第二二話【ミトラスから来た男】
いろいろなネタを詰め合わせてみました。
メッサー商会の若き番頭たるアヘヒロは、ミトラス帝国首都のメルキアでもその名を知られた腕っこきのあきんどである。
がっしりとした体格、少々精悍で濃厚な顔、ちょっこしやんちゃな雰囲気のワイルド野郎巨根兄貴だ。
戦闘力も高く、先の戦争では帝国騎士団のノイエ・シルチスに混ざって大型鎚を振るいまくり奮戦した。
その功績で準騎士の資格を得て、皇宮への参内も許されている。
彼はミトラス帝国の皇帝であるアテルイから、温泉村及びその周辺地域の情報を得るように勅命を受けていた。
海に隔てられているため、情報の精度が今一つなのだ。
通商船舶が海を渡るのに通常一ヵ月。
それから北の温泉村まで凡そ一ヵ月。
往還すればそれだけで四ヵ月かかる。
勿論それは順調にいった場合の話だ。
アヘヒロの報告次第で専属の情報員を置く予定である。彼は取り敢えず一年ほど滞在するつもりだ。
ハインケル商会と並ぶ御用会社のメッサー商会としては新しい商売の機会であり、僻地と考えていた北嶺を精査する機会でもある。
様々な人脈から情報を得ていたらしいアテルイが、お気に入りのサタケ辺境伯の助言を聞き入れて商人を派遣することにしたのだ。
アテルイは従来の皇帝に比べて武断の気質薄く、商いにとても熱心だ。
帝国周辺の振興策へ大いに力を注ぎ、新しい考えとやり方を奨励する。
先の戦争で帝国は疲弊し経済はやや低迷しているが、アテルイは積極的に民と交わった。
サタケ辺境伯と二人きりで居酒屋を楽しむほどである。
あの時は大変だった。
アヘヒロは思い出して、苦い顔をする。
百戦錬磨の帝国の重鎮たちがあたふたして右往左往したのだ。
後に皇帝は危機管理訓練だと正式発表して
、自刃する者を皆無に食い止めた。
サタケ辺境伯は部下の戦闘妖精たちにこっぴどく叱られたらしい。愛と共に。
あののほほんとした四〇男は何故か配下の美しい妖精たちにもてているのだ。
彼は名うての戦名人で穏健派の知将だが、それでもなんとなく気にくわない。
先日は四人姉妹を引き連れていた。
利発そうな長女、凛とした次女、面倒見が良さそうな三女、大人しそうな四女。
羨ましい限りだ。
皇帝の振興策は成果をあげ始めていて、彼は賢帝と呼ばれ出している。喜ばしいことだ。
まだ一〇代後半で成長著しく、いずれ名君になるだろう。
最近の帝国での熱い話題は、皇帝の后選びとサタケ辺境伯の嫁選びである。
ただ、辺境伯に嫁の話をするとどこからともなく戦闘妖精たちが現れて殺気を遠慮なく放射するので、直接話を振る愚か者はいなくなった。
アヘヒロは今回の旅で自身の商会が躍進することを信じている。
針の穴さえ見過ごしてはならない。
見ていろ、ウーフー。
ハインケル商会の当主に吠え面かかせてみせると意気込み、野望に燃えるアヘヒロであった。
アヘヒロは旅の途中で好運に恵まれた。
サタケ領サカタから出航した船内で武器商人のマッコイと知り合ったのだ。
『薬草から後宮までなんでも揃えてみせる』と豪語する行商人で、どことなく胡散臭いが憎めない雰囲気の老人だった。
老商人はハミルの街を経由して温泉村に行くつもりらしい。
ならば、それに乗っかることにしよう。
幸先のよさにアヘヒロは嗤った。
「なんだよ、あんた。笑うとちっとおっかねえな。」
苦笑いするマッコイに憮然とするやり手の番頭だった。
港町のサカタからハミルの街へ行くには、『戦争職人』のオラニエ公メルカッツが治めるオーファーアイセルの街を経由するのが一番近道だ。
人口三〇万の港町は大変活気があり、アヘヒロは此処でメッサー商会の支店に向かった。
支店で打ち合わせを行い、快速船を週に一度は使えるようにしてもらう。
支店には温泉村の情報が少なく、アヘヒロはかなり残念に思った。
マッコイと一週間後の出発を約束し、彼は精力的に情報収集する。
オラニエ公に謁見し、配下のヤンセン提督やファーレンハイト提督やカールセン提督とも交流した。
特に騎兵隊を率いるオフレッサーとは、酒場でガハハと笑いあうまで仲よくなった。
猛将はオラニエ公を目の敵にする『鉄の戦乙女』のシトロン公ユリアーナをあからさまに罵り、ミュラー提督やワーレン提督やキリシマ提督なぞ一捻りだと豪語する。
シトロン公の側近のエーファーシュタインが最も嫌いらしいらしく、あの腰巾着野郎めとこき下ろした。
オーファーアイセルの街から北北西へ約三週間歩くとハミルの街に着く。
百万都市の帝都や数十万規模の大都市を見慣れているアヘヒロからすると、此処は田舎街だ。
勿論、口には出さないが。
それでも活気のある街だ。
露店で販売される果物も野菜も新鮮だし、街の人々の表情は明るい。
物品の値段も平均値だし、健全な領地運営が成されている。
こんなに旨い林檎が銅貨一枚だなんて!
甘みと酸味が程よい温泉村の名産品だ。
帝国では銅貨三枚、もしくはそれ以上必要になるであろう。
素晴らしい林檎だ。さっそく帝都に送るとしよう。
マッコイと一緒に高級そうな茶屋に行くと珈琲が出てきた。
南方のアスラン帝国では庶民も飲んでいる嗜好品だが、人口一万の小都市で飲めるとは思わなかった。
一杯が銅貨三〇枚ではあるが、焼菓子を一品付けるというおまけ感覚が受けたのか、貴族のみならず庶民でも奮発した感じの者たちがちらほらいた。
「この店はな、温泉村のコルスって小僧が梃子入れした店なのさ。」
「ほう。」
「此処の珈琲はわしの商会を経由して仕入れとる。旨いじゃろう?」
「ええ。」
ミトラス帝国南部のケツァールで栽培されている珈琲の方が酸味の面でアヘヒロの好みだが、これはこれで旨いと思った。
珈琲はこれからの戦略商品である。
砂糖と同じく重要な輸出品である。
アヘヒロは速報性を重視し、帝国への速達を出すことに決めた。
皇帝宛てと商会宛て。
念のため、其々三通ずつ出しておくとしよう。
この見慣れぬ焼菓子はとても旨い。
帝都でも見かけない菓子に驚いた。
「そいつぁ、フィナンシェっていう焼菓子だ。バターと小麦粉と砂糖とアーモンドで作るんだがよ、今ハミルの街じゃマドレーヌと並んで人気の菓子だ。こいつもコルスの助言を基に作られた。」
瞬間的にアヘヒロはハミルの街への認識を改めた。
単なる田舎街と考えていたら、足元をすくわれる。
ハミルの街に橋頭堡を築く必要性がある。
先程から老商人の口より語られる、コルスという少年に会わねばなるまい。
どうやら、実り多き旅になりそうだ。
領主の伯爵に謁見を申し込み、会談は順調に行われた。
若いながらも練達の商人であるアヘヒロの眼からすると、伯爵は純然たる俗物だ。
だが、その方が御しやすい。
ハミルの街では周辺の村々からも人々が活発に往還しており、中継地として有望性が高い。
南のアスラン帝国も商いに本腰を入れようとしているようだ。
海を挟んでいるとはいえ、港町のチュニスまで片道僅か一ヵ月少々の距離だ。
チュニスへの経由地であるシトロン公ユリアーナの治めるトゥルンハルトの街に至っては、此処から南へ二週間の距離である。しかも、人口三〇万。
オーファーアイセルの街同様、商い上手の海洋都市である。
即応性ではミトラス側が圧倒的に不利だ。
同じ土俵で戦うべきではない。
アヘヒロは徹底した現実主義者である。
慎重且つ大胆に攻めなくてはならない。
経済規模で考えると、ハミルの街は数万規模の商いをしているように思われた。
五、六万。もしくはそれ以上。
しかも、オラニエ公やシトロン公やアスラン帝国の影響が感じられる。
西の王都も動き始めているようだ。
その上、この街は増築中の建物が散見された。
経済が停滞気味のミトラス帝国から来た者としては、実に羨ましい状況である。
なんとしても食い込まねばなるまい。
ハミルの街を掌握し、その内温泉村もオラニエ公もシトロン公もアスラン帝国もすべてミトラス帝国の商圏に取り込んでみせる。
アヘヒロはウルスラの星に固く誓った。
ちなみに、ウルスラの星はミトラス帝国の人々にとって幸運の星として知られる。
伯爵の次男である子爵にも謁見して、街に滞在中は世話をしてくれることになった。
アヘヒロの眼からすると、子爵は人のよすぎる青年だ。
戦争では早死にするだろうなと思いながら、その好意を全面的に活用させてもらおうとアヘヒロは考えた。
アヘヒロはハミルの街に現在一ヵ月ほど滞在している。
温泉村周辺は吹雪いていると聞いたし、下手に動くとろくなことはない。
急ぎ旅ではないし路銀も充分ある。
既に毛織物などを売買して、日持ちする産物や加工品などを何度か帝都に送っていた。
その中には温泉村産の高級林檎酒やアラルコン村の高級穀物酒も含まれている。
空き家を借り、商売の許可を得て商取引することはアヘヒロにとってお茶の子さいさいである。
途中で失われることを考慮し、書簡は複数通同じものを送った。
全部きちんと何度も届けば安全性が確認出来るし、一通でも届けば問題はない。
ちゃんと意味はある。
アヘヒロは慎重な男だが、大胆な手も取れる商売人だ。
一人ですべて行うのではなくて、適材適所の人材を見つけ手足とする。
開拓者気質の彼はこの任務にうってつけだった。
午前中に商い関連の業務を片付け、午後からは街や街周辺を視察するのが基本だ。
夜は大抵街の有力者たちとの会食となる。
小さな街だが、根を張るには相応の根回しが必要になる。そのための会食だった。
相手の方が有利と錯覚させるのはアヘヒロの常套手段だし、嘘をついているつもりもない。
信じたい者がそれを信じる。
人は信じたい生き物なのだ。
単にそれを助長するだけだ。
長く付き合うつもりであるからアヘヒロの話には熱が籠った。
その熱気に当てられてどう判断するかは、相手の自由である。
マッコイとの折半で温泉村への隊商に参加することが決まっていたし、手紙も既に五回送っていた。
アヘヒロは筆まめだった。
まだメッサー商会からは返事が来ていないが、彼はある程度の裁量権を持っている。
いちいち上司に伺いを立てて、やたら長い会議をするような愚の骨頂はおかさない。
そんなことをすれば好運の女神が嘲笑いながら逃げてゆくだろう。
よいと判断すれば、即断即決即実行。
内容が重複している上に複数通同じ書簡を帝国へ送っていたが、届くこと自体が重要なのだ。
メッサー商会の面々ならば、わかってくれる。
あちらで動きがあれば、なんらかの形で知らせてくるだろう。
アヘヒロの判断力と行動力そのものが、小さな街に大きな変化をもたらそうとしていた。
アヘヒロは気さくな性質もあってハミルの街に素早く慣れたし、午後からは異邦人としてあちこちの屋敷に招かれることも多い。
存外忙しいのである。
正直、体がもう一つ欲しい。
いや、あともう二つ欲しい。
せっせと手紙を書きながら、アヘヒロは二歩三歩先の手を考えるのだった。
天候が安定したとのことで、アヘヒロを含めた隊商は雪道を経て温泉村に向かった。
ハミルの街から二日野営して辿り着くのはロマラン村。
ハミルの街の重要拠点の穀倉地帯に位置する、栗と黒すぐりが特産品の村だ。
ロマラン村から一日の距離に『オークと女騎士亭』という宿屋兼酒場がある。
そこから一日の距離にドワーフの住むメルクリン村。技術者の住まう拠点だ。
更にそこから一日の距離で温泉村。
ほほう、やるじゃないか、とアヘヒロは考えた。
ロマラン村以北に拠点を複数持ち、其々利益をあげさせる。
温泉村から東に行くと一日の距離に開拓村のタロン村があるし、更に二日歩くと漁村のアラルコン村がある。
温泉村は山の幸と海の幸の双方を有するのだ。
湯治客として貴族も訪れているから、庶民路線と高級路線の双方が使える。
温泉村の振興策を指揮するという少年に、是非とも会わなければならない。
あらゆる手段を用いて提携を呼びかけることにしているが、もし断るならば……。
アヘヒロは嗤った。
それは獰猛な肉食獣の笑いだった。




