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赤ーREDー  作者: 蒼治
一幕 ROSE RED
12/91

1-12

「聞いてません……」

 ナユタは消え入りそうな声で呟いた。

 朝起きて、着替え、そして王に挨拶をしたらとっとと帰還の途につけると思っていた。紅蓮もまったく聞いていなかったらしく、あっけにとられた顔だ。

 王子の代理という使者がナユタの与えられていた部屋にやってきたのは、まだ朝も早いうちだった。仰々しい美しいカードを差し出す。王家の紋章である緑の羽の生えた蛇が描かれたそのカードの字は、おそらくカイエンの手書き。

「ご出立の前、よろしければ昼食をご一緒との王子よりのお申し出です」

 使者はご丁寧に言葉も付けたした。

 いやです、そうはっきり言えれば問題ないが、それはそれで別の大問題になる。時刻を指定され、使者が出て行くとナユタはため息を隠し切れなかった。神都より一緒に来た女官がさすがにぎょっとした視線をむけるのに気がついて、慌てて表情を引き締める。

 どうしようとばかりに紅蓮を見たが、彼もまさか薔薇瞳を差し置いて決定するわけにはいかない。

 セツナもわずか十七歳であった。普通の少女のセンスしか持ち合わせていなければ、今回の訪問も神官長がついてきただろう。しかし彼女があまりに優秀であったが故に、セツナに決定権を与えても問題ないだろうという認識が、神殿の中には広がってしまっている。病み明けだからといってあまりにも過保護にされれば、そのことを奇異に思う者も出てきてしまう。

 ナユタが今している苦労と言うのは、セツナができすぎたから、という多少理不尽な部分もあるのだ。

「しかた、ない、ですね」

 また気持ちが悪いとナユタは思いながら答えた。

 ここしばらく、ずっと食欲が無い。おなかが減って困るということも無かったからほったらかしにしていたが、最近痛みも伴うようになってきた。

 今も王子と会食などまっぴらだ、何か粗相があったらと思うと気が気ではない。しかし、王都との関係を良好にするべくここまで来たと言うのに、相手が不快に思ったら本末転倒だ。

「少し帰りは遅くなりますが、昼を頂いてから戻りましょう」

「大丈夫か、薔薇瞳」

 紅蓮があたりさわりない言葉をかけてくる。夜の紅蓮は憎まれ口も多いが、どこか親しみ深い態度のときもある。だが昼間は本当によそよそしい。

「平気です。ただ、昼を一緒にするだけですから」

 ナユタは女官に微笑みかけた。

「昨日は質素な服で返って失礼になってしまったようですから、昼食と言ってもきちんと装いましょうか」

「え、ええ」

 昨日の話は神都の女官達も知ってしまったようだ。こちらの気遣いが仇になったことで、彼女らは怒りを感じている。名誉挽回できるなら、と気が立っていた。

 紅蓮を置いて、数名の女官と共に、ナユタは私室として与えられた部屋に戻る。

 少し、調子が悪いかもしれない。

 ちりちりするような痛みを感じてナユタはふと腹を押さえた。コルセットがきついのだろうか。そういえば、昨日ほんのわずかとは言え、断りきれず葡萄酒に口をつけた。食べなれないもののせいだ。

 女官達と衣装を選びながら、ナユタはその不快感を無視した。




 その場に選ばれたのは宮殿の中でもこの季節が最も庭園が美しいとされる部屋だった。温かい部屋から見える外は寒々とした風景ではない。常緑樹が囲み、小さな池がまだ凍らない水面に今日の澄んだ光を映していた。少ないが、冬の花も愛らしい。寒さに強いいくつかの種類の薔薇が、良く咲いていた。

 カイエンはすでに部屋で待っていた。その部屋にいるものが、給仕の担当を除けばカイエンと他わずか一名だけであることにナユタは驚いた。昨夜ここに泊り込んだ貴族達もいただろうに。

「御無理を言って申し訳有りません」

 わざわざ椅子から立ち上がり、カイエンは入り口に立つナユタを迎えにやってきた。カイエンはゆったりとした略式の上衣を羽織り、これが非公式の会食であることをあえて主張しているかのようだった。

 ナユタの足元に高貴さは失われること無いまま跪き、彼女の手をとるとその指先にきわめて自然に口付ける。立ち上がった彼はナユタの今やコルセットも果たして必要なのかと思われるほどほっそりとした腰に腕を回した。

 紅蓮や侍女が後について入ろうとしたときだ、それは入り口にいたカイエンの侍従に遮られた。

「お付きの方々には別室にご用意させていただきました」

「それはない」

 紅蓮が珍しく食い下がる。

「自分は薔薇瞳の従者だ。意味も無く引き離されるわけには行かない」

 カイエンが目に穏やかな微笑みを浮かべて振り返った。

「そんな心配をなさらず。紅蓮殿」

「心配とかそういう問題ではない」

「我々が薔薇瞳様に害を成すとでもお考えで」

 楽しそうに笑うカイエンの声に、紅蓮はいらだつ。

「我々は薔薇瞳様がいなければこの治世を維持できないことぐらいわきまえてますよ」

「しかし」

「大丈夫。あなた方の場所はここと隣り合ったガラス越しの部屋。なにか有れば見えますよ」

 カイエンが指差したのは確かに双子のように隣り合った部屋だった。

「紅蓮」

 ナユタは困惑しつつ声をかけた。

 少なくともここにいるのは王子だけだ。昨日、聞こえよがしに薔薇瞳に対して悪意ある言葉をかけてきた貴族達はいない。

 王都と神都が仲が悪い、ということはユージからなんとなく聞いていた。

 しかしそれ以上に、貴族達から『セツナ』個人がどうもやっかまれていたらしいと言うことを昨日の数時間で把握したのだった。そもそもはセツナが貴族や王族に対してまったく敬ったりへつらったりする気がない事への苛立ち。そこから派生してセツナ個人への攻撃だ。

 セツナの母、つまりナユタの母が、娼婦だったという話は、ナユタはうっすらユージから聞いていたとはいえ、悪意を伴って聞くとそれは衝撃に等しいものだった。

 売女の娘。

 聞こえるか聞こえないか、仮にナユタが食ってかかってもどうとでも言い逃れが出来る程度の罵倒には、数時間で音を上げそうになにはった。

 違う。

 そう言い訳したくなった。自分の母は田舎領主の妻で、そんな淫蕩とはまったく縁遠い存在だったのだ。それが生みの母を侮蔑することには変わらないとわかっていても、そうやって言い訳したかった。産んだだけでまったく知らない母よりも、自分への言い訳が大事だった。そんな自分自身を嫌悪しつつ、それくらいしかナユタはその罵倒から逃れる術を知らない。

 どうしてセツナはもっと貴族に好かれてくれなかったのか。

 泣きたいくらいへとへとになって部屋に戻ったのだ。

 紅蓮が優しかったことで少し慰められたけど、母と姉への恨み言など口に出来なかった。紅蓮は何かを他人のせいにする人間には厳しい。それはこの間の出来事で経験済みだ。二度は許されないだろう。怒られるのはいいけれど、紅蓮に軽蔑されるのは耐え難い。

 今日も彼ら高貴な人々がいたら耐えられないが、ありがたいことに今ここにいるのはカイエン王子だけだ。

「大丈夫よ。カイエン様も、まさかわたしの心臓を今日の昼御飯にするつもりでもないでしょうし」

 セツナらしく強気に言ってナユタは紅蓮に告げる。カイエンに同意を求めるように微笑んだ。

「いや、わかりませんよ?うちの料理人は腕がいい。心臓もうまく調理しておいしくしてもらえるなら考えます」

「あらそう、わたしきっと毛が生えているから、良くむしってね」

 昨日は出だしからこちらの姿勢を崩されたが、今日はなんとかセツナらしくふるまえる。

 困惑する紅蓮を扉の向こうにして、扉は閉ざされた。カイエンに連れられて窓に近い場所にある席についた。

「今日は今日で昨日と違ってお美しい」

「ありがとう」

 にこりと笑って受け流す。

 照れたり謙遜など不要、とキリエには言われていた。

 まだ日が高いので、ナユタの服も袖は長い。しかし肩口はふっくらとふくらみ、下地の別の花柄が見せられている凝った作りだ。全体的にほっそりしたデザインだが、裾は長い。淡い桃色はナユタの白い肌に映えた。

 話はカイエン主導だった。ナユタとしてはありがたい。自分から彼に話をふるなど、恐れ多かった。

 にこにこして話を聞き、相槌をうつ、カイエンは退屈かもしれないが、こういった場の会話と言うものはそう言うものだ。

 食事が進み、肉料理まで進む。作法にのっとり小鳥ほどの量で下げてもらっていたナユタだが、肉料理を見て少し顔をほころばせた。

「兎ですね」

「お好きですか」

「ええ」

 ナユタは故郷を思い出していた。

 貧しい故郷では、兎は大事な食料だった。

「そうですか。狩りに時々出かけますが、なかなか兎は小さくて捕らえにくい。私が下手なのでしょうが、矢が当たらないことと言ったら。兎に関して、猟犬のほうが私よりよほど優秀です」

「弓矢なんて使うからですわ」

 ナユタは魚を釣ったり、兎や鳥を捕まえることが得意だった。祖父が猟が得意なこともあっただろう。けれど大物は危ないので、もっぱら小動物ばかりだ。祖父と相談しながら、既存の罠を改良することが楽しかった。

「罠の方がよほど使えます」

「罠、ですか」

 王都でもっぱらの話題の種である、衣装や芸術、賭博など、そういったことにはナユタは疎い。猟も、馬を使った大掛かりなものなど縁がない。

 ずっと聞く一方だった会話。それが少し寂しく、自分が得意な話題をふってもらったことが嬉しかったのかもしれない。

 ナユタはぽつぽつと、兎取りの話や、魚釣りのことを話し始めた。カイエンも聞きなれない話だったのか、興味深そうな顔で聞いている。逆になかなか興味深い質問をされたりして、ナユタはここに来て初めて楽しい気持ちになっていた。

 一生懸命話をして、ふと顔を上げた時、カイエンの背後にいた侍従がかすかに眉をひそめ、険しい顔をしていることに気がついた。

 そして、血の気が引く。

 どう考えても、この話題は高貴なものとの食事に相応しいものではなかったと。

 貴族階級とは違えど、ここにいる以上、薔薇瞳にも淑女足る言動は求められる。狩りはスポーツであり、適当な話題だが、兎取りや釣りは。

 まさに庶民むき出しの会話。

 しまった、とナユタは口をつぐんだ。

「どうかなさいましたか?」

「いいえ、あの」

 カイエンは涼しい顔をしている。だがナユタは真っ青だ。また無教養を露呈してしまったと、神都への罪悪感で一杯だ。自己嫌悪ばかりが湧き上がる。

「あの、なんでもありません」

 ナユタは庭を見る。庭があることのありがたさを知った。

「あの、薔薇が」

 突然話を変えたナユタにカイエンはそれ以上追求することはなかった。そのまま視線をそらし、庭園を見つめる。

「神都の薔薇に比べたらとても貧相なものですが」

「いいえ、そんなことはありません。綺麗です」

「庭師が喜びます」

「それにあの色は神都にはないんです」

「ああ……青い薔薇は神都では禁忌でしたね」

 多種多様な薔薇を供える神都だが、青い薔薇だけは不思議な事に神都にはない。禁忌の薔薇と呼ばれているのだ。その所以ははっきりしないが、元は存在しなかったが魔の力で現れたためと伝わっている。また闇の薔薇瞳と呼ばれた第十五代目薔薇瞳が好んだことも大きい。闇の薔薇瞳は歴史の中でも黒歴史とされている。多くの罪なき民を虐殺したと伝わっているからだ。

「初めてみました」

「いかがですか?」

「とても綺麗」

「よろしければお持ちしましょう」

 すでに卓上にあるのは食後の茶のみである。えっと思ったナユタがカイエンを見たときには彼はもう立ち上がっていた。

「カイエン様?!」

 いくら茶とはいえ、食事の最中に立ち上がるなど、作法に反する。自分も立ち上がりかけたナユタをカイエンは笑って押しとどめた。

 ガラスのドアを押し、その服だけでは寒いであろうに庭園にでる。慌てて給仕していた者が、外にストールとハサミを持って飛び出していった。いきなりのカイエンの行動にナユタもあっけにとられる。

 おろおろと彼を見守るナユタに近寄ってきたのは、カイエンの側近だった。先ほど紅蓮を追い払った青年だ。カイエンとそう年の変わらない彼はナユタのカップに茶を注ぎながら険しい声で言った。

「満足ですか?」

「え?」

 顔を上げると、彼は怒りに近い表情をしていた。

「兎に魚、よほど神都は品のない話題ばかりの場所と思われる。それはあなたの無知ですからかまいませんがこちらの主人にまで恥をかかせないで頂きたい」

「わたし、そんなふうには」

「あなたがそんなだから、主人は気遣って自分も作法など関係ないという行動に出たんですよ。カイエン様は大変気遣いのできる方ですから」

 その側近は、ナユタに対して単なる嫌味で言ってるのではないということはわかった。彼は本当にカイエンを慕っていて、そんな主人を愚かな行動に出させたナユタに怒りを感じている。今までのようなセツナが原因の悪意とは違う。

 自分のせいだ。

 ナユタは青白い顔で外を見た。にこやかに笑って、カイエンが薔薇を何本か手にして戻ってくる。

 その笑顔に本当に申し訳なさを感じた。

「お待たせしました」

 棘が刺さらぬよう、彼は柔らかな布に薔薇を包んでナユタに差し出した。白い布に包まれ、青い薔薇はその深い色を引き立てる。

「綺麗……」

「外は寒いですから、お持ちしました」

「カイエン様、風邪を引いてしまいます」

「大丈夫ですよ。外ではゆっくり見られませんからね」

 よろしかったら持って帰ってください。禁忌の薔薇ですが、薔薇に罪はありませんよ……そう続くカイエンの言葉はどこまでも優しい。

 優しすぎて気が咎める。

 ナユタはじわりと目に涙が滲んでくるのを感じた。

 あまりにも自分は愚かで弱くて惨めだ。どうしてセツナの力の一片もないのだろう。

 ここで泣いたらより惨めになる。ナユタは必死でそれを飲み込んだ。

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