てって」

「迷惑とか言うなら連れてくるなよぅ」

「お前が泊めろって言ったんだろ……」

 まさに暖簾に腕押しの状況に、黒野くんもがっくりと脱力していた。


 これは手助けしてあげた方がよさそうな気がする。

 私は意を決して外へ出ると、階段前で仁王立ちする黒野くんの背中に声をかけた。

「黒野くん、大丈夫?」

「えっ、あ、都さん!」

 それで振り向いた黒野くんは、私を認めるなり気まずげな顔をした。

「ごめん、うるさかっただろ。酔っ払い連れててさ」

「ううん、ちょっと気になったから出てきただけだよ」

 私は正直に答えた。

 もっとも私以外の住人がどう思うかはわからない。夜も遅いし、外で騒がないに越したことはない。

「どうしたの、その人。起きられないの?」

 私が尋ねると、黒野くんは溜息まじりに答えた。

「飲みすぎてぐだぐだになってるんだよ。暑いから外で寝るとか言い出して」

「それはまずいね」

 雪がないとは言え十二月だ。お酒飲んで外で寝たらさすがに危ないだろう。

「部屋に運ぶなら、よかったら手伝おうか?」

 私は黒野くんに申し出た。

 黒野くんは申し訳そうにしながらも、

「じゃあ、ドアを開けてもらえたら助かるんだけど」

 と言って、階段に寝そべる見知らぬ人を力ずくで引き起こす。

「ほら起きろ、サカキ」

 黒野くんに肩を支えられ、サカキくんなる人物はふらつきながらどうにか立った。


 私や黒野くんと同世代くらいだろうか。

 髪はボルドー系の無造作なスマートマッシュで、もしかしたらこの人も美容師さんかもと思わせる。もうかなりできあがっているのか耳まで赤くなっていた。


 俯き加減のサカキくんは、長めの前髪越しに私を見る。その目が眠たそうにとろんとしている。 

「黒野、このお姉さんだあれ?」

「お隣さんだよ。お前がうるさいから出てきたの!」

「えーマジで? いいなあ女の子のお隣さん」

「いいからちょっと黙ってろ。……都さん、お願いなんだけど」

 ふらふらのサカキくんをいなしつつ、黒野くんは片手でポケットを探って鍵を取り出す。

「これで玄関開けてもらっていいかな」

「任せて」

 私は鍵を受け取ると、自室の隣にある黒野くんの部屋の鍵穴に差し込んだ。

 鍵の形は私の部屋のものとそっくりで、シリンダー錠も同じ音を立てて開いてみせた。

 それから玄関のドアを大きく開け放てば、黒野くんはサカキくんを支えながら部屋の中へ入っていく。サカキくんは歩いているのか、よろめいているのかわからない動きで運ばれていく。

「うわっ、靴脱げ靴! 土足で上がるな!」

「え? 何のこと?」

「あ、私がやるね」

 サカキくんが靴を履いたまま上がろうとしたので、私も慌てて玄関に入る。


 背後でドアが閉まる音を聞きつつ、彼が履いていたブーツを脱がしてあげた。

 男の人の靴を脱がせてあげるなんて全く初めての経験だった――いや、女の人相手でもなかった。


 ちょっと手間取りつつ両足とも脱がすと、黒野くんは私に頭を下げる。

「本当にごめんね、都さん。とりあえず置いてくるから、ちょっと待ってて」

「うん」

 私は頷き、戸を開けて室内へ入っていく黒野くんとサカキくんを見送った。

 黒野くんが戸を閉める時、ごつんと音が響いてサカキくんが呻くのが聞こえた。

「いてっ。黒野、肩ぶっけたんだけど」

「知らない。とりあえず、ソファで寝てろ」

「えー。俺、床がいいんだけど」

「じゃあ床に転がってろ! 全く、飲みすぎなんだよお前は」

 奥の部屋からはそんなやり取りが続いていて、一周回って微笑ましい気がしてくる。

 私はちょっと笑いつつ、改めて辺りを見回してみた。


 思えば、黒野くんの部屋に入るのは初めてだ。

 私の部屋とはちょうど正反対の配置になる玄関は、瑞々しいグリーンの香りが漂っている。明かりを点けていないので薄暗く、だけど玄関がすっきりと整頓されているのはわかる。唯一、二足のブーツだけが脱ぎ捨てられたように散乱している。お節介かなと思いつつ、その靴を揃えておいてあげた。

 その後は、しばらく手持ち無沙汰になった。

 待っててと言われたものの――本当に待ってていいんだろうか。今更ながら、黒野くんのプライベート空間に立ち入ってしまったことに気後れしてきた。別に嫌だというわけじゃないものの、何と言うか、緊張してくる。

 おまけに私は部屋着姿だ。よくある冬物のワンマイルワンピース。コンビニくらいまでならぎりぎり行ける服装ではあるけど、黒野くんと会うならもうちょっとちゃんとしたのを着てくるんだったと思う。それと、正直少し寒い。

 そう言えば鍵も返してなくて、私の手の中にある。

 上着を取ってきたい気持ちもあったけど、これを返さないことには戻れない。しょうがなく、私は玄関で黒野くんが戻ってくるのを待っていた。


 黒野くんは、三分ほど経ってから玄関まで戻ってきた。

「ごめん、暗かっただろ。明かり点けててもよかったのに」

 薄暗い玄関に気づいて慌てた様子だったけど、私は笑って首を振った。

「よそのおうちだから勝手に弄るのもなと思って。すぐおいとまするしね」

 それから彼に鍵を手渡すと、黒野くんはくたびれた顔で苦笑する。

「手伝ってくれてありがとう、都さん。正直手を焼いてたんだ」

「彼、随分酔っ払ってたみたいだもんね」

 どこで飲んできたのかわからないけど、このアパートまで連れてくるのも一苦労だったに違いない。

「調子乗ってあんなに飲むからだよ……」

 黒野くんがぼやく。

 だけどその後で、ふときまりの悪そうな顔をした。

「あ……俺もあんまり人のこと言えないか」

 サカキくんと比べたら酔っているようにさえ見えない黒野くんだけど、傍にいると微かにお酒の匂いがした。そのことを気にするみたいに口元を押さえつつ、彼は続ける。

「都さん、ごめん」

「どうして謝るの?」

「最近忙しいって言っといて、今日は飲みに行ってたから」

 アッシュブロンドの髪をかき上げて、黒野くんが深く息をつく。

「連絡とか疎かにしてて、気になってたんだけど……」

「ううん、疎かって程じゃなかったよ」


 そもそも付き合っているわけでもないんだし、連絡の義務があるわけでもない。私に連絡することが黒野くんの負担になるようならもっと困る。

 でも、気にしてくれてるのは嬉しいかな。


「それに、仕事なんでしょ?」

 私が尋ねると、黒野くんは表情を和ませた。

「うん。今日は店の忘年会」

「ってことは、さっきの人はやっぱりお店の人?」

「そうだよ、サカキっていうんだ。俺と同い年」

 そしてサカキくんの名前を出すと、黒野くんはちょっと意地悪そうな顔つきになる。

「素面の時にまた会ってやって、きっと本人うろたえるから」

 もしかして、普段はああいう人じゃないってことなんだろうか。

 前回は開店前に行ったから、『クロノス』の他のスタッフさんとは会えなかった。それが思いがけず今日会えて、黒野くんの店長らしい姿もちょっとだけ見られて、ラッキーだったかな。

「わかった。次に行く時、会えたら声をかけてみるね」

 私も愉快な気分で応じる。

 でもサカキくん、あれだけ酔っ払ってたんじゃ記憶あるかな。案外、声かけたら怪訝な顔をされたりして。


「都さん、本当にありがとう」

 薄暗いままの玄関で、黒野くんが微笑む。

「どういたしまして。じゃあ私、そろそろ戻るね」

「え、もう帰るの?」

 私の答えを聞くと残念そうにされたけど、さすがにここに長居はできない。

「だって私、部屋着だし……それに何も羽織ってこなかったから、ちょっと寒くて」

 着替える暇も着込んでくる暇もなかったから、ワンピース一枚なのが恥ずかしい。

 だから、そろそろ戻らないと。そう思っていたのに。

「まだ帰んないでよ、都さん」

 上がり框に立つ黒野くんが、ねだる口調で言った。

「俺が温めるから、まだここにいて」

 その言葉に、どういう意味って私が尋ねるより早く。


 彼は私の腕を掴んで引き寄せると、ぎゅっと包むように抱き締めてきた。

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