第1章 パート3
この世において最も重要なことについての授業、それをさぼっている蒼麻。アゴは淡々と授業を進めているがその手はぷるぷると震え、声にならない声を漏らし始めた。
「ちょっと、蒼麻、起きなさいよ」
それに気づいた隣の席の恋雪は消しゴムを小さくちぎり、蒼麻に投げながら声をかける。が、蒼麻は起きようとしない。
「ちょっと蒼麻、あんたただでさえ先生受け悪いのに……」
必死に小さな消しゴムを投げ、声をかけるも蒼麻には届かない。
そして何回目かの消しゴムを投げた瞬間、パキッと高い音が教室に鳴り響き、またバンッ! とアゴが教卓を叩いた。見ると足元には砕け散ったチョークが落ちている。
「ごぉぉぉぉるあぁぁぁぁ、き~さ~ら~ぎ~、起きんかぁぁぁぁ! こちとらお前の将来のために授業しとるんじゃ、ちょっとは感謝せんかぁぁぁぁぁ――ッ!」
上気したアゴの顔は鬼のような形相に変貌し、大きな声を吐き出す。女子生徒が何人かびくっと身体を震わせる。いや、女子生徒でなくとも急にこの大声を出されると男女関係なく驚いてしまいそうだ。
そんな声によってようやく目を覚ました蒼麻は(授業中爆睡出来るのもどうかと思うが)、まだ重い眼をこすり、何とか眼を開けようとする。そこに飛び込んできたのは生徒全員の視線や顔、そして肩を上下させ息の荒くなったアゴ。
「……あー……すいません、ア……じゃなくて先生、どうしても眠たかったもんで」
なんていかにも白々しいことを言ってみせるもアゴの様子は変わらない。それ以上に声を荒げ、
「放課後職員室に来い!」
「……マジ…………?」
ややこしいことになった、蒼心の中で呟いて再び蒼麻は机に突っ伏した。
アゴによって職員室に連れられ、解放された時にはすでに五時を回っていた。
やっちまった、と言うよりは早く帰りたいと思いながら教室までの廊下を歩く。
教室に入ると中には誰もいなく、いつものようなにぎやかさが嘘のように感じられる。自席に向かい、窓から外を俯瞰するとサッカー部や陸上部などがすでに部活を始めていた。
靴を履きかえ、学校を出ようとしたとき、門に佇む一人の生徒を見つけた。足元に転がる石を軽く蹴り、頬を膨らませながら空を見上げていた。
蒼麻は頬をかき、なぜか身だしなみを整えてから声をかけた。
「で、恋雪さんはなぜこんな時間までここにいるのですか?」
「っ!?」
びくっと反応した生徒、恋雪は視線を蒼麻に一度向けてから少し距離をとるような形でバックステップをした。そしてそのまま何かと戦うかのように構え、
「わ、私の後ろをとるとは……お主やるな」
「どこの殺し屋だよっ!?」
「わ、私はジョシ・コーセーと言う企業の――」
「どこの企業だよっ!?」
蒼麻は思わず突っ込みを入れながらも笑みを浮かべた。幼馴染とはいえこうして自分を待っていてくれる人がいる。そう思うと自然と顔の筋肉が緩まってしまう。
「待っててくれてありがとな」
素直に感謝の気持ちを伝えると、恋雪は頬をりんごのように赤らめながら
「べ、べつにあんたのことを待ってたわけじゃないんだから!」
「……ツンデレ?」
「ち、違う! 友達と話しててちょうど終わったらあんたが出てきただけだもん。決して待ってなんかないんだから」
「あんな退屈そうな顔してたくせに?」
「っ!? つ、通報、女の子の隙をついて顔を見るなんて不潔!」
「それをしたらほぼ全員の男子が捕まっちまうだろうが。ほら早く帰るぞ」
たまらず歩きだし、恋雪の手を握った。その感触はどこか久しぶりで歳をとるごとにこういうことは少なくなり、懐かしく感じた。
「きゃっ!? 手まで……だ、誰かお巡りさん~お巡りさんを――」
「そこまでいくともうシャレにならねーよ、俺の感じたわずかな幸せを返せ」
気づくと周りには数人の生徒が集まり、ただいまの喧騒を眺めていた。そこで初めて恥ずかしさがこみあげてきて、強く手を握り直し学校を離れた。
こんな子だったか……? と一瞬心の中で考えたりもした。
「――――ま」
でもそこはやっぱり高校生になって今までと環境が違ったり、気持ちの問題から多少の変化はあったりするものだろうか?
「――うま」
にしても変わりすぎているような……少なくともさっきみたいな冗談をいうタイプではなかったはずだ。友達にそういうのが好きな子がいるのだろうか?
「ちょ……っと聞けこのバカ蒼麻―――――ッ!」
と、思考を巡らせている中、そんな大声が後ろから聞こえたかと思ったのも束の間、ものすごい衝撃が背中を襲った。
「ぐびゃっ!?」
情けない声を漏らしながらもどうにか踏ん張り、倒れるのを防ぐ。振り向くとそこには恋雪が息を切らし、疲れている姿があった。
「えっと……どした?」
「どした? じゃない! どれだけ走るのよ……」
「え?」
そう言われ、辺りを見るとそこはもう学校から十分離れた場所だった。横を通るおばさんたちが「あらあら青春ね~」や「若いって良いわ~」とかどこか聞いててこそばゆいことを言いながら通り過ぎる。
「……わり」
「ん、分かれば良いのよ」
と、言ったところで恋雪が何かを思い出したかのように素早く腕時計に目をやった。そしてその表情はぱぁっと輝き、怖いほどの笑みを浮かべた。
ぞくっ、と蒼麻は身震いし、危機を感じ逃げ出そうとしたが行動が遅く、腕をがっちり掴まれしまった。
「ね~、蒼麻?」
普段より高く、かわいい感じで呼ばれたことにより鳥肌が立つ。
ギギギと壊れかけの機械よろしく振り向く蒼麻。
「私今日待っててあげたんだし~」
蒼麻はごくっと唾液を飲み込んだ。
「シュークリーム、買ってくれるよね?」
「……え?」
「ほらほら~、今日第二月曜日じゃん」
「あ~……」
「ね、買いなさい、これはお願いでも要望でもない、無慈悲な命令よ」
「たちわり―――――ッ」
「ほら、行くよ」
「ちょ、おい」
如月、椎名家から学校までは約十分。かなり近くに家はある。その道のりにはいくつかお店も展開されており、一人暮らしの蒼麻もよくスーパーに通ったりする。そんな中、一店舗お菓子屋さんがあり、そこのシュークリームがおいしいと評判になっている。
しかし、
「ちょっと待った、俺金持ってねーぞ?」
あそこのシュークリームは一つ一〇〇〇円とかなりの高級品であった。
「大丈夫、今の蒼麻の財布には約一四〇〇円入ってるから買える」
「なんで知ってるんですか?」
「そんなのあんたがトイレとか席を立った時に鞄を漁ったに決まってるじゃない」
「お前が通報されるべきだろっ!?」
「良いから、残った四〇〇円で他のを買っていいから」
「ってそれは俺の金、何勝手に自分のものみたいに――」
「シャラップ!! ドントスピークであります」
「……《中央時計》の対象になっても知らねーからな? 人を蹴って財布の中身見て勝手に使い道まで」
「寝てる人にだけは言ってもらいたくないわね。それに神様もその前後を見て何とかしてくれるわよ」
「……死神とか疫病神じゃねぇことを祈るよ」
なんてさんざん振り回されながら帰路につくことになった。でもこうして恋雪と一緒にいることはなんだかんだ言いつつ楽しくて、幸せと感じている。
空はオレンジ色に染まっていき、煌煌と輝く太陽も沈みかけている。それは優しくて、暖かくて、こんな未来がこれからもあればいいな、そんなことを思わされた一日だった。
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