七時間目・信じて、必ず救いの手は貴方に差し伸べられる!
時が流れ、気が付けばあと九日で五月だ。
桜色一色だった桜の木、桜の花が散って萌黄色の葉が広がり始める。桜――ソメイヨシノの木は萌黄色一色に染まった。
けど、桜の季節が完全に終わったわけではない。
ソメイヨシノの時期が終わり、次に鮮やかな桃色に染めているのは八重桜。ソメイヨシノとは違う濃い桃色の花びらが、人々の目を楽しませる。
冬の寒さもほとんど残っておらず、初夏に向かって日差しが強くなっていく。日の入りまでの時間も伸び、六時でも明るさが残る日が多くなった。
店に並んでいるみかんやイチゴの数も減り、徐々に夏が旬の果物の姿がちらほら見かける、この時期の夏が旬の果物の値段は高いが。
新しいクラスや職場に慣れてくる時期でもあります、四月下旬は。
三階から机が落ちてきて、哲明は危うく殺されるところだった事件から十日以上経過しました。
自転車を漕いで哲明は初夏の訪れを肌で感じながら、何も変わらず学校へ出勤している。傷も癒えて、生徒とのコミュニケーションも順調のはずだった。
なのに、悪質な嫌がらせと見えない闘いは今も続いている。
たとえば・・・。
哲明が何気なく歩いていると、二年生の生徒がわざとぶつかってくる。
自分からぶつかってきたくせに「ちゃんと前見ろよ、謝れ」と、偉そうに言う。「そっちからぶつかって来ただろう」といえば、「何勝手なこと抜かしているんだ? 頭わりぃ〜、よく教師になれたな」と言われる始末。
女子生徒は常に陰口、「死に損ないが来た〜」「問題児の大将が歩いてる」なんて日常になりつつある。
最近は歩いているだけなのに、突然後ろから強く蹴られる回数が多くなった。お陰で背中は痣だらけ。
階段を下りていると二年生の生徒から背中を押されて、階段から転がり落ちた回数も少なくない。
これもお陰で受け身と押される前に回避する方法を身につけた。
哲明は教師なので、生徒に勉強を教えるのは当たり前。
しかし二年生の生徒に嫌われてしまったので、OG組以上に授業がしずらいのです。
配ったプリント用紙を回収する際、紙の裏には「死ね」「あんたの授業つまらない」と約三十枚中五〜八枚中傷の言葉が書かれている。
授業中に丸めたプリント用紙を投げつけられる事もあった、授業の話は聞いているが返事をしない。
授業中の私語に注意をすれば「馬鹿の集まりの担任が言っても説得力なし」だ、もう気が滅入りそう。
この学校には『生徒ご意見箱』と言う箱があり、紙に改善したい事や悩みなどを書いて小さなポストの中に入れる、生徒の気持ちが書かれた紙を教師が回収して読むという流れ。
生徒ご意見箱にも火種がまかれていた。
『はやく、OG組の担任を辞めさせてください。学園の風格が損なわれます』と書かれた紙を見せられたとき、哲明は泣きそうになった。中には『女子生徒の胸を見てニヤつく、実際触ろうとした』など事実無根の文章を書いて、ポストの中に入れた生徒もいたのだ。
こんな誤解を招いたせいで、教師として同じ教師から信頼されていない気がしてならない。哲明は徐々に人間不信になっていた。
他には靴箱には剃刀の刃が入った封筒が入っていたり、『これを作れば楽に死ねますよ』と硫化水素の生成方法が書かれた紙と材料が入っていた。
自転車も何回フレームを落書きされ、タイヤを切り裂かれて、ゴミ置き場に捨てるかのように置かれた日もある。
雑巾を濯いだ真っ黒い汚れた水を受けからかけられた、階段から身を乗り出して「ごめん〜」と反省の色が無い声色で謝る生徒、わざとバケツを落として哲明の頭に命中することも。
本当に、なんでこうなったの?
いじめの発端は、一人の女子生徒をいじめから救うという正義感のある理由から。自分が見た彼女の末路を防ぐため、いじめという社会問題に立ち向かった哲明だが、持ちまえの正義感が仇となった。
まだ眠木はいじめから救われていない、まわりが救えないなら自分が救いの手を差し伸べるしかない、なのに彼女はその救いの手を拒んでいる。
自分が傷つく事より、拒まされ事のほうが一番つらかった。
(教師なんか、あてにならない!)
哲明は眠木が言った言葉が気になって仕方がなかった、彼は彼女の言葉の意味を知らないのだ。
自分は信頼されていない、これは分かるのに別の意味が眠木の言葉に隠れていると考えて仕方が無い。
何も改善されないまま今日も哲明は学校の正門をくぐった。
駐輪場に自転車を止めて、向かうは職員室。
正面玄関前ですれ違う生徒に、哲明は明るく振舞って「おはよう」と言うが挨拶が返ってこない、一年生と三年生からも挨拶が返ってこなくなっていた。
明るく振舞うのも辛い、笑顔で挨拶を交わす自分が一番惨めに見えてくる。
OG組以外の二年生の生徒とすれ違えば「まだ来ているよー」の言葉が耳に入る、コソコソと言うのではなく、堂々と本人の前で。
陰口言う生徒を無視して正面玄関の中に入り、自分の靴箱を開ければ今日も剃刀の刃を包んでいる紙が出てくる。ため息漏らしながら、中に入っていた包み紙を回収する哲明。
これは覚悟のうちに入っていたではないかと己に言い聞かせる、しかし自分の心から返ってきた言葉は「もう耐えられない」の一言。
かの将軍・徳川家康は自分より厳しい幾多の苦難を耐え越えて名を残しているのに、自分はこれ位の事も耐えられないなんて、本当に駄目な大人だな、自分。
自分の情けなさを嘆きつつ、哲明は靴を履き替えて職員室へ向かう――前に後ろから今日も誰かに蹴られた。危うく倒れそうになったが、バランスを整え後ろを向く。
哲明が後ろに顔を振り向いたときには、蹴った相手は数メートル先まで走って逃げていた。途中で清次郎に廊下を走っている所を見られて、叱られていたが。
学校に出勤すれば必ず生徒に蹴られる。多い日で二十回以上、少なくても五回は必ず蹴られる。蹴られた背中は痛みという悲鳴を上げてます。
「やれやれ、最近の子供は過激ですな」
哲明の顔を見るなり話しかける清次郎、哲明は「ははは・・・」と作り笑顔を浮かべる。
「例え学校で改善できても、生徒の心が改善できなければこの不幸は永遠と廻る。教師は生徒の心を改善を促す存在のはすが、今は改善どころか悪化させてしまう・・・少ないんですよ、生徒の心の改善を促す教師が」
寂しげな目で語り、床に転がる丸められた紙を拾い上げる。
「自分は、心の改善を促せる教師になれるのでしょうか?」
不安げに哲明は聞く。
「なれますとも! 貴方は今、なろうとしてるではないですか。故、傷つけられる立場に回ってしまっている――それに、貴方は教員として日が浅い故、いじめを受けている生徒が今の教師をどのように見られているのか理解出来ないでいらっしゃる」
「理解できない・・・なにが、理解できていないのでしょうか?」
哲明は不安だった、自分が理解できない部分とはどの部分か。清次郎に聞けば改善できるかもしれないと考え、聞いてみる。
「ほぉほぉほぉ――それを見つけるのが貴方の今の目標。それを理解出来れば、貴方は生徒に信頼される教師になれましょう」
清次郎は何か確信する笑みを浮かべ、玄関から去ろうとした。
去り際に哲明に言う。「辛いですが、貴方が欠けている部分は身近に見つかるもの。ヒント、我輩の言葉にも含めれておりますぞ」
清次郎はいったい自分に何を教えようとしたのか、擦り切れた精神では何も思い浮かばず哲明はただ立っているだけ。
「もう耐えられない」自分の本心が訴えている言葉しか、もう頭の中に入っていなかった。
*
今日は月曜日、OG組の一時間目は社会(日本史)の授業。自分達の担任が担当している教科である。
哲明が他の教室で自分と同じ学年の生徒に何されているのか知っている、だけどOG組の生徒は何も言わなかった。何も出来なかった。
それは暁が言っていた「次のターゲットが自分になる」の一言が、彼らの行動の妨げになっていたから。
学校へ来る度ボロボロになっていく担任、哲明は「教師ならいじめられない」と言っていたのに現実は全く違っていた。
クラスの中で最初は「自業自得だ」と言っていた生徒もいたが、哲明の惨めな姿を見てから誰も何もいえなかった。
「起立、礼・・・――着席!」
学級委員長の呼びかけに生徒は立ち上がり、先生に頭を下げて、金属と木材を組み合わせた椅子に座った。
持ってきた教科書を広げて、哲明は「今日の授業内容は・・・」と言った。そこまで言ったのはいいけど、言葉の続きが思いつかない。口から出てこない。
自分の目の前に座る生徒たち、彼らの机においてある教科書を広げていない、哲明と視線を合わせようともしない。
「先生がこんな姿だから、お前達も俺の授業を受けたくないのか?」
寂しそうな瞳を浮かべ、教科書を教卓の上に置く。
自分が担当しているOG組の生徒にも早々と見放されたと感じて、募るのは怒りか悲しみか。
姿が痛々しくて視線が合わせられない、少しでも長く視線を逸らすために教科書を広げるOG組の生徒は何も言わない、ただ授業内容の説明を待つ。
「――そんなに嫌かっ!!」
突然黒板を力強く叩き、哲明は怒鳴った。
硬い物を叩くとき出る音と滅多に怒鳴らない哲明の怒声に、生徒の身がすくんだ。
「自分は駄目なことは駄目だと伝えたかっただけで・・・生徒を死へ追いやる行為を止めようとしているのに、この仕打ちかっ!!」
更に黒板を強く殴る。
「自分がしたことが間違って、周りが正しいからこんな仕打ちか?! ・・・――自分は、ただっ!」
教卓の前に蹲るように座り込み、呻き声に近い声で泣いていた。
後悔していた、「自分は教師だから生徒に仕返しされない」と自信ありげに言っていた自分に。
裏切られた、教師として生徒の心を救うのも仕事だと思っていた。なのに心も救えず、他の教師は「様子見」と称して何もしない。
自分でも情けない位泣いていた、もう授業崩壊の騒ぎではない。
ただ、叱っても止まらない嫌がらせや暴力を受け続け、誰でもいいから胸の内に閉じ込めていた怒りや悲しみを聞いて欲しかった。この悔しさを訴えたかった。
勝手に自分で決めたことなのに、自分の口から出ている言葉が都合良過ぎて自己嫌悪。頭の中に流れてくるのは「もう耐えられない」の一言だけ。
もはや言っていることと内に秘めていたことが矛盾して、哲明の中で考えている事が支離滅裂になっていた。
「どうなさいましたか!?」
OG組の教室に一人の老人が入ってきた。
学園の規模が大きい故に滅多に高等部に顔を出さないが、この人はこの学園の校長先生、好々爺で物腰柔らかく人当たりがいい人で生徒・教師両方から支持されている偉大な人。
校長がこの教室に入ってきたのは偶然である。
一週間に一度全校舎を視察に回っている校長は、たまたまここを通りかかって、哲明の怒鳴り声と黒板を殴りつける音を聞いた。
哲明の様子がおかしい事に真っ先に気付き、哲明の背中をさする。
「君達、彼に何をしたの・・・?」
口調は穏やかではあるが、表情に穏やかさが消えている。
校長先生相手に下手な嘘はつけない、正直に説明したほうが身のためである。今後の学校生活を考えると。
「すいません、すいません・・・自分が悪いのに、生徒に八つ当たりしてました」
涙を拭いながら、哲明は弁解する。
「これでは授業は無理・・・先生、今日は帰って休んでいたほうがいい。早退届は己が書こう」
「すいません、すいません・・・」
校長の心遣いに、哲明はただただ謝るだけ。
校長に背中を支えてもらい、哲明はおもむろに立ち上がって教室を出て行った。
残された生徒たちは、校長が教室のドアを閉めるてOG組から去っていくのを確認すれば、一部を除く生徒たちは授業そっちのけで席を立ち上がる。
初めて聞いた哲明の怒鳴り声、始めてみた哲明の泣き顔、初めて知った哲明の心情。
担任教師が生徒にいじめを受けている、こんな前代未聞の出来事に、静見していたOG組生徒が首を突っ込まないわけが無い。
代わりの教師が来る気配はない、情報・意見の交換をおこなえるのはこの時間だけだ。話し合いが出来やすいように、暁の席に集まる生徒たち。
話の実行委員は、OG組のガキ大将・巳条 暁以外誰もいない。
「新学期早々の最悪展開。ま、これ見れくれよ・・・ほらよ!」
机のフックにかけてあったカバンから、数枚の紙を取り出して机の上に放り投げた。
クラスメイトは投げられた紙を拾い、紙に書かれている一行にも満たない短い文章を読み、眉間にしわを寄せた。
十枚近くの紙に書かれてある文章、ここで紹介していいのかな? これって人権問題になるだろうと、頭の賢い者は無言だけど表情で語っていた。
絶対に放送できない差別用語、短気な奴が見たら絶対に激怒する軽蔑の言葉、ここまで書く事なのか揶揄がまぁ・・・。
一枚目の紙に「知恵遅れ揃いの穢多」と書かれている、「知恵遅れ」も「穢多」も放送禁止用語で差別用語でもある。二枚目は「ゴミ箱クラス」、三枚目は「愚鈍菌(笑)」四枚目は・・・もう説明するこっちが嫌になるから説明したくないっす!
「今日の朝、教室の扉に張られていたものだ。ターゲットの担任しているクラスだからな・・・こりゃ四・五人の犯行じゃないだろ?」
十枚目の紙に目を通しながら暁は言う、ちなみに十枚目に書かれている言葉は「全員死ね」、最後の最後に「死ね」の文字。
暁は他にも、クラスの周りから拾ったものを広げる。剃刀の刃が入った封筒に上履きの中に入っていた画鋲、葬式の花として用いられる菊と白百合の花束など、悪質極まりない証拠が並べられている。
暁以外の生徒は、どんな感情を胸に並べられた品を見ているのか、恐ろしくてこちらからは語れない。
「たぶん、相手は結構な身分の家柄で、半分以上は脅されて仕方なくおこなっている感じ。性格は強情で自分が一番ではなければ気がすまない高飛車、分かりやすく言えば傲慢」
並べられている証拠品を一目見て、相手がどんな人間か分析する子。小柄でビックテールの髪型と、バイザー型の色つき眼鏡が特徴の外見年齢十四歳近くの大人びた女子高生。
彼女の感情のこもらない声が教室に静かに響く。
「こちらを完全に見下している節もあり・・・舐められたものね」
ずれた色つき眼鏡をくいと元の位置に戻しながら、机の上に置いてある白百合の花を手に取る。
「この文字の書き方・・・二年D組の杉崎 美里?!」
侮辱の言葉か書かれた紙を凝視していた学級委員長が声を上げた。
「分かるのか?!」
「去年同じクラスだったから分かるの、殴り書くような文字の書き方。間違いないわ! まだ、まだあんな事・・・!」
用紙を持つ手を怒りで震わせ、驚き・嘆くように由香里は言う。
由香里が主犯を知っている、主犯がまだ続けていると皆の前で言った。
学級委員長の口からでた主犯の名前を聞き、真っ先に青ざめたのは頭にバンダナ巻いているしか特徴のない男子生徒だ。
「杉崎って・・・親父が今のPTA会長で、月のEOT・インダストリー。世界でトップクラスの実績を持つ厳原重工と並ぶ戦闘機動兵器開発会社・杉崎コーポレーションの?! あいつ社長令嬢だったのかよ!」
それを聞けば、周りもたちまち驚きで声があがる。
「どんな奴だ? 学級委員長」
「うん・・・。我侭がそのまま形になったような女の子で、高等部一年のとき同じクラスだったわ。成績優秀で沢山の習い事している、常に自分自慢が絶えなかったの覚えているわ」
一年生のときの回想シーンを踏まえながら、由香里はただ語る。
「気に入らない事があれば誰にでも八つ当たる人で、問題起こせば親に自分の起こした問題をもみ消してもらっているの」
「お嬢様は自分のストレス発散なら教師にでも手を出すってわけか――オマケに親はPTA会長・・・学校が何にも出来ないわけだ。学校側は相手のワイロを受け取って事の重大を隠蔽してるってわけだ。さらには親の権力使って、高等部の生徒を服従させているって事にもなる」
暁は落書き書かれた紙をひとつにまとめ、ぼやくように言う。
急に進展したいじめの展開、証拠の名を持つカードは揃った、あとはこれをどのように展開させるか。シナリオライターはどうゆう風にシナリオを書くのか・・・。
今回のシナリオに欠かせない役者・音光寺 哲明の突然な欠番が痛いところであるが。
「担任侮辱しても構わねぇよ・・・けどなぁ――」
紙の束を両端で引っ張る暁の手が震える。
引っ張られた紙は中央から小さい裂け目が生まれ、ピリピリと小さな音を響かせながら裂け目を広げていく。
「俺を侮辱したらどうなるか、思い知らせてやらぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
腹の底から響く暁の叫び声と共に、侮辱の言葉が書かれた紙が一気に裂けた。
本来ならばこのガキ大将の決意に同意し、「おおぉー!!」と大きな声が上がるはずですが、この時誰も上げなかった。
暁は自分のことしか考えておらず、集まったクラスメイトの存在なんか空気にしか感じていない。
せめて「たち」を入れて欲しかった、暁を除くOG組の生徒は思うのであった。が、侮辱されて怒りを露にしている心は同じ、絶対に思い知らせてやると怒りを募らせる。
一学期・四月、OG組初めての発起。
「授業中に何騒いでおる、うるさいぞ!!」
隣で授業していた先生が、直後に教室に入って授業態度乱しっぱなしの生徒に叱る。