止まった時間、動き出す明日
「……あんた、何者なんだ。魔法使いか? それとも、聖騎士様か?」
「いいえ。私はただの葬儀屋、結城 終と申します。……少しばかり、魂の行き先を案内する仕事をしておりましてね」
終はラウルが見つめていた窓の中を覗いた。
そこには、十歳ほどの少女・ミーナがいた。彼女の瞳は赤く腫れ、頬には涙の跡が乾いている。彼女は震える手で、石のように硬くなった黒パンを鍋に入れ、ふやかそうとしていた。
「お父さん、もうすぐできるからね。これを食べれば、また元気になるから……」
ミーナの声は掠れ、うわ言のようだった。傍らのベッドには、すでに息を引き取り、白布を被せられた遺体が横たわっている。ラウルの遺体だ。
村の人々が葬儀の準備を手伝おうとしたのだろう。しかし、ミーナは狂ったようにそれを拒み、父の遺体のそばから離れようとしないのだという。
「あの子は……ミーナは、俺が死んだことを認めてないんだ」
ラウルが、透き通った拳を壁に打ち付けた。
「俺は病で死んだ。それは分かってる。でも、あの子に何も残してやれなかった! 貯金も、頼れる親戚もいない。俺がいなくなれば、あの子は飢えて死ぬ……。それを思うと、足が動かないんだ。地獄へも、天国へも行けやしない!」
ラウルの魂が、じわりと黒い霧に包まれ始めた。未練が怨念に変わろうとしている。
放置すれば、彼はこの地に縛り付けられた悪霊となり、最愛の娘に害をなす存在になってしまうだろう。
「なるほど。あなたが心配なのは、彼女の『明日』ですね」
終は頷き、懐から純白の手袋を取り出した。
「では、葬儀屋として、少しばかりお手伝いをしましょう。……彼女の時間を動かし、あなたの旅路を整える。それが私の仕事ですから」
終は小屋の入り口に立ち、銀の杖を掲げた。
「『聖域展開:安らぎの葬送』」
杖の先端から、波紋のような黄金の光が広がった。
光は壁を透過し、小屋の内部を隅々まで満たしていく。
その瞬間、ミーナを襲っていた激しい動悸と、ラウルを縛っていた絶望の鎖が、雪解けのように消え去った。
ミーナは、ふっと顔を上げた。
「……温かい」
今まで感じていた刺すような孤独が、不思議と和らいでいく。
終は、静かに扉を開けて中に入った。
「初めまして、ミーナさん」
終の声は、凪いだ海のように穏やかだった。
「あなたの……そしてお父様の、心残りを預かりに来ました」
「お、お兄さんは……だれ?」
「お父様の友人ですよ。……遠い国から、彼を見送るために来ました」
終は、何もない空間から一輪の白い花と、温かなスープが入った銀のボウルを取り出した。
『供物の顕現』。
それはただの料理ではない。亜神の魔力によって「慈愛」を形にした、魂を癒やす供物だ。
「まずは、これを飲みなさい。お父様は、あなたが空腹で泣いているのを、一番悲しんでおられますから」
ミーナは、促されるままスープを口にした。
一口、二口。温かさが胃に落ちるたびに、凍りついていた彼女の心が溶け出していく。
「お父さん……お父さんは、もう起きないの?」
「ええ。彼は、一生懸命に自分の人生を走り抜けました。今は、とても疲れて眠っているだけなのです」
終は、窓の外で立ち尽くすラウルの霊を、ミーナの目に見えるよう「顕現」させた。
「……あ!」
ミーナの目が大きく見開かれた。そこには、生前と変わらぬ優しい笑顔を浮かべた父が立っていた。
「お父さん!」
ミーナが駆け寄るが、その手は空を切る。しかし、父の温もりは、聖域の光を通じて確かに彼女に伝わっていた。




