3-17
スセリの家で予想外に手間取って、リョウと紅蓮の二人がナユタを預けた宿に戻って来たときは、日が翳り始めていた。
遺体を託したらすぐに帰ろうと思っていたのに、一体どこから聞きつけたのか役人がやってきて、サイセイの死に関して怪しいところが無いか事情を聞くとか言い始めたのだった。今までこんなことはあったことがなく、リョウも戸惑ったのだが、その役人はまったく二人を解放せず、スセリの家に足止めし続けた。
奇妙なその一件の裏が理解できたのは宿に戻ってきてからだ。
豪華な部屋にはそこに相応しい大輪の青い薔薇の花束が飾られていた。その花瓶の脇に、一枚のカード。
その紋章を見たとき、リョウの背から怒りの気配が一気に立ち上がったのを紅蓮は見た。
「あのクソ王子……」
リョウの手にあるカードには、王家の紋章である翼有る蛇の印が押されていた。流麗な文字はカイエンの手書きと思われた。
『至高の紅玉を一時お借り致す。夜半にはお返しするので心配御無用』
リョウはカードを握り締めた。
「我々は足止めされていたということか」
紅蓮も不愉快そうだ。
「ほんの半刻のつもりだったがまさか昼日中の王都でかどわかされるとは……やはり連れて歩くべきだったのだな」
その不快感は自分の浅慮に関してのものだ。
「ここに薔薇瞳がいるということは、調べる気になればわかること。右翼団長と魔犬が揃って神都に居ればその可能性を考えるものもいるだろう。王都は王家の管轄だ。しかしそれは意識して網を張っていなければならず、かなりの手間。いちいち王都が注意をはらうことでもないように思うが……。王都が神都の動向を気にとどめるのはわかるが、なぜ薔薇瞳を浚わなければならない?そんなことをして神都との仲を悪くしても仕方あるまい」
首をかしげるリョウに紅蓮はあっさり答えた。
「それが王都ではなくカイエン王子個人の行動だとすれば、話は簡単だ。あの王子は随分薔薇瞳を気に入っていたからな」
「……何?」
「好きな相手と楽しくお話したいんだろう」
「……ちょっと意味がわからないのだが、カイエン王子はナユタと会ったことがあるのか?」
「秋口に」
「……ああっ、そういえば王都にきたことがあるとかなんとか言っていたな!」
「王宮でカイエン王子に美術回廊を連れまわされていた。後ろから見ていたがかなり熱を上げ始めていたようだ。しかしまさか、一度しか会ったことのない相手にここまでするとは」
リョウも紅蓮もナユタがカイエンに再会していたことは知らない。
「色恋沙汰にはあまり興味の無さそうな男だと判断していたが……」
「そう言う奴ほど燃え上がると怖いというな」
「免疫の無いやつはこれだから困る。だから早く女をつけろとハルキに言っておいたのに……って世間話をしている場合か!」
リョウはいらいらと部屋をうろつきながら考える。
「一体どこに連れて行った?……カイエンだって、こんなこと、周囲に見られることは避けるはず……どこか隠れ家……それでは夜半に帰せるとは言い切るまい。ハルキの家でもない……別の宿……いや、あれは、用心深い」
そしてリョウは顔をあげた。
「紅蓮、貴様はここにいろ」
「どこか推察できたのか?」
「王宮だ」
「王宮……!?」
薔薇瞳をそんな目立つところに引き入れることがあるのかと紅蓮はそれには異を唱えたいところだが、リョウの顔には確信があった。
「カイエンは低脳ではない。薔薇瞳を危険にさらすことだけは無いようにするだろう。神都以外で最も警備が厳しいところなど、王宮以外にありえない」
「ならば俺も」
「まて」
リョウは微笑んだ。あまりにも……そう、紅蓮がちょっと背筋を冷やすくらいの剣呑な微笑。
「神都側の人間が雁首そろえて王子にケンカ売っても体裁が悪かろう。私だけで行く」
「……おい……大丈夫か?」
「私は大丈夫だ。ま、王家も大丈夫だろう」
「王家?なんのことだ?」
「ナユタに乱暴していたら、ちょっと許せる自信がない。殺さずともちょん切っちゃうかもしれないが、カイエンには弟が二人ばかりいたから、まあ後継者問題も大丈夫だろうという話だ」
「何をちょん切っちゃう気だ、落ち着け!」
そうだ、このアマ、魔犬にケンカ売ってくる程度には少しバカだった、と紅蓮は思い出して冷や汗を流した。
ここ数日間の寝不足と、馬車での旅の疲れ、なにより泣き疲れていたらしく、気がついたら眠ってしまっていたらしい。
うっすら浮上してきた意識は柔らかい寝台の感触を認識しはじめていた。
「ん」
ごしごし目をこすりながら身を起したナユタはそのまま寝台の上でぺたんと座っていた。衣服は乱れた様子もない。しかしその分少し呼吸が苦しかったのか、眠る前のことがよく思い出せない。が。
はっとそれに気がついたと同時に声がかかった。
「お目覚めですか。こちらでお茶などいかがでしょう?」
一気に見開いた目でナユタは振り返った。
「か、カイエン様?」
高い天井には優美な絵。壁には花模様、柱には金箔の装飾。一歩間違えば目に煩く悪趣味ともなりかねないその部屋を、豪華に押しとどめているのはひとえに数百年もったニギハヤヒ王朝が得た洗練だ。
その中にあるこれもまた重厚なテーブルで、茶の一式を前にカイエン王子は微笑んでいた。
「あああれっ?夢?えっでも」
寝台から飛び降りようとしたナユタはそのまま自分のドレスの裾を踏んで、顔から落ちた。
「大丈夫ですか」
慌てて近寄ってきたカイエンはしゃがみこんでナユタを引き起こした。
「あの、わたし」
ナユタには、カイエンが居る今が夢なのか、剣呑に連れ去られた先ほどが夢なのか、理解できない。
「先ほどは部下が手荒なまねをして大変申し訳ありません。しかし、時間がなかったもので」
「じゃあ、さっきの人達は」
「私の部下です」
ナユタの肩から力が抜ける。
「なんでこんなこと」
「あなたが王都にいらっしゃることを聞きつけて、お話したかったからです。二人で」
悪意などなさそうな優しい顔で話すカイエンにナユタは対応を決めかねていた。リョウやユージなら『王都の人間信じるべからず』と即座に切り捨てるだろうが、これほどまでに愛想のいい人を相手にナユタにそれはできない。
無邪気と言っていいような笑顔で、お茶飲みましょうといわれて、どうやって怒りを持続したらいいのかわからないのだ。
そっと壊れ物でも扱うように、カイエンはナユタの手を引いて、テーブルまで招く。そう広くない長椅子に並んで座って、ナユタは王子自らポットから茶を入れるのを眺めていた。まだ寝起きでうまく頭も働かない。
「さ、どうぞ」
「……あのう、ここは……」
「私の寝室です。しかしここがもっとも他の者の目に触れない場所なのです」
「はあ、寝室ですか」
まあ寝台もあるし、客室にしては手狭だからそうなのだろう、とナユタはその意図にも無頓着だ。もともと客間も居間も書斎も一緒くたのような村で育ったのだから今でもあまり区別がつかないとも言える。
とりあえず進められるままにナユタはその茶を口にした。リョウが見たら「何が入っているか分からないものを口にしない!」と激昂しそうな無防備さである。
「で……あの……」
何が楽しいのか、カイエンは微笑を絶やさない。しかし凝視に近い勢いで見られてナユタはだんだん身の置き場がなくなってくる。顔を覆う紗のついた髪飾りは、寝台の上に落ちていたが、あれが喉から手が出るほど欲しい。
「何をお話ししたら」
「本当は一緒に王宮や庭園を歩きたいところですが、そうも行かないのが残念です」
カイエンはすっと手を伸ばした。ほつれたナユタの髪を一筋すくう。
「以前お会いしたときより、背が伸びましたね」
「は、はいっ」
「お元気そうでなによりです」
カイエンはごく自然に距離をつめ、髪から手を伸ばしたと思いきやそのまま肩を抱いた。
さすがにナユタでもこの距離はちょっと近すぎるのではないかと思い当たる。しかしそれは果たして抗議していいものなのか、作法とかあるのか、抗議する方が無粋なのではとか、どちらかと言うと混乱を深める要因にしかならない。
「……サイセイ・スセリは残念でしたが」
その言葉ではっと我にかえった。距離を気にせず、カイエンを見る。
「サイセイのことは」
「わかっています。彼はあなたと共に居たのでしょう?彼は優秀な学者としての側面があった。夜見の血族にしても何か言及することもできたでしょう。今となってはうちで抱えることが出来なかったのが残念でなりません。これから何かを成しえたかもしれないのに」
「……本当に、本当にそうです」
ナユタはため息をついてうつむいた。
「仲が良かったのですね」
「ええ、彼はとてもいい人でした」
と、カイエンの腕に力が込められた。あっと言う間に引き寄せられる。彼の胸に額を押し付けることになって、ナユタは動転した。優雅さばかりが目立つカイエンだが、その服の下にはきちんと整えられた筋肉が息づいている。
「だから私はあなたが心配だった」
「……わたし?」
カイエンはナユタの耳に唇を押し付けるようにして囁いた。
「あなたが優しいから」
ナユタは身じろぎを一瞬忘れた。
「あなたは誰かにそれを吐露することは無いだろうけど、彼の死を自分のせいのように思うのではないかと思ったんです。自分を責めるのではないかと」
それは、ナユタが思うことさえ恐れていたことだった。
ラジューは言った。
『誰のために殺したと思っているんですか』
リョウには言えない。けれど忘れることはできない。ナユタの胸に穿たれた楔。あと少しくい込めば、またナユタの心にはひびが入ってしまうだろう。イルネの時とまったく同じになってしまうことを、ナユタ自身も恐れた。
せめて思い出すまいとしていたが、傷ついた心は破片を落とし続けている。
「あなたのせいではない」
何も知らぬまま、カイエンはその言葉を告げる。彼に許されたところで意味は無いと知っていても。
誰かに許されたい。
ナユタはカイエンの袖を握り締めた。
そして。
「……お気遣い痛み入ります」
そっと身を離したのだった。
顔を上げ、微笑を向けて立ち上がる。
いつかちゃんと許してくれる人が居るような気がするのだ。誰かはおそらくカイエンではない。その優しさに甘えてはいけない。
ナユタの拒絶にカイエンは不快感を見せなかった。ただ、不思議そうにナユタを見上げてる。
「連れがおそらく心配していることでしょう。わたしも帰らなければなりません」
「……あなたはいつもそうやって微笑んで。本当に大丈夫なのですか?」
「大丈夫ですよ」
彼もわかっているはずだ。統治すべきものに与えられるのは権力だけではない事に。寝台の上の髪飾りをとりに行こうとしてナユタは彼に背を向けた。
その背を急に抱きしめられた。
「カイエン様?」
先ほどの癒しばかりの腕とは違う。熱のこもった抱擁だ。背後から拘束され振り返れないナユタに彼は言った。
「嘘を」
「嘘では」
「私を誰とお考えですか。次代の最有力の王候補です。あなたとはまた違う方向ですが、為政者の苦悩ぐらいいくらでも知っている。あなたのいう『大丈夫』など、まったく本心ではないことくらい」
「それを承知ならば」
ナユタは意志と裏腹に鳴ってしまいそうな喉を歯を食いしばることで押さえる。ようやく口にした言葉はやはり震えを隠せない。
「……そっとして置いてください」
「それが出来ないから、乱暴だと知りながら招いたんだ!」
同じような立場のものが、自分を理解してくれようとしている。
それが嬉しくないはずがなかった。背から伝わるカイエンの体温は、彼の気持ちも同時に伝えてくれるようだった。
「私の前で、気持ちを押し隠すことはない」
すでに口調を変えたカイエンの言葉は深く情熱的で、労わりに満ちている。
「私は王になる。他に候補がいない事もないが、すべて私より劣る。けして他に譲りはしない」
「ではこの腕を離してください。わたしは自分を支えることだけで必死です。あなたの苦悩を分かち合って差し上げたくとも余裕がありません」
「分かち合う必要はない。だから私は王だと言った。あなたは自分を何様と考えているのだ?薔薇瞳教団の女神?なるほど、あなたは良くやっている。けして歴代の薔薇瞳に見劣りすまい。しかし私は次代王」
カイエンは一瞬だけ拘束を解いた。しかしナユタを手放すことはなく、ただその腰と肩に手を回し、ナユタの体を力強く自分のほうに向けてまたその腕に固く治める。
「あなたも私の民だ。私が守ろう」
カイエンの瞳を正面から見ることになって、ナユタは視線をそらせなかった。
ではあなたの王たる苦悩は誰が受け止めてあげるのですか、とナユタは思う。ナユタがそう思っていることもカイエンは承知だろう。しかしそれを言うことさえ許されないのは……何時身につけたのか、彼のすでに王者たる威厳のせいか。
「あなたは民の心の拠りどころとして君臨するだろう。私には出来ない方法でだと思う。私はあなたのその意志を尊敬している。だからこそあなたの力になりたい。王都と神都の距離など問題ではない」
カイエンの春の芽吹のような柔らかい色をした瞳は、そこに未来千年の木の寿命のような力強さを秘めていた。
男性としてだけでなく、そこに惹かれぬ人間はいないだろう。
ナユタを拘束する力が弱まり、片手が頬に触れてもナユタは彼を突き飛ばし身を離すことができない。
けしてただの王子などではなかったのだ。すでに王たる自負と責務を認識し、それに押しつぶされそうになる苦悩も乗り越えている、ナユタよりはるか先をいく支配者だった。
自分を理解した上で、その揺らがない腕で支えてくれる存在に、ナユタは全身の力が抜けそうだった。彼に全てを預けてしまえば間違いなく楽になる。
口付けされるのだとわかっても、ナユタはじっとしていた。彼の目を見ていると鼓動が跳ね上がる、この状況は意味も無く恥ずかしい。しかしそれはどこか心地よさを伴っていた。
彼の吐息をかすかに自分の唇に感じたときだった。
扉の向こうが急に騒がしくなった。
その上がる声の中に聞きなれたものを見つけてナユタははっと我にかえった。目をそらして彼から身を離し、数歩後に下がった時だった。
乱暴に部屋の扉が開いた。
「久しぶりですね、カイエン・ニギハヤヒ様」
淑女の声で、守護団の服を着て、そして不埒な男への怒りの形相で、リョウは立っていた。
「リョウコ・ミズハ、夜分の訪問失礼いたします」




