グド(褐色の女)
「で、正々堂々と宣戦布告してきたというわけか?」
「そうはならねえだろうよ。
せいぜい七番目を語った馬鹿者が出てきたぐらいで済まされるさ」
騒がしい街の中、外へと出された木製のテーブルにのせられたヒポック――豚に小さい角がいくらか足されたような見た目をしている家畜――の肉を、甘辛いタレで味付けしたものをパンに挟んだものを咀嚼しつつ、男は答えた。
「そのために、わざわざ3流の記者に当たったんだからな」
「何故、そんなことを?」
男の正面にいる女性が、当たり前の疑問をぶつける。
男と女がいる世界は、当然の事ながら地球と呼称される世界ではない。向こうの法律など、何も意味を成さない。
この世界『パラデア』では、一番に信じるべきものは力であると、女は信じていた。男も同様だと考えているのだろう。
そして、男がわざわざ喧嘩を売ってきたのはパラデアでの英雄。つまり、この世界での最高位の権力者たちにして、桁違いの強さを持っている化物どもを挑発してきたのだ。
どう考えても命知らずである。というよりも、ただの馬鹿にしか過ぎない。
事情を知らねば、気狂いと言われてもおかしくはないだろう。
かくいう女――グドも、この男が本当に七番目の英雄ではなかったら、ついてなど行かなかった。
目の前にいる、フードに身を包み、顔を隠しているこの男。この男こそが、七番目の英雄なのだ。
最初の出会いでは、どう考えてもただ落ちぶれただけの、出来損ないの魔族崩れ――デロスとよばれる、魔族ではなく、人族でもなく、獣人でも妖精でもないただの怪物にしか見えなかった。
それを討伐しようとして、自分は酷く痛めつけられた挙句、命を助けられてなし崩しにこの英雄についていっているのだ。
「嫌がらせだよ、嫌がらせ」
「……何?」
「ただの嫌がらせだ」
グドは眉をひそめた。
ただの嫌がらせで、あのような酔狂な真似をしたとでも言うのか。わざわざ無辜の民を、それも武の一つも学んでいないただの小娘を脅しつけたというのか。
「お前のすることは、本当に分からんな。ただの気狂いのように感じるぞ」
「分かんなくていいんだよ。本当に嫌がらせなんだからな」
そう言いながら、七番目の英雄が、運ばれてきたよく冷えたジール――この世界での果実酒――で、ヒポックの肉を腹へと流し込む。
ぷはぁ、と満足気な息を吐き、一仕事が終わった後の飯は美味いなどとのたまうこの英雄を本当に信じても良いものかと、あらためて考えてしまう。
今、見ている限りでは、この男はただの堕落しただけの、地位が落ちてしまった魔族を侍らしているだけの下級魔法使いのような存在にしか見えない。
今着ているのも、盗賊に身をやつした魔導師が装備するような、低レベルのものだ。ようするに、盗賊にすぎないような姿だ。
グドが、その気になれば一息で縊り殺せそうな程の弱さを持っただけの、ただの劣化した人族そのものである。
――殺してやろうか。
一瞬、つまらない思考が心を満たす。
そして、気持ちを落ち着かせる。
グドがどうあがいても勝てる相手ではないと、あの討伐しようとした時に思い知ったではないか。
自らの誇りを徹底的に砕かれて、骨を何本も何本もブチ折られて、傷物にまでされたのだ。
恨みつらみがないといえば、嘘になる。誇り高き一族である、グドからすれば、この英雄から受けた痛みは、見逃せなどしないものだ。
一族の誇りにかけても殺さねばならない、という思いは忘れるつもりはない。
「なんだ。今からやるのか」
「やらん」
「俺は挑戦を受けないということはないからな、何時だっていいぞ。襲うのはな」
お前が好きなときに首を穫りに来いということだろう。
大層な自信だな、と思いつつも、グドはそれに答えることは出来なかった。
実際、今は襲っても勝てないというのを何よりも自らが理解している。力の差は予想以上に大きい、というよりも、竜とヒトの子のような差すら感じたのだ。
今も、完全にこちらが勝てないということを知っていて、食事を取っているのだろう。
嫌な男だと、グドは思った。本当にいい性格をしているといってもいい。
「負けたら、その御自慢だった角を再び折らなきゃいけなくなるがな」
「貴様」
「冗談だよ、冗談。もう一度、お前の角を叩き折って、自決しようとするお前を止めようなどとは二度と思わん」
思わず歯噛みしそうになるが、堪える。この男は、さらりとグドの心の傷をえぐってくる。
「まあ、別にもう離れてもいいんだぞ。その後で俺の首を狙ってくれても構わん」
「いいや。我が一族の誇りを何らかの形で取り戻すまで、貴様からは離れん」
「物好きだねえ。構わねえけどよ、そろそろ俺ももう一度動かなきゃならん」
食事を終えて、男がようやく立ち上がる。金を回収にしに来た人族の女に、値段よりも多めの金を渡していく。
自分の分も同様に払っていたのだろう。既に食べ終えていた皿を、女が愛想よく片付けていく。
グドはいくらかその姿に嫌悪を感じつつも、表情に出すことはしない。
女からしてみれば、そうでもしなければ生きられないのだろう。グドの一族の女からすれば、極めて惰弱な発想だが、グドの一族とは違うのだ。
誇り高き戦う戦士の一族ではない。娼婦のような存在だと思えば、グドも納得する。
「相変わらず、他の女見下してるのか、お前」
「見下しているのではない。哀れだなと思っているだけだ」
「かっー! 出たよその口調。風俗嬢とか、なんとも思っていないんだろうなあ、お前」
「フウゾクジョウ、と言うものが私には分からん。そして、どうでもいい。お前の口ぶりから察するに、娼婦と似たようなものだろう」
本当に可愛くないやつだな、と男が小声でつぶやくが、グドは無視する。
「それよりも、今後はどうするつもりだ」
「何、まだこの辺りをぶらぶらするさ」
男が手を振り答える。
「まだ? 珍しいな」
「待ち人がいるもんでな」
「ほう、人から見捨てられた貴様にか」
「そうそう。人から見捨てられても、案外、可愛い子ちゃんが来るのよ」
「盗賊殺し(シーフイーター)でないと良いな?」
クッソ可愛くねえ、と男が愚痴る。可愛さなど求めていない。戦いの邪魔になるからだ。
肌を多く露出させたこの鎧も、自分の身体で男を油断させるためだけのものだ。この程度で興奮するような男なら、たやすく食い殺せる。
本来の自分の姿を見て、なお欲情するような面白い男がいれば、それはそれで戦い甲斐があるかもしれない。
そう思いつつ、見事に折られてしまった自分の額に生えている捻くれた両角を撫でる。
結局、あの男には、借りしかできていない。借りを返すまでは、自らに課した一族の誇りを取り戻すための報復も控えねばならない。
それまでは、あの男に従っていよう。グドの筋肉質な身体と、本性を見たからには、あの男が欲情するような面倒なこともない。
「とりあえずは、ついていく、しかないか」
そう1人言葉をこぼしてから、尻を撫でようとした不埒な冒険者の爪を軽く剥ぎ取り、背中から聞こえる叫び声を聞きながらグドは、男の後を追っていった。
少なくとも、あの男について行けば、退屈するようなことはないだろう。下らぬ冒険者達の集まりに混じったりするよりは遥かにいい。
それに、あの男の本気についても、いろいろと気になることがあるのだ。
グドではとてもではないが、手が出せぬ力、そしてどこか懐かしい力。
それを暴くためにも、グドは男についていく事を決めたのだ。
今しばらくは、あの男と行動を共にする。それでいい。
「思った以上に飽きがこなさそうだな」
最も、グドがもっとも欲しいものは、強敵の血には変わりがなかった。