一三時間目・突然誘われたときの対処法は?
ゴールデンウィーク二日目、今日はみどりの日である。
言っちゃ悪いがオンボロアパート、アパートの住人である哲明は布団の中で夢の中を彷徨っている。主人公に相応しくない家とか言うな、絶対に。
今日は仕事は休み、今日は時間を気にせずのんびりと眠っています。
休みのとき、どうしても一分一秒でも長く眠りたい。貴重な休みの日はゆっくりと長く眠るか、楽しい場所へのんびり外出が一番だ。
ところで、なんでみどりの日って言うの? って聞きたい人いますよね。あとで自分で調べて見てください。
「・・・うわぁ!!!」
休みの日にのんびりと眠っていた哲明は、突然驚きで目を覚ました。
そばで充電していた折りたたみ式の携帯電話が突如鳴り出したのだ。
哲明は携帯を拾い上げて、開いて小さな画面を見てみると見たことの無い電話番号が表示している。いったい誰からだろうと思って、通話ボタンを押して右耳に当てた。
『もしもし〜? てっちゃんセンセ起きてますか〜?』
声の主は女性である。
「えっと・・・カーボナード先生ですか?」
『ピンポーン、正解。ご褒美に今すぐ身支度して東京駅に来てね〜、午前九時には集合よん』
だけ言って相手は通話を切った。
哲明は携帯の時計を見る、時間は八時半。数秒間だけ動かなくなる。
「・・・・わああああああああああ!!!」
直後に悲鳴が哲明の口から出てきた。
掛け布団を大雑把にめくって哲明は室内を走り出した。
やや強引な呼び出しに哲明は頭の中が真っ白になり、外出用の服を着込みながら寝癖を整えて、台所に置いてある歯ブラシに歯磨き粉をつけて口に銜える。
今日一日家で過ごそうと思っていた矢先に、エーミーからの突然の強制的お誘いに哲明の思考が一部混乱していた。
あわてて着替えているので、両足同時にズボンに入れた途端に台所の床に倒れた、歯磨き粉付きの歯ブラシが気管に引っ掛かって思いっきり咳き込み、唾液の混ざった歯磨き粉が床や自分の口元を真っ白に汚す。転んだ衝動で手に持っていたヘアブラシが手からスポンと抜けて、咳き込みながら上半身体を起こす哲明の頭に直撃。
「つぅー・・・!」
右手で頭を押さえて、左手で口を塞ぐ。
いい年越えた大人が何やっているんだろう、朝から欝な気分である哲明。
口を塞いでいた手は唾液と歯磨き粉が混ざった液がべっとりと付いている、すぐに洗い流そうと蛇口の栓を全開、洗面所代わりの台所でまた咳き込む。口から手についているのと同じ粘り気のある液体が水と混ざって排水溝へ流れていく。
哲明は流れる水を目で追い、時間を忘れて見ていた。
こうしている場合じゃないって、時間を思い出して哲明は手・口元・口内を洗う。さっぱりと洗い上げると蛇口の栓を硬く閉めて、穿きかけのズボンをあげてチャックを閉める。
濡れた顔面と手をタオルで拭き、歯ブラシを蛇口の横に置いてあるプラスチックのコップに戻す。咳をなんとか収まって、縞模様の長袖Yシャツのボタンをしっかり留めて、ループタイを装備して、春用の茶色いジャンパーを着込む。靴下もしっかり履き、必要な物が詰まった愛用のカバン片手に玄関まで走る。
携帯電話の時計を見ると後十六分で九時である、靴に足を突っ込むと履ききる前に玄関の扉を開けて寒さが残る朝の外に出る。
錆付いた階段を下りる前に、ちゃんと戸締りをする。玄関の鍵を閉めて、錆付いた階段を駆け足で下りてすぐ目の前の駐輪場へ走る。
いざ駐輪場へ向かうと、駐輪場なのに自転車が一台しかない。この一台が哲明の自転車である。タイヤを無数に切り裂かれたりハンドルを壊されたりしたが、今はこの通り綺麗さっぱり直っている、新品にも負けないほど。
自転車の鍵を開けて支えていたスタンドを片足で外し、駐輪場の外まで自転車を押しながらカバンを自転車のカゴに投げ入れ、外に出たらサドルに跨って、手はハンドルに足はペダルに置く。
もう時間がない、このまま東京駅まで自転車で走り抜ける。
漕ぎ出したらもう止まらない、目的地まで。
*
中央区と東京駅がある千代田区は隣同士。
哲明が住むアパートから歩いて二十分の最寄り駅・八丁堀駅から東京駅まで、電車でたった二分で到着してしまう。アパートから東京駅まで自転車だったら数十分程度で到着してしまう、それくらい近いのだ。
電車での移動時間はちゃんとあるのに、なぜ自転車使用の正確な時間がないのか。試した事もなければ、人の脚力は個人差なので正確に「約何分で到着できる」と説明が出来ないのだ。
哲明の場合、あるだけの体力を全てペダルを漕ぐ脚に注ぎ、全力疾走しているので正確な時間が計れない、諮ってくれる人間もいないのであった。
「おおおおおおお、伊達にオフィス街と家を自転車で往復していた訳ではないぞ!!」
勢いで自転車を漕ぎながら、勢いで哲明は叫ぶ。
この一言から察すると、相当苦しい生活を送っていたのか電車賃ケチって自転車で前の職場を通勤していたらしい、仕送りとかなかったのだろうか?
叫び終えると哲明の表情は疲労に変わっていた、苦しそうに息を切らしてなお自転車を漕ぐ。体力なしが無理に体力を使うと、すぐに体はバテてしまう、哲明の頭の中にそれは入っていなかった。
もうすぐ東京駅に着く。
場所は東京駅のレンガ造り、たしか丸の内方面だと言っていた。
*
「来た来た! はぁ〜〜〜いっ! ・・・って、自転車押してきたの?」
待ち合わせ場所で、哲明の姿を確認したエーミーが手を振って呼んだ。
――まではテンション高かったが、朝からヘトヘトになって自転車を押して歩く哲明を見て、エーミーのテンションが数パーセント下がった。
「自転車・・・駐輪。してきます」
息を切らせながら哲明は言う。
自転車を置くために一旦エーミーから離れていく、ここから駅前の駐輪場まではそんなに遠くはな、長くても十分以内には戻ってこれる。エーミーは朝からお先不安な展開を予感を感じて、少しだけ唇を尖らせる。
さて・・・東京駅・丸の内側駅舎はレトロな雰囲気を醸し出す鉄筋レンガ造り、哲明を待つ彼女の後ろには『東京駅』と刻まれたとても古い駅名板が設置されている。
彼女が今回の待ち合わせ場所である東京駅は今から三百年以上昔に建設された最古の類に入る駅、最初は三階建てだったらしいが第二次世界大戦時の大空襲で炎上してしまい、戦後すぐに今の二階建て駅舎へ造り変えられた。
周りは高いビルが聳え立つ中、この駅舎だけは再建設した姿を変える事無く今の時代に逆らうかのように丸の内のビル郡を物言わず見ている。エーミーは古きよき東京の歴史を秘めているこの東京駅に思い入れがある訳ではないが、長く建っている建物を見ていると人間の寿命なんかほんの一時なんだなと考えさせてくれる。
エーミーは携帯電話の時計を見る、時間はとっくに九時を越えているのに哲明以外まだ誰も来ていない、何しているのやらと思いつつ駅名板の前に腰掛けた。
「エーミー、誰か来たのか?」
横から彼女に話しかけた恭一。
彼は車を駐車しにいったんここから離れていた。
「哲明センセ以外まだまだよ・・・」
携帯を小さなカバンの中に戻しながら言う。
恭一は「そうか」とだけ言って、彼女にコーヒー缶を差し出す。
彼が買ってきたコーヒーを受け取って、一服しながら待っていると一台のオートバイがこちらへ向かって走行してくる。恭一が戻ってからそんなに時間掛かっていない時に。
向かってくるオートバイは大型の競技用車両を模したスーパースポーツ。派手に赤で色染められて、装甲にはいたるところに傷跡、何より音が凄い。地響きがそのままオートバイの中に閉じ込めたようなエンジン音、被っているヘルメットは派手に色付けられて、音と一緒にとても目立つ。
他に特徴と言えば三段シート・捻りハンドル・ロケットカウル、ロケットカウルに芍薬の花に「志」と文字がペイントされている。明らかに違法に改造されたオートバイ、この時代の人は「珍車」と呼ぶ。
歩道を乗り越えて、哲明が戻ってくるのを待っている二人の前に止まった。改造オートバイが暴走族(またの名を珍走団)が乗る品物だと理解しているのか、一般の人間は止まっているオートバイを避けて通るが、オートバイが止まっている場所に一番近い所に立っている二人は場所を変えようとしない。
エーミーと恭一は常に見ているオートバイ、常に聞いている改造で引き出された爆音。
「よぉ! 待たせたな・・・」
ヘルメットを外して、二人に挨拶する乗り手。
「洸ちゃん、前から言っているけどそのバイクで来るのはまずいわよ?」
「脱退しても、あたいとこいつの絆は深いのさ・・・どこでも一緒って奴だ」
「音光寺センセ自転車置いて来るから、洸ちゃんも早く物騒なバイク置いてこっちへ来てね〜」
「まともに聞いてねぇだろ? まあ・・・すぐに置いて来るさ」
少し口先尖らしながら、再びヘルメットを被って二人の前から疾風のように走り去る。
元暴走族総長、教師になっても燃え盛る魂に衰えなし。ってところだろう。
「遅くなりました!!」
入れ替わるように哲明が走って戻ってきた。
「すぐに洸ちゃんがバイク置いてこっち来るわ。あと、菊谷崎センセと白河センセも来るから〜」
「はぁ・・・」
昨日よりテンションが高いエーミーに押されて、気分が乗れない哲明。
あと三名が来るようなので、読みかけの小説でも読もうとカバンを開ける。紙のブックカバーに包まれた本を引き出すと、一緒に一枚のプリントが足元にハラリと落ちた。一体何が落ちたかとおもい、哲明は何気なくプリントを拾った。
プリントは、昨日帰宅時にカバンに入れたゴールデンウィーク中の休日出勤表だ。
出すのを忘れていたんだ・・・そう呟いて二枚に折られたプリントをを広げる。
数秒の沈黙、哲明の中に「仰天」の文字がよぎる。
「あの、今日はどこへ行くのですか?」
「ん? 昨日話題になったあのオブジェの建造物一泊二日、特別にお姉さんが隅々まで案内してあ・げ・る」
丸の内口から見える街並みに浮ぶように聳え立つ超巨大建造物に指差し、高テンションを維持しながらエーミーが色気使って哲明に歩み寄る。
「仕事、休みだから案内できるんですよね?」
ロボットのようにギチギチと首をエーミーの方へ動かす、プリントを強く握っている哲明の手はわずかに震えている。
哲明の握っているプリントに、何が印刷されているか知るとエーミーの表情が曇った。コーヒーをチビチビ飲んでいる恭一は、呆然とした表情を隠すようにエーミーに背中を向ける。
今日はみどりの日、みどりの日に出勤する教師の中にエーミーの名前がある。エーミーだけではなくて、清次郎・洸も今日出勤する予定になっている。エーミー達は学校の仕事より自分の娯楽をとった、会社勤めの時がそんな身勝手な社員はいなかったぞ?!
学校では今頃教頭が理不尽な欠勤に大きな悲鳴を上げているに違いない。
しかも一泊二日・・・東京特別区の事・東京環境保護都市で泊りがけの観光、明日の出勤予定である哲明に「明日の仕事をサボれ」といっているようなものだ。
こんな暴挙に哲明が許すはずなく・・・。
「カーボナード先生、これって無断欠勤ですよね? 大の教師が無断欠勤って・・・それに明日、自分仕事です! 泊りがけであんな場所に行きたくありません!!」
「いや〜ん、これからお楽しみなのに怒っちゃい・や・よ? 仕事仕事とか言っている人間が最後に廃人になっちゃうんだから、時には息抜きしなきゃ〜、い・き・ぬ・きっ」
「仕事放棄してまで遊ぶなら、自分は廃人になるまで仕事し続けます! 失礼っ!!」
「あ〜あ〜! ダメダメ、帰っちゃダメって!」
カバン片手に駐輪場へ急ごうとする哲明を、エーミーが腕を引っ張って阻止をする。
大きな声で騒いでいるので、駅前に歩く人達から見たらとても注目の的。他人のフリして二人から距離を置く恭一は、改札口から出てきた男性教員二名と合流して挨拶を交わしている。無論、二人の口論など耳に入っていない。
「ほんっとーに廃人になったら楽しい人生エンジョイ出来ないわよ〜!」
「リストラ経験している時点で楽しい人生なんかエンジョイしていません!!」
「だからって勿体無い勿体無い勿体無いぃ〜〜〜!!」
二人の口論する声が早口で聞き取れないし、「、」がまったくない。
哲明は真面目過ぎるし、いくら体力が無いとはいえ哲明は男だ、女性の腕力では力で捻じ伏せられる筈が無い。何とかして押さえる必要がある。
だったら策で捻じ伏せるのが得、そして今が策の使い時。
エーミーは思いっきり哲明との距離を離して、大きな声で「切り札」を叫んだ。
「今帰っちゃうとアンナちゃんとの関係築けないわよ〜!」
「っっ?!!!!!!」
エーミーの一言が哲明の心にヒットした。
民衆もザワザワとエーミーと哲明に視線が向かざるおえない。
この一言、エーミーが哲明を引き止めるための嘘である。哲明がアンナに惚れている事を知っているエーミーが持ち出した策、人間観察がしっかりとしている。
哲明は完全に信じちゃっているのか、アンナの姿を捜そうと周辺を見回し始めた。
――直後に鳩尾に堅い物が直撃した。
ぐったりとよろける哲明をエーミーが支える、哲明は殴られた激痛でまともに喋れない。いったい何が自分の体に起きたのか理解できず、苦しそうに痛みに耐えるしか頭の中に入っていない。
エーミーは哲明のカバンを持って、意識が朦朧としている哲明を支えながら見上げてこう言った。
「洸ちゃん・・・できれば、彼が心移りした時に鳩尾に一発お願いしたかったわ」
「本気で呼んだと思って、少し焦っただけだい!」
哲明の前には改造オートバイを停めて戻ってきた洸が、手を鳴らしながら立っていた。
どうやら彼を殴ったのは彼女のようだ。
「まあ・・・手加減なしだった完全に卒倒してたけどな」
と言って、洸は哲明の右脇を支える。
「馬鹿騒ぎ、終えたか? そろそろメンツも揃ったし行くぞ」
数メートル離れた場所で、恭一が手を振ってエーミー達を呼ぶ。
「はいはい今行くわ〜! マイ・ダーリン〜」
「しっかり歩けよ、意識は奪っていないんだからな」
「・・・ひゃい・・・」
女性二人に両脇抱えられ、哲明の体は駅の中へと引き込まれていく。
体を引きずられていく彼に出来ることは、返事するだけしかなかった。
一方、学校はというと・・・。
「どうなっているんですかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
時計の針がもうすぐ十時を指そうとした頃、高等部職員室で教頭の悲鳴に近い叫びが響いた。
哲明の予想通り、教頭は一部の教員による無断欠勤に悲鳴のような叫びをあげていた。
今日出勤するはずだった教員の机に、「欠勤状」とデカデカと書かれた封筒が静かに置かれている、明日出勤する哲明の席にも同じ封筒が置いてあった。
いったん冷静になって教頭はエーミーの席に置いてあった封筒を開けて、中に入っている短い文章を読み上げる。
「何々? 『GWはやっぱり遊ばなきゃ。なわけで、後はよろしく〜』・・・教師としてあるまじき行為ですぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
入ってきた時の叫びより大きな声で叫ぶ教頭。
「教頭先生? 朝から叫ぶと血圧上がるし肝臓悪くするわよ・・・」
職員室にいるのは教頭だけではなかった。
大玉マスクメロン級の胸を持つ女性教師・セレテリス・エウリュアレが、教頭と目を合わせないようにコンピューターを盾にして仕事をこなしていた。
エーミーや洸と同じく仕事をボイコットする人と思っていたのか、彼女が職員室で仕事をしている姿を意外に感じた。
「ったく・・・私だって行きたかったのに、あの男が一緒なんだもん。あの男と一緒に行く位なら仕事していたほうがマシよ」
真面目・・・ではないらしい。
同行者に一番気に入らない男がいるから、それが理由で誘いを断ったらしい。
その理由だけで学校に来てくれたのが有難かったが、そんな理由だけで仕事しにこないで欲しいと思ってしまう教頭。
今日一日、彼女と二人だけの仕事・・・荷が思い。
教頭は思わず肝臓の位置に手を添えた。