十六時間目・寝ればすぐに治る病もある、病は気からと言ったものだ
さて、時間は夜の八時を越えてました。
今日はネット喫茶・・・じゃなくて、ちゃんとした宿で一晩泊まる事にした。
宿というより小規模のホテルであるが、けっしてラブホテルではない。最近ホテルと聞くと、ラブホテルの事と思い込んでいる人がこの世界にいまだいる。
それは置いといて。
ホテルに入ればロビーでチェックインを終えて、今夜寝る部屋の鍵をロビーの受付人から受け取って、エレベーターで入る部屋がある階まであがると、それぞれ渡された鍵に合う部屋に入っていく。
いまいち分かりにくい説明であるが、簡単に説明しろといわれるとここまで説明を簡単に済ますことが出来るのである。
男性陣はそれぞれ一人用のシングルルームへ、常に一人で行動している人ばかりで集団で寝泊りに慣れていない。いまさら大の男が集団で寝るって、修学旅行じゃないんだから勘弁して欲しいとでも思っているに違いない。集団で寝ろって言われたから寝るかもしれないが、出来れば隔たりのある部屋で一人眠りたいという男性が多いようだ。
一方女性二人はダブルルームへ、男性と違って女性は友人とはいえ他人と寝泊りしても平気なのか、同じ部屋で寝ても気にする人などいない。女性同士で『パジャマパーティー』と称したお泊り会を開いて、パジャマを見せ合いながら夜遅くまで会話し、トランプなどのテーブルゲームで遊び、最後に眠る。
男性と女性、同じ人間なのに性別違うだけで思考ってこんなに変わるものなんだ・・・と考えているのは、ベッドの上に倒れている哲明である。
その姿は、まるで修学旅行一日目にはしゃぎ過ぎて、疲労で倒れて夜のゲームに参加できない生徒のようだった。
「からだ・・・おもい・・・」
ひらがなから漢字に変換できないほど、哲明は疲れきっていた。
地上とは違って気圧・酸素が低くくて富士山より高い場所、慣れない環境に体が追いつかなくて、軽度の高山病に罹ってしまった。
さっきまで客室の壁に取り付けられている酸素マスクをつけて、酸素吸引をおこなっていたばかりである。
水分補給も大事と言って、恭一が水を買いに行ったがまだ帰って来ていない。
今は大人しく体を休めて、水分補給を行えば症状が幾分軽くなるとか。
高山病といえば頭痛の症状が最初に出てくるが、部屋に入ったとき鎮痛剤を最初に飲まされたので、頭痛は緩和しつつあった。
しかし体がだるい、もうだるいの一言しか出てこない。
のどが渇いた、水、水はまだか・・・!
「大丈夫?」
開いた扉の隙間から、エーミーが顔を出す。
「恭一が飲み物買ってきたから、もって来たの。起き上がれる?」
清涼飲料水のペットボトルが入ったビニール袋を片手に、エーミーが部屋に入って来た。後ろから同じく部屋に入ってくるのは晋助である。
鎮痛剤の効果で痛みは消えたが、頭が重くてなかなか起き上がれない。
晋助がベッドまで歩み寄って哲明の肩に手を添えて、ゆっくりと体を起こさせる。晋助の手を借りてやっと起き上がれて、哲明はエーミーからペットボトルを受け取る。差し出された清涼飲料水がはいったペットボトルの大きさは二リットルサイズ。これを口飲みしろ、と?
エーミーが「ごめん、ちゃんとあるわよ」といってビニール袋からピクニックや花見で使われる何個も積み重なったプラスチックのカップを出した。すぐに包装しているビニールを破るように開けて、一番上のカップを取って、哲明が持っている大きなペットボトルを奪って、蓋を開けて中に入っている清涼飲料水を注ぐ。
「はいな〜」
とエーミーがカップを哲明に差し出す。
「すいません・・・」
哲明は頭を下げながら、カップを受け取ってすぐに飲む。
「当時ここに最初に移住してきた人の八十パーセントが、高山病に近い症状に長い事苦しんだのよね・・・大型酸素循環器が年中稼動しても間に合わなくって、死亡者も多かったのよ」
「ここの住人はとても苦しんでいるように、見えませんでしたが?」
「当時っていったでしょ? 一年足らずで低酸素・低気圧の環境に体が慣れて、苦しめていた症状が消えたのよ。酸素循環器が安定してきたもあるげど、――まぁ、適応能力ってやつよ、適・応・能・力!」
哲明の両肩をポンポン叩きながら、はつらつとした声でエーミーは言う。
「・・・では、他の人はなぜ・・・自分のように倒れないのでしょうか?」
「うぐっ!?」
哲明の一言でエーミーが固まった。
「さぁ? なぜでしょうね・・・くくくく・・・」
含み笑いを漏らしながら、晋助が不気味なオーラを漂わせていた。
*
哲明は驚くように意識が戻る。
目に映る風景は霞が消えて鮮明に見え、身体に圧し掛かった重みも消えて、哲明は上半身を起こす、窓の外は明るくなって、太陽の光がカーテンの隙間から差し込む。。
起き上がれば服装は昨日のまま、自分が寝ていた場所は自分の家ではなくホテルの一室、携帯電話に設定された目覚ましアラームの履歴。携帯の大音量アラームでも起きなかったほど、彼はは疲れていたようだ。
今日は子供の日、時間は十時を越えている。本来なら仕事場に到着して、既に仕事を始めている時間である。
昨日の事が夢のよう。できれは、昨日の事が夢であって欲しかったと一人嘆く。
ベッドから起き上がってすぐ乱れた服装を整えて、顔を洗おうと哲明は洗面所へと歩く。
洗面所にはお持ち帰りOKの洗面用具が整頓されてあり、蛇口は手を近づけるとセンサーに反応して水が出るタイプ。
家と普段変わらず、歯を磨いて口の中を濯いで、寝ぼけた顔に冷たい水を浴びさせる。顔を洗い終えると清潔さ感じさせる真っ白なフェイスタオルで顔を拭き、鏡で自分の顔を見る。ぜんぜん老けない顔、中学生の時からあまり変わっていない、髭すら一本も生えないので髭剃りなんて一回もしたことが無い。
早い人で中学三年生から髭が生えている人間がいるのに、自分は三十になっても髭が生えていない、遺伝子に異常でもあるのか?
「あら〜? 朝からナルシスト?」
後ろから話しかけられて体が硬直する。
「かかかかかかかかか勝手に入ってこないでくださいっ!!!」
「一応ノックしたけど反応無かったから、まだ寝ていると思ってドッキリで起こそうと考えていたのに・・・」
残念そうに言うエーミー。
仏頂面の恭一も隣で立っていた、彼はノーコメントのようで。
「じっ、自分の顔にコンプレックス抱いていただけです!」
と言って、手で髪型を整える。
「あ〜ら・・・私は羨ましいわよ? 死ぬまで美しい美貌のまま、若さを保つ方法を私に頂戴!」
エーミーは羨ましそうに頬を軽く引っ張る。
軽く引っ張られているので痛みは無いが、早く手を離してと心の中で言う。
「やめろ」と言って哲明の頬を抓るテーミーの手を払った恭一。
「帰る支度するぞ、先に準備して待っているからな」
そっけなく言って、哲明が寝ていた部屋から出て行く恭一。
「あぁん、まってぇ! ――じゃ、ロビー前でね〜」
恭一を追いかけて、エーミーも部屋を出て行く。
哲明はため息を漏らす。
そろそろ帰るのか、今日の仕事サボったから教頭の雷が落ちるのは明白である。
まんまと乗せられたといえ、誘いを断らないでここに来たのだから自分の頭上にも落雷するだろう。
主犯? と思われるエーミーは減給間違いなし、昨日・今日休みの人以外当分減給と残業だろう。
時計の針はもうすぐ十一時を指そうとしている、特別快速に乗れたら午後の仕事に間に合うかもしれない。
昨日の服のまま眠ったので着替えることはないし、宿泊料の支払いは割り勘か別の人が払うだろう、あとは電車の切符を買って電車に乗って東京駅に無事に着けばいい。
それにしても、早い帰りになる。
もっと見て回れる場所がここにあるのに、いきなり帰るなんて少々強引かつ身勝手な事だなと誰もいなくなった部屋で呟く。
教頭から「午後からでもいいから、仕事に来い!」とでも電話かメールで言われたなら、自分も早めに支度しないと・・・!
寝室に戻ると掛け布団を丁寧に畳み、ベッドの上に置く。ベッドの横に配置してある小さなテーブルの上に、無造作に置いてある自分のカバンと部屋の鍵。自分で置いた記憶がないので、きっと誰かが置いてくれた、きっと。
荷物を持って、戸締りを確認して、彼は部屋を出て鍵を閉める・・・って、家から出るときと変わらない。習慣はどこにでも出てくるから不思議でちょっぴり怖い。
扉を閉めて、ロビーに向かうと廊下で清次郎と出会う。
「菊谷崎先生、おはようございます」
走るように歩きながら、清次郎の横まで歩み寄る。
「おやおや、相変わらず生徒に負けないはっきりとした挨拶ですな」
笑顔を絶やず、清次郎は言う。
「慌ててますね・・・やっぱり教頭がお怒りですか?」
「少しハメ外したつもりですが、どうやら外しすぎましたな・・・これは失態失態」
「失態で済む話ではないと思われますが」
「前より鋭い指摘してきますな? 最初の頃より成長して結構結構」
「いや、褒める所ですか?」
と、会話は続いていた。
*
学園高等部・職員室。
自分の席に静かに座っている教頭。
時計を見つめながら、ニヤリと笑みを浮かべている。
重次郎は教頭が何を待っているのか知っているらしく、来ていない人の席をあちらこちら見て、深くため息を吐いた。
教頭は古臭そうな腕時計を見る、時間は十時四十分。彼らが来るにはもうしばらく時間が掛かりそうだ。
「さて・・・巻き添えも含めてどのような待遇を下そうか」
こどもの日、教頭は仕事をサボった人間にどんな処罰を与えようか企みながら呟いた。
これで一応ゴールデンウィーク終わりですかな?
次回からやっと学園らしい話が再開できる・・・の前に休み時間入ります。