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戻ってきたモノ

 何度も鳴る機械的な音に、夢から無理矢理現実へと引き戻される。誰かが、この暗い空間に訪れたらしい。

 チャイムの音さえ懐かしく感じている自分がいる事に、少しだけ驚いた。


 無言のまま、鉄の塊を押し開ける。テレビのコマーシャルで見たままの格好をした青年が、事務的に俺へと言葉を投げてきた。それは受け取るだけで、投げ返さない。

 一度中へと戻って、印鑑を探した。何処にあるのか思い出せなかったが、運良く印鑑を蹴り飛ばしたが、物が散乱した床では少しも転がることは無かった。


 それにしてもこの寒い真冬の中、ご苦労な事である。扉を開けたとき、その青年は自分の吐息で両手を温めていた。

「ありがとうございましたっ」

 一体彼は、何に礼を言っているのだろうか。利用したのは俺じゃない。送り主の方だろう。


 送られてきたものは、小さな箱だった。片手でも持てるほどに軽い。というより、箱だけの重さのように思える。

 送り主は……と確認したところで、思わず瞠目した。

『向井 香澄』

 そこには、確かにそう書いてあった。有り得る筈の無い名前である。訳が分からない。そして無意識のうちに目を閉じると、再び過去が戻ってきた。




「お邪魔します……」

 信の家に招かれただけなのに、思わずそう言ってしまった。今日は高校のときのやつらを集めたらしく、俺達もそれに呼ばれたのだ。隣を見ると、香澄は堂々としている。

 ああ、そうだった。忘れていた。こいつの家も大きかったな。

 俺の家は、ごく普通だった。金は有るが、父がそういったことに嫌悪感を示す人間だったのである。

 父はとにかく、家族というものを大切にしていた。俺は一人っ子で、家族は三人だけである。父は仕事柄、家にいる事は殆ど無い。それでも、寂しいなどと思う事は一度も無かったと言い切れる。

「匠?」

「ああ、悪い。今行くよ」

 廊下の少し先に、香澄が待っていてくれる。さあ、早く足を動かそう。すぐに、追いつけるから。


「ん……」

 男友達と談笑している俺の横で、香澄は苦しそうに呻いた。見ると、左肩をおさえている。どうやら、筋肉痛か何かになったらしい。

「運動不足のくせに、なんかやったのか?」

「どうせ運動は苦手ですよ。……ちょっと、肩が動かしにくいの」

 まるで四十肩だな。そう言ってからかってやると、本気で怒ってきた。冗談だって事くらい分かっている筈なのに。


 更に、一睨みしてから踵を返してどこかへと行ってしまう。慌てて追いかけてから、彼女のとったそれらの行動が冗談であることに気がついた。

「あのさ……」

 やけに静かであるなと思ったら、周りには誰もいない。

 香澄の表情が妙に真剣なので、恐らくここまで計算に入れたのだろう。「なかなかやりおるわ」と呟いた。

「家族とね、一ヶ月くらい旅行に行く事になったの」

「こんな時期にか?」

 もう卒業の事に関していろいろとやらなければならない頃だ。そんなときに一ヶ月も、いいのか?

「ほら、お父さんってさ、忙しいでしょ?それが珍しく休みが取れたみたいで。珍しい事って、重なるんだね。お父さんの方からりょこういかないか?って。レポートとかは向こうで出来るし。大学の方は、別にいいって」

「へぇ……」

 まあ、香澄は優秀だし。父親も忙しい、厳しい、家族のこと見向きもしない、って言ってたしな。珍しいから絶対に行きたいのかもしれない。だが、それでいいのか?我が大学。

「だから暫く電話かメールになるんだけど……」

「そんな事、いいよ別に。向こうで浮気でもされない限りは。お父さん、本当に珍しい事なんだろ?」

「……うん。ありがと……」

 何で快く許したのに、そんな不安そうな顔をする?頼むから止めてくれ。俺がそういうの苦手ってこと、一番良く分かってるくせに。

 なんとなくそれを察知したのか、香澄の方から笑顔を向けてくれる。

 それがありがたくて、情けなくて、一緒に笑った。意味もなく。

「でも、お前からの話じゃ想像もできない事だな」

「何が?」

「家族で旅行に行くってことだよ。父親は仕事と金が大事、母親は自分と世間体が大事って、そんな愚痴しか聞いたことない」

「え……そ、そんなわけないって。愚痴っぽくなってただけよ」

「まあ、そうか。弟は良くできる奴だったもんな」

「ま、まあ……ね」

 香澄に頼まれて、数回だけ勉強を見たことがある。だが俺が見るまでも無く、弟は優秀だった。だから、数回だけで終わったのである。

「まあ、そんなわけだから、そこのところよろ――」

 よろしくと、もう一度彼女が笑おうとした刹那、俺は笑顔ではなく苦痛を見た。既に彼女の頭は目の前には無く、しゃがみ込んでいる為に足元にあった。

「いた……痛い」

 一心不乱に、香澄は足のつま先を引っ張って細いふくらはぎを伸ばしていた。それは高校時代、バスケの練習中にたまに見る奴と同じことをしようとしているわけで……

「足、攣ったか?」

 こむら返り、というやつだろう。だが特別何かの運動をしたわけではないし、走ってすらもいない。それなのに攣るとは、珍しい事は続くものだ。

 何とか痛みが治まったのか、左手を離してほう、と溜息を零した。それが妙に歳をとった女性の様に見えてしまい、思いっきり笑い飛ばしてやる。

「も……もう……」

 起こる気すら失せたのだろうか。呆れた様な顔はそれから暫くの間、力の無い笑顔を作り出していた。

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