私と帰り道
「今日も一日、疲れたなぁ……」
結局、魔法演習の授業には、文字魔法を使ったものの二秒、たったの二秒遅れて減点されてしまい、先生の視線がその一時間ただただキツかった。
授業に理由なく遅刻したら点数減点なんてルール作ったの、誰なのさ。
「本当に疲れたわよ。急に飛翔するんだもの……気持ち悪かったわ」
学校が終わってからの帰り道。ガタンゴトン、とゆらり揺られる電車の中、イズミはそう悪態ついた。
あの後、気分が相当悪くなってしまったイズミは級長に抱きかかえられ、保健室まで介抱してもらっていた。級長、イケメンだから悲鳴が女子勢から上がってたなぁ。
私からしたら、美男美女でただの目の保養だったけれどね?
「それは、本当にごめんってば……。急いでたんだもん、あれは最善策だったよ」
「まぁ、否定しないわ。ごめん、コトハ。あたしは不甲斐ないあたしにムカついてるだけだわ」
「酔ったのはたまたまだよー……。そんなに苛々しなくても……」
「何が一番苛つくってあの級長に借りを作ったことが一番苛つくのよ!」
あぁ、それでいつも以上に苛立ちをあらわにしているのですか。
イズミと級長は幼馴染で、それ故に、幼い頃からイズミは、今の級長が笑みの裏に隠している(とイズミがいつも言っている)腹黒さや口車のうまさを見て知ってしまっている。
よって、クラスでの級長の姿ってのがただただ胡散臭くしかないようで。普段は、あまり関わらないようにしているらしい。
「……何事もないといいねぇ」
「コトハは何も知らないし、他人事だからそんな事言えるの。アイツの腹黒さはブラックホール並みよ? 何のメリットがあって級長なんかやってるか予想もできないわ!」
そんなに級長は腹黒いのかねぇ? イズミとは長い付き合いだけど、級長の黒いところなんて見たことがないのでにわかに信じられない。
「はいはーい……あ、私降りるね。気をつけて帰ってよー?」
「そっちもね。ばいばいコトハ」
「イズミ、ばいばいー」
電車を降りてイズミと別れ、家までの道程を歩く。帰る人や、電車の時刻表を見る人、誰かを待つ人で、人々は忙しそうに駅の中でごった返していた。
人混みを抜け、一人帰路に着く。カツ、カツ、とアスファルトの上を歩く足音が、夕陽に赤く染め上げられた街に響いていた。
東の空は、もう既に夜の藍色を覗かせている。
それにしても、もしかしたらあの師匠が家に帰ってくるかもしれないのか。
最後にあの顔を見たのはいつだったっけ?
確か、イチョウの木が黄色く色づいていたから……秋口くらいだったかな。半年前くらいか。
半年も、会ってなかったんだ。
そう思うと少し寂しくなる。いかんいかん。
あの時は……“協会に呼ばれた”とか言っていたっけなぁ。魔法協会が師匠に何の用があったんだろう?
まぁ、しかしながらそれは私が知っていてもどうすることもできないと思うけれど。
ふと見上げた、空の朱から藍へのグラデーションは見事で、思わず見惚れて足がつんのめってしまう。
「ふわっ! ……ととと」
背負っていたリュックやら持っているバックやらが重くて、ふらふらとよろめく。
転けてしまわないように足元を見ながら必死に体重移動をしてバランスを取ろうとするも、なかなか体は言うことを聞いてはくれない。
ぎりぎり倒れずにふらりふらりと歩いていたけれど、次に出した一歩で体がグラリ、と傾く。
あ、やばい。倒れる__。
しかし、倒れる事はなかった。
「おい、……大丈夫かお前?」
「……あ、キョウ」
私の体が傾いた先で受け止めてくれていたのは、軽そうな肩がけ鞄を掛けたキョウだった。キョウに支えられ、体勢を立て直す。
「ありがと、キョウ。というか、なんでこんな所に? 家ってこっちの方だったっけ?」
「ん。……いや、そうじゃねーけどちょっと用事があってな。たまたま通りがかったらふーらふーらふーらふーらしている変な奴がいるなぁと思ってよ」
「荷物が重いから歩きにくいの! 軽そうな鞄のアンタには分かんないだろうけどさ」
「お前の筋力がないだけだろ」
「そんな事ないし。筋肉あるし」
キョウは、そう言いながら歩き出す。何となく、その隣に並んで私も歩く。
教室で因縁つけてきた時とかより、なんて言うか、いつもより今のキョウは静かだ。顔を見上げると、そよ風がくせ毛の焦げ茶髪をふわふわている。
見つめる私の視線でこちらに気がついたらしく、軽く睨まれる。
「なんだ、付いてくるのかよ」
「家までの道のりが同じなだけよ」
「あっそ。……遠回りすりゃいーのに」
「私、わざわざキョウごときにそんなエネルギー使いたくないんだよね」
「ぁあ?! なんだとお前!」
「……構って欲しいのか構って欲しくないのかどっちなのよアンタ」
「はぁ? 別に構って欲しかねーよ寧ろお前なんてどーでもいいわ」
静かだな、と思った私が間違いだったようだ。相も変わらず口が悪いままのキョウヤ君。
沈みかけた夕陽が、私とキョウと、この街全体を赤く染めて続けている。
綺麗だ。
「そういや、本当に来るのか?」
「え、何が?」
ふと、思い出したかのように問いかけてくるキョウ。私はただ首をかしげて見上げる。
「いや、ナニって……コトハの、師匠様の話だよ。噂で流れてんの知ってんだろ?」
「あぁ、イズミから聞いたよー。しっかし誰が言い出したんだろうね、そんな事。本当かどうかも分からないのに」
「え、連絡とか来てねーのか?」
「来るわけないよ。師匠はいつも急なんだよね、出て行く時も、帰ってくる時も、さー」
「……なんか、意外だな。見た目からしてかっちりきっちりした人だと思ってたな」
「人は見た目が十割だけど、人は見かけによらぬものなのよ。それを体現してるのが奇しくも我が師匠サマなのよ……」
はぁ、と溜息が溢れる。師匠は顔が整ってて、服装も小綺麗であり口調も(仕事の時は)丁寧で優しい。
でもオンオフの差が激しく、だいたい家に帰ってきてる時はだらだらしているだけだ。全く、世界に名を轟かす虹の魔導師様が聞いて呆れる。
「どれだけ高位の魔術師であろうと、基本は同じ人間だからな。家に帰った時ぐらい、思う存分息抜きするのも必要なんだろうな」
急に優しげな声音でキョウが呟く。
何度も瞬きをしてキョウを見ながら、率直な気持ちを言葉にする。
「……意外だ。キョウの口からそんな言葉が出てくるとは……」
こんなにいい奴だとは思っていなかった。キョウなんてただの因縁つけてくるやんちゃ小僧くらいにしか私は思っていなかったのだ。
しかし、しみじみとそう感じていた私の耳に届いたのは舌打ちと悪態。
「……てめえ、いつか吹っ飛ばす」
「えっなんで?! 素直な感想、褒めたんだよ?! 優しさを持ってたんだなって思っただけ」
「馬鹿にしてやがるな!」
「いやしてないってホントホント」
「……うぜぇ」
「こっちのセリフだよ!」
言い争いながらも、てくてくと歩みを止めず、二人家路を歩いて行く。
ふと見渡すと、もう既に自宅の前だった。
立ち止まって呼びかける。
「あ、キョウ、私の家ここ」
「あん? ……そうか、じゃーなー」
「うん、またねー」
特に何か反応がある訳でもなく、そのままキョウの背が遠ざかっていく。
私はその背に向かって、何の気なしに、言葉を放ってみる。
「キョウと喋ってるの、なかなか楽しかったよ」
私の声が聞こえていたか聞こえていなかったかは定かではないけれど、キョウがひらひらと右手を振るのが見えた。
見送ったところで、私は振り返り、自宅のドアへと向かう。
私の家は、少し広めのアパートの一室。少し広いのは師匠と住む時間もあるからだけど、師匠がいない一人の間は、広すぎるくらいだと私は感じている。
重い荷物でよろよろと歩み寄り、制服であるブレザーのポケットの中から家の鍵を取り出して差す。
そのまま、いつもの如く鍵を回して部屋に入る。その、筈であった。
「鍵が、開いている……?」
時計回りに回すとかちゃり、と音がして解錠されるのだが、その手応えを感じられない。反時計回りに回すと、かちゃんと音が鳴り施錠される。
明らかに、オカシイ。
私は、扉から二、三歩後ずさり、そっと荷物を下ろす。鞄の中から魔法杖を、円環の指輪を取り出して持つ。リュックの中から宵闇を思わせるローブを取り出して羽織る。
もしかしたら、さっきの鍵の音でもう既に相手に気がつかれているかもしれない。
心臓の音がバクバクとやけに体に響いた。
下ろした荷物と自分に向かって魔法をかける。ええと、確か、スペルは__[Inbisible]。
「……不可視」
これで、姿が見えなくなったはずだ。
息を吸って、深く吐いて、覚悟を決める。
ドアノブに手を伸ばし、握って、ゆっくりと手を捻ねて開ける。
音を立てないよう気をつけながら、一歩一歩進んでいく。一応靴は脱ぐ。靴下だと滑るかなぁ。
そこで、ガサガサ、と扉一つ隔てた奥の部屋から、怪しい物音がする。リビングに繋がる、扉の前で立ち止まる。この、奥だ。
魔法杖をぎゅっと握り締める。大丈夫、相手から私は見えない。
ごくり、と唾を飲んでからドアノブを握り、捻り、引き開ける。
綺麗に整理されていた筈のリビングは、ぐちゃぐちゃに散らかされていた。立てかけてあった本は地面に落とされ、畳んでまとめておいた服は床に散らばっている。
ひっちゃかめっちゃかにされたリビングの風景の中、縦長の戸棚を漁る見ず知らずの藍色服の男。
そちらへ向かって、一歩踏み出す。
カサカサっと、散らかされた紙を踏んでしまい大きな音を立ててしまう。
「誰だ!」
男が、こちらを見る。黒髪で、純日本人な顔立ちには不自然な、銀色の瞳に見据えられる。目が、合った。
「貴様、何者だ!!」
「__えっ嘘見えてる?!」
もしかして、今さっきかけた不可視の魔法が効いていない?! もしや私は、こんな大変な時に限って“スペルミス”を?!
「ちっ、見られたか!」
そう言って男は懐を探り棒状のモノを取り出す。木でできた棒、魔法の杖のような。まさか、相手も魔法を__?
何か、抵抗しなきゃ、殺される。
急いで魔力を込めて、空に描く英単語。
「閃光!」
「……ぐわぁっ、目がぁぁぁ!!」
目を閉じて叫び、相手の目を潰す。男はいきなりの閃光に両手で目を覆い、膝をついている。時間を稼ぐ。まだ魔法がうまく使えない分、頭を使わなければ。机の上にあった、手の平大の重石を手に取る。
「過重!」
それを男に向かって、全力で投げた。重みがあって投げにくかったが、しっかりと男の腹にめり込む。次は、次はどうしよう?!
「ぐはっ……こンの、小娘が!」
そう言って男は、ふところから丸くてきらきらと輝く小さな粒を幾つか取り出して、魔法杖を使いそれを浮かせる。
何が起こるか分からない。[Ballier]と描く。
「防壁!」
これで、物理攻撃から私を守ってくれる透明な壁が現れ__てはくれなかった。また“スペルミス”をしてしまったらしい!
「行け!」
悔やむ暇もなく、男の号令で、キラキラと美しい輝きが閃き、私の皮膚を裂かれていく。
「つっ……!」
その閃きは制服をも切り裂き、細かな傷を私に付けていく。頬をピッと切り裂かれ、血が滴る。傷口がジンジンと熱を持つ。
避けようにも、相手は小さな礫。動けば動くほど余計に傷が増えてく。
「捕まえたぞ小娘!」
「がっ……!」
気がつくと、男に首を絞められていた。持ち上げられて、足が地面につかない。変な銀色の瞳が私を映している。
くる、しい。
「かっ……あ、は、な……して」
コトリと魔法杖を落としてしまう。せめてもの抵抗に、男の腕を爪で引っ掻く。
ニヤリとした男のしたり顔が醜く歪む。景色と一緒に歪んでいく。
気分が、悪い。フワフワとした浮遊感がそれを増長させる。ちからが、入らない。
くるしい。たすけて。
ししょう__。
「____!!」
「ぐおわっっ……!」
「くかっ……はっ!」
ドサリ、と床に落ちる。締め付けられていた男の腕が離れる。地に這い蹲りながらも、ただただ思い切り息を吸い込む。
ふと、朦朧としながらも上げた顔の先では、なぜか男が吹っ飛ばされてのびていた。
緊張から解き放たれたからか、安心感からか、力が、抜ける。
そのまま、意識が遠のいていく。
くたり、と地に伏し、瞳を閉ざす。
「コトハ? __コトハ! コトハ!!」
誰かが私の名を呼んでいる気がした。
男の人だ。ひどく懐かしい気がする。
でも、そんな訳がない。あるはずがない。
名前を呼んでくれる人なんて、今ここに居るわけがないのだから__。