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赤ーREDー  作者: 蒼治
五幕 BLOOD SWORD
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76/91

5-5

 リョウは神殿には戻らぬまま、神都をでた。

 シズから聞いたキヌイチの居場所は、神都からははるかに遠い。王都を通り過ぎ、そこからリクウェに近い場所まで、一週間以上の行程となる。

 そこに行き着いてもはたして彼がいるのかはわからない。

「それでも、せっかくの配慮だ」

 リョウは呟いた。

 神都は背後。いまさら引き返す気もない。

 神都をでるきっかけとなった晩の会話を思い出していた。




 量はそう多くないはずのサイセイの遺文。

 それは数ヶ月を要して意味をまとめ、今はわかりずらい場所の検討に入っていた。文章にサイセイが残した書物の引用が多いため、容易くその大意が読み取れなかったのだ。

「結論だけ言い残せばいいものを」

 ロゥエレレイシアが死んでほんの数日後の夜だ。リョウはナユタの前ではその苦悩を表に出さず、まるで何事も無かったかのように彼女と向かい合っている。ナユタもリョウの考えていることを尋ねはしない。お互いになにかを恐れている。

「でもあっさり書いてしまったら、万が一アーヴルラジューに見つけられたときに、すぐに意味を知られてしまうから。彼はわたし達と違って、あの言語には精通しているもの」

「それにしたって」

 リョウは手を止めた。

「辞書だけでは限界があるのかもしれません。すべての言葉の置き換えは済みましたが、それでも私とあなたでは意味が読み取れない部分がある。アポカリョプシアの言語に詳しい人間に見てもらわなければ手に負えない段階に来ているのでは」

「……そうかもしれない。でも誰に」

 これを見せてもいいほど信頼できる相手には、リョウもナユタも心当たりがなかった。

 そして二人はどちらが先と言うことも無く、ノートを閉じた。夜もだいぶ更けている。

「私はそろそろおいとまします」

「ありがとう」

 ナユタに微笑みかけたリョウは、その手をそっとナユタの首筋に伸ばした。彼女のしている首飾り、その飾り部分が何かの弾みで後ろにまわっていた。

 首飾りは当然あの十代薔薇瞳と女神官長のものである。

「これ、重たいでしょう」

「ええ、だから十代薔薇瞳のほうはしまってあるの」

 ナユタは本棚の奥にしまいこんである小箱から、もう一方を取り出してきた。二人の女性の背中部分を合わせると、もともとそれは一つの像であったかのようにぴたりと咬み合った。

「私はあまり装飾品には詳しくありませんが、これは美術品として価値があるように思えます」

「うん、だから裏面が残念で」

 ナユタは今までリョウに首飾りの話をしたこともあったし見せてもいた。しかし、特に理由があったわけではないが、こうして二つを合わせた状態で見せたのは初めてだ。

「裏面?」

 ナユタは自分がかけていたほうもはずし、二つをそろえてリョウに差し出した。受け取ったリョウは鎖のさらさらという金属音を立てながらひっくりかえず。

「これは無残な」

 リョウの美しい眉が寄せられた。

 二体の背面に走る無数の引っかき傷。それにその指を走らせる。

「多分、塔から落ちたときに」

 ナユタがため息をつきながらそう説明すると、リョウはふと疑問を口にした。

「それはおかしくありませんか?」

「え?」

「ナユタの話では、一体はセツナ様の手元に残り、一体はナユタが庭で見つけたんですよね。それならば二つは途中で離れ離れになったはず」

「なにかおかしい?」

 リョウは女神官長の一番右上からの長い傷跡をなぞる。それは一体を横断しそのまま十代薔薇瞳の左下まで及んでいた。

「すべての傷跡がこのように一筋として双方にわたっています。この首飾りが繋がった状態でなければこんな傷は付かない。それにそもそも、これは銀です。草木にひっかかったくらいでこれほど深く激しく傷つくことは無いでしょう。この傷自体、丸みを帯びていて古いものだと思います。一年とかそんな話ではありませんね、下手すれば五年、十年前の」

「じゃあこれは」

 ナユタはリョウの手元のそれを覗き込む。

「誰かがあえてつけた傷としか思えません」

「なんのために?」

「背面の……」

 リョウはそれを凝視する。光があたる傷跡は、もともと下にあったものも複雑に反射する光で見づらくしていた。

「背面に、何かが書いてあったとすれば、それは」

 リョウはテーブルの上のインク壷を引き寄せた。

「ナユタ、少しだけこれを汚してもよろしいでしょうか。あとで水で流せば元に戻ります」

「いいけど」

 リョウはインクを拭う布にインクをわざと垂らして染みさせた。それを背面の傷に均一に塗り始めたのだった。

「この金属の状態では大変読みにくいですが、こうすれば残った部分が浮き上がるかもしれません」

 そしてリョウは柔らかい紙に版画のようにその首飾りを押しあてた。十分当てたあと、引き離す。

「勝手にこんな使い方をして申し訳ありません」

 彼女は慌てて水差しの水で、首飾りをぬぐっているが、ナユタは紙に浮き上がった部分を凝視して何かを読み取ろうとしている。深く傷ついた背面だが、その傷の隙間をぬうように、消しきれなかった部分が残っていた。

「キ……キノ……のじゃないノじゃなくて、イかな」

 反転された文字を二人を読み取った。

「これは名前のようですね。ああそうか、ドレス製作者と同じように、一定以上の技量をもつ銀細工職人は、作品に自分の名を残すと聞いたことがあります」

「じゃあこれを作った人?」

「そのようです。しかし、何故それを隠す必要が」

「知られたくない何かをその人が知っているとか」

 言った言葉に、ナユタ自身がはっとする。

 これはナユタとセツナの母が、誰かに依頼して作ってもらったもの。それはのちにセツナの手に渡った。『もし妹と会えたなら渡してあげなさい』との言葉と共に。セツナはナユタの存在が教団に知られれば、ナユタにも手が回るかもしれないとの思いやりで、これをしまいこみ続けた。

 それがナユタの知る事実だ。

「……もしかして、セツナ様にも知らない何かがあったのでしょうか」

「お母さんが、この文字を消してしまったということ?」

 頼まれた彼は、二人が知らぬことも母親から話を聞いて知っていたのだろうか。

 紙に染みたインクは乾き、その姿を明瞭にしていた。深い傷とは明らかに違う、デザイン化された文字の破片が見て取れる。

「やはり職人?」

 キヌ、と言うところまでは把握できた。しかしそれ以上は読み取れない。

「……よろしければ私が神都内の職人をあたってみましょうか」

 リョウは綺麗に拭い終えた首飾りをナユタに差し出しながら言った。

「これほどの作品を残す職人ならばある程度名を知られている可能性が高いと思われます。キヌという名の一部分もわかっていますし、職人同士ならばつながりもあるでしょう。この人物を探し出してみれば何かがわかるかもしれません」

「頼める?」

「ええ。夜にでも工房街をまわって見ます、どうせ夜は」

 言いかけてしまったことに、リョウは青ざめて口を閉じた。しかしナユタにはその続きはわかってしまったようだ。ナユタも同じ苦痛を感じていたことがあったから。

「……夜はとても長いのね」

 今が合同演習中だというその緊張感と責任感、そして精神力で疲労を表に出さないが、リョウは今、あまりよく眠れていないに違いない。

「ラジューのこと?」

 ナユタは立ち尽くすリョウの手を引いた、そのまま一緒に長椅子に隣り合って座る。

「ロゥエレレイシアのことが」

 リョウは呟く。

 それだけで少し楽になるのは、誰かが聞いていてくれるという安堵感だろう。以前の自分には持ち得なかったもの。しかしさすがに許されたとは思えない。

「私は彼女だけはあんなふうにするべきではなかった」

 ロゥエレレイシアが飛び出してくることなど、リョウに想像できたはずがない。彼女一人が責任をおうことではないが、それを言ったところでリョウの救いにはならない。

 二人の部屋に沈黙が落ちる。

 ナユタも言わなかったが、リョウが苦しく感じていることには気がついていたのだろう。ただ言う機会を見つけられなかっただけだ。そして。

「しばらく職務を離れてみたらどうかしら」

 きっとそれは今思いついたことではない。

 リョウ顔をあげてナユタを見た。

「今、この時に?」

「今しかないかもしれない」

 ナユタは口にしたことで決意したようだ。

「今のリョウがここにいるのは皆にとって不幸な気がする。このままリョウが自分自身をごまかして滞りなく仕事を進められたとしても、それとは逆に何かが破綻してしまったとしても、いつかリョウはここから離れてしまうように思うのよ」

「私はずっとあなたと一緒に」

 リョウは慌てた様子で言い返すが、ナユタはそれに微笑んで答えた。

「知ってる。でも、そばっていうのは距離だけじゃない。今のリョウはわたしじゃなくてラジューとロゥエレレイシアのことしかみてない」

 ナユタは何かに囚われて本質が見えなくなることを良く知っていた。

「だからリョウにお休みをあげる。いろんな人がいろんなことを言うと思うけど、でもリョウがわたしの願いを知っていてくれれば、別にそんなことどうでもいいのよ」

 ナユタはテーブルに出しっぱなしの首飾りを両方リョウに差し出した。

「でもリョウは仕事大好きだから、何もしないのは帰っておちつかないでしょう。だからお願いするわ、この首飾りの傷にはどんな秘密があるのか調べてみて」

「ナユタ」

 リョウは首飾りを受け取った。

「わたしはリョウにはずっとそばにて貰いたいから。少しくらい離れることになったって、帰ってくるのをちゃんと待てるのよ」

 部屋の灯りを受けて、銀細工は輝く。その向こうにナユタの目を見てリョウは決めた。

「もしかしたら、セツナ様もここまでは予想していたかもしれません」

「え?」

「この作者が自分に関する何かを知っているかもしれないということに」

 いまさらナユタが気がつくようなことだ、セツナが思いついていてもおかしくはない。

「でもあの人には見つけられなかった気がします」

「どうして」

「セツナ様には、自分の心情をすべて打ち明けて、これを託すに値する人間はいなかったと思うのです」

 リョウは立ち上がった。そのまま深く目の前の主に頭を下げる。

「それではこの多忙な折、大変恐縮ですが薔薇瞳よ。私は人生初めての長い休暇を取らせていただきたいと思います」




 ナユタとリョウ以外誰も知らない二人の会話。

 リョウはそれを思い出しながら馬を進めた。

 そしてリョウは工房街でキヌイチの名を知りシズを訪れ、今この長い道程に着こうとしている。選択が間違っているのかどうかわからないが、確かに今自分にできることはこれしかないだろう。

 神都を離れたところで解決するのか、そんな見通しは立たない。今もふとすれば、アーヴルラジューのことを思い出して怒りを呼び覚まし、ロゥエレレイシアのことを振り返って苦悩している自分に気がつく。

 この深い霧がいつか晴れるのだろうかと、そんなことを考えるのも徒労だ。

「それでもこうして考えなければ、怒りの正体とも向き合えないものかもしれない」

 リョウはため息をついた。

 あのあと、ナユタは自分の考えもリョウに語って見せたのだった。おそらく母親が隠したかった秘密についてのナユタの考え。

 リョウもそれが確かに正しいように思えている。キヌイチに会うのはそれを確信するためだ。

 彼女は焦ることなく、それでも確かな歩みは変わらぬまま、馬を進めていった。




 一方ナユタも、リョウの不在がじょじょに心に響いていた。

 日中は多忙にまぎれてしまうが、夜半リョウのことを思い出す。今も寝室で一人になって寝台で本を読んでいるが、時折はっと自分が文字を追っていないことに気がついた。

 リョウからはなにも連絡が無い。

 ああやってリョウを説き伏せて神殿を出したか、正直それが正しいのかナユタにも確信は無いのだ。それでもリョウをここには置いておけなかった。なにより彼女のために。

 リョウはナユタがああでも言わなければけして旅立ったりはしないだろう。けれどここで後悔を曖昧にしたところで、その先にあるものが、自分がイルネを失ったときのような混沌だとしたら、今はここから離れ気持ちを整理してもらうことが一番のはず。

 自分で決めたことに後悔はないが不安だけは残る。

 夜、サイセイの話をしながらここで二人で話しこんでいたことが、どれほど日々の安らぎになっていたかを思いだすと、一人であることの不安は雲霞のようにナユタの心を覆うのだ。近くに無くとも、リョウはかならず帰ってくると信じることだけしかできない。

 ナユタは本を脇に置き、灯りを消した。そのままかけ布団のなかにもぐりこむ。暗い闇の中、リョウの安全だけを願って目を閉じた。


 ふと空気が動いたような気がしたのは、一度眠りに落ちてからだった。

 ナユタは目を開ける。明ける前、一瞬部屋の中に光があったような気がしたがそれは夢の残像だったのだろうか。

 ぼんやりしたいつもの景色、目覚めたものの、特に異常は無いような気がして、ナユタはまたとろとろとした眠りに引き込まれながら、寝返りをうった。

 そこに人の影を見つけ、息を飲む。一気に覚醒して彼女は飛び起きようとしたが、肩を押し付けられるようにして寝台に戻された。反射的に出た悲鳴は、そっと優しく置かれた手に遮られる。

 その彼は、ナユタの寝台に腰かけ、半身をひねるという不安定な姿勢でも彼女を悠々と拘束していた。

「驚かせてしまって申し訳ありません」

 闇に顔は見えない。しかし声には聞き覚えがあった。大暴れしようとしたナユタの手は止まる。

「出来れば叫ばないで頂きたい」

 確かにその手には殺意が無い。しかし、どこかで感じたことのある、ナユタの怯えを呼び起こさせるなにかを纏っていた。

 ナユタが目は見開いているものの、大声は出さないであろうと思ったらしい彼はそっと手を話す。

「か、カイエン様」

 ナユタはかすれた声でそういうのがやっとだった。

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