芯(生きがい)
「むざむざと逃げ出してきたというわけか!? 私の部下達まで見捨てて!?」
「そういうことになりますね。というより、独断で彼らが突っ込んだというべきでしょうがね」
怒り狂う東方伯を前に、アルザスもケトルも呆れたような顔をした。
監査の目を付けたはいいが、そちらが無用な正義感に駆られて全滅したという事実をありのままに伝えただけだ。
わざわざ帰還して、騎士長に伝えた後にいきなり呼び出されたのだ。それだけでも憂鬱なのに、このまま説教されるとなれば余計に面倒くさい。
アルザスにいたっては今すぐにでも寝たいという顔をしている。
恥ずかしながらケトルもまったくその意見に同意したい。
延々と六英雄の名誉の話と、それに比べてお前達は情けないなどという下らない話をされ続けるだけなのだ。
そんな話をしてる暇があるならば再戦の機会と、まともな部隊を率いさせて欲しいぐらいだ。
「私の部隊が、たかだかオークマストに敗れたなどと、恥にしかならん!」
「ただのオークマストなら良かったんですがね」
「明らかに修羅場何回か潜り抜けてる実力者――かつ、我々に怨みを持っている存在であるかと」
何故だ、という顔をする東方伯に呆れつつ、アルザスが答える。
「我々を明らかに待ち受けていました」
「待ち受けていた? わざわざ騎士団の捜索隊を相手にするつもりだったのか」
「そうとしか、考えらませんね。我々も、命からがら逃げ出しましたが、標的にされていましたよ。
今後も、狙われるかと」
東方伯が、考えるような顔をする。思い当たりでもあるのだろうか。
英雄だからこそ、魔族からの怨みは深いものがあるだろう。それに、東方伯は他の種族に対して過剰な弾圧をしていたはずだ。
恨んでいる相手を思い浮かべて、選んでいるのだろうが、多すぎて検討がつかないと言った所か。
「まぁいい。君たちの命が助かったことが何よりだ。部下を見捨てたのは見過ごせないが、今回はその功に関して許そう」
どうでもいい、見え透いた適当な労を労う言葉を聞きながら、ケトルは次の事を考えていた。アルザスも同じことを考えているだろう。
――次は、どこが標的になるか。
派遣する部隊の人数を増やしていかなければならない。
それも、実力のあるものばかりではなく逃げ足の早い人物などを選び、生き残れる事が出来そうな人物からだ。
被害が増えていくだけでは仕方ない。次に活かせる機会を作れる人物が、必要なのだ。
その件については、考えなければならない。
何か、大事な事を忘れているような気がするのだけが、気がかりなだけだ。
「疲れるもんだな、意外に」
男が、息を吐きながら背筋を伸ばす。こんな身体になってしまってからでも、人間らしい行動というのは案外抜けないものだ。
捜索隊については、使えそうな人間だけを残して、後の英雄共の信者のような騎士たちは皆殺しにさせておいた。
力を使い過ぎれば、さすがにバレるだろが、今のところは、掛けておいた催眠魔法が効いているはずだ。
その証拠に、東方伯がまだ動いていない。嫌がらせは続けるつもりだが、さすがに今東方伯に動かれるとまずいのだ。
ある人物と、約束した状況を作り出せなくなる。それは、男にとっては望んでいない事である。
「私も疲れてしまうな、こうも小物ばかりが相手では」
「お疲れさん、グド」
「別に気にすることはないが、本当に強い相手が来るのだろうな」
もちろんだ、と男は言葉を返す。"自らの身体から召喚した"オークマスト相手にあそこまでやれる二人組がいる事といい、戦力はしっかりしている。
捜索隊程度の規模でも、あれほどの騎士が存在している。さすがに、魔族との本格的な戦争を迎えて戦い続けた中で人材は増え始めている。
出来るだけ、そういう使える連中は殺すのは避けたかった。魔族に対して忌避感を抱いていないのであれば、なおさらだ。
この世界の住民たちを皆殺しに、などという考えは持っているわけではない。
彼らはただ生きているだけで、英雄の被害者でもある。
一部の狂信者共や、部下共はまた別になる可能性もあるが、自分の目的を終えた後、この世界がどうなってもいいとは思っていない。
しっかりと回せるだけの力量を持った人物には、生きていてもらわねばならないのだ。
そんなことも区別せず、世界すら滅ぼすという勢いで復讐するなどとそんなふざけた発想をしていたら、どこぞの肥溜めに突き落としてやりたい奴等と一緒になってしまう。
英雄共を皆殺しにするか、叩きのめし、こんな世界へと呼び出したあげくに、化物の身体へと改造してくれた神を殺せば、自分は満足なのだ。
もはや元の世界に戻れたとしても、人間としては扱ってもらえないだろう。そもそも帰れるかどうかすら怪しい。
それでも、帰りたいと願う意思、それに加えて復讐するという歪んだ感情が足されている。
いずれにせよ、やらねば始まらない。狼煙を上げるのは、ここからである。
「グドの方はどうだった」
「全員始末した。手ごたえがなかったな。気味悪く英雄の名前を叫んで死んでいったが」
「あー、気にしなくていいぞ。聞きすぎると耳が腐るからな」
「同感だ」
グドの方も、念入りに捜索隊を始末したらしい。
一応、召喚した魔族に監視はさせていた。狂信者共だけだったから、全員抹殺したという事だろう。
それならば問題は無い。今回の狙いはまさにそこにある。
東方伯の性格は良く知っている。実力があるものは許せない。だが、我慢して使うことは出来る。
代わりに、自らに忠誠を絶対に誓っている者達を配下に付けて監視する。裏切りは自分の名誉を傷つけるからだ。
あの陰険クソ眼鏡ならそれくらいはするだろう。加護の使い過ぎで、精神が冒されているがゆえに。
そんな状態になってしまった陰険クソ眼鏡を憐れむ気持ちは、少しぐらいならあるが、少しばかりだ。
良心を痛めるまでには至らない。会ったらためらうこともなく殺害できるだろう。
「しかしまぁ、意外とばれないもんだね。こういう宿ってのは」
「多人数だと、思われているのだろう」
「まぁ、そう思うよなぁ。普通ならな」
安い宿で、買ってきたカウヒ――コーヒーに極めて、というよりはそっくりな飲み物――にたっぷりとミルクと砂糖を入れて飲み干しながら笑う。
実際の所は、自分が召喚した魔族さえ抜いてしまえば、その人数は極端に減っていく。
合計では、二桁にも満たない人数しかいない。正確に言えば、五人しかいないのだ。
男が信頼できる存在がそれしかいないという話ではなく、耐えれるのが恐らく五人ぐらいしかいない、ということなのだ。
英雄を敵に回す、というのはそれほどの事だ。
男からしてみれば連中のほとんどが路傍の石どころからその辺の犬の糞の価値すらない存在だと言える。
だが、それは男からの視点から見ればというのが前提だ。
他の人物からしてみれば、やはり英雄に剣を向けるというのは恐ろしいことだと身体に刻み込まれてる。
まして、その力を間近で見てきた者達であればなおさらだ。
そんな者達が、奴等と戦えるわけもない。故郷を滅ぼされたとしても、恐怖に身が負けることもある。
それを惰弱などと言うつもりは到底ない。怖いものは怖い。当たり前の事である。
自分とて、英雄たちの一人に対しては恐怖を抱いている。そいつ以外は怯えてすらいないが、やはり不安要素はある。
この世界で生きる存在にとっては、自分達は刀や槍で戦っている時に、いきなり近代兵器が現れたようなものだろうとは思っている。
どうしようもない存在なのだ。そのような存在に対して、戦いを挑むというのには、何よりも芯がいる。
グドのような戦闘狂でもいい。あの女は、どこか狂っているからこそ、確固たる芯がある。
恐怖に打ち勝てる芯を持っているのだ。だからこそ、殺さずに連れて歩いている。
そして、グドとは違う芯を持っている存在がいるのだ。
「来たな」
ドアが音もなく開き、足音を立てる事もなく、女が一人入ってくる。
耳はヒト族よりも長く、魔力が満ち溢れているにも関わらず、静謐としている。
凛とした目と、すらりとした肉体。均整が取れており、完成された芸術品がそのまま歩いてきているかのような印象すら受ける女性。
「待たせました」
「何、約束は守るつもりだからな。むしろ急かしてすまなかったな、ルーフェル」
「いいえ、そんなことはありません」
女が微笑んだが、その目は笑ってはいない。むしろ、憎悪で満ち溢れていた。
自分に対してではない。着々と殺すために準備をしている相手――東方伯に対しての思い。
このルーフェルこそが、弾圧と粛清の対象になった、刀鍛冶のエルフたちの生き残り――冷め切った復讐の思いを芯とする、東方伯への怨念の塊のエルフだった。