十五時間目・休みのときは大体ショッピングする人が多い?
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東京環境保護都市・四番塔五フロア市街地十二番区域駅に降りたとき、十一時はとっくに越えていた。
休みなだけあって、乗車する人の数は朝の通勤ラッシュ並み。電車から降りる人がいなくなると、電車を待っていた人達が押し寄せてくる。
ホームを降りれば肩にのしかかるのは疲れ、哲明の口からため息が漏れる。座っていたのに、どうも疲れが出てしまっている。あんなハッタリを信じてしまった自分が情けない、いやいや誘いなんか無視して一日中寝ていれば良かった。
エーミーがホームの出入り口に繋がる階段の前で、「はーやーくー」と哲明を呼んでいる。
もう一度哲明はため息を吐く。もうここまで来てしまったからには、後戻りなんか出来ない、最後まで彼女達について行こう。愛用のカバンを持ち上げて、哲明はやや重い足取りで階段に向かって歩く。
哲明が近づいてきたのを確認すると、エーミー達は隣にあるエスカレーターを使わないで階段をあがっていく。哲明が追いつき易いように階段を選んだとは思えませんが、健康的で良いではないでしょうか。
長い階段を上がりきれば、広く開けたタイル張りの通路が飛び込んでくる。次の電車が来る電子時間表と大きな電子時計、混雑していててんやわんやになっている売店、ファーストフードの店や雑貨屋も駅の中にあった。東京駅ほど規模は大きくは無いが、千葉県の柏駅ぐらいの規模はあると哲明は思った。
大きな通路をまっすぐと歩けば、当たり前のように改札口があって、改札口の奥にはみどりの窓口、改札口の横には切符売り場がある。天井はガラス張りなので太陽の光が良く差し込むと思えばそうでもない、他の塔にもいえる事であるが四番塔を支える中心の柱と、上のフロアが影となって日差しを遮っているので案外薄暗い。
天井に取り付けられた太陽光発電の照明あってちょうどいい明るさだ。
「さっさと出て、ショッピング街にいっくわよ〜!」
専用の電子カードを当てて、改札口を抜けながらエーミーは言う。
洸も結構張り切っているらしく、高テンションで「おうよっ!」と返事を返す。
で、男性陣はというと・・・あまり気分が乗らない、というより、彼女達のテンションに追いつけていなかった。とりあえず空気を合わせようと恭一が力の無い声で「おー・・・」と言う、民衆の前で恥らう事無く大の大人がはしゃぐ姿が痛々しく恭一には見えていた、出来れば一緒に歩き無くないに違いない。
あのテンションの低い声にとっても嫌そうな顔、他人のフリをしてこの場から逃げたがっている。人の心が読めるわけではないが、表情を見れば誰だってわかる。だって、恭一は仏頂面の割りには誰にでも分かってしまうほど表情が読める人だから。
哲明は次の人に視線を移す、涼やかな顔で共に歩いている学園教員最年長・菊谷崎 清次郎。
清次郎は恭一のように露骨に嫌な顔しておらず、微笑ましそうにエーミーと洸を見ている。その表情は孫を見守る老人のよう、波長が彼女達と似ているのか案外ノリノリかもしれない。それとも彼女達の行動を見るのが楽しみで、今回の誘いに乗った可能性もあり。
いまいち表情読めないが、最後の人に比べたらまだ易しいほうである。
最後の人・・・世界的有名な総合科学者・白河 晋助、清次郎以上に表情が読めない。
エーミー達のように楽しんでいるのか、恭一のように一緒に歩くのが嫌なのか、清次郎のように楽しむ人たちを見て楽しむ訳でもない。ただ誘われたから来ただけ、哲明と理由は同じである。
楽しむのか嫌がるのか、それは彼女達の歩くコースと空気次第。楽しかったら明るく陽気で、どんな人でもホイホイ受け入れてしまいそうな空気が作れる。逆につまらなかったら陰湿で気まずい、仲間割れでもしそうな陰険な空気になってしまう。
彼は周りが作る「空気」に自分の波長が合えば、それでいい人かもしれない。あくまでも憶測でありますが。
女性陣は二名ですが、本当に分かり易い人で良かったと哲明は思う。
エーミーと洸はショッピングする気満々、既に楽しんでいる。
もし、想い人が一緒だったら・・・そう考えるとこっちの脈拍が高くなって、自分は何もいえません。今一緒に歩く彼女達は何の対象でも無いただの教師仲間です、言っておきますが、哲明は女たらしでも何でもありませんよ。
「駅を出たら、すぐにショッピング街よ!」
駅舎を出てすぐ、エーミーは両手広げて後ろを歩く男性陣に言う。
「服に雑貨に電化製品、バイク改造のパーツだって売っているぜ!」
エーミーの横で自慢げに説明する洸。
女性はやっぱりショッピングが好きなんだなと哲明は思った、しかし、何が欲しいから彼女の趣味と性格次第。
振り回されなければ良いけどと思いつつ、哲明は職場の仲間達と共に駅舎の前に取り付けられた階段を降りた。
ここで欲しいものがあったら買おうかなと考える。
でも欲得心が無いに等しい哲明。何が欲しいか考えられない、とりあえず台所の洗剤が丁度切れていたので、洗剤安かったらここで買おうと考えるのである。
「いや、待て待て」と自分の思考を停止させる。
どこにでも売っている洗剤をここで買うのはどうかと思う。どうせ買うのだったら、一般には出回っていない外国の洗剤の方がいい。より、洗剤しか頭の中に入っていないのは、どういうことと一人でぶつぶつと呟いていて歩いていると、横に大きなショーウィンドが広がる。電化製品の店なのか液晶テレビや洗濯機などが並ぶ。
どれも一般家庭においてある電化製品、地球環境や節約を考えて作られているので普通のより高い。その見馴れた電化製品の横に、まったく見られない電化製品が並んでいた。
ロボットのプラモデルやアニメのキャラクターフィギュアに近い外見を持った品物が、台にずらりと飾られてある。下の段には大きめの二足歩行可能ロボットや犬や猫などの動物に外見を似せたロボットが飾られている。
売り物らしくそれぞれ値札が貼られているが、どれも高値に設定されており、一番安くても十五万円もする。
「ポータブル・ロボが欲しいの?」
先頭で歩いていたはずのエーミーが、哲明の背後から話しかける。
「ポータブル・・・ロボ?」
「えぇ! 知らないの?!! ・・・しょうがないわねぇ〜、お姉さんが特別に教えれあげちゃう」
と、言ってエーミーはショーウィンドウを覗き込む。
「一昨年の夏に出てきた便利ちゃんでね、超小型で超高性能の電子頭脳が内臓されるの。ロボットっぽいのやフィギュアっぽいのはPCの役目で、下の大型の動物型や二歩歩行ロボットは介護とか生活標準が低い人の補佐の役割を持っているの。簡単に説明すると、動くサポートツールってところかしら〜。もちろん、自分でカスタマイズして専用のポータブル・ロボを作っちゃうことも出来るし、ポータブル・ロボ同士戦わせる世界大会もあるのよ」
自慢げにベラベラと説明するエーミー。
「長い説明ですが、学校に持ってきては駄目な物ですよね?」
「ノンノン、ノープログレム。『Pロボ研究会』って部活が高等部にあって、その部員の人と校長・理事長に許可を得た人ならもって来てもいいの。あ、許可貰ってないのに持ってきた人は、もちろん没収されちゃうけど・・・」
そんな部活と校則があったとは・・・。
もっと自分の職場事情を知るべきだなと思いながら目の前に並んでいるポータブル・ロボを見つめる、はっと気がつくとショーウィンドウのガラスに両手が触れていた。
すぐさまガラスから手を離し、周りを見回すと隣に立っていたエーミーがいつの間にか先に進んでいた。さっきまで隣で会話していたのに、歩くスピードが速いと思いながら軽く走るように街路を歩く。
何気なく空を見上げる。
本当に東京都の上にあるとは思えない街並み、車だって通っているし、地上と変わらない空が見られ、風だって人工ではなくて空から吹き付ける地上より強い風。太陽の光も射して心地よい、建造物を支える巨大な柱や上のフロアの影さえなければ、地上とほとんど変わらない。
この街が雲と同じ位置に存在するなんて、言っても信じてもらえそうに無いほど居心地のいい場所。
ただ・・・地上と比べて気温・気圧・空気が薄い、しかも建造物の三分の一は雲の中なので天気が変わりやすい。
五月になれば薄着する人が多くなるのに、この街に住む人は厚手のジャケットを羽織って歩いており、高いビルの屋上には巨大なモーターファンが取り付けられた装置が置かれている。形からして酸素を街全体に送る機械のようだが、いったいここで何千メートル位地上から離れているのやら。
哲明は電柱に取り付けられている看板を見る、普通に店や病院の住所・電話番号や捜索願いのチラシが張ってあるなんだ変わらない電柱。梯子が無ければ取り付けられない位置に、「五千四百七十九メートル地点」とゴッシク文字で書かれた看板があった。
東京スカイツリー五と約二分の一本ぐらいの高い位置に街がある、富士山を下から見下ろすことが出来る高さ、自分の現在位置を知った途端に足がすくんでしまう。
自分が今いるフロアの端っこで東京を見たら、東京タワーも東京スカイツリーも富士山も都内にある超高層ビルもミニチュアの模型に見えてしまうだろう、間違いない。
先ほどの最新技術の一環であるポータブル・ロボなんかより、こっちの方が凄くて素晴らしいと思ってしまう。
「そのうち、火星あたりに造ってしまいそうだ」
冗談で言ってみた、聞いている人間なんか誰もいないけど。
前を向くと、エーミー達の姿は人込みの中へ消えようとしていた。
物珍しさに色々見ている内に孤立してしまった、哲明は早く合流しようと慌てて走り出した。他の人も哲明が一緒に歩いていないのに気付き、哲明が合流しやすいように足を止めている。
「ま・・・まって、ください! はぁ、はぁ、待ってぇ・・・」
「あらら・・・」
周りの気遣いもあって、走ってすぐ追いつく距離だったので見失うことなく合流できたのだが、哲明は息苦しそうに呼吸していた。
たった数メートル走っただけでここまで苦しくなるのか、地上で十メートルも満たない短距離走っただけで、死にそうなぐらい呼吸困難がおきるものなのか。
「ここの空気、地上より薄いから、すぐ走るとこうなるのよね〜」
肩で呼吸している哲明の背中をぽんぽん叩きながらエーミーは言う。
「慣れない人はここで有酸素運動はしないほうがいいですよ・・・」と言った後、ククク・・・と含み笑いする晋助。
哲明は恥ずかしかったのか、顔面が真っ赤になって顔を伏せてしまう。
「よーし! 気を取り直して、買い物いくぞ〜!」
「威勢がいいですなぁ・・・それを仕事に向けてくれたら感謝感激極まりない」
張り切って右腕をブンブンと振る洸の横で、清次郎がからかいの意も含めた言葉を発した。瞬間にキリッと洸が睨みつけてきたが、彼は涼しい顔して歩いているだけ。
馴れている、「慣」れているではなくて「馴」れている。
「もう少し、可愛げもあったほうが私としてはポイントが上がっていいのですがねぇ〜」
あのう・・・ポイントってどんなポイントなんでしょうか?
この発言が無かったら、もう少しで貴方を賞賛しそうになりました。自分。
「セクハラ発言は無し!! エーミー・・・さっさと宿探すぞ!!」
「あぁん! まだ時間有り余っているわよ〜?!」
ズカズカと一人で歩いていく洸と、そんな洸を歩いて追いかけるエーミー。
「やれやれ・・・本当に照れ屋ですねぇ」
表情崩さず、清次郎は頷きながらのんびりとした声色で言う。
いや、セクハラと賞賛の境界線ギリギリの発言に気味悪がっているんですよと、非常に小さな声で哲明が言う。堂々といえないのは、彼は非常に小心者だからである。
背後から「もっとはっきりとした声で、発言したほうがいい」と言ってきたのは仏頂面の恭一。
乗用車やバスなどが走る音などの雑音が響く場所。
自分のとても小さい声なんか、簡単にかき消されて、普通なら人の耳の中に入ってこないのに・・・。
どこまで耳がいいんだ、この人。
「いや・・・そばで歩いていたら、耳に入っただけ」
場所を変えまして、年中無休人々が賑わう百貨店です。
食品から雑貨まで様々な店が軒を募る、置いてない物はない店の集合店。
駅から少し離れているがこの区域一大きなデパートであり、新宿伊勢丹本店と同じくらいの規模をもつ。店内も広くて階によっては入り組んでいる場所もあり、はじめて来る人は迷ってしまうだろう、方向音痴だったら尚更である。
品揃え豊富なデパートにやってきた教員ご一行は、それぞれ欲しい物を求めて単独行動を始めていた。
他人の買い物に付き合う義理は無い。
もう好き勝手にデパート内を歩き回って、散財するまで買い物しろ。――そう言われているきがしてならない。
最初はエーミー。
彼女が入った店は、デパート三階にあるランジェリーショップ。
店内に入るなりエーミーの目に止まった先に、「お買い得品」と張られた紙の下に種類様々なブラジャーとショーツの上下セットが、目の前の壁に掛かっている。
幼さ残る少女をイメージしたキュートな下着、セクシーな大人の女性満点の魅惑な下着、年齢問わず着用できるシンプルデザインの下着など・・・種類が多くて目移りしてしまう。
並べられたお買い得品の中に前々から欲しい下着セットがある、赤の縁取りと黒のレースのブラとショーツでちょうど自分が着用しているサイズと同じ。しかし、選んだブラジャーとショーツはレースと縁取り以外透けている。
「これなら、むっつり恭一もイチコロね!」
などど言いながら、お色気満点の下着セットをカゴの中に入れた。
「今頃、男の性欲煽るような下着でも買ってるなぁ・・・絶対」
同じ階にある、少し入るのがためらってしまうような外装のアクセサリー店で洸がチェーンベルト片手にぼそりと言葉が漏れた。
この店、名前は『暴走上等』と言い、ヘビーメタル系の装身具を中心に販売している風変わりの店。店の名前が『暴走上等』だからか、珍走団(暴走族)がよくここにベルトやピアスなどの装身具を買っていく姿が見られるらしい。元レディース総長・洸も店の常連。
最近仕事でここでゆっくりと品を眺める時間が無く、今日店に来たのは一年半ぶりである。
今回はエナメル塗装された指の開いた革手袋を買おうと思っている、仕事中でもつけられるシンプルな物。此間、指先開いた革手袋をつけたのだが教頭に見つかって怒られた。怒られた理由は指の付け根についた金具、金具はすごく鋭い棘、これで殴られたらた「痛い!」で済む話ではない。
自分の立場と安全性を考えつつも学園(仕事場)でもつけて歩くものだから、生徒に「ダサい」って言われないかっこいいデザインの、殺傷力のない革手袋がいい。
どの手袋を買うのか、もう一・二時間かかりそうである。
教員一の仏頂面・新庄恭一はデパートにはいなかった。
デパートの前にある大きな本屋の中で、恭一の姿が確認取れる。
彼は立ち読みをしている、デパートで何かを買い済ませて暇を持て余しているのではない。欲しい物がデパートの中ではなくて、この本屋の中にある。
本を読みながら恭一は思う。
――百貨店なのになぜ本屋がないのか、イオン系列店もデパートなのにあっちにはちゃんと本屋があるのに、高島屋・マルイとか今も続く老舗にはなぜ本屋がない? いや、あるかも知れないけど場所がわかりにくい・・・! あるんだったらもっと分かり易く案内書いてほしい、利用する者を冒涜しているぞ。
・・・と、本に釘付けの目で語っている。
で、彼が今立ち読みしている本は『簡単一攫千金バイブル〜チャンスをフルに使い込め〜』と書かれた、またしてもギャンブル関係の本である。
「分の悪い賭けほど、ギャンブルは楽しいものだ」
軽く目を通した本を置いて、別の本へ伸ばす。
恭一は新しい本を広げながら更に思う。
人生こそ最大のギャンブルであると――と生徒の前で言ったらどんな反応を示すやら、その前にエーミーに叱られるだろうな。
場所はまたデパートに戻って、地下一階の食品売り場。
・・・に、ある酒専門店。
菊谷崎 清次郎は棚に並んだ数多の酒瓶を眺めて、どれを買おうかものすごく迷っている。
ここに並んでいる酒瓶は形も入っている酒も様々、アルコール度が比較的低いビールから、アルコール度九十六パーセントの世界最強の酒・スピリタスも取り扱っている。
清次郎は棚に置いてあるひとつの瓶を持つ、茶色の瓶で張ってあるラベルに書かれているドイツ語、なんて書いてあるかは読めませんって人に、裏に翻訳されたラベルが張られていた。
商品名は「ヴァイスビール」と書かれており、生産先とかいろいろ詳細が書かれていた。「ヴァイス」というのだから白いビールなんだと清次郎は思った。
ビール――、よく仕事の打ち上げでエーミーや洸などの人が、良く好んで飲んでいる光景を思い浮かべながら持っていたビール瓶を元の棚に戻す。
次にワインボトル。辛口の赤ワインは魅惑の女教師・セレテリスの好みの味、ワインの中でその味と色が好みなだけで、彼女は酒で飲めれば満足って人。
「ふむ・・・これは」
次の棚から手に持った瓶は透明な一升瓶、中身も青冴えの一級品。ラベルに「大国主」と達筆で書かれている。
この酒瓶を持って思い出すのは今は亡き幼馴染の顔、校長と彼と自分でこの酒を飲み交わした日が昨日のように思える、同じ学園で教鞭を振るっていた幼馴染の死はとってもあっけなかった。死に際に自分に学園の未来と一番の弟子を託されたときの言葉を、思い出すだけで涙腺が緩んでしまう。
二つの願いを託してこの世を去った友の大好きだった日本酒、今度お盆の時にでも墓に持って行こうと考えた、彼の最初で最後の「弟子」と一緒に。
大国主を戻す事無く買い物カゴに入れて、お目当てのウィスキーを探しにウィスキーコーナーへ向かって歩く。
デパートの屋上にある休憩室。
ガラスの壁の向こうに、子供が遊ぶ小さなテーマパークがいくつも並んでいる。ゴールデンウィークなので、家族連れが多く見かける。
休憩室のベンチ、テーマパークに背を向けて、白河 晋助が最新モデルのノートパソコンを膝の上に乗せて、カタカタと文字を入力している。
彼はエーミーの誘いにのってついて来ただけ、ショッピングする気など更々無い、かといって暇なのも事実である。
暇を有効活用するため、持ち歩いているノートパソコンを起動させて学会に提出するレポートを書き込んでいた。屋上の休憩室を選んだのは、座る場所があって自動販売機が横に並んでおり、ガラスの壁は防音ガラスになっているので外の騒音に気にせずレポートに集中できるという利点がある。
書いているレポートは今研究している事の途中経過のようだが、英語で書かれていて英語の分からない人では絶対に読めない。
「・・・む」
首を画面が見やすいようにムリな姿勢でレポートを書いているので、首と肩がズキズキと痛み出す。
念のためにレポートの内容を見られないようにノートパソコンを閉めて、首の付け根を軽くてで揉む。
次にゆっくりと両手を挙げて背伸び、少しは痛みが和らいだ。閉めていたノートパソコンを開けて、レポート書きを再開させる。
レポートの締め切りが迫っている、集合時間までには書き終えたいと思った。
デパート四階・日用雑貨店。
日用雑貨なだけに、生活に必要なものがずらりと並んでいる。当たり前のことだけど。
ここの洗剤コーナーに哲明は悩んでいた。
輸入の外国メーカーの食器用洗剤にするか、日本の安くて大量に入っている食器用洗剤にするか。
(ここは普段使っている洗剤にしたいが・・・ここだと近所のドラックストアより四十円高い、輸入物は合成洗剤が多いし、そのわりに高い。かといって、合成洗剤使うと手が痒くなるから使いたくない)
洗剤とにらめっこして一時間。
洗剤を選ぶのに一時間もかける必要がどこにあるのやら。
本来なら「これ安い、即お買い上げ」な流れで買えるのに、今回だけ哲明からその流れは消えていた。ここまで来たから買うのだったら珍しい品がいい、しかも安いの・・・。を、探しても中々見つからない。頭痛がする。
洗剤は帰って来たときに買おう。
哲明は洗剤を買うのを諦めて、店の外へ出る。
「頭痛い、クラクラする」
店に入ってから体の不調を感じていた。キリキリと痛む頭、眩暈がするのか視界がぐらついて見えるものすべて霞みかかっているし、疲れているのか体が電車を降りたときより重い。
休めば和らぐと考えてベンチを探しに広い通路を歩き始めた。
「あ〜ら、奇遇?」
頭痛を悪化させるようなトーンが高い女性の声。
「・・・大丈夫? すごく顔色悪いけど。私の声、聞こえてる?」
霞みかかって話しかけてきている人物の顔がはっきりと見えないが、声が知っている人物なので哲明は頷く。
「疲れました・・・非常に」
「今日は酸素循環器メンテナンス日だったわね・・・油断したわ」
「はい?」
エーミーの声が少しだけと小さく聞こえる。
いったい何が言いたいのか、この人は――と思いながら返事をする。自分の口から出てくる声は、自分でも分かるように弱っている。
自分の身体に何が起きているのか分からない。
疲労なのは自覚しているが、エーミーの言葉はそれとは別の原因を知っているように聞こえる。
「とりあえず・・・宿に行きましょ? や〜どっ!!」
エーミーが哲明の腕を引っ張って歩きながら、周囲の人が注目するようにワザと大きな声で言う。
哲明は恥ずかしかったのか、顔を俯かせてしまった。