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スイング

 お前は、なぜ、俺についてくる。

 俺が初めてそう尋ねたのは、階段の踊り場で、ゾク青年の形見とも言える釘バットが、ひとまずの出番を終えた後だった。

「理由もなくついて来てるわけじゃねぇんだろ。それくらい、判る」

 俺は、タカハシの前を歩く。タカハシは、目が見えていないにも関わらず、悠々とついてきた。

「俺にも、俺の目的があるんだよ」踊るような足取りで、階段を下る。一段落がついた訳ではないのだが、彼は、落ち着いていた様子で語りかけてきた。

 俺は先に進む。釘バットが、唸る。「今となっては可愛い話だけど、一年くらい前かな、あっただろ、強盗殺人事件」釘バットを、唸らせる。

「知らねぇよ」俺は答える。釘バットは唸る。ゾンビが往行する世界で、強盗殺人事件の話をすることになるとは、思わなかった。「それがどうした」

「俺、被害者なんだよ」罪状を読み上げるかのような口調だった。「っていうか、被害者遺族だけど」

「出来るだけ簡潔に頼む。俺、実は、結構忙しいんだ」言いながら、可笑しさもこみ上げてきた。「ゾンビ退治で」

「犯人は捕まった」階段を降りながら、言う。「つい最近だよ。で、昨日、ゾンビ騒ぎが起こる直前に、連行されてた」

 まるで、見ていたような口ぶりだな、と感じながら、俺は尋ねる。「その瞬間を見たのか?」

「見た、というか、聞いていた。俺の家族を殺した奴の足音と、呼吸の音と、声を」

 俺は階段をジャンプして、踊り場にトン、と着地する。「へぇ。わざわざ、ごくろうだったな。で、お前は、復讐心をメラメラと滾らせたわけだ」

 そうだね。と笑い声。「足音と、呼吸と、声を聞いている内に、俺に復讐心が芽生えた」

「メラメラと」俺は釘バットを振る。

「メラメラと」タカハシも着地する。

「で、ゾンビ騒ぎが起こって、犯人は逃げ出したんだな」俺は知った口を聞く。「そうだろ」

「そう。犯人は、騒ぎに紛れて、逃げた。俺はもちろん、その瞬間も聞いていた。追いたかったけど、追いつけるわけないし。大体、始めはパニックで、何がなんだがよく判らなかったし」

 そこでタカハシが吹きだした。「誰かが、『ゾンビだー!』って叫んだんだ。あれは、判りやすかった。それで状況が判った」

「判りやすいな」

「『ゾンビだー!』なんて、一生の内に一度とはいえ、本当に聞くことになるなんて」タカハシは笑いを堪えていた。「笑っちゃ駄目かな」

「今や世の中はなんでもアリだ。気にすんな」釘バットで、ゾンビの頭を叩き割りながら、これもアリだろ、と感じる。

「お前はその犯人を、どうにかしてやりたいと思ってる」俺は、やはり釘バットを振りながら、言った。ゾンビを倒す作業が、反復作業のような単調さになっていた。こんな仕事があれば、俺も人生を踏み外さなかったかもしれないな、とこっそり思う。

「どうせ、その男も、とっくにゾンビに噛まれてる」俺はそう忠告してやった。

 その時、突然、誰かが横から飛びかかってきた。誰かが、というよりは、それは案の上、ゾンビだ。声にならない絶叫を上げ、こちらの首元に、歯を伸ばす。

「あ、大丈夫?」頭上から、暢気な声が聞こえてきた。「やばい?」

 揉みあいのような形になった。こんな状況では、自慢の釘バットも使えない。俺は無理しゃり、力技でゾンビを引き離そうと暴れるが、その間に、爪が腕に刺さってくる。「いってぇ」と、呟き、右腕を払った。殴る。殴る。殴る。殴る。暴力を、振う。それから釘バットを振り上げ、頭に振り下ろす。ゴン、ゴン、と耳を閉じたくなるような、鈍い音が聞こえてくる。何度も、何度も、繰り返す。

 ゾンビを殴っている間、頭の中では、なぜか、例のラジカセから流れていた、黒人シンガーの歌が流れていた。歌詞は判らない。リズムと、音程だけが、繰り返しリピートされている。『君の罪は許される』

 君の罪は許される。君の罪は許される。鼻歌を歌いながら、俺はとうに動かなくなっているゾンビを、殴っていた。なぜか涙が出た。

「見えないから判らないんだけど、もしかしたら、もう動いてないんじゃないかな」タカハシが指摘してきた。判ってはいるのだが、俺は、今気付いたと言わんばかりの演技をして、「あ」と言った。

「俺、この仕事、向いてるんじゃないか」動かなくなったゾンビを目にしながら、俺はそう口に出していた。「才能があるんだ」

「人の頭をかち割る仕事?」タカハシの声には、どことなく悪意が滲んでいた。「あるかも」


 単調作業に疲れていた所為か、一度間違えて地下まで下りてしまったが、幸い直ぐに間違いに気付いて、俺達は無事、一階に辿りついた。デパートの中を見渡す。ゾンビが点在しているが、素早く動けば、特に問題はない。

「思ったより楽だったね」タカハシが、憮然と声を出す。

「いや、俺は死ぬほど大変だった」それから外を見やる。

 入口に向かう手間を省く為に、ショーウィンドウに駆け寄って、俺はバットを振るった。ガラスが呆気なく砕け散る。「おい、ガラス、気をつけろよ」と、タカハシに声を掛けた。

 俺は、ショーウィンドウの段差を飛び超え、着地する。その時、思わず、手をついてしまった。ガラスの破片が手に刺さる。おい、気をつけろって言った本人が。と自分を馬鹿にするが、痛みがないことに気付いた。

 肩口の傷が、痺れている。引っ掻かれた傷の痛みも、なくなっていた。俺は、自分の掌を、グー、パー、グー、パーと動かし、まだ、自分の身体が自分のものであることを確認する。

 その後で、タカハシが続いてくる。街に降り立った。

 真冬だというのに、街は、意様な熱気に包まれている。実際に、至る所で火災が起きていて、その所為というのもあるのだが、それ以外にも、気配、というべきか、空気というべきか、いっそ、人々の思いというべきなのか。そういった、目に見えない呻きが充満していて、それが熱を持っているように感じた。

 乗り捨てられた車や、事故を起こして立ち往生している車の列の、遥か奥。群れをなして動く、ゾンビの大群が見えた。望遠鏡なしでも、うっすらとだが、見える。列はますます膨れ上がる。俺達には興味がないのか、全員が、背を向けている。

 一体どれほどの列なのだろうか。と想像してみて、嫌になる。

「凄い音だ。あの大群を、追うんだろう?」タカハシが尋ねてきた。「どう考えても自殺行為だね」

 あの列の中に、姉がいる確率は、それなりに高い。ただ、列そのものの巨大さが馬鹿にならない為、姉探しの作業は、間違いなく、砂漠で針を探すような苦行になるだろう。

「俺は、姉ちゃんと再会出来るかな」漫然と、そう聞いた。タカハシに尋ねたのか、それとも、自分自身に尋ねたのか、判らない。

「確率はかなり低いだろうね」

「俺は馬鹿だろうか」言いながらも、俺は歩きだしていた。立ち止まっているわけには、あらゆる意味でいかない。少し先に、よたよたと歩くゾンビがいたので、わざわざ駆け寄って、薙ぎ払った。ゾンビは、車のバンパーに寄りかかるような形で倒れ、もう一度、とトドメを振るった。

 俺達は先に進む。


 釘バットを闇雲に振っている間は、決まって、黒人シンガーの歌声が頭の中で響いていた。ジャズとも、スイングともつかないリズムの、歌だ。この歌が聞こえなくなった時こそが、俺の終わりの時なのだろうな。と気付く。

「さっきの歌?」タカハシが尋ねてくる。自分でも気付かなかったが、鼻で歌っていたらしい。

「ああ。あの歌は、スイングかな、ジャズかな」尋ね返す。「スイングか?」

「スイングだ。今の君には、スイングこそが相応しい」

「なんでだよ」

「バットもスイングしてるから」

「タカハシ、お前、親父過ぎ」苦笑せざるを得ない。「若い内からそんな寒い事言ってると、禿げるぞ」俺は、自分の武器を高く上げる。

「大体、これ、バットじゃないし」

「バットじゃない?」

「これ、釘が刺してあるんだよ。もう、バットとしての機能は、ねぇよ」言いながら、俺はまた、ゾンビを殴る。というか、すでに、動くものはなんであれ殴ってみる、と方針を固めているため、自分でも何を殴っているのか、正確には判らない。

「バットに釘を? 酷い奴だ、君は」タカハシは呆れていた。「そのバットも、釘を刺される為に生まれたんじゃないだろうに」

「俺がやったんじゃねぇよ。ゾクがやったんだよ、ゾクが」言いながら、ゾク青年が、必至に、バットに釘を刺しているシーンを想像すると可笑しかった。

「夜なべして、頑張って作ったんだよ、馬鹿にしてあげるなよ」

「ゾクさんか、それは仕方ないね」タカハシは不思議と納得した口調だった。


 身体の異変に気付いたのは、有名なファストフード店前、ピエロに模したキャラクターの等身大の人形を、ゾンビと間違って叩き割ってしまい、「紛らわしい格好をしているからだ」と人形の残骸に向かって忠告をした直後だった。

 心臓が跳ねあがった。かと思うと、脈動が狂ったように速くなり、身体中に痛みとも衝撃ともとれる信号が駆け巡った。思わず膝を付く、いきなりかよ、やべぇ、と口から零れた。身体が興奮状態にあるにも関わらず、頭は「眠い眠い」と虚ろに囁いている。

 黒人シンガーの歌を歌わなければならない。いや、そもそも、本当に黒人なのかどうかは不明だが、とにかく、あの歌だ。と俺は何度も念じ、「君の罪は許される、君の罪は許される」と呟いた。リズムを思い出すんだ。と言い聞かせる。

 ラジカセから流れていた、あの音楽を思い出す。苦難を乗り越えた、目の見えない黒人の、歌だ。クリスマス、君の罪は許される。彼は、そう言ってくれたじゃないか。

 俺は、立ち上がり、また前を目指す。後ろから、「大丈夫?」と尋ねてくる声。大丈夫だ、と自分とタカハシに言い聞かす。

 まだ、大丈夫じゃないと困る。俺はスイングを、する。




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