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シンガー

 君こそ、なぜ、俺を見捨てないんだ。

 タカハシが初めてそう尋ねて来たのは、俺がショーウィンドウに映った自分の姿に発作的な恐怖を感じ、叩き割った直後だった。

 光を宿していない筈の目にゆらっと揺れる炎を見た気がした。目を背けたのを見られなくて幸いだ。

「知らねぇよ。止まってる暇はねぇぞ」

「知らない訳がないだろ」タカハシは、動かなかった。その影から、これ幸いと言わんばかりのゾンビが現れて、俺はスイングをする。

「来い。早く行こうぜ」

「君はいつでも俺を見捨てることが出来た」詰問するような調子だった。人を試すものの口調だ。

「本当に知らないんだ」俺は、事情聴取を受けている時の事を思い出していた。あの時も「本当に知らないんだ」と口に出したが。あの時の「知らない」は嘘で、今の「知らない」は、本当だ。

 俺は、なんの算段をもって、タカハシを見捨てて先に進まなかったのか。

 地響きの音が聞こえる。

 タカハシがようやく歩き出した。目が見えないにも関わらず、その歩き方は自信に溢れていて、揺るがない。いや、目が見えないからこそなのか。彼は、この地獄を見ていないから、怖れていないのか。

「俺が足手まとい以外の何者だ?」

「うるせぇよ」スイングをしながら、答える。「今更、何を言ってやがる」

「俺がいなければ、もしかすると、君は目的を達成出来たかもしれない」

 地響きの音が聞こえる。

「別に、まだ終わった訳じゃねぇだろ。おい、俺は生きてるじゃねぇか」

「直ぐに死ぬ」

 地響きの音が。

「お前こそ」

 俺は、言わずにはいられなかった。

「お前こそ、俺がいなければ、違う人生を歩んでただろうが。せめて、家族と一緒に終末を迎えることが出来たんだ。お前、なんで、俺を殺さねぇんだよ」

 タカハシが俺を殺すチャンスは、何度もあった筈だった。屋上で俺が寝込んでしまった時でもいい。あの時彼は、俺に向かってなんと言った? 目を覚ませ。と、俺に呼びかけなかったか?

 タカハシは答えなかった。俺は、横に並ぶ。「答えろよ」

 そうは言ったが、返事を待つ余裕はない。地響きが間断なく聞こえる。

 今の今まで、俺達を守っていた巨大な壁が崩落したかのように、アスファルトを踏み仕切る足音を響かせて、洪水のような群れが押し寄せてきていた。

 タカハシは、群れに向かって悠然と歩いていた。

「くそ」自然と悪態が出てくる。「どうにもならないことくらい、知ってるって」

 諦観のような、爽観のような、複雑な気分だった。

「なんなんだよ。アイツら、これ見よがしに、馬鹿じゃねぇの。たった二人だぞこっちは、一人は全盲で、一人は半分死んでるんだ。俺達なんて放っておいて、基地に行けよ基地に」

 まだ、距離はあるが、一歩、一歩、と着実に、列の先頭は迫ってくる。

 あの緩慢な動作を見る限り、その気になれば、つまり、回れ右をすれば、逃げきれないことはないのだろうが、逃げる気にもならなかった。

 俺は、近くにあった空き缶を手にとって、それを思いっきり投げた。届きもしない。

「バーカ」と叫んだ。「お前ら、バーカ、アホ、アホ、マヌケー!」

 頭の中で流れているのは、やはり、黒人シンガーの歌声だ。

「俺の復讐なんて、君が噛まれて時点で終わってたんだよ」

 タカハシがようやく口を開いた。「あの時、君、俺を庇っただろ。俺を庇って、噛まれた」

「知らねぇよ」

「見えなくてもそれくらい判るんだ」

「お前は立派だよ」

「耳がいいんだ」

 俺は首を振る。今度は小石を拾って、大群に向かって投げていた。今度は、山なりに、威力よりも飛距離をイメージしていた。小石は、大群に飲まれて消えた。

「決めつけるなよ。お前を庇った覚えはねぇよ」

「まぁ、仮に君が俺を庇ったとして、だからって、君を許せるわけじゃないんだけど」

「何が言いたいか、全然判らねぇ」

「俺もだよ。俺も、何がなんだか」

 と、タカハシが肩を上げた。

 タカハシの足元に、野球ボールが転がっていた。意識していた訳ではないだろうが、タカハシがそれを蹴る。俺は、小走りでそれを拾う。

「野球ボールだ、野球ボール」なぜか、嬉しかった。「おい、タカハシ、野球ボールだぞ」

「君が、そうやって、無自覚なのか、ワザとなのか知らないけど、突然話を飛ばすから、俺達の会話は弾まないんだ」タカハシに笑われた。

 一度立ち止まり、釘バットを置いた。野球ボールを強く握った。投げるという意味合いなら、空き缶よりも、小石よりも、遥かに相応しいものに思えた。

 正式なピッチャーの投げ方など知らなかったが、とにかく、前へ、ワンステップ、ツーステップとリズムよく駆け出して、肩を回し、叫ぶ。

「おい、お前ら、スイングしてみろよ」

 野球ボールも大群に飲まれて消えた。


「罪は、死によって償われるべきものじゃないんだ」波に飲み込まれる直前、タカハシがそう言った。

「死は、万物の生命、全てに平等に用意されている、当然の結末だ。そんなものが罰になるとは、思えない」

 俺は、タカハシの家に押し入った時のことを思い出していた。タカハシの家族を、殺した時のことを、思い返していた。

「俺は君をどうしたかったのだろう」

 俺達は波に飲まれた。右にも、左にも、後ろにも、前にも、理不尽な波のうねりがあった、あらゆる場所から手が伸びてきて、抗うことが出来ない。絶叫とも、咆哮ともとれる声が、あちこちから響く。

 そんなときでも、黒人シンガーは歌っていた。まだスイングしてるのか、お前、凄いじゃねぇか。と、俺はこっそり思う。そう思う俺は、すでにスイングが出来ていない。

 まだ、手には釘バットが残っていたが、それを振うには、スペースがなかった。もみくちゃに手が伸びてきていて、至る所を引っ掻かれている。痛みはない。

 タカハシ、どこだよ。俺は虚ろな目で、自分の人生にとっての、最後の友人を探す。「どこだよ」と小さく呟くが、声も、飲まれて消えた。

 体温を失っている筈の死者達の身体から、確かな熱を感じた。熱い。引き裂かれて殺される所か、圧死か、熱死しかねない。それほどの数だった。


 音楽が途絶えた。恐怖や絶望よりも、喪失感の方が大きかった。

 最初は慌て、苛立ち、頭の中で黒人シンガーの声を再生しようと思ったが、出てくるのが不協和音としかとれない不快な音ばかりで、聞いている方が辛かった。いっそ、消えてくれ。と思った時には、本当に音楽が消えて、真っ白になる。

 自分の身体がどうなっているのか、まるで判らない。押し寄せてくる波の一部になったような浮遊感がある。

 ここまでだ、と思ったと同時に、四方から伸びる手に魂を握られ、そのままどこか、別の場所に連れ去られていく感触がある。それが心地よくすらあった。身体中の血が、別の何者かの血と入れ替わって行く。変貌が始まり、それで俺は消えていくんだ、と理解して、波のうねりに身を任す。

『……ンビも、人も、動物も。聞こえますか』ノイズ混じりの声が再生されている。聞こえねぇよ。と思った。「さよならだけがなんちゃらだ」本当にその通りだ、と納得し、目を瞑る。


 クリスマス、君の罪は許される。


 動物的な反射だったのかもしれない。身体が勝手に動いていた、力を振りしぼり、俺は自分にすがる手を振りほどき、上体を大きくのけ反らした。かぁん、と、釘バットの先端が、アスファルトに当たる感触がある。

 振り子のように、上体を戻しながら、真上から一直線、地面を叩き割るくらいの心持で、俺は釘バットを振って、ちょうど正面にいたゾンビの頭に叩きつけた。

 その、奥、距離にして三メートルも離れていない距離に、姉ちゃんの影を見つけた。

 いや、本当に、それが姉ちゃんだったのか、正直に言えば判らない。波のように迫りくる大群の中で、顔を識別するのは難しかったし、そもそも、こうも都合良く、姉ちゃんと再会が出来るほど人生は甘くない、という程度の知識は、経験として知っていた。

 どこからか歌が聞こえた。頭の中ではなく、外だ。耳を通して、鼓膜を揺らし、確かに聞こえてくる。黒人シンガー、近くにいるのか、と始めは思い、それがタカハシの声だとは、直ぐには理解できなかった。

 俺は自分の腰に手を回す。その間にも、再び波が俺を呑みこもうと迫ってくる。拳銃を出した。それを前に突き出すような形で、手を伸ばす。

 身体が浮いている。比喩ではなく、本当に、四方から掴む手に担ぎあげられ、足が地面から離れた。歯を食いしばり、俺は手を伸ばす。邪魔だてするようなタイミングで、ゾンビが左からぬっと顔を出したが、残った左手で強引に払った。

 それから、姉ちゃんを見る。面影はない。聞こえますか、と言った。さよならだけが、と言って、それから指に力を込めた。


 ぱぁん。と、乾いた音が聞こえて、それもやっぱり、波に飲まれて消えた。


 やがて意識が遠のいていく。雑多で、吹き荒ぶ嵐の中にいるような状況であったにも関わらず、静かで荘厳な海の底に沈んでいくような感覚だった。呼吸が出来ない。

 ふと空を見ると、いつの間にか日は陰っていて、雲が出ていた。青空は掻き消えて、分厚い雲だけが見えていた。だけど、あの雲の向こうには、青空は広がってるんだよな、と考えることにする。


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