九時間目・自分が思っているほど、周りは案外気にしない
次の日、哲明は学校へきた。
やっぱり陰口言われた、すれ違いざまに「汚いの庇っているクズ先生だ」と言われました。しかし昨日より辛いとは感じません。
自分の靴箱をあければ、おなじみの「死ね」が書かれた紙と剃刀の刃が入ってました。これを静かに片付けるのも、習慣になっています。
職員室に入ろうとすれば、後ろから男子生徒に思いっきり蹴られました。顔面は扉に衝突して、廊下にぶつかった音が豪快に響いて蹴った男子生徒はヘラヘラ笑って走って逃げていく。
捕まえられないと、哲明は思っていましたが。
「誰が人を蹴っていいって言いましたか?!」
誰かが捕まえたらしい。
後ろ振り向けて見れば、蹴った男子生徒の腕を両手で掴んで、アンナが普段見せない怒りの表情を浮かべていた。
「蹴られた人の気持ち、どれだけ辛いか分かってるんですか!」
「うるせー、放せ!」
「いいえ放しません、ちゃんと先生に謝るまで絶対に!」
放そうと掴まれた腕を振り回す男子生徒に負けじと、アンナも生徒を哲明の前まで移動させようと必死になる。
非力な女性に男子生徒の力を完全には押さえられず、振り回されているが絶対に手を放さなかった。哲明はそれを見ているだけしかできない。
「おーい、朝から威勢いいな?」
殺意が混じった声にあれだけ暴れていた男子生徒が動きをとめて前を見る、前には暴走族が着ているような服に身を包んだ女性教師・洸が仁王立ちしていた。朝から不機嫌な顔を浮かべ、男子生徒を睨みつける。
口にタバコをくわえていたら、完全に暴力団の人間に見えますって、絶対に。
「篠原ぁ? てめぇ、昨日の一撃じゃ効かなかったようだなぁ? あぁ?!」
「ひっ・・・!」
洸の気迫と脅迫する喋りで、男子生徒は小さく悲鳴を上げた。
いくら腕っ節に自信がある生徒でも洸だけは敵に回したくない、アンナに押さえられている男子生徒は不幸にも、この洸を敵に回してしまった。
「やっぱり、肋骨一本や二本折っておくべきだったな、それとも根性焼きがいいか?」
とても教師とはいえない発言、男子生徒の様子と洸の言葉から察すると、昨日洸は彼を怯えさせるような行為をしたのだろう。
絶対に暴力だ、しかも脅迫まじりで。
「おいアンナ、こいつ何したんだ? まずはそれを聞かないと、こっちもどんな処罰をすればいいのかわからん」
「ええと、音光寺先生を蹴ってました! 『謝って』と言ってますが彼謝ってくれないんです。――けど、暴力は反対です。大昭先生」
あえて穏便に済ませたいアンナ。
「ダメだな、言って分からん奴は鉄拳制裁させねぇと・・・――さぁて、篠原。謝れば顔面一発で許してやる、謝らなければ肋骨三本折るぞ?」
鉄拳制裁を譲らない洸。
男子生徒に一歩近づくや否や脅迫の言葉を投げかける。どのみち、殴る気満々じゃないですか。
「ご・・・ごめんなさいぃ! もうやらないから、先生許してぇぇ!!」
ポキポキと手を鳴らす洸の姿に圧倒されて、半べその男子生徒は命乞いするかのように謝る。
脅しで出てきた謝罪の言葉など、聞きたくなかったなと言いたかったけど、今度はこっちに拳が降りかかるので言わない。
洸はニヤリと満足げに笑って忠告通り、男子生徒の顔にストレートパンチを放った。ゴキッと鈍い音が廊下に響き、男子生徒の体は廊下の床にボールのように転がってった。痛そうに顔を押さえる生徒、鼻血が出たらしく指の隙間から血がタラリと流れ出た。
先ほどまで生徒を押さえ込んでいたアンナに支えて貰って男子生徒は立ち上がる、ふらついた足取りへそのまま保健室へと向かっていった。
殴る相手にもよりますが、まず顔面殴られて鼻血程度ならまだ軽い、肋骨三本も折られたら保健室は速攻救急車を呼びますって。
「さっきの・・・やり過ぎでは?」
そこでやっと哲明が口をあけた。
ここまでやると、免職は免れないのでは? と、言いたかったけど言う前に洸か口を開いた。
「お前も甘い! だから生徒の連中にナメられるんだよ・・・お前のクラスはああいった連中を凝縮したクラスなんだから、もっとしっかりしやがれ! じゃねぇと、次の敵はてめぇのクラスだぞ!!」
哲明の胸板に一発拳を打ちつけ、洸は覗き込むようにガンを飛ばす。
OG組が敵に回る。
彼らだけ自分に陰湿と過激が混ざったいじめをおこなっていない、学校の中で彼らOG組は敵か味方かこちからかでは測れない。おこなおうともしなければ、助けようともしない。あえて中立に立ってこちらの行動を見ていると考えたほうが合理する。
自分の行動と心構え次第で彼らは味方にも敵にもなるのだと、洸は言っている。――と、思っている哲明。
「いいか、てっちゃん! あたいら教員はみんな――あんたの味方だ、同じ教師という立場を立つ仲間だ! だからあんたは闘え、雑魚は引き受けた!!」
と言って、もう一回胸板を叩く。
「要するに・・・音光寺先生、苦しい時は私達に言ってください! 苦しいのは皆さん一緒ですから、一人で抱え込まないでください。『学校の問題を解決するのは我々教師』と校長先生も申しておらっしゃいました」
洸の言っている意味を、分かりやすく説明しているアンナの口から出てきた校長の言葉に、哲明はハッとなって二人を見る。
「校長先生が教えてくれました。音光寺先生が追い込まれていると・・・新学期早々こんな事態まで追い込まれ、校長先生は深く悲しんでおられました。私も新入りですが、同期の先生が苦痛な思いするの見たくありません!」
絆創膏だらけの哲明の手を握り、複雑な表情であるが意志の強さを窺い知れる瞳に哲明が映っている。
「そうそう、そのあとに校長やあたいらに状況を事細かく話したの、OGの生徒さ。おかげでいつでもシバけるってわけさ・・・良かったな、今回OGはあんたの味方らしい・・・今回、は」
いかにも不信感を煽らせる発言する洸。
手を貸す・・・と見せかけて手のひらを反される可能性は捨てきれない、行動も思惑もこちらに悟られないよう巧く学校生活を過ごしている。それとも馬鹿騒ぎが出来る機会でもうかがっているのだろうか。
どちらにしてもOG組生徒の思惑は現時点で不明に変わりは無い。
一通りの会話が終われば校内にチャイムが鳴り響く、部活動終了のチャイムだ。職員室で朝会がおこなわれる合図でもある。
洸が職員室の扉を開けて、アンナは哲明の手を握ったまま職員室へ入る。手を握られているので、哲明も一緒に入っていく。
「あらお似合い。洸ちゃん、恋のキューピットの仕事ご苦労さま〜」
哲明とアンナが手を繋いで職員室に入ってきたので、印刷を待っていたエーミーがからかって来た。
エーミーに言われてお互いの手を離して互いに顔を赤らめる二人と、「ぜんぜんチゲーよ!」と否定する洸。
キーンコン、カンコーン――と、またチャイムが鳴った。朝のHR開始のチャイムである。
昨日の出来事など元から無かったように、哲明はいつも通り教室に入った。
普通に教卓の前に立ち、持ってきた名簿帳と筆記用具の入った筆箱を教卓の上において、教卓の両端に手を置く。教室に集まった生徒達の表情、問題事が起きるのを楽しみに待っているように見えて仕方がない。
哲明は「学級委員長、号令」と言えば、学級委員長が普通に生徒全員に号令をかける。生徒達は嫌がる素振りも見せずに、彼女の声にあわせて立ち上がって哲明に頭を下げて急ぐように椅子の上に座った。
ここまでは普段どおりだった、問題はここからである。
「あー・・・」
自分が話し出さないと始まらない朝のHR、分かってはいますが表現不可能の曖昧な雰囲気が哲明の言葉を喉の奥へ引っ込めてしまう。
哲明は思う。
これは気まずい、気まずい雰囲気だよね? 昨日あんなことしたのだから、気まずくないわけが無いって。突然怒鳴って突然泣き出して、最後は逃げるように早退してしまった・・・絶対に大人気ない奴って思っているに違いない。
自分はこんな気まずく思っているのに、目の前に座っている生徒達は何も気にしていない。先ほども申したように、騒ぎが起きるのを待っているような面持ちでこちらを見ている。
もしかして――気まずいと思っているの自分だけ? OG組の生徒達は何も気にしていないとも言うのか。けど、昨日の事で不服な思いをした生徒も多いかもしれない。昨日のこと、ちゃんと生徒に謝らないとな。無聊をかこつていても。
哲明の手は知らず内に教卓から離れていた。
「――昨日は申し訳ありませんでした!」
教卓に額を擦り付けるほど頭を下げて、二十八人の生徒の前で謝った。
顔上げたくない、顔を上げたら生徒の顔が見えてしまう、顔を上げる勇気すらない。謝ったのはいいけど、生徒の反応が怖い。
なんで、先生は何も悪い事していないのに! なぁに謝ってるんだ? 先生何か悪いことでもしたの? 誰だって辛い思いすりゃ、他人に当たり散らすよ。気にするな。あんたが思っているほど、俺達は他人の過ちにネチネチしてねぇから――。
生徒の声が耳に入って哲明はとっさに顔を上げた、彼らの口は塞がったままです。なら先ほどの声は・・・?
「先生・・・先生は聞こえているんですよね? 私達の声」
顔を上げた哲明を、水上は確認するかのように聞いてきた。
不思議な事聞いてくる娘だと思っていた、不思議だからといって答えないわけにはいきません、適当に話を済ませよう。
「一応・・・かな?」
この哲明、生まれもって嘘がつけない正直者。本当のことであるならば、ちゃんと答えるべきだ。ちなみになぜ疑問系か、自分でも心の声が聞こえる理由が分からないから。
「じゃあこれが私達の本音です、先生」
生徒の安心感を浮かべるような笑み、逆に怪しく感じてしまったぞ自分。
水上の発言はまさか、自分と同じように聞こえているのか? 数十人の聞こえない声が。もしそうなら初日の時、自分の言いたかった事を全て当てられたのも裏付ける。
まてまて深く考えるな、たまたま口から出ただけってのもあるぞ。深く慎重に彼女の言葉に耳を傾けよう。
「なにエスパー気取っているんだ? 幻聴にも程があるだろ。いい加減なこと言われると、逆に苛立つんだよ汁女」
と、いっているのは、多分このクラス一の問題児・巳条 暁である。
分かってますよ幻聴ですよ、先生ストレスで幻聴聞こえてるんですよ、好きで聞こえている訳じゃないのになぁ。
何も言い返せず哲明は肩を落としていると、水上が後ろを振り向く。
「けど、一番先生助けたいの暁くんでしょ? 照れ屋さん」
「がぁっ!!」
水上の笑顔と可愛らしい声に、暁のハートにクリーンヒット。口から血を吐くような誰もが注目するオーバーリアクションを放つ。照れ隠しだったのか、さっきの台詞は。
とてもトゲトゲしい一言であったが、最後の「汁女」がとっても気になる。
暁の態度がコロコロと一変する、これが有名な『ツンデレ』なのかも定かではありませんが。
「ちげーよ! お前のせいで、被害がこっちまで飛び火しちゃってるの?! こんなのを受け取って黙ってみている馬鹿がいるか」
自分の机にたたきつけたのは、昨日クラスメイトに見せた中傷が書かれた紙である。新しく数枚増えている。
「しかし、『関わったら次に痛い目に遭うのは自分達だから、難しい問題に向き合うなどの面倒な事はごめんだな』な事を言わなかったか?」
話題は初めていじめの話をしたと時に記憶を遡って、暁の発言を曖昧ながら哲明は言う。
すると暁は立ち上がって、こちらに顔を向けて。
「言ったけど・・・もう面倒事に巻き込まれちった、退くに退けない所まで。あの時の発言は前後撤回、かと言ってグダグダ言ったって始まらないしぃ〜? 俺たち巻き込んだ責任きっちり取れよ、担任?」
自ら因果を含めて、暁は是非も無さそうに言う。
本当に木に竹を接いだような発言が多くて、考えをたゆたうする奴だな、こんなに考えをコロコロを変える奴ほど悪徳商法に引っ掛かる確率が低いんだよね。きっと。
なんか、謝った自分が馬鹿に見えてきた、暁などのOG組生徒を見ていると。なんだ、自分が思っているより生徒は何も気にしちゃいないらしい。少し安心したと内心で言い、哲明は胸を撫で下ろす。
もう自分の耳に聞こえていた声が耳に入ってくること無い、自分で彼らに疑念を抱くのをやめたからだろう。
つまらない話で時間潰してしまった、早く出席を取らないとと思い、名簿を開こうと『名簿』とデカデカと書かれたファイルに手を触れた。
「先生?」
哲明の異変に気付くのは、学級委員長の由香里。名簿に触れたまま、時が止まったかのように動かない哲明に話しかける。
教卓の正面に座る生徒が顔を覗いてみる、哲明の表情は驚愕を表現し眦を決する。
哲明は表情を変えぬまま顔を上げて、一目散にベランダの窓を開けた。今の哲明に時など無い、耳に何も聞こえず、目には目の前の風景しか彼には見えていない。
哲明が窓を開けると同時に、上から落ちてきた『影』が哲明と目を合わせるとスローモーションでOG組のベランダを通過しようとしていた。
落下するのは自分の上から落ちてきた机ではない、椅子や本でもなかった。
形が人だった。
黒のブレザー、白いブラウス、銀色のスカーフタイ、白いスカート、命立国際学園・高等部指定の女子制服。手には一枚の封筒が握られている。スローモーションで動いているので、落ちてきた女子生徒の顔がはっきりと哲明の目に映った。
眠木 優香子。
涙目で笑みを浮かべ、哲明と目を合わせると口を動かす。
哲明が彼女のメッセージを理解したとき、硬いアスファルトに向かって頭から先に落下していた。
「まっ――!!」
声より先に身体が動いていた。
窓から押っ取り刀で駆けつけるようにベランダに出て、ベランダの手すりから自ら身を乗り上げた。
せめて足を・・・――あともう少しと言うところで掴めない、もう彼女の身体はスローモーションで落下してなかった。身体のバランスを整える事が出来ずに、哲明の身体はベランダの手すりを乗り越え、同じくアスファルトの地面に向かって落ちる。
自分の身体が落ちるのが遅く感じるのに、生徒の身体の落下速度は極端に速かった。
映画やアニメみたいに、落ちていくヒロインと同じ位置まで落下して、上手い具合にヒロインの身体を抱きしめて衝撃を与えないように自分の背をハンモック代わりにする主人公を思い浮かべる。
・・・あれはアニメだから出来ることで、現実はそう上手くはいかないんだな。
遠のく空を見て思う哲明。
自分より数秒早く、硬い物が潰れた音が耳に入ってきた。眠木は頭部を粉砕して息絶えた、哲明に告げる音。
あ、もうすぐ自分の番だ。
次を考える前に、硬い板が叩きつけられて割れる音に非常に近い音が哲明の耳に入った。彼が最後に聞いた音でもある。
人生の終焉がこんなにあっけないとは・・・。
――・・・生! 先・・・ってば! 先・・・しっ・・・?!
誰かが駆けつけてきたのか、自分を呼びかける声が聞こえてくる。
自分は、助かったのか・・・――?
「先生ってば、しっかりしてください!!」
由香里の声が、真っ暗に染まりそうになった哲明の意識を色のある世界へ引き戻した。
我に返ればベランダから落ちたはずの哲明は教卓の前に立っているではないか、時計を見ればもうすぐ朝のHRも終わる。
冷や汗はダラダラと流れるが出血は無い、痛みも無い。
ベランダの窓は開けられた形跡も無い、おかしい言い方であるが西暦も全然変わっていない、あれが夢ならば自分は先ほど眠っていたのか?
「先生、寝ていませんよ? ただ、すごく眦を決ってました・・・何回呼びかけても反応しないので不安になっちゃったけど」
水上がハラハラしつつ、哲明が理解しやすいように言葉を選びながら話す。
生徒の声を聞けば安堵感が湧く、生きている事がこんなに喜ばしいと考えると手足に力入らずガクガクと震えている。
眠木の死が今日この時間ではなくて良かった、まだ死から回避出来る方法が残されている。けど猶予が無い。あれだけリアルに映ったのだ、彼女の死が刻一刻と迫っているのに違いは無かった。
いかんせん今ので全ての体力を使い果たした、先ほどから力が入らないし震えが止まらない。支えるものがない身体は、そのまま教卓にもたれかかる。
出席を取る事無く、朝のHRが終わるチャイムが響いた。
そろそろ、いじめ編完結です。
あと1〜2話必要かも・・。