英雄(怪物)
息抜きとして書いてますので、不定期連載となります。
酒場の喧騒を離れるように移動しつつ、クレアは、待ち合わせの約束をした人物がいる個室へと歩いていく。
屈強な男達が下卑な話をして盛り上がっている脇をすり抜けて、ただ黙々と歩いて行く。話している内容など、どうでも良かった。
どうせ、戦利品や娼婦の話か、適当な武勇伝の話をするに決まっているのだ。普段ならば、その話も記事の穴埋めにでも使ってやるところだが、今回はそんな暇はない。
何故ならば、偉大な異世界からの六英雄、世界を大魔王から救った神の使徒とも呼ばれる存在たちの中で、唯一讃えられることもなく、存在だけはするとされてきた幻の七人目が、クレアの取材を受けてくれたのだ。
なぜクレアを指名してもらえたのかは分からない。別にクレア自身は大した存在ではないのだ。セント教会と呼ばれる、この世界では一番有名であろう組織の、下っ端の従軍記者だ。
印刷などをする際に、複製という、同一の物を自分の力量で扱えるものであれば完璧な複製品を生み出せるという魔法が使えるだけの女にすぎない。
そんな自分が、なぜ選ばれたのだろうかという疑問は絶えず頭に浮かんできたが、英雄の考えることなど分かったものではなかった。
奴隷解放などという戯言を実現してしまうし、さらには魔法などの学問を一般市民たちが無料で学べる施設などをいたるところに作ろうとしている。
クレアからしてみれば、ありがたいと思う反面、危険ではないのかという考えが浮かんでいた。魔法というものは、凶器である。
使い方を誤れば、殺戮魔導人形と成り果てるようなものだ。極めて危険な試みである。
それを成し遂げるからこそ英雄と呼ばれているのかもしれないが、自分にはどうでもよかった。
彼らについては、もう知りたい事は知り尽くしていた。いやというほど、英雄を確保した王国と帝国の両代表から話を聞かされたからだ。
従軍記者という仕事は、そういう面倒なことばかりでもあった。宣伝の話や、偽りの話ばかりを書かされたこともある。
だが、それも今日で終わる。今日聞けるのは、あの幻の七人目の英雄なのだ。
自分だけの、とっておきの記事になるに違いない。独占して話を聞き記事にまとめることも、いっそのこと著書にしてもいい。
それだけの価値がある話が聞けるのだ。自然とクレアの足取りも軽くなる。もう酒場で穴埋めの記事を探して傭兵に手出しされそうになったり、従軍している時に兵士に変な目で見られることもなくなる。
クレアの心は完全に踊っていた。まさに、自分だけの値千金の情報が手に入るのだ。それだけではない。誰もその姿をはっきりと見たことがない、七番目の英雄を初めて取材した女性となるのだ。
部屋の前までいくと、酒場のマスターが待っていた。こちらを見るとなり、一番奥の部屋を指す。
あの部屋の奥に、ここ最近の夢にまで出た、あの七番目の英雄がいるのだ。逸る心を何とか押さえつけてマスターに礼を言うと、軽く頭を下げて、調理場へと戻っていく。
ドアの前で、自分一人となり、心を落ち着けるために何度か深く息を吐いては吸うことを繰り返す。
「よし」
心の準備は整った。ドアノブに手を掛けて、ゆっくりとドアを開けていく。クレアの栄達の物語は此処から始まるのだ。その考えは、間違っていないはずだった。
少々落ち着いたとは言っても、胸の高鳴りを結局完全には抑えきれなかったのか、少々乱暴に扉を開けてしまう。扉が鈍く、不快な音を僅かに立てて七番目の英雄がいる部屋へと、足を踏み入れる。
あの六英雄達からも鬼札とされて、その正体を隠されてきた人物である。どんな人物なのだろうか。視線が、部屋の奥にいる人物を捉える。
「来たか」
初めに聞こえたのは、低い声だった。怖気立つような声だ。先程までの高揚としていた気分が、一気に現実へと引き戻される。
震えが、つま先から蝕むように全身へと広がっていく。足が竦んで、動けない。
「いきなり、そう脅えないでくれ。 話が、出来ないだろう」
ひどく優しい声が突然耳元で囁かれる。甘い声色なのに、首に何重にも縄が巻きつき、締め付けられるような感覚に襲われる。
呼吸が乱れる。次第に足に力が入らなくなり、ぺたんと床へとクレアの身体が崩れ落ちる。視線は空中へと向いてしまい、男のほうが見れなくなる。
身体の至る所から力が抜けていくが、人としての尊厳を保とうとする意思が自然と働いてくれたのか、股にだけは力が入ってくれた。
震えが収まるようなことはなかった。声だけしか聞こえてないのに、全身の至るところが悲鳴を上げている。
「貴方は、何なのですか」
決まっていると、笑い声を押し殺して、英雄であるはずの目の前の人物が答える。
「被害者だよ。お前らの御大層な召喚のな」
「被害者?」
そうだ、と英雄は言葉を続ける。
「異世界からの英雄。実に良い言葉だよ。他世界から選ばれた勇者さまが、全部どうにかしてくれるっていうな」
目の前にいる人物が、クレアの周りをぐるぐると周りながら、言葉を語りかけているのだけは分かる。
あれほど騒々しかった酒場の雑音が、今は何も聞こえない。目の前にいる英雄の声しか、自分の耳には聞こえなくなっていた。
この男が言っていることが、何よりも理解できない。クレアにとっては、あまりにも理解しがたい人物だった。
六英雄たちからも切り札とされて、隠されてきた人物である。きっと偉大な英雄なのだろうと、勝手に考えていた。なんと甘えた思考だったのだろうか。
隠された英雄ということに疑問を抱くべきだったのだ。そもそも、どうして表舞台へと出るのを拒んでいたのか、察するべきだった。
「お前らは呼ぶだけで、それで良かったからいい。向こうで、そいつらがどんな暮らしをしていたかも知らずに、ただ救世主を呼ぶ神聖な儀式、ということに満足してたんだからな」
一切の調子を乱さずに、穏やかな声で英雄が言葉を続ける。その優しい声色の裏に、おぞましいほどの怒りを隠れているのを感じながら、クレアは何も出来ずに言葉を受け止める。
「何が”選ばれし者”だ。実際は選別していたのさ、私たちが呼ばれた初めての時からな」
英雄はただ淡々と語り続ける。
「武器も何も持たず、見知らぬ平原へと放り出され、目の前にいた子鬼達といきなりの殺し合いだ。俺たちをこの世界へと呼んだ王族に、加護を与えた女神。
あいつらは最初から見ていたのさ、誰が勇者として、英雄としての素質があるかどうかをな」
「で、でも貴方たちはそれを乗り越えて――」
「大勢死んだ。奪われた。いきなり加護を与えられたところで、何も知らない奴らがどうして立ち向かえる?
目の前の子鬼が、呼ばれた当初の俺たち20人に対して、100匹近くいた時の絶望がよ」
この英雄は、男は本当に何を言っているのだろうか。加護とは、女神による最大の祝福であり、最高の武器である。人智を超えた力を手にしてゴブリン如きにでも遅れを取ったとでもいうのだろうか。
笑える大嘘だ。この男の威圧感はただの気狂いの類だ。偉大な英雄たちを貶めたいだけの、七人目の英雄を気取った大罪人だ。そうに決まっている。
否定してやらねばならない。この男の欺瞞に満ちた言動の全てを打ち砕かねばならない。クレアの意思に、僅かに火が宿った。この火は消してはならない火だ。
この火を、より燃え盛すためには、この男の話をどこまでも聞いてやろうという気分にもなる。クレアは英雄という存在はどうでもいいが、英雄という称号のない彼らには好意を抱いている。
少なくとも、今自分を脅迫しているようなこの男に比べたら、はるかにマシな人物達――。
「――と、思っているんだろう?」
思い切り鉄の拳で頭を殴りつけられたような衝撃が、クレアを襲った。馬鹿な、という言葉が出てこない。
「俺は勘がよくてな。大体見るだけで相手が何を考えてるか、分かるんだよ。エスパーだから……て、言っても分からんか」
くだらないネタもすらも分かる奴がいねぇから嫌なんだよな、と男が愚痴る。
「あいつら容赦ねえのよ。男は殺す、女は言わずもがなって。ただ淡々と作業のように殺して、持っていく
家族や恋人が居ただろう男女区別無くな。その場でやるわけだ」
男の舌の根は乾くことがないのだろうか。そのまま流れるように言葉を続けていく。
「いやあ大惨事だった、本当にな。結局その場から加護の力をようやく理解出来て、子鬼共から逃げ出せた奴、奴らを殺した奴が英雄ってわけさ。
酷かったもんだ。俺ぁゲエゲエ吐いたよ。分かるか? ただ公務員として働いていたはずの俺が、ホラーゲームもびっくりな世界に飛び込まされたショックがよ」
嘘だ、嘘に決まっている。クレアはそのような話を聞いたことがなかった。ただの狂人の戯言にしか過ぎない。真実などどこにもないはずだ。
そう頑なに思うとしているのに、心の何処かに、何かが刺さったような違和感が残り続ける。本当にこの男は嘘を付いているのだろうかという、純粋な疑問。
浮かんではいけないはずの考えが、心の中をよぎる。
自分の思考の混乱に反して、この個室内は恐ろしいほどに静かである。男とクレア、それからテーブルと椅子だけというシンプルな空間が、余計に正常な思考を乱す。
この男が言っていることが事実であれば、王族は選ばれし者達を自らの手で減らしたということになる。理解できないのだ。
神が呼び出した英雄を減らして、何になるというのだ。彼らをもっと導けばよかったではないか。
何故、わざわざ殺さねばならないのか、その利益が分からないのだ。
魔王と戦う為に呼ばれた者達である。成長すれば、それこそとてつもない力を持てたはずの者たちを殺さなければならないのか。
「おう。なかなか考えてるな。まあ前提として、だ」
男が笑った。
「神様も王族も、なかなかにえぐいことを考えるってことだ。所詮遊び感覚でしかないのよ、やつらにとってはな」
遊戯感覚で英雄を使い潰した、とでも言うのか。何のために。
もはや、クレアの頭脳は崩壊しそうだった。救世主として生まれたはずの彼らが、戦いの知識も経験もなく、いきなり実戦に放り込まれたというのか。
「どいつが真の勇者様になるのか、力を得れるのか、それを予想して楽しんでたのさ。
死んだ奴らの加護は、生き残った奴に力として渡されると知っていてな」
そもそも加護というのが、何なのか分かっているかと男は続ける。
「加護って言えば都合がいいかもしれんが、結局は神からの呪いさ。肉体的には強化されるかもしれんが、代償はきっちりもらわれることになる」
「代償って――」
「なんにもないと思っていたのか? 強大な力を使って、何もリスクがないと?」
幸せな頭をしているな、と男が嘲笑う。何も知らないおめでたいやつと、今までの自分を侮辱されたような気分になる。
従軍記者としての自分の価値だけではない。記者として生きてきた自分の根源そのものを否定されたともいうべきなのだろう。
「あるに決まってるだろ。そんな力を使いすぎれば自分がどういう存在になるのかなんてな。都合のいい幻想的な世界なんか、どこにもない」
冷めた視線で、見下ろされているの感じる。この男は、結局何を言いたいのだろうか。
ただ、英雄への恨みつらみを言うだけであれば、クレアに言わずともいい。これだけ言うのであれば、何かしら目的があるはずだ。
依然としてクレアの脳内は混乱しているが、この英雄かぶれの狂人の目的だけは聞き逃すまいとしていた。
その意志を感じ取ったのか、男が初めて近寄り、その顔が、ゆっくりと近づいてくる。
「俺の目的が、気になるのか?」
男の顔が、はっきりとクレアの目の前に映しだされる。
あまりにもおぞましいその顔に、クレアが抑えていた恐怖が、心の内側を汚染し、人としての尊厳すらも奪い去っていく。
「英雄共を全て殺す。こんなクソッタレな世界へと転生させた神を殺す。それだけだ」
男の顔の半分が、魔族の顔で埋め尽くされ、蠢いている。
その精神を冒涜するような姿を最後に、クレアの意識は闇へと消え去っていた。