思い出(恨み)
魔族の一つの種族の王として、恨みつらみは当然あった。
魔族として、平和に生きてきたはずの自分達が、突如として人族からの攻勢を受けて壊滅へと追い込まれていくなど認めたくなどなかった。
あまりにも理不尽ではないか。人族などとは相容れぬとしても、妖精や獣人とは、対等の付き合いが出来ていたのである。
小競り合いを続けつつも、傭兵たちの金も稼ぎ、ある程度世界は上手く回っていたはずなのだ。
――それが、なぜこんなことになってしまったのだろうか。
倒れ伏した自分の身体から、力が抜けていくのを理解する。このままでは恐らく、死ぬだろう。
自らの生の中で、まだ何も果たしてはいない。そう考えてしまえば、怒りが湧いてくる。
何もかもが理不尽なのだ。対等であったバランスは、異世界から来たと噂される英雄どものせいで全て壊された。
魔族全体としての立場は、幸いにも崩れきってはいないが、それも時間の問題だろう。
このままなし崩しに、ヒト族に追いやられていった挙句に、緩やかに滅亡していくだけなのか。
もはや、絶望する道しか残っていないのだろうか。
考えれば、考えるほどに、激情が湧いてくる。とてもではないが認められない。
異世界から来た異物に、この世界が蹂躙されていくという理不尽。この世界で生きていた者達が虐げられるという理不尽。
考えれば、考えるほどに、怒りで心が満たされていく。死ねない、決して死ねないのだ。死んでたまるものかという憎悪が身を蝕む。
自分の身などどうでもいい。あまりにも理不尽すぎる異世界からきた異物共への憎悪をぶつけられればそれでいい。
だがもう、自分の身体は崩壊し始めている。もう持たない、とういうのは嫌でも分かる。このまま恨みを消してしまうのだけは嫌だ。
「もう死にかけか。そりゃあ、あの陰険クソ眼鏡が手加減するわけもないか」
ふと、自分の頭も上から声がした。もうそちらへと振り向く力もないが、誰かがいるのは分かった。
何者だと、呼びかける。もうここの戦いは決着した。魔族の圧倒的敗北なのだ。
「お前の嫌う、異世界からの英雄様だよ」
異世界からの英雄。その言葉を聞いた瞬間に身体が燃え盛るような感覚に襲われる。
声からして、人族の男であるというのは分かった。英雄であれなんであれ、なんのつもりで自分に語りかけてきたのだ、という思いが出てくる。哀れみか、嘲りか、同情か。
「お前、このまま死ぬつもりか。
異世界から――まったく関係ないところから出てきてお前さんたちを殺してきた奴らに恨みを晴らさずに」
男が笑いながら問いかけてくる。いきなり現れた挙句に、英雄を自称し、英雄の所業に対して質問をしてくる。
気狂いなのか、と語りかけようとするも、声が出るはずもなかった。男がいる方さえ向けないのだ。
だが、恨みについては、男の言う通りだった。このままで死ねるはずがない。理不尽に対する怒り、恨み、恐怖。
全てを晴らずに、朽ち果てるなど、論外だった。
「そうだよなあ、死にたくないよなぁ。だけど、お前は残念ながらこのままだと滅びるのを待つだけの身体だ。
死体になってお終いさ」
何が言いたいのかと、思考する。男の顔すらも見えぬこの状況で、死にかけていて表情も出せない自分に対して、なぜこうも心を読んでいるかの如く言葉を返してくるのか。
「んなことはどうでもいいだろう。で、どうするんだ」
どうするとは、どういうことなのか。
もう自分ではどうすることも出来ない。ただ死を待つだけの身体だ。
「俺なら、お前にまた違う生を与えられる。具体的に言えば、まぁ生きているというよりかは、俺の中に入るという事だが」
だがなと、男は続ける。
「復讐は為せるぞ。お前と俺で、いや、俺とお前のようにあの英雄共に復讐したいと願う者達で殺すんだ。
理不尽に対しては、理不尽で立ち向かうしかない。俺があいつらと同類というのは気に食わないだろうが、そこはお前次第だ」
復讐を為せる。その甘美な響きだけが、自分の中に残った。
中に入るということは、同一の存在になるということだろうか。それとも、意識なく、ただ力となるだけなのだろうか。
だが、もうどちらでもよかった。復讐さえ出来るのであれば、この世界の理すらも破壊する存在を殺せるのならば、良い。
――そして、自分は手を伸ばした。
「どうした、思った以上に眠っていた様子だったが」
「……なぁに、よくあることだ」
グドが相変わらず心配も何もしてなさそうな事務的な声で起こしてくれたのに感謝しつつ、男は起き上がった。
下位の冒険者が利用する程度の宿に泊まり、しばらくそこで仮眠を取って待つことにしていたのだが、どうやら本当に眠ってしまっていたらしい。
ベッドから起き上がってみれば、もう待ち人は、既に来ていた。グドはどうやら既に案内していたらしい。
待ち人――情報屋を称するコソ泥は、こちらの事を窺うような表情で、見つめてくる。
男からしてみれば、早い所用事を済ませて、さっさと本題へと移りたいところだが、大抵はそうもいかない。
こういう元は平民だった落ちぶれた奴等は、延々と長話をしてくるのだ。下らない事だがと思いつつも、付き合ってやらねばならない。
「ええ、旦那。よろしいですかねぇ」
「頼む、話してくれ」
「それではお話しまょう。あの穴の繋がりだけで出来たクソみてぇな連中(騎士団)共の事を」
ネズミのような獣人が、もはや破れかけのローブに、余った皮を縫い合わせたようなズボンといった格好で、こちらへとしばらく下らぬ話をしてくる。
自分よりも上の存在、平民、貴族、騎士、英雄。それらに対してあれは駄目だ、これは駄目だとひたすら言い続ける。
どこから出てくるのかと思う程に大量に口に出してくる悪口を聞き流しがら、男は相槌を打つ。
正直に言えば、こういう奴等は自分達の世界の時から好きではなかった。
公職であるというだけで、楽をしているやら、身内との繋がりで入ったのだろうなどと言ってくる奴等だ。
自分達よりも幸せで、国へと尽くして働いているというだけで、そういうものがあるとみてしまう連中だ。
国をまるで目の仇にしているが、その国に生かされているとは、考えないのか。男が公職につけたのは努力のおかけで、自分達にはその努力が無かっただけだと考えなかったのか。
そういう考えが、どうしても見ているだけで湧いてきてしまう。国どころか世界が違うのだから、当然と言えば当然なのだろうが、やはり好きにはなれない。
己の力で、どうにかしようとは考えず、ただ口先だけで言葉を吐き出す連中。
「どこもそういうところは同じか」
「……何がです」
「ああ、すまん、何でもない」
そして、男自身もそういうところがあるからこそ、嫌っていた。
同族嫌悪というやつなのだろう。自分も、自分より上の存在に対してはそう思っていた所がある。
「では、お話しやすよ。あの騎士団で今盛り上がってるのは、騎士団の中で捜索隊が組まれるっていう話ですよ」
「ほう、捜索隊」
「ええ、東方伯様が、何やら苛立ちを隠せないらしくてですね。その原因を解決するために捜索隊が派遣されるとか」
男の顔が、思わずにやりとする。嫌がらせをした甲斐があったというものだ。
だが、これはまだ手始めにしか過ぎない。
本格的に嫌がらせを始めるのはこれからなのだ。
それからが、楽しみの始まりということになる。
あの三流記者に宣言したことは、本心である。
あのロクデナシ共を皆殺しにするまでは止まらない。
この感情の昂ぶりは、英雄たちを始末するまで止まらないだろう。
「日時は」
「そこまではとても……」
「そうか、それならいい」
どうせ噂で流れてくる。
人の口に戸は閉てられないとは言うが、この世界でもそれは同様だ。
噂好きな妖精たちは、どこからともなく現れて噂をばら撒いていく。
それらをつき合わさせれば、次第に日時も判明するだろう。
それまでの間は、準備期間ということになる。男とて、時間は必要なのだ。
せっかくの嫌がらせだ。やる以上は、相手の胃にもっとギリギリと来るような感じにしてやるべきだろう。
そう考えると、この時間も悪い物ではない。
思わず、男は口角が吊り上っていた。