私とクラスメイト
「あー、しまった! またやっちゃった!」
手元の答案用紙を見て、私は叫んだ。
そう、私はいつもやってしまうのだ。
気をつけても気をつけても、だいたい十問問題があるとすると、二、三問は間違えてやってしまう。
“スペルミス”を。
本宮琴葉と名前を書かれた右下には、四十二の数字が書かれていた。
答案は英語のもので、単語を答える問題のところには、幾つものバツが付けられていた。
ざわざわと騒がしい、放課中の教室内では、私のこの咆哮は特には目立たなかったけれど、授業中ならば確実に私のテストの点数は公然の秘密となっていたであろう。
「なーにー、コトハ。大声で叫んじゃって……ってまーたスペルミスばっかじゃないのアンター」
そう言って机の上の答案を私の横から覗き込んだのは親友の和泉蓮香だった。
「うぅ……イズミぃ……」
「ここは“R”と“L”が違うし、こっちは“E”じゃなくて“A”ね。……あーこれなんて“AE”じゃなくて“EA”なだけなのにー……」
言われなくても分かってる。分かってはいるのだけれども、うろ覚えのスペルに一度疑念を抱いてしまうと悶々と悩んでしまって……。
まぁ、最終的には間違ったスペルに行き着いてバツを食らってしまう。
「覚えるのが苦手なんだよー……生粋の日本人なんだよー……」
「はぁ……。それにしてもなーんでこうもスペルがおかしくなっちまうんだろねぇ? 英語限定使用可能の……文字魔法使いなのに」
うぅ、痛いところをピンポイントで突いてくるのがイズミちゃん……憎いぜ。
“魔法使い”、“魔術師”。どれも童話じみたお伽話の中の言葉の様に考えられてるし、私もそうだと思ってた。
しかし世界各国、人知れず魔力を持つ人達は存在している。そして、自分だけの特性魔法を身につけて世界中を暗躍……じゃなくって飛び回る。
そして私もその端くれだったりしちゃったのだ。魔法使いだと分かったのは二、三年前だから結構魔法使いとしては新参者です。
私の特性魔法は、文字魔法。
文字魔法とは、魔力を込めて文字を書く事でその文字に対応したチカラが発動するというもの。例えば、“風”って書くと、風が吹くとか。
だけど、私はそれが英語限定なのだ。
つまり。英語で書かなければ、魔法は発動しない。そして、正しいスペルで書かなければそれまた発動しない。
正しいスペル。これ重要。
英語のテストでも、魔法の演習でも、私にとって“スペルミス”は命取り。
ふーっと息を吐いて、私は、出しっ放しの答案用紙は半分に折りたたんで、クリアファイルの中にしまう。
「たまたま、私の特性魔法が文字魔法だっただけで……それも、知ったのは二、三年前だし。ねぇ、イズミ、どうやってスペル覚えればいいのーよー?」
「書く。目で見て、声に出して読んで、書く。その反復練習あるのみ」
「私が一番苦手なやつだよー……作業だよ」
端的にかつ具体的に切り返すイズミを軽くグーで小突く。簡単な事のように言いやがって。全くもう。
「あ、そうだ。コトハ知ってる?」
「知らなーい」
唐突にイズミはそう切り出した。そういや、なんで人は本題を言わずに『知ってる?』と聞くんだろうね。なんも言ってないから何を知ってるか分からないのにさ。
「まだ何も言ってないわよ。で、聞いたところによると、……二週間後に魔法演武が開催されるらしーよ」
「えっ、魔法演武っ?!」
魔法演武は、魔法を使用した二人ずつのタッグバトルで、魔術師の先生方に見てもらう事で魔法階級の昇級ができるイベントだ。
……にしても、少し話が急な気がする。
「なんか、急な話だねー」
私がそう言うと、人差し指をピッと伸ばしこちらに向け、同意するイズミ。
「そう! そこが不思議なんだわ。突飛な話じゃない? いつもはなんだかんだで一ヶ月前ぐらいには告知が出るもの」
確かにそうだ。こんなにも告知が遅いのは前例がない。お偉い魔術師さんが来て、魔法演武が見たいと言ったとか……?
「何か、あったのかなぁ?」
「それが、ここだけの話。噂では、アンタの師匠サマが戻ってくるらしいわよ?」
「えっ師匠がっ?!」
驚きで、大きな声を出してしまった私の口を、パッとイズミが手で覆ってくる。
はっと口を閉じ、深呼吸して落ち着く。
イズミがコクコクと何度も頷きつつ、手をどかしてくれる。即座に聞き返す。
「え、あの師匠が? 私を弟子にして養子にして面倒を見てやるといいつつも放っぽり出した適当な年齢不詳のイケメン大魔術師の師匠が?」
「まぁ、あくまで噂だけどね?」
締めくくるように、少し低めの凛々しい声で言われる。あくまで噂、だから信憑性がないと言えばないけれど……。
銀色の髪にモノクルをかけた碧眼の、その姿を思い浮かべると、顔には胡散臭い笑みを浮かべている。
私の師匠は、世界有数の文字魔術師と呼ばれる青年、フリュウだった。
何故、彼の人が無名の私の師となったのかは未だに不明だけれど、両親を亡くした独りぼっちの私に、居場所と安らぎをくれたのは確かな事だった。
が、しかし。
かの人はまぁまぁ酷い。
予告もなく、置手紙で“仕事”と言い世界の裏側に行き、“ちょっと会合が”とあっちの国へ、“買い物に”とこっちの国へ、と私を放っぽり出してどこかへ消えてしまうこと何百回。しかも、会う度会う度老けることもなく、いつも同じ顔、同じ背丈で帰ってくること今迄三年間。
「どうせ今度も、顔を背丈も変わってないんだろうなぁ……あの放浪師匠め」
「いいじゃない、格好良いんだから。あんな有名な人が無名魔法使いの師匠だなんて、アンタはラッキーなのよ?」
羨ましげにイズミが言う。
「そう、だよねぇ……。なんで私なんかの師匠をやってくれてるんだろう?」
「さぁ……? まぁ、それより、魔法演武があるならコトハは英語のお勉強しなくちゃね?」
青味がかった買った黒目をすっと細め、ニコリと笑うイズミ。私は背中を冷や汗が伝うのをただただ感じて、少し体を退かせる。
顔は笑っていても、瞳が笑っていない。
そのギャップが尚更背筋を凍りつかせた。
「前の魔法演武でもスペルミスしたもんねぇ……? 今回はペアマッチだし、あたしと組むんなら今度はみっちりきっちり覚えてもらうからね……?」
「う、……。お手柔らかにお願いします」
窓の向こうに覗く、今日の清々しい、雲ひとつない晴天とは裏腹に、私の行き先は怪しいようです。
そういえば、次の授業なんだったっけ?
そこで響いたのは、低く聞くだけでうんざりするクラスメイトの大声。
「おい、コトハぁ。お前が一方的に慕っている虹の魔導師様、今度の魔法演武見に来るらしいなぁ」
声がする方へイズミと共に顔を向けると、腕組みをしえ、夏目恭弥がしたり顔で立っていた。
はぁ、と息を吐いて一息で私は切り返す。
「キョウ、煩い。大体一方的じゃないし。ただの噂を信じてるほど私は暇じゃないし。あと、因縁のつけ方がテンプレ過ぎる。零点です」
「コトハに同じく。だけど、毎度毎度諦めずに突っかかってくるチャレンジ精神を評して一点ねー」
我々女子軍の怒濤の反撃に遭い、まぁまぁ整った顔を苛ついた様にしかめるキョウ。いつも通りの展開に、他のクラスメイト達は大声で行われる言葉の応酬を気にも留めていない。
「なんなんだよお前ら! ただ俺は見に来るんだってなって言っただけだろ!」
「いやぁ、いつもの如く難癖付けてくるから……条件反射でこてんぱんにしちゃったー」
「毎日毎日ご苦労様。おかげであたしもコトハも毎日暑苦しいわー」
「おい、お前ら。ただただ俺を馬鹿にしてるだろ。無駄に突っかかってくるウザい男子って扱いだろオイ」
「「勿論、そうだけど?」」
キョウへの返答を、イズミと同時に、そしてしっかりと言い切った私。
それを聞いて、苛つきでわなわなと肉付きのいい、しっかりとした体を震わせるキョウ。
すぅ、と息を吸い、大声で咆哮しようとする動きを見せるキョウに、私達は軽く耳を抑える。
キョウは、無駄に声が大きいのだ。
「__てめえらいい加減に」
「夏目恭弥、五月蝿い」
「まだ何も言ってねぇよ!!」
キョウが口を開いた直後に、その背後から制止したのは級長の風見颯だった。彼もまた、耳を思いっきり塞いでいるが。
「あ、級長……お疲れ様です」
「ソイツ、回収してってよ級長サマ?」
「あぁ、本宮琴葉、和泉蓮香か。全く、コイツの制御は疲れるよ……」
そう言いながらも、口元に笑みを浮かべ、銀縁眼鏡の奥では涼しげな目をしている級長。
隣のイズミは、いつもの如く胡散臭そうな顔で級長を見ている。
そして、一歩前に出てキョウに向き直り、はぁ、と溜息を吐く。
「夏目恭弥。キミは、もうそろそろ声が大きい事を自覚しろ。耳が痛すぎる」
「るせー。んなこと分かってるわ」
「いや、分かってない。それに、毎回毎回有る事無い事を言って、こういう風に本宮琴葉と和泉蓮香を困らせているんだろう?」
「あーもーハイハイはいはい! わかった、分かったからよハヤテ!」
「はぁ……キミはいつもそうやって……。まぁいい。次の授業にもうそろそろ行くぞ」
「へいへーい」
級長はいつもこうやって制御の利かないクラスの問題児たちに注意を促している。
そんな大変な仕事をしてくれている級長には、私を含めクラスメイトは級長には頭が上がらない。いつもありがとうございますですよ、本当に。
気がつくと、教室の中は私とイズミ、キョウと級長だけになっていた。
二人はそのまま教室の入り口まで行ってしまう。その手には次の授業の荷物。
廊下から級長が振り向いて、私達に言う。
「本宮琴葉、和泉蓮香。ぼーっとしておらずにキミたちも早く移動しろ。次の授業は__外での魔法演習じゃなかったか?」
「あ! そうだった!」
そうだ、次の授業は魔法演習だ! 始業のベルまで__あと三分。
「コトハ、急ぐわよ!」
急いでバッグの中から魔法杖と円環の指輪、教科書を取り出す。
イズミも同じく、自分用の魔法杖と円環の腕輪と教科書を取り出し、廊下に駆け出す。
もう既に廊下にはキョウと級長の姿は無く。
急いでクラスの鍵を閉める。
魔法杖で教室に向かって[Lock]と描く。
「施錠__!」
次々と教室の窓という窓、扉という扉が締まっていく。成功……!
振り向くと、腕時計を見ていたイズミが焦ったように言う。
「コトハ、間に合わないわよ!?」
演習場所は中庭。教室から中庭までは確か、五分ぐらいはかかる。……仕方がない。
「……イズミ、窓から飛降りよう!」
「は?!」
「大丈夫、間違えないから!」
「アンタの“間違えない”は信用できなーい!」
かまうものか、一か八かの賭けだ。
魔法杖に力を込め、[Flight]と描く。その対象は、私とイズミ。
「飛翔__!」
足が宙に浮く。そのまま窓を飛び出す。
「行くよ、イズミ! 荷物、しっかり持って落とさないように!」
爽やかな風が頬を撫でて行く。校舎の上に飛び出してから、中庭まで急降下。
「わぁぁぁあ、コトハ酔う酔うぅぅ……!!」
イズミの大声に、先生やクラスメイトのみんなが揃ってこちらを見上げている。
あ、キョウと級長だ。さては二人も魔法を使ったかな……?
地面に近づくにつれて、少しずつ減速していく。
中庭に足がつくまで、あとちょっと__!
そこで、無情にも鳴る、始業のベル。
『キーンコーンカーンコーン』、と。
「本宮琴葉、並びに和泉蓮香。魔法演習の授業に二秒遅刻です」
無機質な声でそう言い放つ志智先生。
たった二秒。こんなに急いだのに……。
そんな私の後ろでは、急な飛翔に酔ったイズミが級長に介抱されていた。